十八 隠れました
隠れたら、逆効果です。
薄い微笑の中に、責めるような眼が光っていて、ミレを射貫いている。
「……連れである私と話すのは嫌で、その男と話すのは嫌じゃないと、そういうわけ?」
アーティスは穏やかに言葉を継ぎながら、一段一段、ゆっくり、カツン、カツン、とバルコニーを降りてきた。
そして眼を細め、シャレムに辛辣な一瞥を向ける。
「役立たずな犬だ。大切な主人にむやみに男を近づけるんじゃない」
一喝されるも嬉々として、シャレムは指の間に長い柄のナイフを閃かせた。
「うん、僕も同感。ね、ご主人さま、やっぱりそいつ、殺そう」
「だめ」
「ケチ」
「お座り」
ミレの命令には逆らわず、シャレムは灰色の髪をサラッと揺らして、膝を折る。
アーティスは無言でミレとリュドーの前に立った。
なぜか、怖い。
舞踏会場から届く薄明かりに映えるアーティスの顔は、非常に厳しい。
ミレは臆して、近くにいたリュドーの背にコソッと隠れ、片眼だけでアーティスの様子を覗き見た。
なにが気に食わないのか、ますます険悪な形相で、アーティスがミレを睨む。
「……なぜ隠れるんだね?」
「……」
「ふふ。君は本当に私を怒らせるのがうまい。私を袖にして他の男と密会なんて、よくもまあ、虚仮にしてくれたものだ。それで? 暗がりで睦まじく顔を寄せ合って、なにをしていたのかな……?」
鋭く、冷たい声。
紛れもない怒気に、ミレは怯えた。
どうしてこんなに怒っているのだろう。
わけがわからないまま、ぎゅっと身体を硬くしながら、なんとか答える。
「なにもしてません」
「キスしていたのでは?」
「違います」
「本当に?」
「数式を解いていただけです」
「は?」
アーティスの眼が点になる。訝しげに眉をひそめた。
リュドーは不穏な空気に場を取り持つ必要を感じたのか、懸命に釈明する。
「すみません、博士は俺が誘ったんです。あの、まさかアーティス王子殿下のお連れとは知らず、勝手をして申し訳ありませんでした。なんらかの処罰が必要とあれば俺が受けますので、どうか博士はお許しください」
「君は?」
「リュドー・サウエル・ヒュリーです」
「わかった。もういい、行きたまえ」
「でも」
「私の言葉が、聞こえなかったのかね?」
相手が相手だ。
リュドーもそれ以上は逆らわず、詫びるような目礼をミレにしたのち、スゴスゴと去っていった。
「さて」
ミレは後退した。夜の中に姿をくらましたい。いっそ走って逃げようか。
理由は不明だが、アーティスがとても不機嫌なことはビリビリと伝わってくる。
石畳に躓いた。よろめく。
すかさず、アーティスの腕に抱きとめられ、そのままグイッと引き寄せられた。
「私を見なさい」
「……」
「見ないと、押し倒すよ」
「だったら、押し返します」
アーティスがクッと口角を持ち上げる。不遜な笑みだ。
「いいね。私は抵抗される方が燃えるんだ。じゃあこうしよう。君を裸に剥いてしまおう。そうすれば、もう逃げられない」
ミレは観念した。眼をアーティスのそれに合わせる。
「いい子だ」
沈黙。
眼を逸らしたいが、逸らせない。
逸らしたが最後、なにをされるかわからない危うい雰囲気だ。
不意に、ポツリとアーティスが呟いた。
「……どうして君は、私を嫌う」
ミレは思うまま言った。
「あなたは怖いんです」
すると、アーティスは爽やかに笑った。
しかし、眼は笑っていない。
「怖くない」
「怖いです」
「怖くない」
「怖いです」
「怖くないだろう!」
声を荒げられてミレはビクッとした。耳を押さえて縮こまる。
アーティスはすぐに悔やむような表情を浮かべて「悪かった」と謝り、ふいっと横を向いた。忌々しそうに言う。
「……君の姿が見えなくなったから、捜した。酔っ払いにでも絡まれて、休憩部屋にでも無理矢理連れ込まれたのではないかと、焦って心配してあちこち駆けずりまわってみれば、君は他の男と楽しそうに談笑中で……私はとんだマヌケだな」
苛立たしそうな舌打ち。
次の瞬間、ミレはアーティスに抱きしめられた。
「だが、無事でよかった……」
意外にも優しい抱擁だ。
どうも本気で身を案じてくれたらしい。
ミレは心労をかけたことをすまなく思い、抵抗をやめておとなしくアーティスの腕に身を委ね、じっとしていた。
アーティスの長い指が、くしゃりとミレの髪を梳く。
「もう夜も更けた。そろそろ失礼するとしよう」
「はい」
「ところで」
「はい」
「博士、とは君のことかな?」
アーティスの笑みが深まる。追及の視線が執拗にまとわりつく。
「どうやら君は、私が知らない顔をまだいくつも持っているようだ……暴くのが楽しみだよ。ふふふふふ……」
関わり合いたくない。
関わり合いたくないのに。
どうも逃がしてはもらえないようだ、とミレは心の裡で悲鳴を上げた。
夜会編終了です。
踊らないまま。笑。踊れないしね、ミレ。
次話、ようやく彼女が登場。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




