第八話 夢想花は夜に咲く《前編》
夕暮れの公園。
ベンチに腰掛けた主哉は、パックのたこ焼きを片手に頬張っていた。
熱気に舌をやられながら、行き交う学生たちの姿に視線をやる。
大荷物を抱えた制服姿――どうやら学園祭の準備帰りらしい。
それを見てマサが、
「そういえば……あのドローンの嬢ちゃんがたが、もうすぐ学園祭があるとか言ってたぜ」
そうかい、とつぶやきながら主哉は、空を仰ぐ。
「しかしあの二人――いや三人か。ちゃんと女子高生やってんのかね、特に姉妹の方は……。
あいつら夜の仕事の方を半分遊びかゲームみたいにやってるとこがあるからな。……痛い目見る前に、少し釘でも差しておくか」
その時。
公園の脇に、一台の大型二輪が静かに停まった。
マットブラックの艶消しボディ。
エンジンが唸りを止め、革のグローブに覆われた手がハンドルから離れる。
ヘルメットのシールドには、大きく JUSTICE のレタリング。
降り立ったのは、最上ルナだった。
「かっこいいでしょ、このバイク」
ヘルメット越しに聞こえる声に、主哉は目を細める。
「なんだ、バイクの自慢かよ」
「ここまで仕上げるのに、かなり時間も金もかかったんだよ」
ルナはヘルメットを外し、さらりと髪を払う。
「ベースはゴールドウイングF6B。だけど色々いじったから、もう別物だね。――ブラックロータスって名前をつけたんだ」
「ブラックロータス……悪くねぇな、黒い蓮の花か」
主哉は空のパックを足元に置き、薄く笑った。
「お似合いじゃねえか。悪い奴らを地獄に送る人間にしちゃあな」
「そうでしょう」
ルナはニィッと怪しげな笑みを浮かべた。
ーーーーー
その頃、部室で怪しげな装置をいじっている凛。
クラスでも浮いている凛、咲の姉妹はクラスの出し物よりも部活の出し物の方に専念することにしていた。
そこに志乃も加わる。
クラスの女子からは、最近志乃付き合い悪くない?と言われることもあるが、正直演技で固められた自分より、素を出せるあの部室の方が気が楽だった。
で、ドローン部は何するつもりなの?
志乃の言葉に間髪入れず、「お化け屋敷」と叫ぶ凛と咲。
「お化けっ!?」
お化け屋敷と聞いてABCは部室の隅で震えてる。
あの事件以降、お化けや幽霊と言った物に過剰に反応するようになってしまった3人。
「正確にはお化けなんていないってのを証明する屋敷、かな」、と凛。
「お化けなんて科学的に全部証明出来ると思うんだよね」、と咲。
「そこら辺のことを証明する屋敷を作ろうと思ってさ。本物のお化けみたいだけど、実際はこんな現象でお化けに見えるんですよって展示をするの」
「へえ、面白そうね」と志乃。
「で、問題は場所と予算ってとこ?」
「予算は問題ないよ、実は私ら、結構持ってるし」
実は二人、オーダーメードでドローンの製作を請け負ったり、ドローン関連の特許をいくつか持っていて小銭を稼いでいる。
しばらく通帳は見てないが、前に確認した時には確かゼロが7つくらい付いていた気がする。
「場所も問題ないよ」と咲。
「オカルト研に話をしたら面白そうだって話にのってくれて、誰も使ってないオカルト研の隣の部屋使わせてもらえることになったの」
「オカルト研との共同企画ってわけ?」と志乃。
「私も全てのオカルトを否定するわけじゃないよ。でもさ、調べれば解明できることまでオカルトにはしたくないじゃん」
凛の瞳はまるで無邪気な子供のように輝いている。
「つまり私の役目は二人の保護者ってことね」
と、ため息混じりにいう志乃の顔も、どこはかとなく楽しそうだ。
「明日の放課後は買い出しに行くから、みんな予定空けといてよね」
ーーーーー
翌日の放課後。
三人は商店街へと向かっていた。
荷物持ちくらいには役に立つだろうと思っていた三人はクラスの出し物の準備に行ってしまった。
やっぱりオカルトってのが生理的にまだ無理だったか。
商店街へは買い出しの他にももう一つ目的があった。
火事にあったおばあちゃんの駄菓子屋が再開したと話に聞いたからだ。
何でも、知り合いが貸してた文房具屋が廃業することになって、ちょうどいいからとおばあちゃんに貸してくれることになったらしい。
その知り合いってのも、駄菓子屋の昔の常連だったんだとか。
「情けは何とかってことね」
しみじみと志乃が言う。
その時――
後方から唸るようなエンジン音が近づき、白バイのサイレンが重なった。
振り返ると、一台のバイクが猛スピードで走り抜け、白バイがそれを追いかけていく。
「ねえ、首なしライダーって都市伝説、あるじゃん」
不意に凛が口を開いた。
「今のバイク……たぶんその正体じゃないかな」
「えっ? ちゃんと首あったわよ」
志乃が眉をひそめる。
「あのライダー、どんなかっこだったか覚えてる?」
「わかるわよ……白いライダースジャケット、それと黒いフルフェイスでしょ?」
凛は小さく笑った。
「そうそう。しかもジャケットは蛍光反射仕様で、ヘルメットはマッドブラック。
暗い場所で、あんな白く光る反射材の上に、黒いボールが乗っかってるんだよ?
人間の目って明るい物をより認識しやすいから、目の錯覚で黒い部分が見えなくなり、条件によっては“首なしライダー”に出来上がりってわけ」
「……なるほどね」志乃が納得したように頷く。
「街灯の真下じゃなくて、少し外れた位置。それと後続車のライトも関係ありそうね」
「正解。あのバイク、白バイとチェイスするようになってから噂が広がったらしいから、間違いないと思う」
凛の声は妙に確信に満ちていた。
ちなみに凛が裏の仕事で使うドローンには、市販で最も黒いとされる光吸収率94%の特殊塗料が使われている。
闇に黒が溶ける原理は、彼女にとって既知の道理だった。
志乃は横目で凛を見て、薄く笑う。
「あんた、将来オカルト研究者の天敵になるわね、きっと」
(それにしても、あのジャケットとメットのステッカー見覚えがあるのよね。
確か何年か前までこの辺にいた走り屋集団のだったかしら)
ーーーーー
買い出しの道すがら、三人は古びた路地に入った。
その突き当たりに、小さな駄菓子屋の看板が灯っている。
色あせた暖簾の奥から、かすかに漂う甘い匂い――水あめと焼きたてのせんべいの香りが混じっていた。
「あ、志乃ちゃんたち」
カウンターの奥から顔を出したのは、背の曲がったおばあちゃんだった。
かつて火事で店を失ったが、知り合いの商店の一角、長らく空きスペースだった場所を借りて再開したと聞いている。
「今日は学園祭の買い出し?」
「うん。あと、お菓子は部室用にもね」凛が笑って答える。
咲はすでに棚の前にしゃがみ込み、カラフルなラムネ菓子を手に取っていた。
「これ、まだあったんだ!」と声を弾ませる。
「おばあちゃん、このくじ引きのやつ、まだ一等ある?」志乃が指さしたのは、透明な箱に入った駄菓子くじ。
「あるよ。ほら、この端っこ」おばあちゃんが木の棒を揺らすと、赤い印がちらりと見えた。
「じゃあ三本!」志乃は小銭を出し、勢いよく棒を引く。……結果は全員ハズレだった。
「昔から変わらないなあ。こういうの当たったことないや」凛が肩をすくめる。
「それでも引きたくなるのが駄菓子屋の魔法よ」おばあちゃんは目を細めた。
会計を済ませ、紙袋を手に外へ出ると、夕暮れの街は少しだけ温かさを帯びて見えた。
ーーーーー
駅前の人混みが途切れたころ、凛がふと足を止めた。
「そういえば、この辺にも都市伝説スポットがあるよね」
「都市伝説?」志乃が首をかしげる。
凛は駅の端にあるロッカールームを指さした。
「コインロッカーベイビー。ここ、昔、赤ん坊の死体が見つかったって噂の場所」
咲が顔をしかめる。
「物騒だなあ……」
「でもね、そんなの、ほとんどイタズラだよ」凛は軽く笑った。
「いいものを見せてあげる」
そう言ってバッグから取り出したのは、手のひらほどの黒い機械だった。
「なにこれ?」
「電磁波測定器。BluetoothやWi-Fiの電波強度を測れるの」
ピッ…とスイッチを入れると、小さな画面に数値が流れ出す。
凛がロッカーの列をゆっくり歩くと、ある一点で数値が跳ね上がった。
「ほらね。ここにBluetoothスピーカーが仕込まれてる」
「ってことは……」
「おそらく、隠しカメラもどこかにあるんじゃない?」志乃が辺りを見回す。
「多分いたずら系のU-Tuberかなんかが仕掛けたんだと思うよ」
凛は少し考え、スピーカーには触れなかった。
「壊すの?」咲が尋ねる。
「ううん。私たちは幽霊がいないことを証明するだけ。誰かの“夢”まで壊す必要はないから」
と凛、そして
「それに…そういういたずら系の動画配信って嫌いじゃないんだよね」
三人はロッカールームを後にし、夕暮れの駅前へと歩き出した。
ーーーーー
駅の出口を抜けた途端、ざわめきが耳に飛び込んできた。
人々が足を止め、同じ方向を見上げている。
「なに? 事件?」志乃が人垣の隙間から覗き込む。
凛は人の視線をたどり、そして小さく呟いた。
「……アクロバティックさらさらだ」
視線の先、腰まで伸びたストレートの黒髪が夕日にきらめく。
細身の女性が、ビルの屋上を駆け抜けていた。
その身のこなしはまるでサーカスのアクロバット――だが、相手は観客ではない。
全身黒ずくめの男たち数人が、彼女を追い詰めようと迫っていた。
次の瞬間、彼女はためらいもなく屋上の縁を蹴り、向かいのビルへと跳躍する。
ビル風が長い髪をはためかせ、着地と同時に鋭い蹴りが黒服の顎をとらえた。
群衆からどよめきと歓声が上がる。
ドラマか映画の撮影か?
カメラどこ?
野次馬たちが次々にスマホのカメラを屋上に向ける。
次の瞬間、アクロバティックさらさらの手元が一瞬キラッと光ったような気がした。
何か金属系の物を投げ飛ばしたんだろうか?
すると黒ずくめの男の一人がビルの端から倒れ込み、地上へ向けて……落下した。
ドン
鈍い音が辺りに響いた。
数秒の静寂……
そして誰かの悲鳴とともにあたりはパニックになった。
人混みをかき分けて志乃が落ちた男の元へ駆け寄る。
その額にはクナイにも似た小型のナイフが刺さっていた。
「うわ…グロっ」
後から凛と咲も近づいてくる。
「そのへん、気をつけないと肉片踏むわよ」
志乃の声にビクッとなって後退りする二人。
見上げると、屋上には男たちの姿も、アクロバティックさらさらの姿もなかった。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。
「余計なことに巻き込まれる前に私たちも消えましょ」
おもむろにそこから立ち去る三人。
「でも、あいつら一体なんだったんだろうね?」
「黒の組織VSアクロバティックさらさら」
「アクロバティックさらさらって、いつからクナイ投げるようになったのよ。そんな都市伝説あったっけ?」
「新説、アクロバティックさらさらの正体は現代に生きるくノ一だった」
「どちらにしても…面倒なことに巻き込まれなければいいけどね」
「それ…きっとフラグだよ」
ーーーーー
先程まで凛たちがいたロッカールームでは、別の騒ぎが起きていた。
あやしげな風貌の男たちが、ぞろぞろとコインロッカールームへと押し入ってくる。
黒いフードを深くかぶり、耳元で何かを早口に囁き合う。
その時――
「……赤ん坊の泣き声?」
甲高い泣き声がロッカーの並びに反響し、一人の男が苛立ったように鍵を蹴飛ばした。
金属の軋む音と共にロッカーがこじ開けられる。
だが、中から現れたのは小さなBluetoothスピーカー。
「なんだこれは!」
別の男が棚の上を探り、レンズの光を反射させるカメラを見つけた。
「……はめられた!」
怒声が響く。
「カメラを仕掛けたやつを探せ!」
男たちの視線が鋭く周囲を走査する。
いたずら系動画で人気を集めていたU-Tuber。
だが、その背後に、外国の犯罪組織の影が忍び寄っていた。
ーーーーー
同駅構内の別なロッカールーム
そこには人混みをかき分け、屋上から降りてきた長髪の女――アクロバティックさらさらが、素早く番号を確認すると、ロッカーの錠を開ける。
「無事でよかった......」
ロッカーの扉が開いた瞬間、真っ赤な顔をした赤ん坊が小さく手を伸ばした。
さらさらは迷いなく抱き上げ、その胸に抱きしめる。
「……この子は渡せない」
その声は低く、鋼のような決意を帯びていた。
周囲の喧騒が一瞬だけ遠のき、髪の隙間から見えた瞳は、冷たくも確かな光を放っていた。
ーーーーー
けたたましいパトカーのサイレンが夜の街を裂いた。
赤と青の回転灯がビルのガラス窓に反射し、チカチカと幻影のように揺れる。
その喧騒の中心を、噂の「首なしライダー」が駆け抜けていた。
マットブラックのヘルメットに白のジャケット。
背後には白バイが食らいつき、ライトの光が路地を白々と照らす。
いつもなら――追いかけっこの末に、煙のように消えるのが日課だった。
だが、その夜は違った。
道端に、ふいに一匹の猫が飛び出したのだ。
「……っ!」
ハンドルを切って避ける。
ほんの一瞬、体勢が崩れる。
それを立て直したものの、距離は一気に詰まり、白バイの影が覆いかぶさった。
その時だった。
低いエンジン音とともに、黒い影が割り込んでくる。
マットブラックに塗り上げられた大型二輪――最上ルナの「ブラックロータス」だった。
ルナは体をかがめ、白バイの進路を塞ぐようにして並走する。
グローブの指が素早く動き、首なしライダーへとハンドサインを送った。
――行け。逃げろ。
「……すまない」
ライダーの口から、かすかな声が漏れる。
次の瞬間、彼はアクセルを開き、近くのビルの路地へと消えた。
それを見届けると、ルナはバイクを大きく傾け、白バイを翻弄しながら夜の闇に消えていった。
残されたのは、回転灯の残光と、追跡を振り切られた警官たちの苛立つサイレンだけだった。
ーーーーー
川辺に停まった一台のバイク。
ライトアップされた橋が水面に映り、夜の風が長い髪を揺らしていた。
ヘルメットの奥で息を整える首なしライダー――その正体、遠藤こずえ。
そこへ黒い大型二輪が静かに寄ってきた。
「さっきは危なかったね」
最上ルナがバイクを降り、肩を回す。
こずえはヘルメットを外し、額の汗をぬぐった。
「本当に助かったよ」
ルナは笑みを浮かべながらも、視線はこずえのジャケットとヘルメットのエンブレムに注がれていた。
「そのチームマーク……“シルエットミラージュ”のだよね。あんた、関係者?」
こずえの表情が翳る。
「このジャケットは、大事な人の形見さ。私の居場所を奪った奴を釣り上げるために、こうして走ってる。過去の亡霊が帰ってきたぞって、そう知らせるためにね」
「……あんた、もしかして。リーダーの後ろをベスパで追いかけてた女か?」
ルナの問いに、こずえの瞳が揺れる。
「なぜそのことを……?」
ルナは肩をすくめてみせた。
「ちょっとした知り合いだったんだよ、リーダーとは」
実際には数年前――チームメイトから依頼を受け、リーダーを殺した犯人を裁いてほしいと頼まれたことがあった。
だが裏取りは不十分で、結局保留にしたままの案件。
そのことを、ルナは口にしなかった。
「リーダーは事故に見せかけて殺された。私も、仲間も、いまだにそう思ってる」
こずえの声には、確信と怒りが入り混じっていた。
「だから私が釣り上げてやる。餌はこのジャケットとチームの紋章だ」
ルナはしばし黙り、ポケットから名刺を差し出した。
『私立探偵 最上ルナ』
「何かあったら事務所においで。相談にのるよ」
こずえは静かに受け取り、ヘルメットをかぶるとバイクにまたがった。
「ありがとう。……じゃあな」
夜の闇に消えていくその背中を、ルナは黙って見送る。
噛み締めた唇から、かすかな言葉がこぼれた。
「……自分の不甲斐なさで、あんたを亡霊にしてしまった。ごめん」
川面に揺れる光だけが、ルナの悔恨を聞いていた。
ーーーーー
夜の街を、主哉はいつものように歩いていた。
「今夜は平和だな。不良どももいないし」
そんなことを考えながら、公園へ差しかかった時だった。
人気のないはずの広場に、数人の影が集まっている。
耳に飛び込んできたのは、聞き慣れない言葉。
「血迹在这里继续……」
「它应该就藏在这附近,去找它吧……」
主哉の眉が動いた。
――中国語。日本人じゃねえな。何者だ、こいつら。
その瞬間、藪の奥からかすかな気配と……赤子の泣き声。
(なるほどな……)
主哉はわざと足音を響かせ、集団に声をかけた。
「おい、こんな時間に何やってんだ。怪しい奴らだな。早く帰らねえと逮捕するぞ」
男たちは動きを止め、振り返る。
「ウルサイ……日本ノ警察、関係ナイ。ダマッテイロ」
片言の日本語。その剣呑な響きに、主哉は目を細める。
(藪の中のやつがいる。応援は呼べねえな……)
リーダーらしき男が一歩前に出て、数秒の睨み合い。
やがて男は低く言い放った。
「……撤収する」
「な、何でですか!」仲間が食い下がる。
「命令だ!」怒鳴り声が響き、集団は散り散りに去っていく。
遠ざかる足音の中、部下がリーダーに問いかけた。
「リーダー、良かったんですか?」
「……あの男、只者じゃない。刑事の皮をかぶった、俺たちと同じ人種だ」
「まさか……」
「おそらく腕は俺と互角。いや、それ以上かもしれん。……見張りはつけろ。バレないようにな」
――公園に静寂が戻る。
主哉は藪の中へ声をかけた。
「もう行ったぜ。大丈夫だ」
ガサ、と草をかき分けて現れたのは、黒髪の長い女性だった。
腕には赤子。脚には深い傷……銃創。
血が滲み、彼女の顔色は蒼白だ。
「ありがとうございます……」
声はかすかに震えていた。
「いつもの私なら……避けられたはず。でも、この子を……」
言葉は途切れ、彼女は力尽きて倒れ込む。
「仕方ねえ……神社に連れてくか」
主哉は息を吐き、赤子ごと抱き上げた。
「面倒なことに巻き込まれちまったぜ……」
その数刻後。
暗がりの路地で、リーダーは別の異様な光景に出くわす。
仲間のひとりが、額に千枚通しを突き立てられて倒れていたのだ。
「……あの男の仲間か」
リーダーは歯を食いしばる。
「一筋縄じゃいかねえな」
夜風が木々を揺らし、見えぬ敵の影を告げていた。
ーーーーー
「悪いな、じーさん。こんな時間に」
主哉が頭をかきながら声をかける。
その前に立っていたのは、古びたカバンを持ち、白髪で腰の曲がった小柄な男。
だが、その瞳の奥には老いてなお鋭い光が宿っていた。
裏の世界で“闇医者”と呼ばれる人物だ。
「しゅう坊の頼みじゃ断れんよ」
「……定年間近のオヤジに“しゅう坊”はやめてくれよ、爺さん」
「子供が歳をとった分、大人だって同じだけ歳をとるのさ。俺が死ぬまで、お前は“しゅう坊”だ」
「まったく……爺さんには敵わねえや」
苦笑しながら見送ったあと、主哉は奥の部屋に戻った。
神主が静かに告げる。
「ちょうど気がつかれたところです」
布団の上で黒髪の女が身を起こしていた。蒼白な顔色に痛みが滲む。
「……すまない。どうやら助けられたようだ。礼を言う」
彼女は周囲を見回し、表情を強ばらせた。
「そうだ……あの子は……!」
激痛に顔を歪める彼女を、神主が穏やかに制した。
「大丈夫です。今、ミルクを飲んでいますよ」
「……そうか。それは……良かった」
女は荒い呼吸を整え、やがて名を告げた。
「私は菊花。かつては代々の皇帝に仕え、警護や暗殺を担った一族の末裔だ」
主哉が目を細める。
「その“一族の末裔さん”が、なぜこんなところに?」
菊花はわずかにためらい、しかし静かに口を開いた。
「あの子は……あるお方のひ孫なのだ。それで命を狙われている」
沈黙が落ちる。
「……で、合点がいった。あるお方って老龍のことでしょ?」
奥の間から現れた隼人が、手にスマホを弄びながら言った。
「先月、横浜で雑居ビル火災があったでしょ」
「ああ、ニュースでやってたな」主哉が頷く。
「あそこには在日の華僑コミュニティがあったんだよ。狙われたのは多分そこ」
隼人の声は淡々としていた。
「香港の華僑社会に“老龍”って呼ばれる大ボスがいる。裏社会の長老さ。その孫娘がたまたま日本にいて、そこを狙われたってわけ」
「何もかもお見通しなのだな…その通り、私はお嬢様からこの子の保護を託された」
「でもさ、納得いかないのは、いくら裏社会のボスの血族だからって、リスクを冒してまで日本でドンパチするかな、ってとこなんだよね。まだ、何か隠してるでしょ」
隼人の追求に菊花は、一瞬ためらいの表情を見せるも
「まだ…あなたがたを完全に信じていいものか迷っている。でも、どうか我々を助けてほしい」
少し間を置いて…
「あの子は、愛新覚羅氏の血を引く、直系の正統な皇位の継承者なのだ…」と。
「なるほどね…」と、隼人。
「華僑の大ボスの孫娘が、知り合い、子供をもうけた男が実はラストエンペラーの直系で……産まれた子は、華僑のボスと皇帝の血、知らずのうちに二つの血を受け継いじゃった。で、それがどこかからバレたってことだね」
主哉の顔に苦い笑みが浮かぶ。
「つまり俺達は……清国復活を望む連中と華僑のボスを狙う奴のトラブルに巻き込まれた、ってことか?」
「そういうこと、それに秘密警察も来てるかもね」
隼人は軽く肩をすくめる。
「……勘弁してくれよ。俺の稼業は日本の恨みを討つことで手一杯だってのに……」
主哉は深く息を吐き、頭を抱えた。
「雰囲気からわかります。あなたがたも裏の人間なのでしょう」
菊花は言った。
「あの火災の時、奥様からあの子を託されました。
でもその後、ご両親どちらにも連絡がつかないのです。
二人の捜索と、この子を無事に国へ帰す為に力を貸してくれませんか?」
神主が口を開く。
「我々は恨みの代行人。恨みの関わらぬ依頼は初めてなのです。少し考える時間をいただけますか?」
スッと立ち上がり、本殿へと向かう神主。
「……さて、この依頼……神は何と言われるでしょうか……」
主哉は夜空を見上げながら境内を歩き、賽銭箱の前の段に腰を掛けた。
境内への階段をマサが上ってくるのが見える。
「ねずみ退治はしといたぜ」
「すまねぇ、面倒をかける」
主哉はマサから差し出された缶コーヒーを受け取ると、器用に片手で開けて一服ついた。
「どうしたんだ旦那、らしくねぇな」
主哉は夜空を見上げた。
「……恨みを晴らすための刃で、人の命を護っても、良いのか……そう思ってな」
主哉の声は夜風にかき消されるほど小さかった。
ハァ〜、とマサがため息をつく。
「そんなことで悩むようになっちまったか。歳だな、あんたもよ」
「そうかよ…」
飲み終わった缶を足元に置き、ゆっくりと立ち上がると、鳥居へと向かって歩き始める。
「依頼人はあの嬢ちゃんかい?」
というマサに、まだわからんと返事をする主哉。
「でも、旦那は......守りてぇんだろ?」
「さあな」
後ろを振り向かず、右手を振ると神社を後にする主哉。
街灯とビルの明かりに明るく照らされた星も見えない夜空に一つ、星が輝いたように見えた。
「吉星か……それとも凶星か……どちらにしても、先が思いやられるぜ」
ーーーーー
《以降、後編へと続く…》