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第五話 空っぽの正義、矛先のない翼

風のように軽やかに空を舞う小さな機体。

それは、凛のドローンだった。


校庭の上空を、くるくると宙返りしながら、地面ギリギリをすれすれで滑空していく。

男子たちは「おおっ!」と歓声を上げ、スマホで動画を撮りながら群がっていた。


「おい、今の見た? あのターン、エグくね?」

「いや、マジで戦闘機じゃんあれ……」

挿絵(By みてみん)

興奮した声の中、操縦を終えた凛は、コントローラーを肩にかけて満足げに笑った。

サイドポケットにはいつも工具が入っていて、ネジもパーツも手作りだった。


――けど、その光景が面白くない連中もいる。


主に女子。


理由は簡単。男子と仲良くしてるから。

自分たちより目立ってるから。

あと、たぶん胸が……その、わかりやすく勝ってるから。


クラスの女子グループのリーダーが想いを寄せる男子も、私がドローンを飛ばしてると集まってくる男子の中にいるって…知らんわそんなこと。


直接的な暴力はない。

けれど、陰口、シカト、無言の圧――いわゆる、女の陰湿ないじめが、凛の周囲には当たり前にあった。


(くだらない)


凛はいつも涼しい顔で、そう思っていた。


男だ女だってうるさいわりに、自分の女を磨くこともせず、

(それは見た目だけじゃなくて性格も…)

そんな彼女たちの服の前は断崖絶壁で、体育着に着替える更衣室では鼻で笑ったこともある。


凛は、そういう視線や声には慣れていた。

だから、いちいち気にすることもない。

そんな時間があるなら、ドローンのスロットル調整でもしていたい。


ーーーーー


一方、咲は咲で、自分なりの視点を持っていた。


「お姉ちゃんはすごいなあ」


そう言いながら、いつも少し離れた場所から凛の飛行を見ていた。

けれど、咲は自分が姉に勝てないことを、はじめから理解していた。


凛のように、アクロバット飛行をやって見せるような手先の器用さも、即座の空間判断力も、咲にはなかった。


でも。


ある日、咲はネットである動画を見て、ひらめいた。


小型ドローンが、AIでターゲットを自動追尾しながら撮影している。

動きに合わせてカメラがブレず、滑らかに相手を捉えていく。


(これなら、私にだってできるかも)


咲は、AI搭載の半自律型小型ドローンを自作しはじめた。

スマホのアプリで、複数機を同時に飛ばすシステムも組み込んだ。

ターゲットから常に一定距離を保ちつつ、障害物が近づくと自動回避も行うという優れものだ。


自身の周りを飛び回る10機の小型ドローンと戯れる咲。

まるで妖精と遊んでいるかのようなその姿は、

やがて「凛の妹」ではなく、「咲」という存在を周囲に印象づけていく。

挿絵(By みてみん)

表向きは物静かでおとなしい。

けれど、その心の奥は姉以上に冷ややかだった。


(どうせ、あと一年。高校に行けば、ここにいる人たちの大半とはさようなら)


無視されるなら、無視し返すだけ。

視界に入れないだけ。

それが咲の処世術だった。


「……まあ、どうでもいいけどね」


そう言いながら、咲はまたひとつ、ドローンの設定を更新する。


それはまだ、『神の目』になる前の彼女たち。

けれど――その才能と冷たさは、すでに研ぎ澄まされつつあった。


ーーーーー


朝。

姉妹はリビングで並んで朝食をとっていた。

テレビではいつもの情報番組が流れ、安っぽい音楽のあと、重たいニュースが読み上げられる。


『では次のニュースです。

昨日の夜、都内の高校で、男子高校生が校舎から転落し死亡しました。

高校生の自宅からは遺書とみられる物も見つかっており、警察では自殺とみて慎重に捜査を進めていくとのことです。

学校側は現在、いじめなどの可能性を含めて調査中とのことで――』


咲はヨーグルトをかき混ぜ、凛はトーストをかじる。

二人とも、特に驚いた様子もなく、画面に視線を向けることすらしない。


「……まあ、飛び降りって言ったら、いじめでしょ」

凛がパンをもぐもぐしながら、気怠げに言った。


「男子かぁ。最近、男の子のほうが繊細なんだね」


「男とか女とか、関係ないでしょ」

咲が言葉を継ぐ。「壊れるときは、誰だって壊れる」


凛はふと、自分の胸元を見下ろす。

Tシャツの上からでもはっきりわかる、出るところが出たボディライン。

そして、数秒だけ視線を落としたまま、ぽつりと口を開く。


「……うちは断崖絶壁に何か言われても気にしない体質だからなー」


咲はくすっと笑いながら、「向こうが無視するなら、こっちも見ないだけだし」と返した。


「でも……この子は、我慢できなかったんだね」

咲の手が止まる。スプーンを持ったまま、わずかに俯く。


「ポジティブに流すか、ネガティブに囚われるか。その差だけ」


そのとき、テレビに校舎の映像が映る。


凛が一瞬、目を細めた。


「……ん? 今、うちの学校じゃなかった?」


「たぶん、そう」


咲が小さく頷いた。


「うちの高校に、いじめ……あるか。自分たちが受けてんだから」


凛の言葉に、短い沈黙が落ちる。


咲がぽつりと呟く。


「……なんか、キナ臭くなりそう」


それは、誰かの死から始まる朝。

そして、誰かの正義が燃えはじめる夜の予兆だった。


ーーーーー


テレビ画面の中、制服姿の生徒たちが一列に並び、花を手向ける。

その後ろには、校門前に集まった報道陣と、怒鳴り声をあげる保護者たちの姿。


そして、場所は変わって、学校内。

視聴覚室の壇上に、校長・教頭・担任教師が並ぶ。

記者たちのカメラが一斉にシャッター音を鳴らし、その下で会見は始まった。


「このたびは、本校の生徒が亡くなるという、痛ましい出来事が起こってしまいました。

心よりお悔やみ申し上げますとともに、保護者の皆さまにご心配をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます……」


壇上で深々と頭を下げるのは、校長。


隣の教頭が、資料を手に続ける。


「校内で設置された調査委員会により、関係生徒への聞き取り、アンケート調査を行いましたが…

現時点で《いじめがあった》と明確に認定できる事実は、確認できませんでした」


その言葉が終わる前に、前列の記者が手を挙げずに声を上げる。


「『確認できなかった』とは、どういう意味ですか?

いじめは『なかった』と断定されるのですか?」


壇上がわずかにざわつく。

校長がマイクを握り直し、ぎこちなく言葉を継ぐ。


「……その、ええ、つまりですね……『確証が得られなかった』という意味でして……」


「亡くなった生徒が、泣きながら帰宅していたという証言がありますが?」

「『死にたい』とつぶやいていた、という生徒の証言も……」

「その辺りは、調査に含まれていないのですか?」


矢継ぎ早の質問に、教頭が口を挟むこともできず、校長は目を伏せる。


「ふざけるなっ!!」


突如、後方、列の中から響いた怒声。


立ち上がったのは、遺族の父親だった。


「うちの子が死んだんだぞ!

それで“確認できない”で済ませるのか!?」


会場が一瞬、静まる。


そして――怒りが連鎖するように、保護者たちからの罵声が次々と飛び始めた。


「事実を隠す気!?」 「どうせ内申点守りたいだけなんでしょ!」 「また、なかったことにする気ですか?」


会場の空気が騒然と揺れ、壇上の教員たちは身動きがとれなくなる。


その中で、教育委員会の担当者が硬い表情で口を開いた。


「なお、遺族側は、第三者による調査委員会の立ち上げを表明されました。

我々としましては、誠意ある対応を――」


しかしその声は、誰の耳にも届かなかった。


怒号の海。責任のたらい回し。

誰もが“正しさ”を主張し、誰もが“自分は違う”と胸を張る。


ーーーーー


画面の中の彼らを、冷めた目で見つめながら、

リモコンを手に取った咲が、パチンとテレビを消した。


リビングには静寂が戻る。


「……ねえ、これ、完全に詰んでるよね」


凛が、残ったパンの耳をちぎりながらつぶやいた。


咲はなにも言わず、目を伏せたまま、スプーンを置いた。


《確認できなかった》

《証拠がない》

《誰も知らなかった》


それが『真実を殺す言葉』だと、彼女たちは知っていた。


問題は、泥沼化していく。


そして――

誰かの怒りが、ついに正義の仮面を欲しはじめていた。


ーーーーー


ニュースが炎上していた。

ネットでは「学校側の隠蔽だ」と書き立てられ、

ワイドショーでは「心のケア不足」だの「教育体制の限界」だのと無責任な識者が喋っていた。


けれど、真相は何一つ出てこない。


姉妹は、自室の一角に並んで座っていた。

机の上には咲の工具箱と凛のノートPC。

普段ならドローンの調整か、趣味の設計図で盛り上がる時間。


だが今夜は、少し違う空気が漂っていた。


ーーーーー


「アンケートなんて、無意味だよね」

咲がスプーンでココアをくるくる混ぜながら言った。


「いじめてる側が、《はい、私です》って書くわけないし」


凛がソファに寝転んだまま、鼻を鳴らす。


「書くのはたぶん、被害者くらい。

でも、その子もう死んでるし。はい調査不能。おしまいってやつでしょ」


咲は天井を見上げたまま、つぶやく。


「この学校にはね、三種類しかいないの。

《いじめてる奴》と《気づいてない奴》と《無関心な奴》」


それだけで構成されてる。

「見ないふり」も「知らないふり」も、すべて罪だと思うのに。


咲はそう言いながら、机の引き出しをごそごそと探り始めた。


「なにしてんの?」

凛がちらりと横目を向ける。


「あった。ほらこれ、前に作ったやつ」

咲が取り出したのは、指先に乗るほどの超小型ドローン。


「これ……豆粒じゃん」

「ドローンって、どこまで小さくできるかって実験用で作ったやつ。

2センチしかない。飛行時間も短いけど、静音性は抜群」


咲はもうひとつ、小さなパーツを出してきた。


「これが、モーションセンサー付きのマイクカメラ。

当時はうまくはめ込めなかったんだけど、ちょっと改造すれば――」


慣れた手つきで、咲は配線をつなぎ始める。

半田ごての先がチリ、と音を立てた。


凛が椅子を回し、机に身を乗り出す。


「それ、盗聴器版のドローン?」


「観察機だよ。教室のロッカーの上にでも置いて飛ばせば……

『ヒソヒソ』は全部拾えるよ。

たとえば――《あの子、自分から飛んだくせに》とか《面倒くさいのが消えて助かった》とか」


咲の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。

それは悪意とも正義感ともつかない、不思議な光だった。


凛はしばらく無言で、それを見ていたが……

やがて、唇を吊り上げて、いたずらっぽく笑った。


「……面白そう。それ、やろう」


咲も笑った。


どこか火がついたように、軽やかで悪戯っぽく。

だけどその笑いの奥には、冷たい結晶のような意思があった。


「見なかったことにする」時代は、もう終わったのかもしれない。

彼女たちは、自分たちの《目》で、真実を暴こうとしていた。


たとえそれが、遊び半分から始まったことであっても。


ーーーーー


学校は、再び会見を開いた。


生徒の死亡事件が報道されてから数日。

学校関係者の会見対応には批判が集まり、世論の圧力が一気に高まったためだった。


今回は、保護者や遺族の立ち会いも許可された。

視聴覚室には記者、教育委員会の担当者、そして保護者たちが詰めかけ、壇上には再び校長、教頭、担任らが並ぶ。


ピンと張りつめた空気のなか、校長がマイクを持つ。


「……本日は、皆様に追加のご報告を――」


その瞬間だった。

会場の照明が一瞬だけ揺れたように感じた次の瞬間、背後の大型モニターが自動的に点灯した。


教員たちが反応するより早く、映像が再生されはじめる。


画面には――学校内の映像。


とある教室、窓際の席で女生徒が机に貼られた落書きを見て凍りつく。

「しね」「キモい」「消えろ」――マジックで書かれたそれを、無言で撮影するスマホ。

笑い声が後ろから響く。


「うわ、マジで来てんじゃん」 「メンタル強すぎでしょ、キモ」


場面が変わる。

職員室の隅。教師二人が雑談している。


「また泣いて帰ったらしいよ、例の子」

「あー……でもまあ、『かまってちゃん』でしょ、あのタイプ」


廊下の映像。校長と教頭が並んで話している。


「教育委員会からもプレッシャーが来てます」

「『自殺願望が強かった』って方向で、調整してください」


沈黙。

映像が止まり、会場に無数の視線が注がれる。


一秒、二秒――空白の時間。


そして、堰を切ったように怒号が飛び交った。


「今の、どういうことですか!?」

「まさか……これ、学校の中で……!?」


「説明してください!!」

「嘘だと言ってくださいッ!!」


保護者たちが立ち上がり、記者たちが一斉にシャッターを切り、

壇上の教員たちは固まったまま身動きがとれない。


校長の顔が、青ざめながら歪む。


「な、なんですか今の映像は……!? 誰が……!?」


教頭は資料をばら撒きながら立ち上がり、教育委員長は小さくうめくように言う。


「……これは、情報漏洩だ。どうして……こんな、映像が……」


誰もが混乱し、怒り、恐れていた。


ーーーーー


そのころ――


学校の裏庭。

誰もいないベンチに腰掛けて、凛と咲は並んでタブレットを見つめていた。


再生される映像と、それに対するSNSのコメント。

「胸糞悪い」「潰れろこの学校」「クズ教師は処分しろ」


「すごい火力。トレンド入りおめでとう」

咲が、ふっと鼻で笑う。


「校長の顔、止め絵で保存したいくらいだったね」

凛がジュースのストローをくわえたまま呟く。


ーーーーー


その頃――


別の場所。

暗い部屋、モニターがずらりと並ぶ部屋の中央。

カーテンの閉まったその空間に響くのは、爆笑の声。


「っはははっ、マジかよ! 見たかあの顔っ!

自殺願望が強かった”だと!? ふざけんなっての!」


隼人。

恨討人の『神の目』、ハッカー担当。

PCの一つに再生されていたのは、まさに今テレビで流れている会見の生中継だった。


彼の足元には、AI音声生成の台本ファイルと、ボイス合成ソフトのログ。


そう――あの会話の一部は、作られたものだった。


音声の半分は、実際の教職員たちの声をドローンマイクが拾ったもの。

だが、残りの半分は、隼人が咲と凛から渡された“草案”をもとにAIで生成した合成音声だった。


その会話内容は、すべて《限りなく真実に近い嘘》。

事実であると断定できない。

でも、きっと、こういうことを「あいつら」は言っている。

そう、確信できる内容だった。


「ハッキングと捏造の合わせ技、天才じゃね?」

隼人が肩を震わせながらPCを操作する。


「やっぱあの姉妹、最高。あいつらのいたずら、マジ本物すぎるわ」


そして、三人のいたずらは、社会を動かす『正義の火種』に変わっていく。


本当と嘘の境界線なんて、曖昧でいい。

求められていたのは“明らかになること”ではなく、《制裁されること》なのだから。


ーーーーー


その日、占見野神社には、奇妙な偶然が重なった。


わずか数時間のあいだに、3人の人間が、時間をずらしてやってきた。

それぞれが、小さな想いと、ひと握りの小銭を握りしめて――。


一人目は校長


足早に階段を上り、スーツ姿のまま賽銭箱に向かう男。

震える手で取り出したのは、五六円。

古びた十円玉と一円玉を何枚か合わせた、小さな束。


「……わしをおとしいれた奴に天罰を……」

「こんな、理不尽な仕打ち……許されていいわけがない……」


祈りとも、呪いともつかぬ声。

その背中を、カラスが一羽、上から見下ろしていた。


社の奥。隼人と次のいたずらの相談に来ていた姉妹は、モニター越しにその様子を見ていた。

咲がぽつりと漏らす。


「来たね、逆恨み案件」


凛はあくび交じりに画面を見つめた。


「自分が燃えてるのに《火をつけたのは誰だ》とか言ってんの、笑える」


神主は静かに手を合わせながら、言った。


「却下」


それに姉妹は「異議ナーシ」と手を上げて答える。


「でも、五六銭は絶対なんじゃなかったっけ?」


凛がからかうように言えば、神主は目を細めて言葉を返す。


「正当な願い、であればね。恨みは選びますよ」


咲は隣でふと笑みを浮かべた。


「念のため、お姉ちゃんのことやっとくね」


「え、ちょ、やめ――あっ!?」

凛が驚いた声を上げたのは、咲が不意に脇腹をツンと突いたからだ。


「へぅっ!? て、てめぇ、やったな……」


咲が、今度は凛の声を完璧に真似て返す。


「へぅっ!? て、てめぇ、やったな……!」


凛が唖然として固まり、咲がケラケラと笑う。


「はい、今のでふたりともー死にましたー」

「この件、終了っと」


「……軽すぎんだよ、ウチら」


だが、その後のふたりは、一転して真剣な表情になった。


次に訪れたのは、一人の女子生徒。

眼鏡をかけ、制服の裾を握りしめながら、五六銭を賽銭箱に投げ入れる。


「……彼を殺したのは、あの子たち。図書館の後ろで……全部、録ってました」


ポケットの中を探ると「これが……証拠です」


そっと賽銭箱の脇にSDカードを置き、深々と頭を下げて去っていく姿は、風にさらわれる影のようだった。


「……これ、来たね」

咲が声を潜めたまま言う。


凛は黙ってうなずく。


そして三人目。

雨の気配を孕んだ曇り空の下、傘をさして現れたのは――亡くなった男子生徒の母親だった。


彼女は一礼し、小さく五六銭を置いた。


「どうか、息子の死に、意味をください……」

「せめて、あの子が苦しんだ理由だけでも、知りたい……」


涙は見せず、ただ静かに、背筋を伸ばして去っていく姿に、

神主は軽く目を閉じ、唇を引き結んだ。


「……この願いは、受け取ろう」


社の静寂の中、凛が腕を組んで言う。


「でも、さぁ。いじめっ子全員やったら、生徒皆殺しにならない?」


咲も眉をひそめる。


「今さら首謀者もわからないしね。

証拠があっても、それで線が引けるとは限らないし……」


ふたりはしばらく黙り込み――そして、同時に言った。


「とりあえず、一晩、それぞれ考えよう」


ーーーーー


その夜。


もうひとつの『出来事』が、静かに始まっていた。


場所は学校の裏手。

人気のない屋外のベンチに、一人の女子生徒が腰掛けていた。


転入初日で、すでにクラスに溶け込み、陽キャラ扱いされていた彼女。

だがその笑顔とは裏腹に、今夜だけは声のトーンが変わっていた。


彼女はスマートフォンを耳に当て、誰かと通話している。


「……はい。無事に、潜入しました」

「クラス内の信頼獲得は順調です。警戒されている様子はありません」


声は落ち着いていて、よどみがない。


風が梢を揺らし、薄曇りの夜空に、うっすらと月が浮かんでいた。


「ターゲットとの接触は……慎重に。状況をもう少し見ます」


まるで、すべてを計算しているかのように、小さく唇で笑った。


ーーーーー


翌日放課後。


人気のない部室棟の最上階。

その一番奥――プレートも外れかけた旧科学部室は、今や彼女たちの拠点になっていた。


床にはコードが這い、作業机の上には改造途中のフレームと小型基板。

凛はドローンのローター部分に細工を施しながら、口に綿棒をくわえている。

咲は隣で、回路をいじりながらノートPCで制御アプリを調整していた。


ふたりきり。

いつもの空気。

それが一変したのは、不意にドアがノックされたときだった。


「失礼しま〜す♪」


軽やかな声とともに、ひょいとドアを開けたのは――


柊志乃。

ツインテールに眼鏡をかけた、清楚系の転入生。

初日からクラスに溶け込み、すでに何人もとSNSを交換し終えている陽キャ……

の皮をかぶった、明らかな《異物》。


笑顔のまま、部屋の空気を読むこともなく、彼女は一歩踏み入れてきた。


「ねぇねぇ、キミたちのドローン、すごいらしいねぇ?

飛ばしてるの、ちょっと見せてくれない?」


凛と咲は、工具を持ったまま顔を上げる。

目だけで会話する、いつもの無言の連携。


(来たな、胡散臭いやつ)


(はい警戒モード)


凛が立ち上がり、無表情に言った。


「別にいいけど。何かの参考資料?」


「ううん、ただの興味。ドローンって詳しくなくてさぁ」

志乃は目を細めて微笑んだ。「でもね、ちょっと憧れてたの。空、飛びたいって」


咲がじっと志乃を見ながら、静かに言う。


「ずいぶんと友達作りまくってるみたいだけど、何?」


「ん?」


「……なんか嗅ぎ回ってるの?」


その一言に、空気がピタリと止まる。


志乃の笑顔が、一瞬だけピクリと硬直した。

けれど、すぐに肩をすくめて笑い飛ばした。


「えー? なにそれ、怖いなあ。

たださ、友達百人作りたいだけだよ? 小学校の頃、そう歌ったでしょ?」


凛が口元をつり上げる。


「そっちは百人、こっちは二機。

数は違えど、目的は似てるかもね」


志乃はくすくすと笑いながら部室を見回す。

が、ふたりの机の奥には立ち入らず、それ以上の詮索はせずに「ありがと〜、また来るね〜」と手を振って去っていった。


扉が閉まる。


咲がすぐさまドアに駆け寄り、小型のスティッキーマイクを取り外す。


「……盗聴なし。足音の響きも軽装。

何より、あの動き、ただ者じゃない」


「転校生が清楚系で陽キャでドローンに興味津々……

はい、全部盛り。絶対ウソ」


凛が腕を組みながら言った。


「でも、可愛い顔して、あれ……たぶん、戦闘経験あるよ」


咲がぽつりと呟いたその声には、ほんの少しだけ『楽しさ』が滲んでいた。


ーーーーー


そして、ふたりがその件を神社で報告した夜――


「――ってことがあってさ」


凛がそう言いながら、スマホを机に置いた。

画面には『神の社』アプリのインターフェース。

メンバー専用の暗号化されたチャットルームで、情報が共有される。


会話はテキストだけでなく、音声も映像も即座に連携され、

神社の奥、そしてそれぞれの端末へと繋がっていく。


咲が指を滑らせながらつぶやく。


「なんか変なんだよね……あの転校生。言葉の選び方とか、所作とか。

《初々しい感じが全然ない》っていうか」


「転校してきたタイミングも良すぎるよ。

自殺騒動が炎上して、学校が注目され始めたちょうどその時に――」


凛の言葉に、画面の向こうから別の声が入った。


「そりゃ、文科省の人間かもしれんぞ」


本田主哉。刑事にして『神の矛』の一人。

タブレット越しにいつもの無精髭と眠たげな目が映る。


「……文科省?」


凛が目を細める。


主哉はうなずきながら、缶コーヒーを開ける音を立てた。


「噂でしか聞いたことはねぇがな。

《学校で問題が起きたとき、潜入捜査を行う裏の組織》があるらしいんだ。

正式には存在しないことにはなってるらしいんだがな」


「それ、《E.L.O.》のことだね」


声を挟んだのは、隼人。

大学生ハッカー、『神の目:百眼(ひゃくがん)』を司る者。


「正式名称は、文部科学省教育矯正特務室。

『Education Reform Operations』、通称はイーエルオー。

表向きは『教育環境調査室』って肩書になってる。

でも実際には、問題のある学校に「教師」「保護者」「転入生」――

いろんな肩書で潜入して、調査・工作・制裁までやるって噂」


「つまり、国が運営してる非公式の裏組織ってこと……?」


咲が聞き返すと、隼人は肩をすくめた。


「その通り。

だからさ、向こうはこっちの情報を掴んでて、二人に接触してきた可能性もゼロじゃない。

……まあ確証はないけどね。

でも《あの子が普通じゃない》って感覚、あながち間違ってないと思うよ」


「……だからか」


ぽつりと、凛がつぶやいた。


「今、やっとわかった。ずっと感じてた違和感の正体」


主哉が眉をひそめる。


「違和感?」


凛は腕を組みながら、真剣な顔で言う。


「あの転校生――柊志乃。

見た目は私たちと同い年にしか見えないけど……

多分、アレ、おばさんだよ」


咲もすぐに頷く。


「喋り方、間の取り方、空間把握能力……あれは、《訓練されてる》って感じ」


通信越しにしばし沈黙が走る。

その静けさを破ったのは、またしても隼人だった。


「でさ。話変わるけど――

例の女の子が五六銭と一緒に置いてったSDカード。中身見てみたんだけどさ」


凛と咲が同時に顔を上げる。


「いじめの主犯、わかっちゃった。

顔、名前、音声、行動……全部そろってる。

……さて、どうする?」


「正直、俺は未成年を殺るってのは、気が乗らねぇな」


主哉がそう口にしたとき、映像越しに彼の目は真剣だった。


「法じゃ裁けねぇからって、子供まで神威で捌くのは……

どうしても、ブレーキ踏みたくなる」


「……五六銭の掟は絶対です」


神主が、静かに口を開いた。

その声はどこまでも落ち着いていて、静かに重い。


「とはいえ――私も影打と同意なのですよ」

間をおいて続ける。

「ただ、《命を奪う》ということだけが、仕事ではないと思います。

精神的に殺す、社会的に殺す、未来を断つ……やり方は、いくらでもあるかと」


(命を奪わない殺し…か)


凛が何かを思うかのように、前のめりになって言う。


「……今回の仕事、私たちに任せてもらえないかな」


咲は横で、少しだけ躊躇したように息を吸ってから、頷いた。


「私はいいけど……」


凛が小さく笑う。


「命を奪わなくていいっていうなら――

私たちのやり方で、この仕事、完結させます」


彼女たちは、正義の名を借りた罰ではなく、

『精密な制裁』を始めようとしていた。


恨みの重さが呼び寄せたのは、血ではない。

壊す快楽でもない。


ただの、『美しい正しさ』だった。


ーーーーー


「……とは言ったものの、実際どうしよう」


凛が小さく唸る。

唇の端に工具をくわえたまま、スパゲッティみたいに散らかった配線を前にして頭を抱えていた。


命を奪わない殺し方…...刃は使わない。

けれど、それ以外の『殺し方』を考えるのは、彼女にとって想像以上に骨が折れる作業だった。


一方その隣――咲はすでに『作業中』だった。


タブレット端末に映るのは、昼下がりの校舎裏。

対象生徒の姿が20メートル離れた場所からズームアップされている。


屋上付近に浮かぶのは、咲スペシャル。

視認性を限りなくゼロに近づけたミラーコーティング仕様の小型ドローン。


搭載されているのは、ジャンクショップで買った壊れたスマホから取り出した旧式カメラ。

しかし、レンズの調整とズーム補正は咲の手でチューンされ、最大21倍ズームでも像がぶれない。


「……で、さー、それマジうけんだけどー」

「やばいってそれはマジでガチで」


会話は音声こそ拾えないものの、AIが表情筋と口の動きを解析して、内容を自動でテキスト化していた。


そのウィンドウには、どうでもいい雑談が延々とスクロールされていく。


咲がため息をつく。


「……くだらない会話ばっかり。何か、弱みの一つでも見せればいいのに……」


そのときだった。


「ずいぶん、おもしろいことやってるんだね」


――声。


はっとして顔を上げたとき、すぐそこに、柊志乃がいた。


ツインテールに眼鏡。制服のリボンは微妙にズレていて、完璧すぎる「高校生らしさ」が、逆に不自然だった。


咲は思わず身体を引き、反射的にタブレットを閉じた。


(やば……集中しすぎて、まったく気づかなかった)


志乃は構うことなく、するすると歩み寄り、モニターのそばに視線を落とす。


「この子たちが、いじめの主犯なの?」


「……そういう可能性が高いです」


咲の声は、少しだけ硬かった。


志乃は頷くと、声を潜めて訊いた。


「……で。あなたたち、殺すの?」


その瞬間、彼女の笑顔がすっと消え、瞳だけが獣のような光を宿した。


凛が迷わず答える。


「命は取らないよ。ただ、社会的には死んでもらうけど」


志乃の目元が緩み、再び穏やかな笑顔に戻る。


「……そうなんだ。てっきり、あなたたち《復讐の代理人》は、例外なくみんな殺すものかと思ってたわ」


咲は一瞬だけ沈黙し、視線を志乃の横顔に向けた。


「――あなたは一体、どこまで知ってるんですか? ……文科省の人」


その問いに、志乃は少し笑って、答える。


「あなたが私たちのことを知ってるくらいには――私も、あなたたちのことを知っているのよ」


その時、作業机の下に隠れて、ドローンの羽根を調整していた凛が、ぽつりと呟いた。


「……ロリババァ」


静寂。


志乃がピクリと反応し、首を傾ける。


「……あれぇ? 今なんか、聞こえちゃいけない言葉が聞こえたかしら?」


凛が工具を片手に立ち上がり、ニヤリと笑う。


「いやいや、その歳で女子高生スタイルって……ちょっとイタタ……」


志乃は笑顔のまま、指先で髪をくるくると巻いた。


「今は多様性の時代なの。誰がどんな格好しようが、自由なのよ」

志乃は、微笑んだまま背筋を伸ばす。その姿には、ただの冗談で片付けられない圧があった。


咲は、そのやり取りを見ながら、思った。


(この二人……もしかして、似た者同士なのかも)


同じ獣。

違う檻にいるだけで、本質は案外――近いのかもしれない。


ーーーーー

挿絵(By みてみん)

「で、実際どうするつもりなのよ?」


そう言いながら、柊志乃はテーブルの上に置かれた駄菓子――デリシャス棒のコンポタ味を器用に片手で開けていた。


咲が眉をひそめる。


「なんで当たり前のようにお菓子食べてるんですか……?」


「いいじゃない。こう見えて正体隠しての潜入調査って、地味に疲れるのよ」


志乃はパリパリと袋を開けながら、実に自然な動きでその辺の椅子に座った。


凛は足を組みながら腕を組んで、気怠そうに言った。

「それが決まらないから悩んでるんじゃない。

命は取らないって決めたけど、それだけじゃゴールにならないの」


咲は駄菓子をくわえたままの志乃に、視線だけを向けた。


「でも私達って、あなたから見れば『殺し屋』ですよ。

公務員の立場から、捕まえたりしなくていいのかって……そう思いませんか?」


志乃の目が細くなる。


「そうね。確かに私は国側の人間。

あなた達は、ただの『一般人』、それも『裏の人間』だからね」


志乃はコンポタ味をひとかじりして、静かに笑った。


「でもね、実際のところ――あなたたちの存在を把握してるのは、私たちだけじゃないのよ。

警察の上層部、公安の一部……とっくに情報は回ってる。

それでも逮捕されないのは、誰もが分かってるから」


「分かってる?」


「そう。法律の限界と、晴らせぬ恨みがこの世に存在してしまう現実よ」


室内の空気が、ふっと静かになる。


「もしも本当に、《すべての罪人を正しく捌ける世界》があるなら、それが一番ベスト。

でも、リアルは違う。

だからこそ、組織の上層部はあなたたちを黙認してるの」


志乃は視線をふたりに向ける。

眼鏡越しのその目は、驚くほど静かだった。


「今回、私がこの学校に派遣されたのは、もちろん『いじめの真相調査』のこともあるけど――

あなたたちへの接触が、もうひとつの目的だったの」


凛と咲の目がわずかに見開かれる。


「復讐の代理人が在籍する高校で、自殺があった。

……分かるでしょ? 上の人間がどんなことを想定するかなんて」


その瞬間。


「お姉ちゃん、これ見て!」


咲の声が弾けた。


凛と志乃が振り返ると、咲がタブレットの画面を差し出していた。


そこには、ドローンのAI解析によって拾われた、ある会話のログが映っていた。


「まじムカつくー、水島セナのライブ、抽選ハズれたし……」

「まじかよ、めちゃ楽しみにしてたのに」

「私なんか親との食事の約束断ったのよ」


咲と凛は、ほぼ同時に顔を見合わせ、叫んだ。


「これだ!!」


ーーーーー


「ふっふーん♪」


廊下をスキップするように歩く凛の手には、何かが握られていた。

ターゲットはすでに視界に入っている――あの、騒がしく笑い合う女子三人組。


いじめの主犯格。

咲と隼人が特定し、咲のドローンが動かぬ証拠を押さえた、あの三人。


凛は歩みを緩めず、そのまま彼女たちの前に立ちふさがる。


「よっ」


「は? 何こいつ……」


「おいおい、ドローン姉じゃん。気持ち悪ぃから、どっか消えてくんね?」


凛はにこにこと笑いながら、手の中に握っていたものをふっとかざした。


「これなーんだ?」


三枚の紙。

それを見た瞬間、三人の表情が一気に変わった。


「……え、それって……」


「水島セナのライブチケット」


凛はその名を、まるで魔法の呪文のように口にした。


「実はさ、ちょっとした知り合いなんだよね〜、()()()()


そして怪しげな笑みを浮かべると


「私がお願いすれば、こんなのいくらでも手に入れられるんだ〜。

抽選……外れたんでしょ? ほ・し・い?」


三人の視線が釘付けになったまま、口が開いたり閉じたりを繰り返す。


「ま、まじで……?」


「くれるのかよ……?」


「うん。あげてもいいけど――そのかわり、私と咲のこと、これから「様」付けで呼ぶことね」


「は? 冗談じゃねえ、なんで――」


「ちなみに、ライブ終わったあと、サインと握手も頼んであげてもいいよ〜?」


一瞬の沈黙。そして。


「……凛様、お願いです! そのチケットを、お譲りください!」


(ちょろ)

凛は心の中で、にやりと笑った。


ーーーーー


そして当日の夜。

セナのライブのあと、三人は凛に連れられて、とある個室へと案内される。


扉を開けると、甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。

アロマでもない、香水でもない――けれど、心の奥にじわりと染み込んでくるような、心地よさ。


その部屋の奥に立っていたのは、水島セナ本人だった。


長い黒髪に淡いドレス、そして静かに笑う唇。


「あなたたちが凛と咲のお友達? それとも……子分かしら?」


「……は、はい! 忠実な子分ですっ!」


「ふふ、いい子たちね」


それからは、夢のような時間だった。


セナの声は心に溶け込み、香りは思考をほどいていく。


彼女の言葉が優しく、穏やかに、しかし確かに、三人の心に爪を立てていく。


「あなたたちが、追い詰めて、彼を死なせたのね」


「今は遠くから、あなたたちのことを見ているの。彼は怖がりだからね」


「でもね……彼は、毎日一歩ずつ、少しずつ、あなたたちに近づいてくるの」


「一年もすれば、あなたたちの目の前に現れるかもしれない」


「もし――彼に触れられたら、その瞬間に、あなたたちの人生は、終わりね」


「……そうならないためには、心から謝りなさい。心の底から、悔いなさい」


言葉が終わるとき、三人の表情は抜け殻のように虚ろだった。


けれど、セナがそっと手を差し伸べると、彼女たちは歓喜の笑顔を浮かべた。


サイン。握手。

夢のような報酬を手にした三人は、満足そうに帰っていった。


その視界の中に、

かつて自分たちが追い詰めた、あの少年の幻が見えているとも知らずに。


部屋に残ったのは、凛と咲、そしてセナ。


「……相変わらず見事な催眠術でしたね」


咲が感嘆混じりに言う。


セナは肩をすくめた。


「二人のお願いだから聞いてあげたけど……私のライブ、こんなことに使ってほしくなかったな〜」


「……すいません」


凛が頭を下げる。


けれど次の瞬間、セナはくすっと笑って、軽く指を立てた。


「ウソ♪ いつも空から見守ってくれて、ありがとね」


夜風が、甘い香りの残り香をさらっていった。


ーーーーー


「で、なんであなたは当たり前の顔してここにいるわけ?」


部室の扉を開けた凛は、目の前の光景に小さくため息をついた。


テーブルの上には開封されたばかりの駄菓子。

そして、その真ん中に座ってポリポリとせんべいをかじるのは――柊志乃。


「いやー、上から《監視》と《繋ぎ》の任務を言い渡されちゃってさぁ。

たぶん卒業まで一緒にいることになると思うから、よろしくね?」


そう言って笑う志乃に、咲もあきれ顔を浮かべる。


「監視される側が見てる目の前でお菓子食べるってどうなんですか…」


「そういうの気にしないタイプなの、私。多様性の時代だしね」


志乃はケラケラと笑いながら、手を伸ばしてラムネをつまんだ。


「それより――あの三人。急に人が変わったらしいじゃない」


「……ん?」


「何でも、幽霊にずっと見られてるって泣きながら言い出してさ。

自分たちから家に帰って、両親に土下座したんだって。

あれ、何やったの? 催眠? ドローン? 香りの罠? 脅迫状? まさか本物の――」


「――企業秘密だよ」


凛と咲が同時に言って、目を合わせて小さく笑った。


志乃は肩をすくめる。


「ま、いいけどさ。結果的に更生したならオーライでしょ?」


夕暮れの光が差し込む部室。

機材の並んだ棚と、工具の散らばる作業机。


その静けさの中で、凛はふと空を見上げた。

思い出すのは、あの日の夜――。


ただの憂さ晴らしだった、深夜のドローン飛行。


校舎の屋上から静かに上昇し、夜の風に乗って街を流す。


その時、たまたまカメラが捉えた――

あの光景。


完璧な構成、無駄のない動き。

一切の迷いも、躊躇もない。


そう――それは、「神威」の瞬間だった。


人が、人を、完璧に殺すという『美』のかたち。


あの日、ショックよりも先に来たのは――感動だった。

鼓動が早くなり、息を呑み、画面から目が離せなかった。


「私、見つけちゃったかもしれない――『本物』を」


それが、すべての始まりだった。


咲と二人、全ての映像を解析し、フライトログから地理情報を割り出し、

神社の屋根に掲げられたわずかな模様から、その場所を突き止めた。


占見野神社。


神職の青年が告げた言葉は、今でも忘れられない。


「あなたたちは、神の目に向いているかもしれませんね――」


私たちは《刃》を持たない。

命を奪うことはできない。


でも、だからこそ『目』として――

どんな些細な悪意も、どんな理不尽も、見逃したくなかった。


「今回のことはさ……私の、いや――私たちの心に、何かを与えてくれた気がするんだよね」


凛がそう呟くと、咲は黙って頷いた。


志乃が食べていたせんべいの袋から一枚をつまみ、ふたりでぱりっと音を立てる。


夕焼けが、部室を金色に染めていた。

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