一 騎士がしつこいです
第二章幕開け
騎士、登場です
一
ばったりと出くわした顔を見て、ミレは即座に方向転換した。
「やあ、姫――」
親しげな挨拶の声を無視し、一目散に逃げる。
今日は、ビスカは朝から買い出し、シャレムは仕事、ユアン殿下は発熱のため絶対安静、面会謝絶。
久々に、ひとりでゆっくり、庭でゴロゴロしようと部屋を出たまではよかった。
だが、廊下の突き当たりで、いま絶対に会いたくない相手と遭遇してしまった。
ビスカの趣味で、日常的に着飾ることが義務づけられてからこちら、毎日とっかえひっかえ、手を変え品を変え、あの手この手の求婚攻撃に遭っている。
「あー、もしもしー、ひとの顔見て逃げるなよー。ひでぇなあー」
やはり、追ってくる。
「……」
ミレはガバッとドレスの裾を持ち上げた。ふくらはぎまで丸見えだが、かまうものか。この方が走りやすい。
後ろから、やや卑猥な歓声が聞こえる。
「うわぁお、すっげえ眺め。ちょっとちょっとー、姫大胆すぎ―。俺、犬君にぶっ殺されちゃうでしょー。あー、もしもしー、きーいてますかーあー?」
こちらは全速力で爆走しているのに、相手にはどんどん距離を詰められる。
気配はもう、すぐそこだ。
気が急いていたため、足がもつれた。中央階段を半ばまで駆け降りたところで勢い余ってつんのめり、このまま転げ落ちるかという寸前、危ういところで、背後から抱えられた。
「……っぶねぇなあ。階段は、走らないよーに」
「……」
誰のせいだ。
息を切らしながら、文句をぶつけたいのを我慢する。
男がニヤニヤする気配。見なくてもわかる。嫌がらせが成功して、声を殺して笑っているのだ。
「つーかまーえたっ、とぉ」
「……」
捕まった。
自称、騎士。但し無所属。名前は聞いたが記憶に留めていない。
ミレはとにかく、例外なく、言い寄ってきた男達を片っ端から断った。
それでも、振っても振っても懲りない求婚者が数名残っていて、各自暇を見つけては出没し、とことん迫ってくるので、鬱陶しいことこのうえない。
悪いことに、ミレが脇目も振らず逃げまくるのが面白いらしく、人目もはばからず追って来ては、ちょっかいをかけられる。いいかげん、うんざりだ。
「放してください」
「俺と結婚してくれるなら」
「嫌です」
「あ、そう。じゃ、俺も嫌だ」
ミレは無言でじっと睨んだ。
男は痛くも痒くもないらしく、平然としている。
そこへ、
「……なにをしている」
外出先から戻った身なりのアーティスが、側近数名と一緒に階段下にいた。
顔が険しい。
なにかとても不愉快なことがあったのか、眼は吊り上がり、怒気を孕んだ空気を全身に纏っている。
「そこでなにをしている、と訊いているんだ。答えろ」
きつく問い質され、ミレはうっかり本音をこぼしてしまった。
「後門の狼、前門の……」
なんだっけ?
「豚?」
「虎だ!」
癇癪を爆発させて、アーティスが喚く。
「だいたいそれを言うなら、『前門の虎後門の狼』だ、たわけっ」
「そうですか」
「なぜ私が豚なのだ!?」
「いえ、なんとなく」
「なんとなくで済むかっ。貴様ら、笑うんじゃない!」
アーティスの怒声でその場にいた全員が、もう堪え切れないと言ったように笑い声を弾かせた。
中でも、
「わーっはっはっはっはっは。ひーっ、く、く、くっ、苦しいっ……! は、腹が捩れる。いいね、いいね、いいよ、姫。やっぱりあんた最高だ。面白すぎる。よりによって王子殿下を豚呼ばわりとは、ぶくくくくくっ。た、たまらん。は、腹が……し、死ぬっ……」
騎士が腹を抱えて、文字通りゲラゲラと笑い転げている。
ミレはどさくさにまぎれて大きな図体を押し退けた。まだしつこく追いかけて来るようだったら、そのときはアーティスを盾にしようとひそかに考える。
一応この場は救われたのだから、狼よりは虎の方がいいだろう。
アーティスが側近を従えながら、階段を上ってくる。
通り過ぎなに誘われた。
「……私はこれから一服する。君も一緒にどうだね」
「遠慮します」
「特製ガレットがあるんだが」
「行きます」
「では来なさい」
「はい」
ミレは素直にアーティスのあとに続いた。
「現金な奴め」
と、呆れたように小さく笑われたが、ミレは知らんふりをした。
騎士はさすがに場をわきまえたのか、ついてこない。だが背中にいつまでも視線を感じた。
第二章は騎士から。他三名の求婚者は、追ってのちほど。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




