胡散臭い予備校講師風の創作論コース 第一期(一年目~二年目)
一歩先を照らす創作がきっと楽しい ~創作という冒険~
■ はじめに
「創作は最初からガッツリ全てを考えるな ~創作とは考えること~」で書いた内容は、考えすぎる人のための内容でした。今回は、筆が進まない人も含めた「一歩先を照らす」という話を展開していきたいと思います。
この作品は、著者の意思により CC0(Creative Commons Zero)ライセンスで提供されます。著作権法上認められるすべての権利を放棄し、全世界において、誰でも自由に利用可能です。(有志の方には翻訳していただけると幸いです) License : https://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/deed
■ 解像度の高さ、低さとは『明かり』かもしれない
執筆創作において『解像度が高い』という状態を『明かり』として表現すると、それは「全ての道に明かりが灯った道を、ただ歩むがごとく」になると思うのです。
ここで『解像度が低い』という状態とは「明かりが全くない道を、手探りで進まなければならない」と置き換えられるでしょう。
これ以降は『明かり』として語ります。
■ 『明かり』に置き換えると
執筆創作において、明かりが灯っている状態というのは――ただ道を進むだけなんですよね。
少なくとも作者にとって「安全な道を進むだけ」となって、何の知的興奮もあり得ません。
もっとも、そこまで明かりを灯せている方は、比較的少数派だと思うのですが。
そして執筆創作において、明かりが一切ない状態というのは――先述のとおり、暗闇の中を手探りで進む状況に近いでしょう。
端的に言うと「作者も、何も見えていない」という状況です。
こんな状況で、果たして道筋だった話を展開できるでしょうか?
作者自身が迷子になりかねない、そういう危機的状況です。
なので、明かりが道を煌々と照らしている状況も、全く明かりがない状況も、執筆創作において好ましいものとは思えませんよ、少なくとも私にとっては。
■ 程良い『明かり』とは?
ここで誤解しないでいただきたいのは「明かりがあるか、ないか」の二元論で語っているわけではない、ということです。
例えば暗い夜でも、空には月明かりがあるでしょう。当然、新月の日もあるでしょう。
相対的に「明るいか暗いか」という話ですね。
月明かりの明るさは『作者のコンディション』と言い換えられるかと思います。
創作なんて基本「道なき道を進む」行為ですし、それが夜道なんですよね。
時には天候のために、松明に火をつけられない日もあるでしょう。
そんな日は(あなたがアマチュアであるならば)無理をせずに、雨風を凌ぎながら、どういう方向に向かうかを考える時ではないかと思います。
ですから「せめて一歩先の足下を照らせる程度の明かりを」「道に迷わない程度の見通しを」――そういう提案です。
■ プロットについて
小説を書く上で、特にプロ作家さんですとプロットの提出などは――必要になってくるかと思います……私もアマチュアなので知らないですけど(笑)
このプロットというのは、作家以上に「見えない」関係者に明かりを灯す行いだと、そう思うのです。
作家も最初から全てを見通して書いてる訳ではないですから、当然予定も狂うはずです。
だけど、結果的に「こっちの道が正解だった」と納得させる、そういう力量が必要なのでしょうね?
アマチュア作家だから、プロット不要だと言っている訳ではありません。
あくまで松明は比喩ですから、道に目印として明かりを灯す――それが「プロットの役割」ではないかと思います。
すなわち、あまりに見通しが付かない人こそ「プロットを書いてみろ」という話になりますね。
■ おわりに
明かりが強すぎても、道を進む意欲が失せる。
明かりが弱すぎても、道が暗すぎて恐怖のあまりに立ちすくむ。
あなたにとって、適切な『松明の明かり』を探すことも、また大切なのではないでしょうか?




