二 怖くないです
……餌づけ?
アーティスの部屋に着くと、黒大理石造りの広々としたバルコニーに通された。
丸テーブルと椅子が二脚、そして台座。上には錬鉄製の大きな鳥籠が置かれ、鮮やかな青緑の羽に黄色い嘴のオウムが一羽いた。
「先に寛いでいなさい。私は着替えてくる」
ミレは上の空で頷いた。台座に近づく。後ろ手を組み、鳥籠を覗く。オウムは無関心を装って身体の向きを変えた。ミレがついてまわると、腹を立てたのか、「ギャア」と鳴いてバサバサと羽ばたいた。
ミレは嬉しくなった。この気の短い、大きく美しいオウムを気に入った。
「癇の強い鳥でしょう。おまけに人見知りも激しい」
アーティスではない声に振り向く。
長めの金髪を根元で括り、琥珀の瞳に眼鏡をかけた、長身痩躯の男がいた。顔になんとなく見覚えがある。
男は手にしていた茶道具一式をテーブルに置いて、一歩下がり、お辞儀した。
「はじめまして。アーティス殿下の側近を務めています、ソーヴェ・ダル・ヘイズと申します。どうぞソーヴェとお呼びください」
柔和な微笑をミレに向け、椅子を引いた。物腰も優雅に誘ってくれる。
ミレは逆らわず、席についた。
「愛らしい方だ。お名前を窺ってもよろしいですか?」
「ミレです」
「以後お見知りおきを」
跪き、申し分のない所作で、手にキスされた。
礼儀正しくて感じのいいひとだなあ、とミレが好ましく思ったそのときだ。
ソーヴェの背後に立ったアーティスが無表情のまま長い足を持ち上げ、側近の脳天に痛烈な踵落としをくらわせた。
「ぎゃっ。あだだっ……ったー。お、思いっきり、舌噛んだ……あいたたたた」
「大丈夫ですか」
ミレが悶絶するソーヴェの傍に寄り、血の滲んだ口元に手を伸ばすと、アーティスに無理矢理引き離された。
「たいしたことあるまい」
「たいしたことありますよ」
「口が縦に閉じただけだろうが」
「そりゃ、口は横には閉じませんけどね。ったく、ちょっとお近づきになろうとしただけじゃないですか。本気で怒らないでくださいよ」
「うるさい。さっさと茶の支度をしろ」
「仰せのままに」
まるでなにごともなかったように、ソーヴェはよれた服を直し、手を洗い、テーブルクロスを敷き、お茶とお茶菓子の用意を手早く整えて、下がった。
「……」
「……」
沈黙。
バルコニーは日当たりがよく、燦々と陽が射していた。そよ風も爽やかだ。
「ほら」
テーブルの向こう側から、アーティスがこんがり焼けたガレットをひとつ摘み、ミレに差し出してきた。
困惑したものの、ミレは口を開け、齧った。
「どうだ?」
「おいしいです」
「では好きなだけ食せ」
と気前のいいことを言うので、ガレットをどっさり盛った皿ごとくれるのかと思いきや、ひとつ食べてはまたひとつ、口に運ばれた。
「茶は?」
「欲しいです」
するとアーティスは、手ずからおかわりを注いでくれた。気味悪いほど親切だ。
機嫌も直ったのか、いまは眉間に皺も寄っていない。片腕を肘掛けについて、やや重心を凭れ、面白そうな表情で、ミレが食べるのに付き合っている。
「暇なのですか」
「暇ではない」
「そうですか」
「そうだとも」
「……」
「……」
なにかが腑に落ちない。
「ではなぜかいがいしく私の給仕をしてくださるんですか」
「君の私に対する印象を変えたいからだ」
「どうしてですか」
「不都合が生じる」
さっぱり意図がわからない。
わからないが、でも。
「暇ではないのに親切な殿下は、怖くないです」
「え?」
「いつもそうだといいのに」
言って、ミレは笑った。
アーティスの手からポトリとガレットが落ちる。
「笑った……」
呆気にとられた様子で呟く。
アーティスはみるみるうちに真っ赤になった。わざとらしく咳払いをする。
「……こ、怖くない、か?」
「怖くないです」
「そうか」
「はい」
「そうか、怖くない。そうか、うん、そうだな。はは――うわっ」
なにがどうしてそうなったのか、アーティスは椅子ごとひっくり返った。その際にテーブルクロスを引っ張ってしまい、ものすごい音を立てて、すべてが台無しになってしまった。
オウムは「ギャアギャア」と騒ぎ立て、「なにごとですか」とソーヴェがすっ飛んで来た。そしてひろがる惨状に唖然と立ち尽くす。
気まずい沈黙を破ったのは、アーティスだった。
「ミレ」
「はい」
「まもなく星桜の園遊会がある。私の名で招待したい。受けてくれるか?」
正直、あまり気乗りしない。
だがお茶にまみれ、砂糖をかぶり、お菓子を頭に乗せたアーティスが、とても真面目くさった顔で言うものだから、つい、「はい」と答えてしまった。
アーティスが満足げに笑う。その場の緊張もほぐれる。
とうとう、ミレもソーヴェも「ぷ」と噴き出して大声で笑った。
ほわっとしてます。
たまにはいいかな、と。笑。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




