十八 提案です
……タナボタ?
午後の執務を終えてアーティスが部屋に戻ると、扉の前にひとが固まっていた。
ミレの取り巻き――大商人と聖職者、それに犬と侍女、なぜかユアンの側近ヴィトリーまでいる。
「なにごとだ」
もしやまたユアンの体調が思わしくないのかと、血相変えて訊ねてみれば、ヴィトリーは「いいえ」とかぶりを振った。
「そうではなく、ミレ殿から今日はユアン殿下のもとに来られないと伝言があったのです。なんでも、アーティス殿下に引き止められ、お部屋に閉じ込められたとか……それで我が主が心配して、様子を見て来いとおっしゃられて……」
「ミレが中にいるのか」
アーティスは驚いた。ミレはてっきり怒って出て行ったものとばかり思っていたのに。
気が動転する。あれから何時間が経った?
そこでようやく、アーティスは針のむしろにさらされていることに気づいた。ミレの関係者が、殺伐とした視線をこちらに向けている。
そのときものすごい音が部屋の中から響いて、アーティスはギクリとした。慌てて扉を開けようとして、中から鍵がかけられていることに気がつき、訝しんだ。
シャレムが不服そうに爪を噛んで唸る。
「押し入ろうとしたら、ご主人さまが『だめ』って言うから、仕方なくここで待機しているんです。僕は犬なのに。犬はご主人さまの傍にいるものなのに。だめって言われた、だめって言われた、だめって言われた……」
大商人が面倒臭そうに鼻を鳴らす。
「だーかーらぁ、俺が扉を蹴破ってやるって言っただろう」
すかさず、ビスカが般若の面相で待ったをかける。
「いーえ、乱暴はおよしなさい。あんまり無礼な振る舞いをして、私の姫さまが責任を問われるようなことになればおおごとになるでしょうが」
「……」
聖職者は腕組みをして壁に凭れかかり、騒動には我関せずの姿勢を貫いている。
アーティスは閉ざされている扉の向こうに呼びかけた。
「ミレ、私だ。ここを開けなさい」
ややして、扉が開く。ミレの無残な恰好に、アーティスは驚いた。
「その姿はいったい――」
「早く扉を閉めてください」
ミレがアーティスを引っ張って中に入れる。部屋の中も惨状だった。ありとあらゆるものが、ひっくり返ったり、壊れたり、引き千切られたりしている。
「なにがあったのだ」
そこへ、耳障りな鳴き声が届く。
「ギャアギャア」
飼い鳥であるオウムのドナが天井のシャンデリアより、バサッと長い翼を羽ばたかせ、アーティスの肩に舞い降りた。
すると、ミレの眼が尊敬のまなざしに輝いた。
「すごいです」
「……なにがだ?」
「懐かれています」
「まあ、私の鳥だからな」
それに呼応するように、ドナが甲高い声を紡ぐ。
「アーティス、スキ」
ますますミレの眼がうっとりと細められた。触りたいのか、指が動いている。
「お世話をしろとのことでしたので、籠を部屋の中へ運び、ドナを外へ出したのです。そうしたら飛び回られて、なかなか捕まらなくて……」
「なるほどな」
ドナは人見知りの激しい鳥だ。慣れた人間には愛情深く、撫でられることを喜ぶが、そうでない場合はひどく攻撃する。ずんぐりとした身体つきに短い足、鋭い鉤爪は強力な武器になる。
ミレも悲惨な目に遭ったのだろう。髪はばさばさ、ドレスもよれよれだ。
アーティスは申し訳なさでいっぱいになり、謝罪した。
「すまない。私が浅慮だったために君に怪我を負わせてしまった……」
ミレの手の甲に血が滲んでいる。引っ掻かれたのだろう。
アーティスはミレの手を持ち上げ、傷口を舐めた。
「ギャア」
鋭い一声にハッとした。思わず取った自分の行動にアーティスは慌てふためいた。
「あ、いや、これは、他意はないのだ。消毒を、け、怪我の手当てのつもりで」
「楽しかったです」
「は?」
「オウムと遊べて」
ミレの眼はアーティスの肩から離れて絨毯の上をよたよたと歩くドナに注がれていた。
「上手にお世話ができなくて、すみません」
ミレは心底そう思っているようで、残念そうな口調だ。いらぬ傷までつくったのに、そのことはおくびにも出さない。
アーティスはボロッとしたミレを、とてもかわいいと思った。
抱きしめて、キスしたい。
そんな衝動に駆られたが、欲求のままに行動することができなかった。
「……では、私が世話の仕方を教えよう。もし、君に通う気があるならば、だが」
だめでもともと、言ってみる。
下心の隠せぬ提案だが、あっさりとミレは乗って来た。
「あります」
「では通いやすいよう、君の部屋を私の隣に用意させよう」
「ありがとうございます」
ミレが嬉しそうににこっと笑った。
アーティスは息を呑んだ。体温が急上昇する。頭の中が沸騰していた。
なんだろう、この気持ちは。
胸の動悸が止まらない。ミレの笑顔ひとつで一喜一憂する自分がとてつもないアホウに思えた。
わざとらしく咳払いし、アーティスはおずおずとミレの小さな手を握った。
「まずは、怪我の手当てをしよう。それから食事だ」
ミレはこっくりと頷いた。
「そういえば、お腹が空きました」
取り繕わないミレを好ましく思う。シャレムの言葉ではないが、ミレは素のままで十分魅力的だ。
美しくなくてもいい。
ミレがミレであれば、それで。
アーティスは我知らず浮足立ちながら、早速部屋の移動の手配をしなければ、と忙しく思考を巡らせた。
次話はユアンの巻。
子供らしい実直さでミレに迫ります。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




