十六 お伴しました
そんなばかな の巻
十一
「踊れない?」
舞踏会場に着いて、クロークへ寄り、帽子とステッキと小さなバッグを預ける。
アーティスはピクリと片眉を持ち上げて、眼を丸くした。
「はい」
ミレはこっくりと頷いた。
「ワルツを?」
「踊れません」
「カドリーユは?」
「踊れません」
「他は? まさか、まったくだめなのか」
「まったくだめです」
「いったいどうして」
アーティスは額に手をやって、信じられないという顔でミレを見つめた。
ミレは肩を竦めて答えた。
「覚える必要がありませんでした」
「そんなばかな」
驚きと困惑に眩暈を覚えたように眉間を押さえて、アーティスがミレを睨んだ。
「君もれっきとした高貴な身分だろう。ダンスは社交の基本、得手不得手はともかく、まるで無縁とはいられまい」
「外にはあまり出ません」
「出不精か」
「はい」
「少しは否定したまえ」
「できません」
「まったく……呆れてものも言えないな」
言っているじゃないの、とは言わずにおいた。
余計なひとことは窮地に陥る禍の種となる。
ミレは数々の実体験により、そのことを重々承知していたので、大きく嘆息されても、こめかみに青筋をたてたぐらいにして、おとなしく黙っていた。
「わかった。仕方あるまい、君と踊るのは諦めよう」
ほっとしたのも、一瞬だ。
アーティスの長い指にクイッと顎先を摘まれ、不敵な微笑を向けられる。
「では、今日はじっくり君の身の上話でも聞いて、お互いの親睦を深めようじゃないか」
「嫌です」
「どうして」
「どうしてもです」
「私は君に興味がある」
「私はありません」
「っははははは、まったく、君ってひとは清々しいほど媚びない女性だ。そこがなんとも魅力的だと褒めたら、君は私に優しく笑いかけてくれるかな?」
アーティスの甘く強烈な流し眼に、だが、ミレはクラッとするどころかゾーッとした。
気持ち悪い。全身鳥肌ものだ。
アーティスときたら、そんなミレを眺めて涼しい微笑を浮かべている。どうも、ミレの拒絶反応をすっかり面白がっているようだ。
「さ、姫。絆を深めに、いざ、舞踏会へ」
「深めたくないです」
「君も懲りないひとだなあ。つれないセリフで私を煽って、ネチネチと苛められたいのかね……?」
そんな自虐趣味はない。
ミレは逃亡を決意した。
「いえ、私のことはかまわず、放っておいてくださって結構です。殿下はどうぞ他の方々とごゆっくり、お楽しみください。私は軽食でもいただいてきます」
「は? 待ちなさい、ひとりでどこへ――」
ちょうど折りもよく夜会の主催者が現れて、アーティスに歓迎の意を伝えてきた。ミレは紹介に与ったのも束の間で、社交辞令を交わす間を見計らい、そそくさとアーティスの傍を離れた。
「……ふう」
ひといきれにまぎれて部屋を移動し、ようやく一息つく。
半ば強引に夜会に連れられて来たものの、支度に時間を取られたため、マロー家に着いたときには既に宴もたけなわだった。
華やかな舞踏会場では、美しく装った老若男女の紳士淑女が、皆、思い思いに寛いだり、踊ったり、会話を楽しんだりしている。
だがミレは、こういった場はどうも苦手だった。
気の利いた挨拶などできないし、愛想笑いも不得手で、見知らぬ人間と話すことも億劫だ。
自然の成り行きで、飲食に専念してしまう。
シャレムはさすがに同行できなかったので、邸宅の外、おそらく会場が見える庭のどこかに待機しているだろう。
なにか差し入れでも持っていってあげたいが、どうしようか。
と、ミレが料理をモリモリ食べながら、いっぱい盛った取り皿を片手に真剣に悩んでいたとき、「失礼ですが」と背後から声をかけられた。
振り返る。
若い男性だ。訝しそうに眼を細めながらミレをジロジロ見て、突然、「あっ」と声を上げた。
「博士! シーズディリ・ミレ算理学博士じゃないですか!」
夜会編、まだ続きます。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




