第七話 初陣の刃、夜を断つ
放課後の部室。
机の上に置かれたお菓子の袋は、底が見えるほど軽くなっていた。
凛はそれを持ち上げ、半分呆れたように眉をひそめる。
「……志乃が来てから、お菓子の減りが早くない?」
「それはごめんって言ってるでしょ……さすがに食べすぎたわ」
最近気になるようになってきたお腹を撫でながら自己嫌悪の志乃。
「お詫び…って訳じゃないけど、私の行きつけの、いい駄菓子屋を教えてあげるって」
志乃は笑みを浮かべ、肩を軽くすくめた。
そして放課後連れて行かれたのはーーー
誘われるままに電車を降りて歩いて数分。
路地を曲がった先に現れたのはーー
昭和の絵葉書から切り取ったような、『ちっちゃくてまんまるな国民的アニメ』のオープニングにでも出てきそうな木造の店。
「うわ……」
思わず声を漏らす凛。
看板の色褪せた文字、軒先のすだれ、扇風機の回る音、飴玉の詰まったガラス瓶――。
まるでアニメの背景美術が、現実に飛び出してきたようだった。
「おばちゃーん、来たよ〜」
志乃の声に、奥からのんびりとした返事が返ってくる。
座布団に腰を下ろしたおばあちゃんが、膝に乗せた看板猫を撫でていた。猫は薄茶色の毛並みで、片目だけが琥珀色に光っている。
(ここ何…駄菓子屋の正解資料かなんか?)
あまりにも絵に書いたような駄菓子屋の光景に逆に苦笑がでる姉妹。
「おや、志乃ちゃん……あんた、昔も今も見た目が変わらないねぇ」
「紹介するね、この駄菓子屋のおばあちゃん。
おばあちゃんは、数少ない現地協力者の一人なんだ」
志乃は何気なくそう付け足す。
「この店はね、志乃ちゃんのお母さんがね子供の頃からやってるんだよ」
おばあちゃんがしみじみと話す。
「少し前まではこのあたりも古い店でいっぱいだったけど、段々と数が減ってね。
最近じゃこの店だけになってしまった……向かいの店もコンビニになっていただろ?」
あっ、そういえばそうね、と志乃。
「それで……ついにこの店にも再開発の波が来ちまってね」
おばあちゃんは、猫の背をゆっくり撫でながら話す。
「……立ち退きの話、されてるんですか?」
咲が問いかける。
「動けるうちは駄菓子屋を続けたかったけど、最近は子どもも減って
……今じゃ“大きいお友達”の方が多いくらいさ」
とおばあちゃん。
「この歳じゃ、もう長くはない。せめて私が死ぬまで待ってくれってお願いしてるところだよ」
小さな笑みを浮かべながらも、その目は少し寂しげだった。
「さて、こんなところまでわざわざ来てくれたお礼だ。
今日はお金はいらないよ、好きなだけ持っていきな」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。志乃ちゃんは娘みたいなもんだからね。これからも仲良くしてやっておくれ」
「おばあちゃんの娘……ってことは、志乃の実年齢……」
「せっかく泣けるシーンに変な勘ぐり入れない!」
志乃の素早いツッコミに、凛と咲は顔を見合わせて笑った。
その帰り道、咲がボソッと「この紙袋、なんかすごく重いね…」って。
それを聞いて志乃が「やめてよ……なんか泣けちゃうじゃない」
静かにそう言った。
ーーーーー
主哉の口が火を噴いた。
「な、なんだこりゃ……っ! 食えたもんじゃねぇぞ!」
舌の奥から喉、胃袋までが熱に焼かれるようだ。
鉄板の上でまだジュウジュウいっているのは、マサ特製の「ジョロキアたこ焼き」。
マサは胸を張って言う。
「いや、最近暑くなってきたからよ。暑い時は辛ぇもんがウケるかと思ってよ」
「それにしても辛すぎだぜ……っ」
ソースの甘い香りと、ジョロキアの刺激臭が混ざり、屋台の周りをを漂っていた。
そこへ、元気な声が響く。
「マサさーん、たこ焼きちょうだーい」
軽やかな声とともに現れたのは、ドローン姉妹と並んで立っている志乃。
「おう、JK姉妹……と、あんたが噂のロリババァか?」
「噂のって……あんた達、私のことどう言って歩いてんのよ」志乃が軽く眉をひそめる。
マサが鉄板の端に置いた串を持ち上げる。
「どうだい、俺の新作ジョロキアたこ焼き。味見してみないかい」
「やったー、食べるー!」
マサからたこ焼きを受け取ると、さっそく頬張り始める三人。
「あら、意外に美味しいわね」志乃が涼しい顔で言う。
「暑い時の辛い物がサイコー!」と凛。
「でも、せっかくだからたこ焼きじゃなくてソースの方を辛くしてみたら?」と咲が提案する。
「そうね、せっかく出汁たこ焼きもやってるんだから、激辛スープに浸して食べるのもありかもね」と志乃。
マサがじぃーっと主哉を見た。
「……なんだマサ、そんな目で見るんじゃねぇ。気持ち悪い」
「お前……猫舌の上に辛いもんもダメだったのかよ……」
「……放っとけ」
屋台の鉄板はじゅうじゅうと音を立て、公園の空気に香ばしい匂いと、ほんのりとした笑い声を混ぜ込んでいった。
ーーーーー
「……ってことが、さっきあってさ」
咲がたこ焼きをつまみながら話を締めくくる。
「立ち退きねぇ……まあ、時代の流れには逆らえねぇだろうな」
マサが腕を組み、鉄板の向こうで煙を見つめる。
主哉が口を挟んだ。
「あの辺は行政が『新しいまちづくり』に力入れてる場所だ。下手に逆らうと、不退去罪なんて話にもなりかねねぇ」
志乃は、紙コップの水を指でなぞりながらぽつりとつぶやく。
「……新しい時代に、古いものはついていけないのかな」
その横顔には、ほんのりと哀愁が漂っていた。
「古いものには古いものなりの良さがある。何でもかんでも新しくすりゃいいってもんじゃねぇ。……俺はそう思うぜ」
主哉の声は、少しだけ熱を帯びていた。
「だいいちよ、あんな人でごった返してる街に、これ以上人を集める必要あるか? 昔の下町が懐かしいぜ」
「わかるわー」志乃が頷く。
その仕草を見た凛と咲は、こっそり目を合わせる。――やっぱり、この人の実年齢……。
「まあ、変なことにならないように、知り合いにも声かけてみるぜ」
主哉が言うと、マサも頷いた。
「ああ。知ってる地上げ屋には釘を刺しとくよ。……良いようにしてやってくれってな」
「よろしくお願いします」
志乃は二人に深々と頭を下げた。
夜の屋台の灯りが、その姿を柔らかく照らしていた。
ーーーーー
夜風が心地よく、開け放した窓からカーテンがかすかに揺れていた。
作業台に向かっていた凛は、遠くから聞こえるサイレンの音に気づく。
「……消防車?」
音はかすかだ。近くではないが、その響きが妙に気になった。
作業台に置かれた自作ドローン《ナイトアロー3号》が視界に入る。
分解したスマホを組み込み、スマホ電波の届く限り飛行できる特別仕様だ。
ちょうど最後のネジを締め終わったそのドローンを手に取ると
「……テストフライトにはちょうどいいか」
窓の外のドローンポートに機体をセットし、コントローラーを握る。
ゴーグルを装着すると、目の前に夜の街が広がった。
「ナイトアロー、発進」
機体はスムーズに上昇し、百メートル上空から三百六十度を旋回。
モニターの端に、オレンジ色の揺らめきが映る。
「目標発見、急行しまーす」
軽い声を発しながらスロットルを全開にする。
最高時速百五十キロにも達するそれは、夜空を矢のように突き進んだ。
数分後、《ナイトアロー》は周辺空域に到達。
そのカメラに捉えられたのは――炎に包まれる、あの駄菓子屋だった。
凛はスマホを掴み、最近登録したばかりの番号をタップする。
「志乃! たいへん、駄菓子屋が燃えてる!」
ーーーーー
自転車のブレーキがきしむ音とともに、志乃は現場へ飛び込んだ。
赤く染まる夜。炎は屋根を舐め、黒煙が空を覆っている。
消防隊が懸命に放水しているその片隅で、志乃は小柄な影を見つけた。
「おばあちゃん!」
駆け寄ると、彼女は煤で顔を黒くしながらも無事だった。
「ごめんね、志乃ちゃん……お店、まだまだ続けるつもりだったのに、こんなことになっちゃって」
「そんなことより、おばちゃんが無事で良かったよ」
ーーーーー
ゴーグル越しにその様子を見ていた凛は、安堵の息をつく。
だがすぐに眉をひそめた。
「……この火災、多分放火。炎の回り方が不自然」
機体を帰還させ、ドローンポートへの着地を確認すると、飛行中の映像ファイルを素早く隼人に転送する。
「一応、分析してもらおう。私が見落とした何かが映ってるかもしれないし」
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥で不穏なざわめきが広がっていった。
ーーーーー
「……どういうことなのか、説明してもらいましょうか」
志乃が腕を組み、主哉とマサに詰め寄った。
「凛から聞いたわ。あの火事、放火の可能性が高いって。建物の燃え方が不自然だったって」
主哉は苦い顔をして頭をかく。
「……申し訳ねぇ。まさか相手がこんなに早く動くとは思わなかった……
ってのが半分。もう半分は――どこの誰が動いてるのか、さっぱり分からねぇってことだ」
「どういうことよ?」
マサが鉄板を拭きながら口を開く。
「都の《新しいまちづくりプロジェクト》ってのが動いてるのは知ってるな」
主哉が続ける。
「そのために大手デベロッパーが入って、立ち退き交渉もそいつらがやってる。
……けど、今回の件にそいつらは関わってねぇんだ」
志乃は眉をひそめる。
「はぁ? そんなわけないわ。実際、地上げ屋が来てるのよ?」
「昨日な、地上げに関わってそうな連中を片っ端から当たったんだが……俺の知る限り、誰も関わってねぇって言うんだ」
主哉はコーヒーを口に含み、低く続ける。
「おかしいと思って、うちの情報屋にもあたらせたが、これも空振りだ」
彼はポケットから折りたたんだ書類を取り出し、卓上に置いた。
「で、新しいまちづくりプロジェクトの概要を取り寄せたらな――あの駄菓子屋の辺りは再開発計画の区画に含まれてなかった」
志乃が小さく息を呑む。
「……じゃあ、何のために?」
「隣接地だ」
主哉は指先でテーブルをなぞり、簡単な地図を描くように説明した。
「計画区画の中には、マンション、公園、商店、病院が確定してる。その周辺に、私立学校やコンビニ、娯楽施設が用地を探してる段階だ。再開発が進めば、隣接地の地価も上がる……それを見越して地上げを仕掛けてる奴らがいる」
「で、それは――誰?」志乃の視線が鋭くなる。
「……さっぱり分からねぇ」主哉は肩をすくめる。
「俺等がわからねぇとすると……考えられるのは、半グレ、トクリュウ、外国組織。
……こいつらを使ってる奴がいるか、こいつら自身が地上げまで手を出し始めたか」
志乃は黙って主哉を見つめた。
その沈黙を破ったのは、彼の渋い声だった。
「……気が進まねぇが、俺たちよりこの辺の事情に詳しそうな奴らを当たってみるか」
「誰よ、それ」
主哉は口の端をわずかに上げた。
「――正義の天使様達だよ」
ーーーーー
ビルの二階。古びた階段を上りきったところに、小さな看板が掛かっていた。
【最上私立探偵事務所】
ドアを開けると、わずかに焙煎コーヒーの香りが漂ってくる。
壁には世界地図と数枚のモノクロ写真。窓際には小さな観葉植物が置かれ、外の光を柔らかく受けていた。
「……いい事務所じゃねぇか」
「そりゃどうも」
こじんまりとした部屋だが、整理整頓され、窓際には観葉植物。壁には古い世界地図が飾られている。
出迎えたのは、上下ジーンズにショートカットの女性――最上ルナ。
表の顔は探偵。だが裏では、神社とは別系統の断罪組織『教会』に属する《聖列》の一人、序列次席ー“ジャスティス”ーである。
ルナはコーヒーを二つ淹れ、ひとつを主哉の前に置いた。
「で、今日はどういう要件? 聖列に加わる気になった?」
「あいにく、それはねぇな」
主哉はコーヒーを一口すする。
「一昨日の夜、放火事件があったのは知ってるな」
「ええ、一応ね」
「あれな、再開発計画の《隣接地》を狙った地上げ絡みだと見てるんだが、さっぱり相手が見えてこなくてな。……お前らが何か掴んでたら、教えてほしいと思ってな」
ルナは眉をひそめ、口の端を上げる。
「何、よその組織に情報提供依頼? それってどうなのさ」
「正義のためなら、ってやつよ。それに、日本の神様は寛容なんだ。よその神様と仲良くしたって、怒りやしねぇ」
「そりゃ、うちの神様とは大違いだね」
コーヒーをすする音が響く。
「正直なところ、うちで掴んでる情報も、おたくらと大差ないんだ。
ただ――うちらが把握できてないってことは、外国組織の関与はないと断言できるよ。
外国人絡みなら、多分、おたくらよりウチの方が情報網は上だから」
「そっか……ってことは、動いてるのは誰だ」
「多分だけど……どこかの“や”の付く自由業が、闇バイト使ってるんじゃないかって、私たちは読んでる」
主哉は鼻で笑った。
「まさか……馬鹿馬鹿しい」
「実際あるでしょ、暴力団が闇バイト経由で犯罪させる事件。おじさんも刑事なら、もっと頭柔らかくしなきゃ。新しい時代の犯罪には、遅れとっちゃうよ」
「ヤクザがカタギを使う時代か……世も末だぜ」
ルナはカップを置き、指先でテーブルを軽く叩く。
「私が個人的に睨んでるのは、隣接地に私立学校を建てようとしてる経営会社の理事長ね。
黒いモノにシーツをかけるのがとても上手い人でね。
昔、その人絡みの断罪依頼があったんだけど、裏取りできなくて断念したことがあるんだ」
「そいつが、自由業と繋がってるって話か」
「あくまで噂。言ったでしょ、裏取りできなかったって」
「わかった。その件、こっちでも裏取りしてみる」
ルナが片眉を上げる。
「本当に? 助かるわ」
「正義のためならな」
「でもおじさん、前に会ったときは『自分たちは殺し屋で、正義じゃない』って言ってなかったっけ?」
「殺し屋は正義じゃねぇ。前言ったことを変えるつもりはねぇよ。
……けどな、今の俺は刑事の時間だ。刑事が正義じゃなかったら、人は何を信じりゃいい?」
ルナは短く笑い、頷いた。
「それもそうだね」
主哉は立ち上がり、ジャケットの裾を払う。
「今んとこ、この件に関しちゃ恨みの依頼はないんだ。
いくらよそ者がこっちの縄張りで悪さしたってても、何でも殺しちまおうってんなら、それこそ『や』のつく自由業と同じだぜ。
俺たちはあくまで《恨みの代理者》だ。……依頼がない限り、表の仕事でけりをつけるさ」
「……わかった。何かわかったら、連絡ちょうだい」
「ああ」
軽く片手を上げてドアを開ける。
外の空気は、コーヒーの香りよりも少し冷たかった。
ーーーーー
夜の神社本殿。
隼人はノートPCの前に座り、複数のモニターに映し出された情報を睨んでいた。
指先は軽やかにキーボードを叩き、企業の登記情報や関係者の履歴を次々に洗い出していく。
「……やっぱり、主哉の言った通りだ」
画面には、整然と整えられた経歴や契約書の写し。裏付けのない噂や黒い記録は、一切出てこない。
「隠蔽が上手いね……もしかしたら、凄腕のハッカーでも雇ってるのかな」
隼人の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「でも――絶対に僕の方が腕は上だね」
その声には、《神の目》としての使命感よりも、ハッカーとしての意地が滲んでいた。
ふと、別のウィンドウがアラートを出す。
「そういえば……凛から送られてきた映像ファイル、AIで分析させてたんだっけ…」
解析結果の一部を確認し、隼人は口の端を上げる。
「……ふーん。これは面白いことになりそうだ」
画面には、炎上する駄菓子屋の映像、そして…不可解な動きが浮かび上がっていた。
ーーーーー
翌日、昼下がりの神社。
参道を走ってきたのは、ランドセルを背負った子どもたち数人だった。
息を弾ませながら、本殿前に集まる。
神主が声をかける。
「どうしたんだい、君たち」
一人の少年が一歩前に出て、震える声で言った。
「……おばあちゃんのお店を燃やした悪い人に、罰を与えてください」
小さな手が、賽銭箱に硬貨を落とす。
ちゃりん――。
合計で56円。
それは、彼らにとって大きな決意の重みだった。
神主は深く頭を下げ、静かに答える。
「確かにあずかりました。きっと神様はあなた達の願い事…聞いていましたよ」
子どもたちは真剣な表情で一礼し、参道を駆けていった。
その様子を、少し離れた石段から見ていた志乃。
無意識に拳を握りしめていた。
(……あんな小さな子たちまで、あのお店を想ってるのに)
自分も手を出したい。だが、犯人はまだわからないし…そもそも自分はまだ恨討人じゃない。
その立場が、彼女の足を縛っていた。
「……あー、イライラする」
吐き出すような声が風に溶けていく。
凛や咲が境内に入ってきたが、志乃は振り向かない。
背中だけが、彼女の感情を物語っていた。
ーーーーー
その夜の神社本殿。
隼人は複数のモニターに囲まれ、キーボードを軽快に叩いていた。
モニターの一つには、炎に包まれた駄菓子屋の俯瞰映像――凛が送った《ナイトアロー3号》の記録が映し出されている。
「凛の送ってくれた映像を分析してたんだけどさ……面白いことが分かってね」
振り返らずに、隼人は早口でまくしたてる。
「AIの解析結果によると、火元は2階の物干し台だと確定したんだよ。
おかしいよね? そこでタバコでも吸ってたんならまだしもさ」
彼は別のウィンドウを開き、映像を拡大する。
「でね、火災の原因……隣の雑居ビルの窓から火種が投げ入れられた可能性が高いってAIは言ってる。
そこで、向かいのコンビニの防犯カメラにアクセス――記録を拝借して、ビルを出入りしてた人物を全部ピックアップ」
モニターに、防犯カメラの静止画が連続して映し出される。
「個人のSNSを中心に、片っ端からネットに上がってる写真に顔認証AIをかけて人物を特定。
そこからさらに交友履歴を洗って洗って……やっと“や”の付く自由業の方と、
例の理事長のつながりを見つけたよ」
椅子をくるりと回し、隼人はにやりと笑った。
「いやー、正直僕じゃなかったら無理だったよね。さすが僕、最強……は師匠だから、世界2位のハッカーだね」
彼は再びモニターに向き直り、別のウィンドウを開く。
「そこから情報は芋づる式さ。出るわ出るわ。でも、ここまで完璧な隠蔽されてたら、他の人じゃ絶対無理だよね。さすが僕、さすが僕だよ、あっはっはー!」
そのテンションの高さに、そばで聞いていた凛が苦笑する。
「……よっぽど苦労したんだね」
咲が肩をすくめ、主哉もわずかに口元を緩めた。
隼人はようやく椅子から身を起こし、凛に向かって片手を上げる。
「とにかく、あの映像がとっかかりになったのは事実。お手柄だったよ、凛。サイコー!」
凛は頬を赤らめ、ほんの少しだけ得意そうに笑った。
「これで、この件仕事にできるでしょ?」
主哉はその隼人の問いに、「あぁ」と呟いた。
夜の境内は、虫の声と木々のざわめきだけが満ちていた。
境内の片隅、苔むした古木にもたれ、志乃は無言で空を見上げている。
月明かりが、彼女の頬を白く照らした。
「……」
足音もなく近づく影。神主はゆっくりと立ち止まり、彼女を見下ろした。
「あなたは――その怒りと葛藤を、どこに向けるのですか?」
低く、しかし深く響く声。
志乃の指先が、ポケットの中で三角定規の角をなぞる。
神主は続ける。
「答えは……もう、出ているのではありませんか?」
志乃は一瞬だけ目を伏せ、唇をかすかに噛んだ。
やがて、短く吐息を漏らしながら顔を上げる。
「分かってるなら……聞かないで」
その瞳には、迷いと決意が入り混じった光があった。
「――放火犯は、私が殺るわ」
神主は頷き、言葉を重ねなかった。
ただ、その視線が《背を押すもの》にも、《見届けるもの》にもなっていた。
志乃は木から背を離し、静かに夜の街へと歩き出す。
その足取りは、二度と後戻りできない一線へと向かっていた。
ーーーーー
夜の探偵事務所。
主哉はUSBメモリを机の上に置き、指先で軽く押し出した。
「これで断罪の決着がつけられるだろ?」
ルナはそれを手に取り、しばらく指先で弄ぶ。
「恩にきるよ……これで貸しは二つ目かな?」
「神の裁きに貸し借りなんてねぇ。ただ正しく罪を裁く……それだけだ」
「……そうね。ありがとう。理事長の件は任せて。しっかりと裁きを下すから」
主哉は軽く笑い、背を向けた。
「じゃあ俺らは、放火犯とヤクザ幹部か……」
「どうしたの?」
「いや――神の威と神の意。たまに交わるのもいいのかもなって、ちょっと思っただけだ」
ーーーーー
◆ ヤクザ幹部ー闇バイトに直接指示を出していた男
路地裏に、鉄の匂いが混じった湿った空気が漂っていた。
タバコの火が赤く点滅し、男が煙を吐き出す。
「お疲れさん」
声と同時に、背後から影が近づく。
反応する暇もなく、鋭い痛みが首筋を貫いた。
千枚通し――まるで氷柱のような冷たい刃が、頸動脈を正確に突き破る。
「……っぐ……!」
幹部の体がよろけ、壁に手をつく。
血が噴き出す音を、マサは何事もなかったようにやり過ごす。
背後で崩れ落ちる音がしても、振り返らない。
夜の雑踏に混じり、マサはたこ焼き屋の暖簾を思い浮かべながら、静かに去った。
ーーーーー
◆ヤクザ組長ー地上げの実質的な指示役
組事務所の照明は、やけに暖かい色をしていた。
応接のソファにふんぞり返る組長は、酒を手に、テレビから流れるバラエティ番組を眺めている。
「ヤクザがカタギを犯罪に巻き込んじゃ……いけねえよな」
背後から低く響く声。
組長が振り返るよりも早く、主哉は警棒を振り上げた。
カチリ、と音がして持ち手から鋭い刃が走る。
その刃は迷いなく組長の首筋に滑り込み、赤い線を描いた。
「な……っ」
声は最後まで出なかった。
主哉は床に滴る血を一瞥し、静かに警棒をたたむ。
玄関を出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。
ーーーーー
◆理事長
夜更けの理事長室。
厚いカーペットが靴音を吸い、部屋はやけに静かだった。
ドアが開く音に理事長が顔を上げる。
「誰ですか?」
「あなたが以前、自殺に追い込んだ受験生の親から依頼を受けてね……あんたを地獄に案内しようと思ってさ」
理事長の表情が一変する。
「侵入者です! 誰か――!」
隣室のドアが開き、秘書が倒れ込んだ。
首筋は鋭利な刃物で切られ、赤黒い血が絨毯を汚していく。
その背後から現れたのは銀髪の和装の女――聖列筆頭、ー“セラフィム”ー。
手には、血に濡れたステンレス製タロット、死神《The DEATH》のカード。
「誰か!」
理事長の叫びに応えるように、柔らかく響く声がした。
「私の歌で、他の人達には眠ってもらいました。……あとはあなただけ、かと」
扉の陰から現れたのは聖列ー“セイレーン”ー。聖列一の催眠誘導の使い手。その瞳は夜の湖のように冷たい。
「私を誰だと思って――」
言葉はかすかな銃声に遮られた。
ジャスティスのサイレンサー付き拳銃から放たれた弾丸が、理事長の額を撃ち抜く。
煙の向こう、ジャスティスは静かに言った。
「……あんたはただの、犯罪者でしょ」
ーーーーー
◆ 放火実行犯
繁華街の裏路地。
ネオンの光が届かない暗がりで、志乃はターゲットを待った。
「お兄さん、ちょっと私と遊ばない?」
甘えた声に、男はにやりと笑う。
「いいねぇ……二人っきりになれるとこ、行こうよ」
「……あんた一人で行きなよ」
「なんだと、てめ――」
返事代わりに、志乃の指が三角定規を弾いた。
銀色の刃先が一直線に飛び、男の両目を同時に貫く。
「ぐああっ! 目が……っ!」
呻く男の胸に、志乃はペン型の仕込み銃を押し当てた。
コツン、と軽くノックするような動作の直後――
パンッ。鈍い破裂音が夜気に溶ける。
男はその場で絶命した。
志乃はしばらく立ち尽くし、吐息を漏らした。
(……はぁ〜、上司になんて報告しよう……)
殺しは初めてではなかったが、恨討人としては初めての仕事。
初めての“神威”を終えた手の震えを、ポケットに押し込むようにして、志乃は夜の闇に消えていった。
ーーーーー
『たこ焼き屋マサ“特製”ジョロキアたこ焼き!
激辛ソースか激辛出汁スープ、選んで下さい!』
昼下がりの商店街。
マサの屋台の前には、辛党たちが列を作っていた。
炙られた香りと唐辛子の刺激が、夏の空気を突き抜ける。
「……好評じゃねえか」
屋台の横で腕を組む主哉が、列を眺めて呟く。
「そうね。アイデア料、もらわなくちゃ」
志乃はたこ焼きを頬張りながら涼しい顔。
2人の視線の先、客たちは額に汗を浮かべながら「うまい!」と笑っている。
「今回は……なんか色々と迷惑かけたわね」
志乃の声には、ほんの少しだけ申し訳なさが滲んだ。
「大したことはしてねえさ」
主哉は肩をすくめる。
「そういうのは、今回の件でお手柄立てた隼人とドローン姉妹に言ってやんな」
「私からもお礼が言いたいな」
背後から声がかかる。
振り向けば、最上ルナ――ジャスティスが立っていた。
「あのデータ、助かったよ。神父からもお礼言ってくれって」
「そうかい」
主哉は軽く頷く。
「そういえば、お前の処遇どうなったんだ?」
「据え置きだって」志乃は淡々と答える。
「“刑事が裏で殺しやってる時代、国家公務員がやって何が悪い。ただ警察には捕まるな、その時はかばえんぞ”……だってさ」
少しの沈黙のあと、主哉が吹き出した。
「急に何よ」
「いや……お前が警察に捕まって実名報道される時のこと考えたら、ついな」
「容疑者の年齢カッコで括るやつでしょ。
柊志乃容疑者、かっこまるまるって。さすがに17とは書いてくれないよね」
今度はルナまで笑いにのってくる。
ルナはふと、真顔に戻って言った。
「お礼のかわりじゃないけど、一つ教えてあげる。――あなたの通う学校にね、潜入捜査してるの、あなただけじゃないよ。知ってた?」
「いいえ」
志乃の眉がわずかに動く。
「警視庁公安部の、初期犯罪捜査のエージェント。
ボロ出さないように気をつけなさいよ」
「何だいそれは」主哉が首を傾げる。
「イーエルオーと似たようなもんだけどね。向こうの目的は、学校という閉鎖空間でくすぶる初期犯罪の芽をつぶすこと」と志乃。
「へぇ~」と頷く主哉に、志乃が釘を刺す。
「あいつらは、未来の重犯罪を止める為なら生徒の数人、簡単に消すわよ。それに……上の人間ほど復讐の代行者に寛容じゃないわ」
「だったらなおさら気をつけないとな。――かっこまるまるにならないように」
「うるさいわね」
辛さと笑い声が混ざる、平和な昼下がり。
この日もまた、神の矛たちは人知れず日常へと溶け込んでいった。
第七話からお読みくださった皆様へ。
本話に登場する「聖列」については、第三話『神の威と、神の意と』にて詳しく描かれています。
よろしければ、そちらも併せてお読みいただけると、よりお楽しみいただけます。