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間話 正義を名乗れない者たち

いつもの公園にたこ焼きの匂いがない。

主哉はベンチの前で立ち止まり、眉をひそめた。


「……あれ? マサの屋台、ねぇな」


楽しみにしていた昼飯の予定が崩れた。

やれやれと小さく息を吐きながら、仕方なく署へ戻る。すると、正面から課長が歩いてきた。


「本田、ちょっといいか」


「はい。なんでしょう、課長」


「占見野神社って知ってるか?」


その言葉に、主哉の胸が一瞬だけ冷たくなる。

けれど、顔には出さず平静を装った。


「ええ……まあ、近所っちゃ近所ですけど」


「例の女子大生が飛び降りた件な。関係者が“呪いの神社”のせいだって騒いでる。オカルト板でも“本物の呪い神社”とかでバズってるらしい」


「はあ……」


「上は“罪の意識に苛まれた自殺”ってことで片づけたいようだが、証言が出てる以上、完全に放置もできなくてな。

しかしだ、刑事課の手を煩わせるような案件でもないだろうと、うちに聞き込みをするように指示が回ってきた」


主哉は乾いた笑みを浮かべた。


「じゃ、ちょっと様子見てきますよ」


課長は「頼んだぞ」と軽く言って、その場を離れた。


ーーーーー


占見野神社は、いつもと違う賑わいを見せていた。


苔むした参道の石段が、驚くほどきれいに掃き清められている。

境内には参拝客の姿がちらほらとあり、いつの間にか整備された手水舎に列までできている。


「……これはまた、なんの騒ぎだ」


主哉が境内に足を踏み入れると、神主が迎えに出た。


「本田さん。珍しいですね、事件の聞き込みでしょうか」


「まあ、そんなとこです。なんですか、この様子」


「女子大生の友人たちが来られて、神様にお詫びをしたいと。清掃を始められたんです。

心を入れ替える、って言ってました」


「神様に……謝る? なんか筋が違いませんか」


主哉は眉間を押さえた。


神主が視線を向ける先、絵馬掛けには異様な量の“呪いの絵馬”が吊るされている。

なかには名前を伏せたとはいえ、読みようによっては明確な殺意が滲む言葉もある。


「この前、ネットで“本物の呪い神社”として取り上げられましてね。

オカルト板のまとめ動画がバズりまして、参拝客が一気に増えたんですよ」


「ブームかよ……」


呆れる主哉の目に、見慣れた姿が飛び込んできた。


「よぉ、主哉!」


境内の端で、たこ焼きの屋台を出しているマサが手を振っていた。


「……お前、ここでやってんのか」


「公園は人が来なくてな。噂の神社っつったら、来るわ来るわ。

ブームは一瞬だろうが、その波には乗っとかんとな」


鉄板の上でくるくる回されるたこ焼きを横目に、主哉は苦笑する。


その後、神主と本殿の裏手で並んで立った。主哉が低くつぶやく。


「警察が動いてる以上、しばらく仕事は控えたほうがいいと思うぜ。

神社が一枚噛んでたなんて話になったら、目も当てられねぇ」


神主はいつもの穏やかな笑みを崩さず、ゆっくりと首を振った。


「それでも、『神威』は止まりません。

この世から“恨み”がなくならない限り、我々の役目もなくなりませんよ」


「それはそうなんだが…」


主哉がこめかみを押さえると、神主が思い出したように言った。


「そうそう、先日、某衛星放送のオカルト番組の取材が来ましてね。

『本物の呪い神社』としてご紹介いただけるようです」


「あぁ…あたまいてぇ…」


(神様がメディアに出たがる時代か……。

いや、出たがってんのはあの神主だな。

どっちにしろ、呪いだの恨みだのがバズるなんて、世も末だ)


——主哉は、たこ焼きの匂いを鼻に感じながら、境内の絵馬を一瞥した。


ーーーーー


――ジャスティスは時々、夜になると夢を見る。


土埃の舞う裏通り。

割れたビルの窓。

路上に転がる空き瓶と、血の跡。


アメリカのスラムで生まれ育った。

物心ついたときには、もう親はいなかった。


自分の本当の名前も、知らない。


「生きるためなら、なんでもやったよ」


盗み。薬の運び。殺し。

あの街で“普通”に生きる手段なんて、最初からなかった。


――ダズに拾われたのは、仕事でミスって、大怪我して倒れてたときだった。


バウンティハンター。金で指名手配犯を狩る、命の商売人。

彼は、死にかけの私を助けてくれた。

治療してくれた。温かいスープをくれた。毛布をくれた。


「……涙が出た」


ナイフの扱いも、格闘術も、拳銃の撃ち方も、全部、彼に教わった。


ある日、私は言った。


「自分もダズみたいな“正義の味方”になる」って。


彼は、笑いながら、首を横に振った。


『人の命を糧にする俺たちみたいな人間はな、絶対に“正義”になんてなれねぇんだよ』


あれから何年も経って、遠い異国の地で、私はまた同じ言葉を聞いた。


異国の神に仕える断罪者――影打。


『“神の罰の代行者”っつったところで、所詮は人殺しさ。

人殺しが“正義”を名乗っちゃ、いけねぇんだよ』


正義って、何なんだろうね。


「……悩みごとのたびに、私の店に来るのやめていただけませんか。占い師はカウンセラーではないので」


冷たい声に、我に返る。


そこは占いの館『SERAPHIM』。女子高生の間で“当たる”と噂の人気店。


店主は、セラフィム。


表の顔は占い師、裏の顔は教会の断罪者である『聖列』の筆頭。


「いいじゃん。手伝ってあげてんだからさ」

「手伝いが必要なほど大きな店ではありません。……ほら、次のお客様が来ました。奥に行って」

「はーい……」


カーテンの奥へ引っ込むジャスティス。


「次の方、どうぞ」


入ってきたのは、黒髪ポニーテールの少女――水島セナだった。

「よろしくお願いします! 仕事運、占ってほしくて!」


(……まさか、私の正体に気づいた?)


一瞬だけ身構えるが、どうやら無用の心配だったようだ。

彼女は、ただ純粋に未来を占いに来ただけだった。


ジャスティスは水晶に手を添え、軽く呪文を唱える。

彼女なりの“演出”だ。


「あなたの運命は、大きな荒波の中にあります。

ですが、それをあなたは乗り越えられると出ています。

……きっと今以上に成功しますよ。頑張ってくださいね」


「やったぁ! ありがとうございます!」


満面の笑みで出ていくセナの後ろ姿を、カーテンの隙間から見送る。


「彼女には……私が見てきたような闇を、見てほしくないな」


心の奥に、熱いものが灯った。


「正義って、何なんだろうね……」

目を閉じていたジャスティスは、重たいまぶたを上げた。

店の奥のソファに腰かけたまま、彼女は現実に戻ってくる。



ーーーーー


夕暮れ時。警察署・刑事課の一角。


デスクに身を預けたベテラン刑事・山根が、コーヒーをすすりながら資料に目を通していた。

ふと、ポツリと漏らす。


「……復讐の代理人、か」


向かいの若手刑事が顔を上げた。


「なんスかそれ。漫画の読みすぎじゃないっすか?」


「いや、この間の女子大生の件、関係者の中にそんなことを言ってる奴がいたらしい。

“神社で願えば、誰かが仇を討ってくれる”ってな」


「オカルトですよ、そんなの。監視社会ですよ?

今どき全部カメラついてますよ。

ドライブレコーダー、スマホのGPS、防犯カメラ、通行人だって1台づつカメラ持ってるような時代に、人を殺してバレないなんて……」


山根は軽く鼻で笑って、資料に視線を戻す。


「だよな。ただの噂だ。……だけどな、もしも本当にいるとしたら──」


一瞬だけ、資料の一角に写った神社の写真を見つめる。


「そいつはもう、ドラマでも映画でもない。“本物”ってことだ」


山根は、資料の片隅に貼られた神社の写真をじっと見つめながら、コーヒーをすすった。


「……けどな。俺も長いことこの仕事してるが、どうしても『裁けなかった』奴らがいる。

証拠が足りねぇ、目撃者がいねぇ、法の手が届かねぇ……。だが、どう見ても『黒』な連中だ。

そんな時、何度思ったかわかんねぇよ。

こいつらを、このまま野に放っていいのかってな」


若手刑事が言葉を失ったまま、手の動きを止める。


「俺たちは、法を守る側だ。

たとえ不条理でも、“それが正義だ”って言い聞かせてきた。

……でもな、もしも本当に――この世のどこかに『法で裁けぬ悪を狩る者』がいるとしたら」


山根の目が細くなった。


「そいつの手に、どれだけの『正義』が宿っているのか……知りたくもあり、恐ろしくもある」


静かに流れる時間の中、湯気の向こうで神社の写真がゆらいで見えた。


「おう、どうだ、帰りに一杯つき合わねぇか」


「いいっすね。もちろん先輩の奢りですよね?」


「図々しいなぁ。おごってやるから、愚痴くらい聞けよ」


廊下に出て歩く先から主哉が歩いてきた。

肩を並べかけたその瞬間、山根の歩みがピタリと止まる。


「……?」


主哉が怪訝そうに振り返る。


「どうしたんですか?」


「いや……気のせいか。なんか、妙な気配を感じてな。

警察内部に、あんな連中がいるわけ……いや、やっぱり気のせいだな。

俺の刑事の勘も鈍ったか……歳だな」


山根は頭をかきながら、ため息混じりに笑った。


「じゃ、また今度な」


そのまま立ち去る山根を見送り、主哉はポケットからガムを取り出して口に放り込む。


「……一瞬、気づかれたと思ったぜ」


噛みながら、視線を遠くに向ける。


「……山根か。

ああいう『正義』を忘れてない刑事が、一番やっかいなんだよ。

……用心にこしたことはねぇな」


ガムの甘さが妙に口に残るまま、主哉はふたたび静かな廊下を歩き出した。

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