十五 逃げ遅れました
ラスボス登場。
「ミレ」
キャスが柔和に顔を綻ばせ、腕を広げる。
ミレは数日ぶりの父の笑顔にほっとした。
肉親ながら油断のならないひとではあるが、やはり何日も離れてみると寂しい。傍にいればいたで困らせられることも多く、怖いめに遭ったりすることも少なからずあるのだが、いなければいないで物足りなく、なにより、安心感がない。
「お父さま」
ミレは小さく笑ってキャスの胸におさまり、抱擁を返した。
「どうしてここに」
もう迎えに来てくれたのだろうか。
一抹の期待を寄せたが、キャスはあっさり否定した。
「所用の帰りに少し寄ってみたのだよ。おまえがどうしているか気になったものだから。真面目に努めているかね? ん?」
「はい」
「では、約束は?」
「守ってます」
「よろしい」
キャスは満足そうにひとつ頷くと、ミレの背後に控えたシャレムへ視線を振った。
「おいで」
シャレムが従う。
「おすわり。伏せ」
膝をついて首を垂れたシャレムの頭にキャスの手が伸びる。そのしぐさにミレは緊張した。シャレムが殴られる、と危惧したのだ。だが、そうではなかった。
キャスは悦にいった含み笑いを浮かべ、シャレムを掻き撫ぜた。
「早かったじゃないか。一日で、よく居場所を探りあてた」
「脅して訊きまくったからね」
なんでもないことのように、飄々(ひょうひょう)とシャレムが言う。
キャスはさもありなん、といった顔で平然と頷く。
「目的のために手段を選ぶ必要はない。衛兵を強制排除してミレのもとに急いだそうだが、それでいい。何者にも怯まず、よく仕えろ」
「嫌な奴は、噛んでもいい?」
「噛むといい」
「……誰が相手でも?」
ちらり、とシャレムの眼が動く。視線の端に、アーティスとユアンを捉えている。
「誰が相手でも」
手加減無用だ、とキャスは冷然と切り捨てた。
これを聞いて、我が意を得たり、とばかりにシャレムが俯いたままニヤリと笑うのをミレは目撃した。内心、嫌気がさす。父がこうしてシャレムの過激な行為を容認するものだから、いつまでたってもシャレムの暴走癖は治らないのだ。
「さて」
と、キャスがおもむろにユアンへ向き直る。
「そちらにおられますのは、ユアン王子殿下でいらっしゃいますな」
厳かな、流れるような物腰で跪き、キャスが礼を尽くす。
「はじめてお目にかかります。キャス・ル―エシュトレット・ガーデナーと申します。このたびは娘ミレに栄誉ある役目をいただき、恐悦至極にございます」
「あ、いや、その」
ユアンが気後れし、しどろもどろに言葉に詰まる。
見かねたアーティスが横から助け船を出した。
「弟は口下手なもので、申し訳ない。ミレ殿はユアンのよい話し相手です。まだ日も浅いながら二人は気が合うようで、私も安堵しております」
「それはよかった」
キャスとアーティスが礼儀正しい微笑みを交わす。
やはり、この二人は同類だ。
なぜかとても、うさんくさい。近づかないに越したことはない雰囲気だ。
「兄として、私もお近づきになりたいものです。つきましては、どうでしょう? 本日マロー家の夜会があるのですが、ぜひ、ご令嬢をエスコートさせていただきたいのですが」
「ミレ、アーティス殿下がこうおっしゃっているが、お受けするかね?」
いきなり会話の矛先が向いたので、ギクリとした。
逃げ腰になるミレの前にアーティスが寄って来て、紳士的に浅くお辞儀をする。
「私と夜会にご一緒していただけませんか」
「お断りします」
「おや、つれないことを。まさか本気ではないでしょう?」
「本気で嫌です」
「冗談がお上手だ」
アーティスは距離を置いたまま、キャスの耳には届かない小さな声で言った。
「……君が笑った顔をはじめて見たよ。ちゃんと笑えるじゃないか。それなのに、いつも私の前では鉄面皮でいるなんて、ひどい話だと思わないかね……? そう、お仕置きが必要なくらいに……」
ぞっとするほど低い声音が響き、ミレはカチコチに固まった。
怖い。
どうしよう。
どうもこうもない。
アーティスは花のように美しく、怪物のように恐ろしく微笑んだ。
「ご一緒して、いただけますね?」
「……」
それでも、ミレが首を横に振ろうとすると、アーティスに鮮やかな先手を打たれた。
「ああ、快く受けてくださいますか。ありがとうございます。では仲良く参りましょう。のちほどお迎えに窺います」
にっこりと傍迷惑な微笑。
「……」
ミレは引き攣った。
仲良くなんてしたくない。断わりたい。だが、断ったらあとが面倒そうだ。
煩悶するミレを面白そうに眺めて、アーティスは堂々と優雅なしぐさでミレの手をすくい、小さなキスを落とした。
「楽しみです」
ちっとも楽しみじゃない。
せめてもの無言の抵抗として、ミレは気鬱な吐息を洩らした。
次話、いざ夜会へ。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




