二十一 見違えました
ミレ、変身の巻
「どなたですか」
「ミレです」
「お待ちを」
ヴィトリーが扉を開ける前にユアンを見ると、慌てたように居住いを正している。男の見栄というやつだ。
「よし。中に入れてもよい」
「では」
ヴィトリーは恭しい手つきで扉を開けた。
そしてそこに見出した姿に面食らい、思わず、パタンと扉を閉じてしまった。
途端に、怪訝そうな口調でユアンに問われる。
「どうしたのだ。ミ、ミレ殿じゃなかったのか」
「いや、それがですね」
答えに窮し、ヴィトリーは額に手をやった。
なにかいま、異様なものを見た気がする。
心臓の動悸が激しい。もしかしたら、突発性の眩暈に襲われたのかもしれない。
気を取り直して、もう一度、扉を開けた。
「……」
今度は動けなくなった。
「……」
そのまま茫然と棒立ちになっていると、痺れを切らしたユアンが部屋の中から甲高い声で呼ばわった。
「ミレ殿か!?」
「ミレです」
「入室を許す。入って来い」
「はい」
ヴィトリーの横を、花の香りを漂わせた華奢な人影がすり抜けた。すぐあとを、氷の眼を光らせた、いかにも不機嫌な犬が続く。
直後、背後でものすごい音がした。
ヴィトリーはハッと意識を取り戻して、振り返った。ユアンが寝台から逆さまに転げ落ちている。
「殿下っ」
すぐさま駆け寄り、助け起こす。
「殿下、お怪我は!?」
「大事ない」
「ああっ、でっかいコブが!! すぐに氷嚢をお持ちいたしま―― 」
「ええい、騒ぐな! 私は大丈夫だっ。それよりも」
ユアンが侮蔑と嫌悪に瞳を怒らせて、ヴィトリーの肩越しを睨んだ。
「おまえは誰だ。ミレ殿の名を騙るとは、なにが目的だ」
「お待ちを、殿下」
「不届き者め。王子である私を謀るとは、断じて許さぬ」
「お待ちを、殿下。ミレ殿です」
「ミレ殿? どこにいる」
ユアンはきょろきょろした。
気持ちはわかる。
内心、激しく同意を示したヴィトリーだが、まさか自分の立場でひっくり返るわけにもいかない。
いまだ信じ難く、まして説得し難かったが、慎重に、ここはきっぱりと告げた。
「眼の前に」
「眼の前?」
「はい、こちらの方がそうです」
しかしユアンは信じない。
「ばかを言うな。ミレ殿はこれほどきれいでも、かわいくも、儚くもないっ」
「あわわわわわわ、そ、そんなことをはっきり言っちゃあいけませんって!」
「ふん。ミレ殿のよいところは外見ではない。たとえ美人じゃなくともよいのだ。私がよいと認めたのだ。たとえ容姿がどうでも――ふがっ」
ヴィトリーは実力行使でユアンの口を手で塞いだ。無礼を承知ながら頭を掴み、ユアンの首を正面にガシッと固定する。
「本当ですってば。ミレ殿ですよ。さっきは私も驚きのあまり卒倒しかけましたが――よくご覧になってください」
「まだ言うか。そんなわけが――」
ユアンはヴィトリーの腕を振りほどき、否定しながらも凝視した。
眼の前にいるのは、天上に咲く花の如く、美しい少女。
髪を高く結い上げ、白いかんざしを挿し、白緑のドレスを纏っている。エメラルドの耳飾り、ゆるく開いた胸には細い銀鎖と耳飾りと対の宝石。
ほのかに色香を漂わせた愛くるしい顔を見つめるうちに、ユアンの顔が緊張し、歪み、喉がコクリと鳴った。
「まさか……」
「失言にご注意を、殿下」
ヴィトリーの助言に、ユアンが素早く唇を噛む。
ユアンは恐る恐る訊ねた。
「ほ、本当に、ミ……ミレ、殿、なの、か?」
「はい」
ヴィトリーはぎょっとした。
ユアンの表情が得も言われぬほど優しく綻び、熱を帯びた眼でミレに見惚れている。
「なんてかわいらしいのだろう……」
うっとりと呟くユアンは幸せそうで、聞いているヴィトリーの方が恥ずかしいくらい、甘い声だ。
「こんなに美しいものは、はじめて見た……少しだけ、触れてもよいだろうか」
ミレが頷き、身を屈めた。
ユアンの小さな手がミレのほつれた髪に伸びる。
だが届かなかった。
ミレの背後にいたシャレムが片眼をギラリと輝かせ、ひょい、とミレの身体を自分の肩に担ぎあげたのだ。
「気安く、ご主人さまに触るな」
「こら」
ミレに叱られても、シャレムはどこ吹く風で、真っ向からユアンを睨み、堂々と威嚇してくる。
「言っておくけど、ご主人さまに手ェだしたら、殺すよ?」
暗殺者の笑み。
炸裂する殺気を浴びて、ヴィトリーはヒヤリとした。本能的にユアンを庇い、前に出ていた。
ところが、
「かまわない」
ユアンが物騒な言葉を口にした。
「いっ。な、なんてことをおっしゃるんですか、殿下!」
「ふぅん、いいンだ? 殺されても」
シャレムは嬉しそうである。長い利き指が一本、そろりと袖に潜る。
ヴィトリーはその所作に竦み上がって叫んだ。
「ちっともよかぁないですよ! 殿下、正気に戻ってくださいって!!」
「私は正気だ。もしも私がミレ殿の意思に反した行動に出た場合は、どうとでもすればよい。だがミレ殿がいいと言ったときには、邪魔をしないでくれ」
まったく物怖じせずにシャレムを言い負かしたユアンに、ヴィトリーは舌を巻いた。頭の回転の速さといい、度胸といい、とても十やそこらの子供ではない。
案の定、シャレムも二の句が告げられず、得意の得物を投じることもせず、半眼で押し黙ってしまった。
「シャレム、いい子」
囁いて、ちゅ、とミレがシャレムの髪にキスし、機嫌を宥める。
「下ろして」
「……だから僕はご主人さまがきれいになるのは嫌だったんだ……虫が、余計な虫が、有象無象が、ああ、殺したい、殺したい、殺したい……」
ぶつくさぼやきながら、シャレムがミレを床に下ろす。あとは腕を組み、明後日の方角を睨んで、どす黒い欲望を撒き散らしまくっている。
「こちらに来るのが遅くなりまして、申し訳ありません」
ミレはすまなそうに謝った。
「よいのだ。来てくれて……嬉しい。ミレ殿に会えて、私は嬉しい」
ユアンは気持ちよく許している。高揚した表情は、少年らしく快活そのものだ。
やれやれ、とヴィトリーは嘆息した。ミレの変わりように、つくづく感心し、ひとり呟く。
「女は化ける、とはよく言ったものだよ」
白緑は透明感のある青緑。
エメラルド・グリーンを光に透かしたような、きれいな色です。
ミレはなんとなく、緑な感じ。
予定より、一、二話オーバーしそうです。というか、します。
お付き合いいただければうれしいです。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




