「東京講和会議(前話)」
大正二十五年二月二十六日、浦賀沖に浮かぶ軍艦長門の甲板で行われた講和会議は、あまりに名高い。一応首都圏であることもあり、東京講和会議と称されるが、それには事情がある。何せ、ワシントンもニューヨークもシカゴも、その他あらかた存在していたアメリカ合衆国本土の著名都市はすべて灰燼に帰していたからだ。大日本帝国の発明した、核兵器による爆撃の成果である。
さらには、長門や陸奥といった連合艦隊がパナマ運河を帝国府が占領できたこともあって劣化ウラン弾を雨霰と東海岸の都市に浴びせたこともあり、敵の首魁であるルーズベルトが弾劾裁判を受けて大統領職を辞する前に、なんとあろうことか大日本帝国側がその弾劾裁判を不要と言い張り、戦争犯罪人としてルーズベルトを処刑したことによって占領統治が始まった。いわゆる大帝派遣諮問会による合衆国解体作戦である。
そして、軍人ではルメイやハルゼー、マッカーサー、あろうことか民間人であろうハーストに至るまで、ありとあらゆる合衆国の戦争犯罪人を順次処刑していき、長門や陸奥、扶桑山城などが行った砲撃により消し炭と化したホワイトハウスが建っていた跡地に建設された公開処刑場では今なおギロチンが無言の警告を旧合衆国民に対して放っている……。




