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雲の夢

作者: hiko
掲載日:2026/03/15

ささやかな夢は、もう



私は罪を犯した。もう10年も前になる。


私は30歳の頃、人生に絶望していた。

別に何があったってわけではなかった。

むしろ何もなかった。


そう、何もなかったのだ。

それが逆に不安でたまらなかった。


友達は結婚し始めてから一気に疎遠になり、

会社の同僚も結婚して笑顔で辞めていった。


だからって自分に恋人がいるわけでもなく、

作りたくてもそのたびに感じることは

「自分は必要とされてないんだな」

ということ。

私が求める人はいたかもしれないが、

私を求めてくれる人はいなかった。


人に愛情を求めるほど、自分のいらなさが如実に表わされる。


その状態が長期にわたって、その思考は世間全体へと移っていく。


ー私はいらないー


この苛立ちを表現する手段として、…人を殺してしまった。


無差別の殺人だ。道端にいる人を刺した。


当然逮捕される。

世間では大きなニュースとなり、キチガイの人間として

自分の名前が知れ渡った。


私一人愛すことぐらいのことを誰一人としてできない世の中が何を言っているんだ。

当時は本気でそう思っていた。


キチガイであったのは確かかもしれない。じゃあ、なんでキチガイになったかを

疑問に思ってくれた人はこの世の中にどれほどいただろう。




収容日の空は今でも覚えている。白い雲と青い空のコントラストが美しい、澄んだ

空だった。日付は9月の中旬。少し肌寒かった。

それから10年、広い空を見ていない。

私は40歳になった。


人生の折り返し地点。私の理想の人生ならば、もう旦那も子供もいて

子供の成長を見守っているだろう。

いや、理想もなにも周りの人間のほとんどはそうしている。


誰かの為に生きるはずだった40歳。それなのに私はこの牢屋に閉じ込められて

人の世話になりながら生きている。

まっとうに生きている人間は、私のことを軽蔑するだろう。

責任がなくてよいね、と。

30歳から働きもせず、国の税金によって生かされてる。

責任など皆無だった。


でも、よくなんかない。

言葉にはできないが、ものすごく辛いのはたしかなんだ。

責任がないということはやはり「私はいらない」に回帰するのだ。


いらないんだな、と思い続けて20年近く。

この苦悩から逃げられる時がついに来た。


5年前、私の死刑が確定された。


その実行が、今日なのだ。


まだ、係のものはこない。

この時間に何ができるかと思えば、どうしてこうなってしまったか考察すること。

自分を肯定すべきか、否定すべきか考え抜いて死んでいこう、そう思っていた。


孤立感や被害妄想、たぶん誰だって持っている感情が自分は特別大きく、それで

苦労した。それがあまりにも大きくなって人を殺してしまった。


他人の存在は自分を否定するものでしかなかった。

だから、人を殺すに至ったのだろうか。

また、人を殺すのは自分にとって最終手段の「自己表現」だった。


人を殺してしまうほどの自分の疎外感を皆に知ってほしかった。


でも…


その行為が私を本当の意味で孤立化させた。

分かるどころか、全国民が私を拒否した。


そこでついにふっきれた。私の周りには誰もいない

それこそ好かれる必要もない。


それは思った以上に楽だった。


最初から「自分は自分」で生きていればなにも起きなかっただろう。

自分が人から愛されないという欠点が自分の中で「許されないこと」

だったのがさらに自分を追い詰めていたのだ。



この死刑直前でも、人を殺したことは否定したいのに、いまだできないでいる。




自分の疎外感の元である人を消すことは、自分の身を守る防衛本能の表れだった

のかとも思えるほど、自分が悪いという前に、自分がかわいそうだと思ってしまう。



もう駄目だ。このまま私一人だけ被害者面して、それを誰一人理解できずに

死んで行くんだ。私はその他大勢の被害者なのに、世の中では加害者になっている。

分かっている、表面上は加害者だ。でも精神面は被害者なのだ。

誰も理解しない私の精神。それは精神を閉じ込められたに等しい。


精神的に20年。身体的に10年。私は自由ではない。

どちらも自由になるにはどうすればよかったのだろう。


身体的に自由であるのは罪を犯さなければよかった。

しかし精神がそうさせてくれなかった。


身体が自由な時ですら、友達は離れていっていた。それは自分の劣等感から。

相手から離れたのか自分から離れたのかは今となってはわからない。

しかし、怖がっている私を受け入れてくれる人はただの一人も居なかった。

そう、当時自分が大切にしていた友達は、所詮その程度であった。

だんだんと上っ面の話ばかりするようになり、意味をみいだせなくなった。

おたがいのその微妙な距離感はやはりお互い感じ取り、離れていく。



そして友達が消えた。


それから本当の孤独が始まった。それから自分が狂うまで1年も持たなかった。

私はなんて孤独に弱いのだろう。

なんて人に認められたいという気持ちが強いのだろうと思った。


全てをなくして、そして今日命をなくして、私の孤独感も消え去る。

それはもしかしたら救いなのかもと思った。

孤独の果てに、野垂れ死に。そうはなからなかったことが実は幸福なのでは

なかったのか、と。

人を殺して、この状態、極限まで必要とされない人間に成り果てて得た

歪んだ幸福。

うん、そうだそれを結論すれば少しはポジティブに死ねるかなと、そう思った。



・・・やはり人を殺した事については、自分が完全に悪と思えなかった。

代わりにポジティブに死ぬ為の材料となった。


これでいい、これで良いんだ。私が反省しようとその人は戻らない。

ならば1人の哀れな人間の幸福のために死んでくれたと感謝しよう。

それが私の償いと、思おう。



殺したことへの意味、それは自分の幸せな死のためと結論づけた。

被害者に、自分に、この状況の意味を見出すために出した答え。



・・・・。



私は静かに黙とうをささげた。

被害者に対するもやもやした嫉妬ではなく、感謝にも近い感情をもって、

純粋に冥福を祈る。

私が黙とうをすること自体、おこがましいと思っている。

自分勝手と思っている。

でも、やっと感情が被害者を許した。

その気持ちを伝えたい。



長いような短いような無の時間。

そして…。



コツコツ



複数の静かな足音が聞こえる。

私は静かに目を開けた。


時が来たのだ。



足音は私の牢の前で立ち止まった。

足が3人分見える。

個性のない無機質な足。




「出ろ」


これまた無機質な声。

皆同じような声なのだろうと思う。

機械的な作業でしかない儀式。


私もその作業の一部だ。


ゆっくりと顔を上げる。

ニコリともしない3人。


私もまた、無表情であった。


おもむろに立ち上がる。

やはり気は進まない。

でも、進まない…程度だ。

受け入れている。


私自身がこの苦悩から解放されることを。

被害者の意味。自分の幸福の死への結論。

これだけ自分で答えを見つけることができた。

もう悔いはない。

私は、きれいに死ねるのだ。




作業的に手錠をされる。

私も抵抗もせず手を差し出した。



そして一歩一歩と牢屋を出る。



…久しぶりに外に出た気がする。



狭いところから、広いところへ、それは一種不安すら感じた。

これほど不安定な空間に人間は生きているのかと。


その不安は、世界に受け入れられていない証拠だろうと思った。

10年間、隔離され、目を背けることを許された。


扉が閉められ、自分の空間だったものと、外とを隔離された。

私は生身外に放り出され、無駄に足に力が入ってしまう。



自分がさっきまで入っていた牢屋を見る。


ココだけだ。私をずっといさせてくれた場所。

きれいでない、くらい冷たく寒い、この場所は、外よりもよっぽど「自分らしかった」



外の世界は自由すぎて、私には満足いく方向にもっていくことができなかった。

自分だけの空間とは、なんと居心地のよかったものだろうと思えた。


しかしもう、この空間に戻ることもない。



数10分の自立。私への最後の大人への一歩。

ゆっくりとあゆみ出す。

私は一回も振り向かなかった。


私は、もう一度3人の顔をまじまじと見る。

おそらく、この3人が最後に見る顔だろう。

思い入れも、親しみも全くない、限りなく無関係な人間。

それが、私の歴史の最後を締めくくる。

笑いもせず、無表情であるその顔たちに私の無価値をさらに突きつけられたような

気分がして、多少不快に感じた。


どうせなら、信頼している人を最後に見たかった。

・・・いや、その人たちの私を見る目に耐えられるか?

「残念な顔」をしているに違いない。

ただでさえ合わせる顔がないのだ。

無関係な人に私の最後のみじめさを見せる程度で助かったのだからいいのではないのか。


この人たちも大変だな。犯罪者たちの最後の顔に幾度なってきたことだろう。

その顔を見たとき、たいていは個人的感情など思わないだろう。

ただ死の道へと案内する無機質な存在。



「歩け」

何も解決しない思考は途絶え、私は静かに歩き出した。





ところどころ光が部屋に差し込んでいる。

各独房にある小さな窓から差し込んでいた。

それは少し幻想的で、教会のようだった。


無言で犯罪者たちが私を見る。

犯罪者の顔は逆行でわからなかった。

ただくぼんだ目がきらりと光り、

瞬き少なく私を見る。


その目は絶望感にあふれていた。

自分の番はいつだ、今日、自分でなくてよかったという目など様々だった。

どちらにしろ尊敬できるまなざしではない。

しかし、きっと自分も同じような目で先に逝った人を見ていただろう。


教会のような光に、私を見る人々。

それはまるでバージンロードのよう。

雰囲気はまるで正反対で、行く先は死だ。


少し長めのバージンロードを抜けたら、渡り廊下が現れた。



…久しぶりの外だ…


風がダイレクトに私をなでる。

秋晴れの快晴。風は少しだけ冷たいが、どうしようもなくさわやかだった。

風に当たることも日差しを浴びることも本当に久しぶりだ。



いきなり付き人たちが歩みを止める。

どうやら監視員の一人が書類を忘れたらしい。

静かなやり取りが少し行われ、一人が列を離れる。

私と監視員二人はその場で待機させられた。



この外を少しだけ長く体験できるのか。


これは神様の最後のプレゼントかと感じた。


一回リセットしたい。

この負の感情の堂々巡りを。

頭をからっぽにして。

もう考えても仕方ないのだ。

答えは出ない。

私のやるべきだったこと。



ゆっくり深呼吸をする。

目を開けて空を見る。

小さいころは空を見ると雲になりたいと思っていた。死んでも痛くないから。

単純にそれくらいの思考しかなかった。


迷いに迷っていた20代では、私は一人歩いているとよく空を見たものだった。

雲がゆっくり流れ、地球というカプセルに入っている感覚。

もう何年も見ていなかった。

この時思うのはいつも同じだった。

自分は小さくて、でも確かに存在していて、生き物の一部なのだと。



生き物の一部なのだと。



そう、それでよかったんではないのか?

どんな生き方であれ、生き物生ある限りその生命の箱の仲間である。

当たり前すぎる自分の価値を人間という、しかも日本というちっぽけな価値観の

中でもがいていたに過ぎない。

勝手に爆発して他人と自分の命を粗末にした。


おろかだ。



おろかだ・・・。



なんて小さい世界しか見ていなくて爆発してしまったんだろう。


この空を見ているだけでよかったんだ。

誰にも迷惑をかけない、静かに生きていれば、たとえ人間の価値観としてはみじめだとしても

生命としての価値は揺るがなかったのに。



頬を伝う涙。

犯罪を犯してから、ずっと乾いていた目を潤す。

もう、止まらなかった。

涙をぬぐうこともなく、嗚咽を出すこともなく、静かに泣いた。

空をただ瞬きもせず見て、静かに。


やっと、自分のやってきたことのおろかさを知ることができた。

この死の直前でやっと。

私の非を全面的に認められた。


それは予想以上に楽だった。

今までにない晴れ晴れとした気持ち。

この状況を恨むのではなく、受け入れられる感情を手に入れた。



ほどなくして列を離れた監視員が戻ってきた。

再び歩みを始める。

私は最後の空に一瞬だけ微笑んだ。



後悔だらけの人生で最後に後悔のない感情をありがとうと。


・・・・・・

・・・・・

・・・・

・・・

・・







生まれ変わったら雲になりたい!だって、死なないし、働かなくていいし、世の中を見られるから。



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