表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

第六話 思いと……想いと…...

悪いことをすればお巡りさんが捕まえるーーそれが世の中の道理だ。


けどな、中にはその道理をくぐり抜けて、笑ってる奴らもいる。


やられた方は、泣き寝入りするしかないのか?


…いや、そうとも限らねぇ。


今も昔も裁かれぬ悪、許されぬ恨みをーー天に代わって始末する連中がいる。


本気で許さねぇ奴がいるなら、神様にでも頼んでみな。


街のはずれの“恨みの神社”さ。


そこの賽銭箱に“56”の金額を入れりゃ、神様が恨みの相手に天罰落としてくれるってさ。


金額は56円でも、56万円でも、いくらでもいい。


あんたが払えるいっぱいの『五六銭(ころせ)』を入れるのさ。


けど忘れるなよ?


どんなに相手が地獄に落ちるべき外道でも、殺せばこっちも外道だ。


頼んだ奴も、殺った奴も、同じ穴のムジナってことさ。


…それでも涙が止まらねぇってんなら、仕方ない。


お前の流した涙、怒り、恨み。


それが金に染み込んでるならーーその重さで神様は動くだろう。


金額の問題じゃねぇ。


問われるのは…その“恨み”の重さと正当性さ。


ーーーーー


季節外れの猛暑に、部室は完全にサウナと化していた。


「……死ぬ。これはマジで死ぬ……」


凛が制服の襟元をばたばたと扇ぎながら、壁にもたれかかる。滝のような汗をぬぐいながら、咲も疲れた声で応じた。


「冷房、壊れてるんだよね……」


その声に、凛が眉をしかめる。


「いや、それは分かってる。分かってるけどさ、先月の雷でブレーカーやられたの、まだ直ってないってどういうこと?」


「予算の都合じゃない?」咲がモニターに向かいながら無責任に呟く。


部室の隅では、柊志乃が扇風機に向かって「あ゛〜〜」と声を当てて遊んでいた。


「ねえ、志乃ちゃん。これだけ暑いと、さすがに化けの皮が剥がれるんじゃない?」


「何のことかしら。オホホホホ〜」


うすら笑いを浮かべる志乃に、凛が軽く肩をすくめた。


新生ドローン部。非公認から正式な『部活』へと昇格したのはつい最近のこと。部員も一気に倍増し、にわかに活気づいてはいる。


文部科学省の秘密組織のエージェント、柊志乃。

そして姉妹の忠実な下僕となった、もといじめっ子の「A・B・C」。


とはいえ、人数が増えたところで、空調の快適さは一ミリも変わらなかった。


変わったところといえば、扇風機が1台から3台になったことくらいだろうか。


「ねえ……この暑さでドローン飛ばしたら、ドローンが先に溶けそうなんだけど」


「人間が先に溶けると思う」と、咲が返す。


凛は「もう限界」とばかりに立ち上がると、窓の外をぼんやりと見つめた。


「ねえ、さすがのマサも今日は休んでるんじゃない? この暑さじゃ、たこ焼き焼いてたら死ぬでしょ……」


その一言に、咲がくすっと笑った。


「気になるのは、マサのたこ焼き? それとも、マサ本人?」


凛は即座に鼻で笑う。


「バッカじゃないの。マサなんか、別に気になってないし」


そう言いながらも、凛は窓の向こうに視線を投げたまま動かなかった。


陽炎に揺れる校舎の外。夏はまだ始まってもいない。


ーーーーー


陽炎が立つ、公園の一角。


うだるような暑さのなか、ぽつんと立つのはいつものたこ焼き屋台。

鉄板の前に立つマサの額からは、滝のように汗が流れていた。


「……売れねぇ」


誰に聞かせるでもなく、ぽつりと独り言が漏れる。


「あっつい中で、たこ焼きなんて食うやついねぇよな……」


汗でシャツが背中に張り付き、不快指数は限界突破。

まるで自分自身が鉄板の上に乗せられているような気分だ。


「夏季限定でかき氷でも売ってみちゃどうだ?」


そんな声が背後から飛んできた。


振り返れば、白シャツの襟を緩めた主哉が、缶コーヒー片手に立っていた。


「……屋台の構造的にムリだっつーの。氷運ぶのだってダルいし」


マサが顔をしかめて応じた、そのとき。


「いつもお疲れ様です。こんな暑い中、大変ですね」


涼やかな声がふいに届いた。


日傘を差した女性が、ゆっくりと近づいてくる。

手にはキンキンに冷えた炭酸水のペットボトル。


「これ、よかったら……」


「……あっ、ど、どうも……」


マサはどぎまぎしながら、受け取ったペットボトルを見つめた。

顔が真っ赤だ。気温のせいだけではない。


主哉はそんな様子を横目で見ながら、ニヤリと口元をゆがめた。


(へぇ……マサのくせに、顔赤くしてやんの。アツいのは気温だけじゃねぇってか?)


日傘の女性――彼女は、ここのところ屋台に頻繁に通ってくるようになった福祉職員だった。

偶然、公園を通りかかったときにマサと顔なじみになり、以来、時折たこ焼きを買っていく。


今日は、ちょっとしたお願いがあって立ち寄ったのだという。


「実は……私の勤めている福祉施設で、今度小さなお祭りをしようと思ってるんです。

もしよければ……マサさんのたこ焼き屋、出張をお願いできないかなって」


マサは少し驚いた顔で炭酸水を見下ろし、それから穏やかな笑みを浮かべて言った。


「いいですよ」


「本当ですか?」


「そうだな……お年寄りが多いんですよね、ってことは、たこは小さめにしたほうがいいな。

あと、たこが苦手な人もいるだろうから、具なしの『たこなし焼き』も用意しましょう。

皮なしウインナーとか、カニカマ、ツナ、チーズなんかもいい。

ソースだけじゃなくて、出汁につけて食べるようなのも喜ばれるかもしれませんね」


主哉が目を丸くして口を挟む。


「たこなし焼きなんて、うまいのか?」


マサは憮然とした表情で鉄板を指差した。


「バカか。知らないのか? 今はそれがトレンドなんだよ。

普通のたこ焼きだけじゃやってけない時代なんだよ、見てみろ」


屋台の横には、手書きのメニューが貼られていた。


『たこなし焼きあります』『出汁たこ焼き、好評販売中』


「……本当だ、書いてあらぁ。今まで気づかなかったぜ」


福祉職員は深く頭を下げ、笑顔で言った。


「ありがとうございます、マサさん。きっと、みんな喜びます」


マサはうれしさを隠しきれない顔で、もう一度、炭酸水の冷たさを感じながらうなずいた。


日傘の向こうに射す日差しは、容赦なく眩しかったけれど。

そのひとときだけは、ほんの少しだけ涼しい風が吹いたような気がした。


ーーーーー


福祉施設の庭先に、屋台がずらりと並んでいた。


日が傾き始めた夕暮れ時、吹き抜ける風はほんの少しだけ涼しく、ほんの少しだけ懐かしい匂いがした。

庭に集まった入居者たちは、どこかうれしそうにベンチに腰かけたり、車椅子を押されたりしながら、屋台を眺めていた。


たこ焼き屋の鉄板の前で、マサがリズミカルにタネを流し込む。


「はいはい、お次は“チーズ入り出汁焼き”いきますよー。アツいから気をつけてねー」


その隣には、ノンアルコールと微アルのカクテルを提供する出張バー。

カウンターの奥では、黒江がグラスを磨きながら、上品な笑みを浮かべていた。


「お酒はほどほどにね、おじいちゃん。あんまり飲むと、天国に近づいちゃうわよ?」


その向かいには、射的、かき氷、ヨーヨー釣り、綿あめ。

どれもマサが声をかけて集めた知り合いの屋台だ。


「マサさん、本当にありがとうございます。まさかこんなに集めてくださるなんて……」


浴衣姿の職員・山下みゆが、たこ焼きを受け取りながら深々と頭を下げた。


「いえね、うちの仲間はみんな、祭り好きな連中ばかりでして。

今日はサービスしますんで、とにかく楽しんでってくださいよ」


「……はいっ!」


みゆは、久しぶりに心からの笑顔を浮かべた。

職場では常に笑顔でいなければならない。それでも、今日の笑顔はどこか素直だった。


その様子を見ていた黒江が、ちらりと視線を送る。


(へーっ……主哉から話は聞いてたけど、確かにマサのやつ、まんざらでもなさそうね)


彼の表情は普段よりも柔らかく、どこか誇らしげですらあった。


「……マサさんって、優しいですね」


みゆのその一言に、マサは頭をかく。


「……優しいって言われると、なんかムズムズするもんですね」


お孫さんだろうか。子どもたちが、ヨーヨー釣りではしゃぎ、お年寄りがかき氷の冷たさに目を丸くする。

施設の職員たちも、普段は見せないような安堵の表情で屋台を回っていた。


笑顔が溢れていた。

だが。


その影で、一人だけ欠けていた席があった。


誰もが楽しそうにしているなか、そこだけがぽっかりと空白になっていた。


山下みゆの視線が、ちらりとそこに向けられたが――彼女はすぐに微笑みに戻った。

祭りは、まだ終わっていなかったから。


ーーーーー


祭りから数日が経った夕方。


赤く染まる空の下、公園から場所を移し、

高架下で夜の部『ちょい呑み屋』に向けて、マサが屋台の仕込みをしていた。


鉄板を拭き、ガスの点検をし、食材の在庫を確認する。

一見いつも通りの光景。しかし、どこか落ち着かない。


ふと何気なく視線を上げた先に、マサは見覚えのある姿を捉えた。


喪服姿の山下みゆが、ゆっくりと歩いてくる。


髪をひとつにまとめ、手には小さな紙袋。足取りは、どこか沈んでいた。


「……山下さん」


声をかけると、みゆはゆっくり顔を上げた。


「マサさん……こんばんは」


「……今日は、通夜ですかい?」


みゆは、うなずいた。


「……あのお祭りの日、来られなかったおばあちゃん……熱中症で亡くなったそうです。

一人暮らしだったんです。気づいたのは、数日経ってからでした」


「エアコンは、使ってなかったのかい?」


「……生活保護を受けてたんです。

電気代が苦しくて、あまり使わなかったみたいです。

それに、エアコン自体の調子も悪かったみたいで……役所には、入れ替えの補助申請をしてたそうなんですけど」


「そうですかい……」


マサはしばし黙り込んだ。

沈黙の中、鉄板の上に落ちた汗がじゅっと音を立てて蒸発する。


(エアコンも使えねえ年寄りは、自然淘汰される――そういう世の中になっちまったのか)


胸の内に、じわじわと黒いものが湧き上がってくる。

怒りか、虚しさか、言葉にはならなかった。


ふと、屋台の奥へと手を伸ばし、小さな金庫を開ける。

中から万札を取り出すと、マサはそれを丁寧に折りたたみ、みゆに差し出した。


「これも、なんかの縁だ。

俺は店があるから行けねぇが……俺の分まで、焼香してやってくれませんか」


「……マサさん……ありがとうございます。

きっと、おばあちゃんも、喜ぶと思います」


みゆの声が、わずかに震えていた。


聞けば、そのおばあちゃんとは、実の親のような関係だったという。

通所時には必ず彼女の姿を見つけて話しかけてくれた。みゆも、心から慕っていた。


マサは、みゆの後ろ姿を無言で見送った。

喪服の背中が、ゆっくりと夕暮れに沈んでいく。


ーー風が吹いた。


鉄板の火が揺れ、夜の気配が、じわじわと辺りを包み始めていた。


ーーーーー


テレビからは、熱気に満ちた司会者の声が響いていた。


「――高齢者の熱中症死が相次いでおります。特に、エアコンの未使用による死亡が各地で……」


画面には、喪服姿の弔問客や、夏の陽射しの中でうなだれる高齢者の映像が流れていた。


「えー、専門家によりますと、生活保護世帯の方々がエアコンを《贅沢品》と感じて使用を控えているケースもあるとか……」


B級ゴシップ番組にしては、妙に真面目なトーンだった。

その背景には、この数日でネットを中心に炎上気味の『話題』があったからだ。


「今回の悲劇を受けて、私としては国に対し、緊急の予算措置を要請するつもりです」


カメラの前でそう宣言するのは、例の地元議員だった。

わざとらしい沈痛な面持ちで、喪に服すポーズを取っているが――。


(……その顔、いつかのイベントのスピーチで見たのと同じだな)


隼人は、冷えた缶コーヒーを片手に、複数のモニターを眺めていた。


SNS、ニュースアグリゲータ、匿名掲示板、行政の公開データ……

すべての情報をリアルタイムで吸い上げては、彼の前に並ぶウィンドウに並んでいく。


「自己責任だろ、生活保護にエアコンなんて贅沢」

「老人に金使うくらいなら子育てに回せ」

「この国の行政は腐ってる。議員ども全員晒せ」


玉石混交。いや、もはや石だらけの言葉の海。


「みんな……自分勝手なことばかり」


隼人は、小さく息を吐いた。


ディスプレイのひとつをスクロールしていた指が、ふと止まる。


「……ん?」


ある書き込みが、彼の目を引いた。


『◯◯区の高齢者施設でも、エアコンの設置申請通らないんです』


たった一行。

誰も注目していない、埋もれたスレッドの一部に過ぎなかった。


だが、その《温度》が他と違っていた。


隼人は椅子の背もたれから身を起こし、すっと目を細めた。


「……この書き込み、ちょっと気になるな」


軽くキーボードを叩いて、発信元のIPと過去投稿履歴を照合する。

バックグラウンドで解析プログラムが起動するのと同時に、彼の指がもう一段、深い層へと潜っていく。


「念のため調べるだけ調べてみるか。……まあ、大した手間でもないし」


軽口のように呟いたその言葉の裏で、隼人の眼差しはすでに鋭さを帯びていた。


そのとき、彼はまだ知らなかった。


この書き込みの《裏》にこそ、今回の闇の中で『最も根深い黒』が潜んでいることを。


ーーーーー


その通知は、部室のモニターに浮かび上がった。


──《神の社》:新着トークあり【隼人】


凛がぼんやりと扇風機に顔を突っ込んでいたのをやめ、咲が椅子をくるりと回す。


「……隼人くんからだ」


ディスプレイに浮かぶ文章は簡潔だった。


『例の事件のことなんだけど、見てほしいものがあるんだ。』


次の瞬間、添付されたデータが自動で展開されていく。


複数の行政記録、政治家の資金流用履歴、メールのやりとり、会計帳簿の改ざん履歴、

そして、内部関係者とされる人物の匿名証言。


画面に現れたのは、三人の名前だった。


・某区役所福祉課 課長 吉見


冷房補助申請を却下した本人。

過去に同様のケースで「形式的な不備」を理由に却下を繰り返し、

その裏で補助金を別の事業に横流し。帳簿上は“処理済み”とされていた。


・地元議員 長瀬


ニュースで「悲劇を繰り返さない」と発言していたが、

実際には福祉関連の予算削減を積極的に推進。

その裏で、電力会社からの“献金”を受け取っていた記録あり。


・電力会社役員 榊原


エアコン設置の公的補助を「非効率」と批判した主導者。

議員との繋がりは長く、行政との契約上の“便宜”も複数確認済み。


「……なんだこりゃ。真っ黒じゃねぇか」


画面を見つめたまま、主哉が呟いた。


「うわ……うちの部室のエアコンが直らないのも、こいつらの仕業だったりして?」


凛が言うと、咲が小さく首を横に振った。


「……それは、たぶん違うと思う」


ディスプレイの向こう、暗い部屋で隼人の声がスピーカー越しに届いた。


「……一応、主哉に回して警察で処理することもできる。

でも、表沙汰にするには時間がかかるし、揉み消される可能性も高い。

だから相談なんだけど――これ、裏の仕事として処理するべきかな?」


全員の視線が、神主の方へと向けられた。


神主は目を閉じ、静かに答えた。


「……恨みの矛を振るうには、『依頼人』が必要です。

どんなに悪党であっても、正式な依頼なくして神威は発動できません」


部屋に、短い沈黙が落ちた。


そのとき。


「だったら……俺が、頼み人になる」


マサの声が、屋台から届いた。


全員の視線が、驚きと共にそちらへ向く。


マサは、鉄板に火を入れながら、静かに言葉を続けた。


「……あの人には、知られたくねぇ。

おばあちゃんが、あんな風に死んだのは、偉い奴らの陰謀のせいだったなんて。

そんなことを知って、あの人が神社に《五六銭》を入れるような感情を持ってしまったら……嫌なんだよ。

俺は……あの人に、そんな思いさせたくねぇんだ」


少しの間を置いて…

「だから……その前に、闇は闇のまま。俺たちの手で、きれいに葬ってやりてぇ」


その声に、誰もすぐには言葉を返せなかった。


ようやく口を開いたのは、黒江だった。


「……でもさ、恨討人が依頼人になるなんて、アリなの? 裏技じゃない?」


神主は、ゆっくりと目を開いた。


「……かつて、前例がなかったわけではありません。

我々は『神に代わって《神威》を振るう者』……であると同時に、ただのー人間ーでもあります」


その瞳は、誰よりも深く、静かだった。


「人が人を想い、怒り、悲しみ、守りたいと願う。

その心に、神が応えない理由など……あるでしょうか?」


マサは何も言わず、鉄板の上にたこ焼きを転がし続けていた。


火の音だけが、しばらくの間、部屋の中を支配していた。


ーーーーー


■一人目:電力会社役員


夜の歓楽街。ネオンが濡れた舗道に滲むころ、一軒の高級クラブに、初老の男が姿を現した。


電力会社の役員、榊原。

誰もが表では笑顔を向ける男だが、裏では福祉切り捨ての先鋒として知られる。

今日も、誰かに奢らせた酒を飲みながら、上機嫌に笑っていた。


「いいねぇ、君たち。若い子と飲むと、やっぱり元気が出るよ」


「ふふっ、お世辞でも嬉しいです♪」


にこやかにグラスを差し出すキャバ嬢は、黒江が子飼にしている情報収集役《働き蜂》のひとりだった。

彼女の動作は完璧で、男は警戒心すら持たない。


グラスの中の琥珀色の液体に、ほんのひとしずく──黒江特製の、症状を急性心不全に擬態させる毒が混ざっていた。


翌朝、榊原は宿泊していたシティホテルの一室で、布団の中で冷たくなっていた。

部屋に荒らされた形跡はなく、財布もそのまま。

警察は検視の結果を「急性心不全」と判断し、事件性なしと発表した。


黒江は、そのニュースをグラスを磨きながら見つめ、ひとつだけ息を吐いた。


「……このくらいで済んだこと、感謝してほしいわね。外道さん」


ーーーーー


■二人目:地元議員


市の広報イベント。

小さなステージの上で、地元の有力議員・長瀬は堂々とマイクを握っていた。


「この街をもっと住みよく、安心して暮らせる場所にするために――!」


ステージの脇には、今や時の人となったアイドル・水島セナの姿。

彼女のステージ目当てで来た観客は多く、議員の演説には正直、誰も耳を傾けていなかった。


イベント終了後。

議員控室にて、セナは特別に握手と記念撮影の時間を設けられた。


「いやあ、君みたいな若い子が地元で活躍してくれると、本当に励みになるよ」


「ありがとうございます。議員さん、お疲れでしょう? 良ければ、これ……最近私がプロデュースした香りです。リラックス効果があるんですよ」


そう言って取り出したのは、小瓶に入ったアロマオイル。


嗅いだ瞬間、議員の顔がほんのわずかにぼやけた。


「……ああ、いい香りだ。なんだか……眠く……」


「ゆっくり、深呼吸してください。お疲れが溜まってるんです。無理しないでくださいね」


セナの声は、微笑と共に、柔らかく脳に染み込んでいく。


数日後。


長瀬議員は、自宅のマンションの屋上から飛び降りて死亡した。

遺書はなく、警察は「精神的な疲労による突発的自殺」と判断。

報道も小さく扱われ、世間は次のスキャンダルへと関心を移していった。


セナは、そのニュースを見ながら、アイドルスマイルのまま言った。


「……この世で一番《偽り》に慣れてるのは、きっと《私》なんですよ」


ーーーーー


■三人目:福祉課課長


その夜、雨は降っていなかったが、路地裏のアスファルトはどこかしっとりとしていた。


福祉課課長・吉見は、飲み会の帰り道なのか、ネクタイを緩めながら狭い路地を歩いていた。


彼の頭上では、ふたつのドローンが無音で滑空している。

咲と凛の操作による空からの監視。

そして、防犯カメラの記録は、すべてハッキング済み。

隼人の手で、当夜の映像は『白紙』にされている。


「……課長さんですかい?」


背後から、男の声が響いた。


振り返る暇もなかった。

すでにマサが背後に回り込み、手早く口を塞ぎ、身体を壁へと押しつけていた。


「俺ぁ、あんたを地獄に案内する仕事を頼まれたもんでね」


言葉の最後と同時に、マサの手に握られた千枚通しが、首筋へと深く突き立った。


「……何人の命を、書類一枚で見殺しにしてきたんだい?」


声は怒りではなく、静かな哀しみに染まっていた。


マサは手を離し、血を吐きながら崩れ落ちる吉見の胸ポケットに、五十円玉と六円分の硬貨を滑り込ませた。


「地獄への送り賃……五六円。外道には、それでも多すぎるくらいだ」


体を担ぎ、水路まで引きずる。

ドローンは、周囲の見張りを続けたまま、静かに旋回を続けていた。


翌日。


『福祉課職員、夜間の事故で水路に転落し死亡――』

地元紙の片隅に、わずかにその名前が記されるだけだった。



神威、執行完了。


誰も知らず、誰も気づかず。

だが確かに、この街の空気はほんの少しだけ澄んでいた。


たこ焼き屋の鉄板の上、じゅう、と音を立てて焼かれる生地。

誰かの涙と怒りを、静かに焼き焦がすような音だった。


ーーーーー


四十九日が終わり、山下みゆは再び公園を訪れていた。


たこ焼き屋のベンチに座り、パックのたこ焼きを口に運びながら、小さく微笑む。


「やっぱり、マサさんのたこ焼き……美味しいですね」


「そりゃどうも。今日のはチーズ多めです」


マサはいつも通り、鉄板の前で焼きを返しながら答えた。

だが、その声にはほんの少しだけ、寂しさのにじみがあった。


「……えっ、仕事、辞めるんですかい?」


箸を止めたみゆが、ほんの少し照れたように、うなずく。


「おばあちゃんの遺骨、引き取り手がいなかったんです。

無縁仏にするのは……どうしても、可哀想で。

だから、私が引き取って、おばあちゃんの故郷に連れて行こうと思ってます」


「……そうですかい」


言葉を選ぶように、マサが短く返す。

鉄板からふわりと立ち上るソースの香りが、やけに遠く感じられた。


みゆは、手元の紙パックを見つめながら、ぽつりと呟いた。


「それで、マサさん……マサさんさえ良ければ……

私と一緒に、来てくれませんか?」


たこ焼きを返す手が、ぴたりと止まる。


マサは、鉄板から目を離さないまま、静かに言った。


「……すいません。俺には、この街を離れられない理由があるんです」


その一言に、みゆは小さくうつむく。


「……そっか。すいません、急に……へんなこと言っちゃって」


「いえ。……でも、たこ焼き屋マサは、出張も出来ますから。

呼ばれれば、どこにでも行きますよ」


顔を上げたみゆに、マサはわずかに口元を緩めてみせた。


「……はい。楽しみにしてます」


ベンチを立ったみゆにマサは

「俺のたこ焼き、次はいつ食べてくれますか?」と。


落ち着いたら手紙出しますね…そう言ってゆっくりと去っていく背中を、

マサは何も言わずに見送っていた。


その肩越しに、主哉が声をかける。


「……よかったのか?」


「……ああ。俺も、お前と同じさ」


マサは、煙の立ちのぼる鉄板を見つめながら言った。


「人殺しが、幸せになっちゃいけねぇよな」


「……そんなことは、ねぇと思うが。

ま、お前が決めたことに、どうこう言うつもりもねぇけどな」


ふたりはしばし無言のまま、公園を照らす西日の中に立ち尽くす。


ーーどこからか風鈴の音が聞こえた。


(……もうすぐ、夏が始まるな)


マサはふと、そんなことを思った。


ーーーーー


そのころ、隼人は自室で最後の作業を終えたところだった。


複数のモニターに映っていた行政データはすべて閉じられ、残るはログの完全消去だけ。


彼は同時に三枚のキーボードを操作しながら、ぼそりと呟いた。


「ふぅ……やっと終わったよ」


やつらが死んだ後、不正が露見しないように証拠を隠滅してくれ――

マサの頼みだった。

「裏」でやると決めた以上、情報の痕跡もまた“処理”する必要がある。


「なかなかにエグい仕事だったよ……」


彼は椅子から立ち上がり、背伸びをしながらため息をひとつ吐く。


窓の外には、どこか遠くで祭囃子が鳴っていた。


(……マサが羨ましいよ)


ふと思う。


誰かのために動ける心。

誰かを、好きになれる心。


「……自分も、そんなふうに……誰かを思えるようになれるのかな」


その言葉は、誰に向けたものでもなかった。

ただ、静かに、部屋の空気に溶けていった。


ーーーーー


それから毎年、お盆の時期になると、マサのたこ焼き屋は数日間だけ姿を消すようになった。

どこで何をしているのか、誰も聞かないし、マサも語らない。

けれど、あの初夏を覚えている者は、なんとなく、察していた。


物語は、終わりではない。


正義も、怒りも、救いも。

人が生きる限り、そのすべては、きっとどこかに存在し続ける。


たこ焼きの香りの中で。

冷えたモニターの奥で。


そしてまた、誰かの五六銭が、神を動かすときが来る。


どこかで初蝉が鳴いた……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ