二十三 心配しました
兄バカ炸裂。
アーティスだった。
昼の礼装用の外出着のまま息を切らして現れ、まっすぐにユアンのもとへやって来た。
突然の来訪にびっくりしたユアンは眠気の吹っ飛んだ顔でアーティスをポカンと見つめ、手をついて半身を起した。
「兄上」
「頭を打ったそうだな。気分は?」
「だ、大丈夫です」
アーティスはいかにも心配そうな表情で身を屈め、ユアンを軽く抱き寄せると、後頭部をそっと撫でた。
「痛むのか?」
「少し」
「吐き気は?」
「ありません」
「他に怪我は?」
ユアンがかぶりを振ると、アーティスはおもむろに安堵の溜め息を漏らした。
「よかった……」
「ご、ご心配をおかけして、申し訳ありません。で、でもっ、あの、兄上がいらしてくれて、嬉しいです。とても」
詫びながらも、ユアンはアーティスが血相変えて自分のもとに駆けつけてくれたことがよほど感極まったらしく、嬉々とした表情だ。
アーティスはいささかばつが悪くなったのか、姿勢を正すと、ユアンの肩から手を下ろし、少し距離を置いた。
「では、今日一日、ゆっくりとしていなさい。食事もここへ運ばせよう。ヴィトリー」
「は」
「ユアンの食事の手配を。それから医師は隣部屋に常駐させて、容体が急変した場合に備えよ。無論、私にもすぐに知らせを」
「は。畏まりました」
平身低頭するヴィトリーを屹然と睥睨して、アーティスは冷やかに責めた。
「ユアンに何事もなければ今回は罰を軽減し、減給と鞭打ち刑にとどめ、解任は免除しよう」
「いいっ。む、鞭打ちですか」
「なんだ、文句でもあるのかね? 私のユアンを危険にさらしておいて、なんの咎めもなく済むとでも……?」
「私のユアンって……そりゃちょっと甘すぎじゃあ……って、うわ、喜んじゃってますよ。ったく、このご兄弟は本当に仲良しなんだから……いえ、なんでもないですとも。独り言です。はい、はいっと。確かに私の失態です。鞭打ち刑でもなんでも、受けましょう」
「今後、二度とこのような不始末のないように努めよ」
「はっ」
「ところで」
アーティスは出し抜けにミレに視線を注いだ。
「ミレ殿」
アーティスが来室すると同時にミレは逃げようか隠れようか逡巡し、後者を選択した。
さりげなくシャレムの陰に潜んだのだが、アーティスはさすがに目敏く、見逃してくれない。
「ずいぶん美しく装っているじゃないか。いったいどこの誰の見立てかな……?」
詰るような口調に、恫喝めいた眼つき。剣呑な表情。全身からゆらりと立ち昇る威圧を感じる。容姿が端麗なだけに、いっそう空恐ろしい。
ゆっくりと長い足を運び、首に手をあてたままじっとミレを見下ろして、立つ。
「……きれいだ」
抑揚のない、深い声音に、ゾクッとする。
褒められたのに、褒められているとは思えない。
この、得体のしれない、鬼気迫る気配はなんなのだろう。
「あとさき省みず奪いたくなるくらい、危険な可憐さだな。君独特の人離れした空気や曖昧な表情が、男の嗜虐心を刺激すると言うか、そそると言うか、なんとも……言えないね」
アーティスの眼が稲妻の如くチカッと光る。
思わず、ミレは一歩身体を退いた。
「なぜ下がるんだね。なにもしていないだろう」
「顔が悪いです」
「ははっ。は……なんだって?」
「間違えました。顔が怖いです」
「この私のどこが怖いと?」
確かに、アーティスはにこやかに微笑んでいる。
だがそれは表面だけで、眼を見れば一目瞭然、ものすごく機嫌が悪いと判別するのは難しくない。
父キャスがそうだ。一見、普通。激昂すればするほど、物静かに、微笑だけが深まって……下手につつくと、恐ろしい結果が待っている。
「怒らないから、答えたまえ。この、穏便な私の、いったいどこが、怖いと、言うのかな……?」
その強面で穏便とは、聞いて呆れる。もう既に怒っているくせに。
と、正直に反論できず、ミレはコクリと息を呑んで、身構えた。
怖いひとには、近づかない。逆らわない。逃げる。避ける。許容する。
それが賢い処世術というものだ。
とはいえ、自分はあまり器用でなく、口もうまくないことを、ミレは当の昔に自覚していた。
ゆえに、
「……」
余計なことは、喋らない。
それが災難を避ける最善の方策だ。
アーティスは非紳士的な微笑を浮かべながら、気だるげな動作でミレとの距離を縮めてくる。
「女性は気を惹きたい男のために美しくなると聞くけれど、さて君は、誰のために着飾ったのかな……? この私をさしおいて、君を愛でようという勇気ある男が何者なのか、教えてもらおうか」
仲良し兄弟です。笑。
次話、アーティスの誤解を解こうの巻。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




