第壹話、「本当の奇襲(前)」
当時使われていた旧太陽暦2593年3月10日の頃、新太陽暦に直しては2593年1月27日。本来なら陸軍記念日で盛り上がっているはずの大日本帝国は、不気味なほどに静まりかえっていた。昨年の四・九事件(読者の方には年代によっては五・一五事件と習った方もいらっしゃるだろうか)の処罰が厳しかったからだろうか? 否、根本的な問題はそこではない。叛乱鎮圧の際に天皇陛下が首相に近衛師団の活用を勅令で出したことも、関係としては存在するのだろうが、それによって却って、軍部の命令系統が明確になったことは、怪我の功名というべきだろう。
とはいえ、そこが主要な問題ではない。一昨年の満州事件の結果、当初は満洲撤退勧告案も提出されたが、毛沢東の謀略や蒋介石の暗躍が判明したこともあって事実上の廃案に伴い、本来ならば浮かれて提灯行列でも行うであろう時節であろう。と、いうにも関わらず、先月の御前会議が行われた直後から、軍部が何故か静まりかえっていたからだ。新暦で1月15日に行われることから小正月会議と称され、いつもの定例会議ではあったのだが、その会議が始まったのが、今年からであったこともあり、恐らくその会議によるすりあわせがあったのだろう、と目されていた。
だが、実は本当はそこではなかったことが後の文面で明らかになる。そう、10年ほど前に完成したばかりの、新鋭戦艦にして天下の連合艦隊旗艦である長門、そして同じく10年ほど前に、つまりは同時期に完成した二番艦である陸奥すら呉や佐世保に居なかった。その、理由とは……。
旧太陽暦で3月4日にルーズベルトが大統領に着任し、ニューディール政策を発動した折に、大日本帝国陸海軍は密かにある作戦を発動させた。俗に言う治堕下|(作戦名を命名したのは、なんと時の首相であった)作戦である。その、作戦要綱は身も蓋もない言い方をすると、カリフォルニア州ロングビーチに奇襲上陸作戦を敢行し、同地を占領、事実上の対墨戦争に突入する、というものであった。
もちろん、ハワイ諸島を初め、各所にバレては元も子もないが、一応訓練・演習の航海である旨は、事前に通告されていた。故に、ハワイ基地やダッチハーバー基地なども連合艦隊の檣楼を確認した折に、「なにもしなかった」。後代、太平洋艦隊司令官はつるし首に遭う際に、「こんなことになろうとは」と慚愧の念を話したというが、何故彼が慚愧の念を抱いたのかは、定かではない。
さて、そんな「奇襲上陸作戦」であるが、ある天恵が更に追い風を吹かせた。そう、ロングビーチに発生した地震である。旧太陽暦で3月10日に発生したその地震によってカリフォルニア州は大混乱、それもまた、大日本帝国の奇襲上陸作戦を容易にした原因とも言えた。
そして、旧太陽暦3月12日、新太陽暦で2月1日。突如として、大日本帝国はアメリカ合衆国に宣戦を布告した。




