十九 寝ずの番です
聖職者と闇騎士の乱入。
八
ミレの犬は今夜もいない。
最近とみに国家の犬――即ち暗殺指令の執行者として駆り出される機会が増えた。
こういったときには用心しなければならない。
暗殺には暗殺を、それが基本である以上、シャレムの主人であるミレは、いつ手痛い報復をくらってもおかしくない。
それがわかっているので、シャレムが不在時は聖職者、闇騎士、大商人、芸術家は二人一組で交互にミレの就寝時の警護に就く。
今夜は聖職者と闇騎士が寝ずの番を務めていた。
空には卵色の半月がかかり、足の速い雲が流れている。風が強いようだ。木々が擦れる音が若干耳障りである。
「……」
聖職者はミレの枕元に立ち、安らかな寝息をたてるミレを眺めた。あどけなさの残る寝顔は、腹立たしいほど呑気だ。
……腹立たしい、だと? どうして。
聖職者は心の裡で自問自答した。
この者は主の娘。二心を抱く相手ではない。守るべき対象、ただそれだけだ。
「……ん……うー……」
ミレが唸り、コロン、と寝返りを打つ。掛けものがずれて、夜着を纏った細い肩が覗く。
聖職者が思わず手を伸ばすと、反対側の椅子に腰かけていた闇騎士から牽制の声がかかった。
「……触るなよ?」
威圧的な眼だ。
だが聖職者は無視した。
「……」
掛けものを引っ張り、ミレの肩を覆う。ミレは少し丸まって、よく寝ている。警戒心の欠片もない。傍に、普通の男以上の危険人物が二人もいるというのに、まるで構えたところがない。
おかしく肝の据わった娘だ、と半ば感心してしまう。
それとも、さすが主の娘、と称えるところだろうか。
聖職者は軽く腕を組み、口を半分開けて、深い睡眠を貪るミレを見つめた。
闇騎士も同じように、聖職者よりはいくぶん愉快そうに、ミレを見張っている。
「……」
「……」
「……」
「……」
大の男が二人、真夜中に美少女の寝顔に見入るだけで手も出さずにいるとは、一種倒錯的ですらある。
闇騎士がハタと自分が気色悪いことに気がついたのか、前のめりになっていた身体を引き起こし、わしゃわしゃと、なにか葛藤をごまかすように頭を掻く。
「……俺たちみてぇな悪党が傍にいるってのに、よくグースカ寝るよな、姫は」
「……」
「放っておくとどこでも寝転がるし……危なっかしくて眼が離せねぇっての」
「……」
「つまり、だ。あんまり無防備だと、心配になるわけよ、いち騎士としてはさ」
「……」
闇騎士はジロリと聖職者を睨んできた。
「おい、なんとか言えよ」
聖職者は、夢の世界に身を委ね切っているミレにじっと青銅の瞳を据えたまま、言った。
「……もしも、今回の一件が破談になったそのときは……」
ミレの顔にこぼれた髪を一筋、指にすくい、耳にかけてやる。
すると、くすぐったかったのだろうか、ミレがぎゅっと顔を顰め、首を掻いて、力の抜けた手をシーツにハタリと落とした。
起こしたくない。
と、咄嗟に息を詰めた聖職者はミレが再び「スー……」と呼吸を深くするまで微動もしなかった。
間を見計らい、剣呑な面持ちで闇騎士が追及してくる。
「そのときは……?」
「……私がその身をもらい受ける」
聖職者が続きを告げると、闇騎士の双眸が、暗闇の中でも鋭く光った。
押し殺した声が床を這う。
「……なんだと?」
聖職者は闇騎士を見据えて答えた。
「真実、我ら教会の聖なる花嫁の座に迎える」
すると、闇騎士は「フン」と鼻で嘲笑い、きつく片眼を細めた。
「どうだか。それは単なる建前で、本当はおまえ自身が姫を欲しいんじゃねぇの?」
不審そうに、聖職者は首を捻った。
なにを言われたのか、理解できない。
「私がもらってどうする」
「可愛がる」
聖職者は二の句を失った。
闇騎士は平然としている。
「……」
「……」
「……」
「……」
ミレは枕を抱き抱え、スヤスヤと平和に就寝中だ。
しばし、気を失っていたらしい。
聖職者は我を取り戻すと、珍しく嫌悪の表情を浮かべて、闇騎士を睨んだ。
「くだらん」
「一瞬、悩んだくせに」
衝動的に聖職者はナイフを投じた。
闇騎士が手元の剣で難なくこれを弾く。
冷徹冷酷冷淡な顔を突き合わせた二人は、無言で得意の武器を構え、どちらともなく朝日が昇るまで、不毛な果たし合いを続行した。
すみません、弟王子、出番遅れました。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




