三 ねだられました
兄弟&ミレ 顔合わせの巻。
三
「おまえ、兄上に会ったそうだな」
翌日。
昼食の後、ミレが庭でゴロゴロしているところへヴィトリーが迎えに来た。ユアンが呼んでいるという。
「こんなことははじめてです」
ヴィトリーがうきうきと、高揚した口調でミレを急かす。
「ユアン殿下は、午前は諸々の勉学に励んでいらっしゃるのですが、午後は暇を持て余すのです。なにぶんお身体が弱いので激しい運動はできず、ろくに部屋からお出になられない。退屈しのぎにお話し相手をご用意しても、冷たくて、冷たくて。そのため誰も三日ともたないばかりか、下手をすれば一日で逃げてしまいます。それが、それがっ。自ら『あの変な女を連れてこい』とおっしゃるなんて……! いつもなら『捨ててこい』だの『追い返せ』だの『ばーか』だの、そんな冷たい言葉ばかりなのに! ヴィトリーは感激です! ああ、涙がっ」
ミレは「あふ」と欠伸した。眼を擦る。
せっかく昼寝を楽しんでいたのに、叩き起こされては気分が悪い。だが、呼ばれては行かないわけにもいかない。そもそも、そのためにここへ来たのだから。
「殿下、ミレ殿をお連れ致しました」
「入れ」
そして冒頭のセリフに戻る。
ミレは認めた。
「はい」
「ずるい」
ユアンはギロリと憎々しげにミレを睨んできた。
「私でさえ、滅多に兄上にお会いすることなどできないのに」
ミレがなにも答えないでいると、ユアンは自分が見下ろされていることに気がついたのか、寝台横の椅子を手で示した。
「下賤の女が私を見下ろすな。そこへ座れ」
「殿下、ミレ殿は下賤の者ではありません。れっきとした上級貴族のご令嬢です」
「うるさい。おまえは黙れ」
ヴィトリーはシュン、として壁際に退いた。
「兄上となにを話した」
「お部屋に招待されました」
ユアンが息を呑む。
「なんだと」
「ぶーっ。ま、ま、ま、まさか、そのままお部屋に上がったわけではないでしょうな!?」
ヴィトリーが激しく取り乱す。
「おまえは黙れと言っているだろう!」
「はっ、はいいいい」
ユアンが怒鳴りつけるとヴィトリーは跳び上がって手で口を覆った。
ミレはちょこんと椅子に座り、ものすごい剣幕のユアンを眺める。
「それで、兄上の部屋に行ったのか?」
「行きません」
「そのあとは?」
「私の部屋まで送ってくださいました」
「兄上はお優しいからな」
ユアンが羨ましそうに溜め息を吐く。
「あとは、なにかないか」
「お名前を名乗り、私の頬にキスされました」
「キス?」
「なんと、さすがに手の早い……!」
ヴィトリーが感心したように呻くと、ユアンにまた睨まれた。
「返せ」
ミレは首を捻った。
ユアンは子供らしく、しかめ面で駄々をこねる。
「兄上のキスをおまえごとき新参者にやるにはもったいない。返せ」
そこでミレは指で頬を撫で、その指で唇をなぞると、首を伸ばしてユアンの頬にキスした。
「……なっ……!」
ユアンが頬を押さえ、焦って飛び退く。
「なにをするのだ、この、無礼者め!」
「間違えました。左右逆でした。やり直します」
言ってミレはユアンの肩を押さえ、ふわりと覆いかぶさってキスをした。
抵抗しようとしたユアンの幼い手が、ミレの胸をぎゅっと押し潰す。
「……っ」
ヴィトリーが悲鳴を漏らす。
「うわっ、で、殿下っ。いくらなんでもそれは羨ま……じゃない、まずいですってー」
「わ、わざとではないっ」
「で、どんな感触でした」
「うん、ぽよんとしていた……って、私になにを言わせるかっ」
そこへ、
「ユアン、いくらミレ殿が愛らしいからといって、痴漢とは感心しないな」
いつのまにか、部屋に現れたアーティスが意地悪い口調で弟をからかった。
「あ、兄上!?」
「げっ。アーティス殿下」
冷やかに微笑んで、アーティスの視線がヴィトリーを射る。
「……『げ』とはなんだね、ヴィトリー」
「お、お久しぶりでございます……」
ユアンもヴィトリーも意表を突かれたアーティスの登場に面食らい、取り繕いようもなく、あたふたしている。
ひとり落ち着いているのはミレだけだ。
アーティスが労わるようにミレを見つめ、傍に来て、そっと肩に手をおく。
「すまない、ミレ殿。弟が失礼したね。お詫びに、中庭を案内するよ」
「でも私は殿下に呼ばれてここにおりますので」
「ふうん? ユアンの許しがなければ、傍を離れられないってこと?」
ミレがコクリと頷く。
アーティスの視線がユアンに向けられると、ユアンはビクッとした。
「少しミレ殿をお借りしたいが、いいかね?」
その声音は穏やかな中にも有無を言わせない凄みがあり、ユアンは竦み上がってコクコクと首を縦に振っている。
「さ、行こう」
手を取られる。
ヴィトリーが平身低頭する前を、アーティスはミレの手を握って過ぎた。
淡泊な十六歳。
生意気な十歳。
腹黒な?歳。
続きはまた明日。
安芸でした。