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第十二話 罪に落つ。歪んだ愛に囚われた、母性の檻

夜の街を吹き抜ける風が、どこか冷たかった。


「こちら天眼、上空から周辺警戒中。今のところは歩行者の姿ないよ」

「こちらは真眼、こちらも異常なし。まだ明かりついてるビルとかあるけど、外を見てる人は見当たらないよ」


凛と咲のドローンが上空を回り、


「こちら百眼、あたりの防犯カメラは全部ハック済み。ただ、いつも言うけど車のドライブレコーダーだけは無理だからね。車にだけは気をつけて」


隼人は周辺一帯の防犯カメラを片っ端からハックし、

その情報をミッション用アプリ《神の社》に送信してくる。


「……よし、あたりに問題はないな。行くぜ」


イヤホン越しの凛の声に、主哉とマサはうなずき、アパートの影に紛れた。


恨討人にとっては、いつも通りの仕事。

誰に知られることもなく、

理不尽に命を奪われた者の“恨み”を片づけるだけだ。


──数分後。


仕事を終え、武器を隠し、

二人がいつもの帰路につこうとしたその時。


「……おじさん」


凛の声が、不意に真剣味を帯びた。


「どうした」


「今、ドローンのカメラに気になるものが映った。

その近くの公園……ベンチに男の子が一人で座ってる。

こんな遅い時間にどうしたんだろ。

表の仕事の管轄でしょ? 行ってあげて」


主哉は思わず足を止め、夜空を見上げた。


表の仕事──生活安全課。

子どもが夜に一人でいれば、それは放置できない。


「了解だ。……マサ、先に帰ってろ」


「おう。気ぃつけてな」


別れた後、公園へ向かう主哉。

深夜の公園は、遊具の影が長く伸び、

風がブランコを揺らして不気味な音を立てていた。


そして、街灯に照らされたベンチに一つ、小さな背中があった。


主哉はその丸まる小さな背中にゆっくりと近づき、しゃがみ込むように声をかけた。


「どうした? こんな時間に一人か」


男の子はビクッと肩を震わせたが、

主哉が警察手帳を見せると、少し安心したのか口を開いた。


「……ママが、外で待ってなさいって」


「家は近いのか?」


「うん、あそこのアパート」


主哉はうなずき、男の子と並んで歩き出した。

古いアパートの前に着くと、二階の一室から……女の嬌声が聞こえてきた。


主哉は眉をひそめ、男の子を見ないように顔をわずかにそらす。


「……男か。こりゃ駄目だな」


呟いた声は誰にも届かない。


この状況で家に戻せば、子どもは邪魔者扱いされるのが目に見えていた。


「ちょっと寄り道しようか。腹減ってるだろ」


主哉は男の子とともに近所のコンビニへ向かう。

レジ袋に温かいおでんと、お茶と缶コーヒー。

ふたたび公園のベンチに戻り、

二人で湯気をたてる大根をつついた。


「うまいか」


男の子はこくこくとうなずく。

その表情は、さっきよりずっと柔らかかった。


──その時。


アパートの方から女の怒鳴り声が響いた。


「○○ーっ! どこ行ったのよ!!」


男の子はビクッと肩を震わせる。

主哉は腹の奥がざらりとするのを感じながら、立ち上がった。


「……行くか。送ってやる」


二人でアパートへ戻る。

玄関の前で母親が腕を組んで待ち構えていた。

酒の匂いが遠くからでもわかる。

しかし、身なりだけは妙にきちんとしている。


主哉は警察手帳を少し掲げながら言った。


「こんな時間に子どもを一人で外に出すのは、感心しませんな」


すると母親は、眉ひとつ動かさず言い返した。


「うちの方針に、警察が口出ししないでください」


子どもを家へ押し込み、バタン と玄関ドアが閉められる。


その音に、主哉は目を細めた。


(DVを疑ったが……子供の血色は悪くないし、身なりはしっかりしてる。ただ……あの目は、どこかおかしい。思い過ごしながらいいが)


街灯に照らされたアパートは、何かを隠しているように静かだった。


「……取りあえず、今日のところは戻るか」


主哉はポケットの缶コーヒーを握りしめ、夜の道を歩き出した。


ーーーーー


「──ってことがあってよ」


主哉が缶コーヒーを片手に、夜の公園であった出来事を説明し終えると、凛と咲、そして志乃の三人は、たこ焼きを頬張りながら「へぇ〜」という顔をそろえていた。


「ふーん。なんか胸クソ悪いね」

凛が串をくるくる回しながら言う。


「でも、警察の立場じゃ難しい案件かもね」

咲が冷静に補足する。


志乃は眉を寄せ、静かに呟いた。

「子どもが夜に一人……また厄介な匂いがするわ」


主哉は深いため息をつき、ふと隣に目をやった。


「……で、なんでお前らまでここにいるんだ?」


そこには、教会の聖列、筆頭と次席の姿が。


セラフィムの表の仕事は占い師、ジャスティスは私立探偵だ。

二人はまるで当然のような顔でたこ焼きを食べていた。


セラフィムはクスッと笑い、竹串でハート型にソースを描きながら、

「今はプライベートな時間。占い師が私立探偵の友達誘って、たこ焼き食べに来ちゃいけないのかしら?」


ジャスティスも肩をすくめる。


「それに聞いたんだよ。マサがキッチンカー買って“新装開店”したって。そりゃ様子見に来るでしょ」


主哉はマサの新しいキッチンカーを見やり、小さく鼻で笑った。


「確かに今まではリアカー屋台で、客席は公園の三人がけベンチ一つだけだったからな。

それが今日は折りたたみのアウトドアテーブルまで用意しやがって。

四人がけのテーブルが四つ……いっぺんに十六人も客が来ることなんてあるのかよ」


その言葉に、鉄板の前で腕を組んでいたマサがギロッと振り返る。


「うるせー、ほっとけ。

これがサービスで、心意気ってやつなんだからよ!」


ジャッ! とソースが跳ね、いい匂いが広がる。


主哉は口の端をわずかに上げた。


この馬鹿げた掛け合いが、裏の仕事でどれだけ救われているか──

本人が一番よく知っている。


マサが鉄板をひっくり返す音を聞きながら、主哉は深く缶コーヒーをすすった。


「……それよりさっきの坊主の話なんだけどよ。

確かにあの時間に外に放り出すのはどうかと思うが、

それ以外は顔色も悪くねぇし、着るもんも悪いもの着せられてる印象はなかったな」


その言葉に、凛が串を止めて主哉を見る。


「もしかしたらそれ、厄介なやつかもよ」


「厄介なやつ?」


「虐待が周りにばれるのを嫌がって、日常的にDVはあるけど、痣は服に隠れるところに作るの」


凛は淡々と言うが、その目だけは笑っていなかった。


「ぱっと見は“普通の家庭”を偽装する。だから虐待してるって自覚がある分、余計に厄介なの。

で、人を見る目を気にしなくなったり、食事させない、着るものがボロボロになってきたら……末期」


主哉は驚いて目を丸くした。


「……詳しいじゃねぇか」


「まあね。私も咲も経験あるからさ」


隣で咲もうなずいた。

普段は飄々としている二人の静かな声に、マサも志乃も言葉を失う。


その空気を切るように、ジャスティスが口を開いた。


「それともう一つね」


主哉が視線を向ける。


「その子を“面倒見てる誰か”がいる可能性もあるよ。

母親もそれを分かってて、放任してるとか」


凛が顔をしかめる。


ジャスティスは続けた。


「前の依頼であったんだ。

母親が娘を虐待してて、隣の男が保護してると思ったら──

実はその男も性的虐待をしてたってやつ」


咲が息を呑む。


「母親は知ってたんだよ。

男は食事くれる、新しい服くれる、小遣いくれる……

だから“あの人に任せておけばいい”って放置してた」


「うわ……エグ……」


3人娘が同時に嫌な顔をする。


主哉は肩をすくめた。


「でも今回は男の子だ。そんな心配は──」


志乃がすっと割って入った。


「ねえ、主哉。“ショタコン”って言葉、知ってる?」


「ショタ?」


主哉の手が、缶コーヒーのふたの上で止まった。


凛と咲、そしてジャスティスまで、じわりと主哉の顔色を伺う。


「確かに未成年者がターゲットの犯罪って、男が女の子をって思い込んでたが⋯逆もあり得るのか」


「もしそうなら更に厄介だよ。そういう女ってさ、半分ストーカーだからね」

とジャスティス。


「ストーカー犯罪ってことも頭に置いて動かないと、あとから取り返しのつかないことになるかもよ」


心に留めとくぜ、と飲み終わったコーヒーの缶をくずかご放ると、背中に右手を振りながら公園をあとにした。


ーーーーー


主哉は翌日、児童相談所に連絡を入れた。


「◯◯ってアパートの子どもなんですが……何か情報ありますか」


「◯◯アパートですか⋯」

電話口の職員の声が少し沈んだ。


「実は……過去に通報歴はあるんです。

ただ、ゆうくん⋯⋯男の子本人には目立った傷も痣もなく、栄養状態も良くて……。

お母さんにストレスがあるのかもしれないということで、カウンセリングを続けて様子見にしていたんですが……」


そこで職員は声を落とした。


「……最近、その“お母さん”とも連絡が取れていなくて。

少し気になっていたところなんです」


その言葉で、主哉の胸の奥に冷たいものが流れた。


「なら訪問しましょう。俺も同行させてもらいますよ」


ーーーーー


アパートに着き、母親の部屋をノックする。


「児童相談所です。ご在宅ですか?」


返事はない。


ドアを叩いても、家の中はまったくの静寂。


職員が肩をすくめる。


「……留守ですね。出直しましょうか」


「そうだな」


そう言いかけた時ーー3軒隣のドアが開いた。


出てきたのは黒髪ロングの眼鏡の女性。


「あの……お母さん、昨夜は帰ってきてないみたいですよ」


主哉は少し目を細める。


「そうなんですか?」


「ええ。たぶん、男の人のところにでも行ってるんじゃないでしょうか。

ゆうくんは今朝、普通に学校へ行きましたけど」


妙に滑らかで、

“待ってました”と言わんばかりの回答。


主哉の胸に、小さな棘が刺さる。


(出てくるタイミング、良すぎねぇか?……なんだ、この違和感)


児相の職員は礼を言い、女性は「お役に立てれば」と微笑んで去った。


その笑顔が、妙に冷たかった。


階段へ向かう主哉は、女性の部屋の前を通り過ぎる瞬間、表札へ目を向けた。


『萩原結愛』


……なんか引っかかるな。念の為、調べてみるか。


署に戻った主哉は、事務机にいる相棒・早乙女みことに声をかけた。


「なあ、みこと」


「はいはい、本田さん。また迷子の猫探しですか?」


「悪いが、この住所に住んでる“萩原結愛”って女ーーなんでもいい、分かる範囲で調べてほしいんだ」


みことの眼鏡がキラリと光る。


「……何ですか?重大事件の容疑者ですか?」


「いや、ちょっと抱えてる件で気になる女がいてな。

ただの勘なんだが」


「出た! 刑事の勘。かっこいいなぁ〜本田さん!

刑事ドラマでそういうこと言う渋いおじさん、大好きなんですよ!

任せてください、この萩原って女、徹底的に洗ってみせます!」


主哉は慌てて手を振る。


「徹底的に、はやめとけ。ここは刑事課じゃねぇんだからな」


「わかってますよ〜。でも……

本田さんが気にするってことは、“何かある”んですよね?」


みことは嬉しそうに資料棚へ走っていった。


──主哉は知らない。

みことにとって主哉は、刑事ドラマに出てくる「普段はダメそうに見えて、決める所は決める」、そんな“ダメなところも込みで渋いイイ男”という、まさに好みのストライクゾーンど真ん中であることを。


ーーーーー


学校からの帰り道、

ランドセルがやけに重く感じた。


アパートに着くと、母さんはまだ帰っていない。

鍵はもちろん持たせてもらえないから、

ぼくはいつもみたいに、ドアの前にしゃがみこんで待つ。


膝を抱えて、玄関のすりガラスをぼんやり見つめていたときだった。


「ゆうくん、どうしたの?」


振り向くと、三軒隣のお姉さんが立っていた。

優しい目で、いつもみたいに微笑んでいる。


「ママがいなくて……家に入れないから」


「そっか。じゃあさ、ママが帰ってくるまで、また私のうちで待ってる?

今日は、新しいゲームもあるんだ」


「……うん、行く」


手をつないで歩いていくと、お姉さんの指が温かくて、ぼくは少しだけ安心した。


ぼくは、お姉さんが好きだ。


ゲームで遊ばせてくれる。

おやつをくれる。

宿題を教えてくれる。

きれいな服をくれる。

ご飯も食べさせてくれる。


一緒にお風呂に入るのは、ちょっと……恥ずかしいけど。


でも、ママがいないとき、いつも優しく遊んでくれるお姉さんが──


だいすきだ。


外の階段を上がってくる足音がした。


「……ママが帰ってきたのかな」


ぼくはドキッとした。

お姉さんの部屋のドアを少しだけ開けて、そっと外の様子をうかがう。


「あっ……ママの声だ」


でも、その声の横に――

聞いたことのない、低い男の人の声が混じっていた。


コツン、と階段を上がる靴音が、二人ぶん。


「……もうしばらく家には、帰れないや」


そう思った瞬間、お姉さんが後ろからぼくの肩をやさしく抱いた。


その手が、なんだかいつもより強く感じた。


「今日も泊まって行きなよ。また一緒に寝てあげる」


ーーーーー


「本田さん、わかりましたよ〜!」

と、廊下から弾む声が近づいてくる。


みことは、そのまま慌てたように机へ駆け寄ってきた。


眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝いている。


「例の萩原結愛っていう女なんですが、調べてきました!」


「おう。何がわかった」


みことはタブレットを抱えながら、早口で報告を始めた。


「まず現在28歳。定職にはついていません。

で、学生時代には補導歴があります。内容は……近所の小学校に侵入。更衣室に忍び込んだみたいです」


「おいおい……」


主哉は眉をひそめる。


「あと、二度の離婚歴ですね」


「なんだって?」


「えっとですね、どちらも相手はバツイチの子持ち。

連れ子はいずれも――小学生の男の子」


空気が一瞬だけ止まった。


みことは声を落とし、説明を続ける。


「離婚理由は子どもへの“過剰なスキンシップ”……だそうです。

父親ではなく、完全に“連れ子目当ての結婚”だったようですね。

うち一件では性的接触も疑われて、裁判所から接近禁止命令が出てます」


主哉は低く呟いた。


「……真正のショタじゃねぇか」


「はい。で、後者の件は父親が被害届を出したんですが、示談成立してます。

だから刑事事件にはなってません」


みことが資料を閉じる。


主哉は腕を組み、深く考え込む。


「……見えてきたぜ。

あれが住んでる近所に、母親から虐待受けてる自分好みの男の子がいたってわけか。

なるほどな。サンキュー、早乙女」


「いえいえ、お礼はいいですよ。

……あ、でも、その……今度ご飯連れてってください!

刑事ドラマのおじさん刑事みたいに、行きつけの居酒屋とかないんですか?」


主哉は苦笑いした。


「ああ、俺は酒飲まねぇんだ。

まあ……いつも行ってる、たこ焼き屋なら連れてってもいいがな。なかなかに美味いんだぜ」


「ほんとですか!? やったー!」


みことはスキップしながら自分のデスクへ戻っていく。


主哉はその背中を見ながら、ぼそりと漏らした。


「……前から思ってたが、あいつ……昭和の刑事ドラマ、見すぎじゃねぇか?」


しかし、裏が見えてきたって言っても憶測じゃ動けねぇしな。

ったく面倒くせぇ、裏の仕事なら裏取りするのに合法非合法関係ねぇんだが、警察が非合法な裏取りするわけにもいかねぇしな。


⋯⋯気は進まねぇが、あいつの所に行ってみるか。


ーーーーー


駅裏の雑居ビルは、昼でも薄暗い影をまとっている。

古臭い外観からは想像もつかないが、その三階に──


【最上私立探偵事務所】


という小さな金属プレートが掲げられている。


ギィ、と開くドア。


「相変わらず、いい趣味してるぜ」


主哉がぼそっと漏らすと、

部屋の奥から艶やかな声が返ってきた。


「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくよ」


事務所の内装は、外観とあまりにも釣り合わない。


応接のガラステーブルを囲むのは濃いグリーンのソファ。

床の黒のタイルカーペットと、深いブルー──ほぼ紺に近い色味の壁紙は多分、ソファの緑を映えさせる為に選んだんだろう。


その色の配置には一切の迷いがない。


「どうぞ」と机に置かれた黒いコーヒーカップは、

内側だけが鮮やかな緑。


「私、緑色が好きなんだよね」


長い脚を組み替えながら、

最上ルナ──教会の“ジャスティス”の表の顔──が微笑む。


「で、今日は何の用かな?」


主哉はポケットから一枚のメモを取り出し、

テーブルの上に置いた。


『◯◯町3丁目 ◯◯アパート203号室

 萩原 結愛』


「なにこれ?」

ルナが片眉を上げる。


「この間、マサんとこで話した“坊主”の件あったろ」


「ああ、夜中に公園で一人で座ってたって子の?」


「あれの絡みなんだが、その女の身辺調査を頼みてぇんだ」


「ふむ……やっぱりストーカー案件だった?」


「まだ“かもしれねぇ”って段階だがよ」

主哉は椅子にもたれながら続けた。

「だが、その萩原って女……小学生の連れ子がいるバツイチ男と二度結婚してんだとよ。それで二度とも離婚、理由は“子どもへの過剰なスキンシップ”だとよ」


ルナの目つきが静かに鋭くなる。


「それは筋金入りだね」


「で、その女の近所に、母親からDV受けてる自分好みのかわいい男の子がいる。……なぁ、わかるだろ?」


「なんとなく、どころじゃないね」

ルナは脚を組み直した。

完全に“探偵の顔”になっている。


「けど、どうして警察でやらないの?」


「警察は憶測じゃ動けねぇ。可能性があるって段階じゃ動けねぇってのが歯がゆい所なんだが。

かといって裏の仕事じゃねぇから非合法な裏取りもできねぇしな」


「なるほどね。表の仕事と裏の仕事の狭間で右往左往してるってわけだ。裏の顔からは想像も出来ないけど、かわいい所もあるじゃん」


ルナはゆっくりと頷いた後、カップを持ち上げた。


「まぁいいけど……高いよ?」


主哉は苦笑いを浮かべる。


「ツケといてくれや。それか、裏の仕事の“借り”一つでどうだ」


その言葉に、ルナの唇の端がわずかに上がる。


「OK。借り一つってことで手を打とう。

さっそく今日から動くよ。

なにかわかったら連絡する」


「よろしく頼むぜ」


主哉が立ち上がると、

ルナは黒いマグカップの縁を指でなぞりながら囁いた。


「……刑事の本田さんがここまで気にするってことは、“ただの変質者”じゃ済まない気がするね」


主哉は返事をせず、静かにドアを閉めた。


廊下に出ると、古い蛍光灯が立てる、ブーン……という音に…


(……嫌な予感しかしねぇ)


ーーーーー


例のアパートの下。


ハッカ帽を咥えながら電柱にもたれかかって待つ主哉の向こうから、コンビニ袋を下げた萩原結愛が歩いてくるのが見えた。


「萩原さん、この間はどうも」


「ああ、児相の方ですね」


「いや、児相の職員なのは連れだけでね。俺はこういう者です」


そういいながら警察手帳を見せる主哉。


「それで、今日は何の御用でしょうか?」


主哉は淡々とした声で切り出す。

だが、その目は観察者の鋭さを失っていない。


最上私立探偵事務所の仕事は早かった。

翌日の夕刻には報告書が主哉のもとへ届けられる。


その報告書に添えられた写真を見て主哉は、やっぱりなと、一つため息をついた。


そこには、ゆうくんが結愛の部屋へ通う写真、風呂場へ入っていく背中、二人で食卓を囲む姿まで、克明に映っていた。


(……やっぱり、ただの“優しいお姉さん”じゃねえ)


主哉は紙を折り畳み、胸ポケットに戻す。


「俺もゆうくんの母親のことは知ってる。だからきついことは言わねぇ。あんたがゆうくんの心の支えになっているのは確かみたいだからな。

だから、あんたとゆうくんが“友達”の間柄でいるうちは、目を瞑る」


結愛の笑みがわずかに固まった。


「……どういう意味ですか?」


主哉は一歩だけ近づき、低い声で言った。


「だがあんたが、友達の垣根を、一線を越えちまったら……

その瞬間、俺はあんたを逮捕しなきゃならなくなる。

わかるよな?」


一瞬、空気が止まった。


結愛は微笑みを崩さない。

だが、その指先がかすかに震えている。


主哉は背を向けた。


「忠告はしたからな」


後ろ向きにそう釘を刺すと署へと戻る主哉。

その後ろ姿を見ながら、結愛は、

(あの刑事……邪魔。

私とゆうくんの間を邪魔する人は、許せない……)


その目には、愛とも憎しみともつかぬ暗い炎が宿っていた。


ーーーーー


巡回パトロールの帰り道。

主哉は暗い路地を歩きながら、缶コーヒーを開けた。


「……はぁ、嫌な予感しかしねえな」


その瞬間、背後から足音。


振り返った瞬間──

バールを持った男が三人、影から飛び出してきた。


「死ねッ!」


「ちっ……!」


風を切り振り下ろされるバールを、主哉は左腕で受けた。

鋭い痛みと同時に、腕が痺れる。

(ちっ、折れたか)


だが主哉は怯まない。


「殺し屋気取りかよ……その辺のチンピラが!」


カウンター気味のボディブロー、足払い、肘打ち──

無手でも人を倒す所作は熟練の刃だ。


数十秒後、三人の男は地面に転がっていた。


主哉は左腕を押さえながら、無線を開く。


「……こちら本田。三名確保。救急とパトカー頼む」


ーーーーー


取調室。


男のひとりが、震える声で吐いた。


「ひ、ひとり百万円……!

“ターゲットの刑事を襲え”って暗号チャットで……!」


「依頼主は?」


「し、知らない! 顔も声も!

闇バイトなんて、そんなもんだろ」


何となく察していた主哉だったが、その後の隼人からの連絡で感は確定へと化した。


『依頼人が誰か、裏取りできたよ』


「で? 誰だ」


『萩原結愛って女』


主哉は深い息を吐いた。


「やっぱりな」


隼人からさらに追撃の報告が来る。


『それと本田さん、気になる話があってさ。

この女、宝くじの高額当選歴があるみたいだよ。

定職にもつかず、好みの男の子を“愛でる生活”を続けてるんだろうね』


「……マジかよ。最悪だな」


金、孤独、執着。

全部そろって異常が育つ。


翌日、萩原結愛は署へ呼ばれた。


「昨夜、警察官が襲撃された。

あなたの名前が依頼主として浮上しているんだが」


その様子を、取調室の隣の部屋から見守る主哉。

ギブスがつけられた左腕が痛々しい。


冷静な表情で見守る主哉だったが、内側では動悸が抑えられなかった。


結愛は柔らかい声で言った。


「……そんなこと、知りません」


証拠は不十分。

匿名チャット、金の流れなし。

男たちの証言だけでは“合理的な疑いが残る”。


警察的には限界だった。


結愛はそのまま解放された。


廊下を歩く主哉の呟きが、沈んだ静寂に残る。


「……歯がゆいもんだな」


結愛が外に出たとき、その横顔には“勝者の笑み”のようなものが浮かんでいた。


その夜、主哉は決意する。


(あの女──もう放っとけねぇ)


恨討人としての“夜の顔”が、静かに目を開き始めた。


だが、主哉の決意より早く事態は進行していたことに、この時気づいてはいなかった。


警察から解放された結愛がアパートに戻り、マンションの階段を上っているときだった。


ガシャンッ。


何かが倒れる大きな音。

結愛は足を止め、二階の踊り場の影から静かに覗いた。


薄いドア越しに、怒鳴り声が響く。


「いい加減にしなさいよ!!」


母親の怒声。

そして、怯えたように繰り返される小さな声。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


その声を聞いた瞬間、結愛の胸の奥がひどく熱くなった。


まるで心臓を誰かに握られたように。


(ゆうくん……また傷つけられてる)


喉の奥で何かが軋んだ。


(私とゆうくんが幸せになるための障害が……こんなところにもまだいたのね)


それは怒りでも憎しみでもない。

もっと純粋で、もっと歪んだ感情。


(ゆうくんを傷つける人は──許さない。

たとえそれが“母親”だとしても)


結愛は、そっと無表情のまま自室へと戻った。


ーーーーー


翌朝、いつも通り、ゆうくんはランドセルを背負って玄関を出た。


それに笑顔で声をかける結愛。


「ゆうくん、おはよう」


「……おはよう、お姉さん」


ゆうくんは昨日の痕を隠すように俯いていた。

結愛はその姿を胸に刻むように見つめた。


(大丈夫。もうゆうくんを泣かせたりしない)


階段を降りていくその小さな背中が見えなくなるのを待ち、結愛はふらりと自室へ戻る。


棚の奥から バール を取り出し、の冷たい金属を抱くようにして握った。


指先がゆっくりと熱を帯びていく。


(ゆうくんの未来を守るのは……私だけ)


そのまま、ゆうくんの部屋へ向かった。


ドアは開いていた。

中から酒の匂いが漂う。


布団に沈んだ母親は、寝息を立てている。

前日の酒が抜けていないのだろう。


結愛は近づき、しばらくその寝顔を無表情で見つめた。


そして──

何の躊躇もなく、バールを振り上げた。


ガンッ。


ガンッ。ガンッ。


力強い破砕音が、部屋中に響いた。


怒りではない。

激情でもない。

そこにあったのはただ “使命感” だけ。


(ゆうくんの邪魔をするものは……全部いらない)


血が飛び散り、布団に広がる。


それでも結愛は腕を止めない。


死んだと確信が持てるまで、淡々と、冷静に、同じ動作を繰り返した。


ふと、視界に “壁の一枚の紙” が映る。


壁に貼られた、子どもの絵。


明るい色で描かれた、笑顔の母親。


ゆうくんが学校で描いた「ぼくのおかあさん」。


結愛の胸の奥で、感情がひっくり返る。


「ゆうくんの愛は……

母親なんかに向けられてちゃ、ダメなのよ」


結愛は壁から絵を剥がし、その場で無造作に引き裂いた。


破れた紙片が床に落ちる音が、やけに大きく響いた。


(ゆうくんの愛は、私にだけ向いていればいいの)


結愛は微笑んだ。

血の海を背にして。


その笑みは、静かで美しく、そして壊れていた。


ーーーーー


放課後。

ランドセルを下ろしたゆうくんは、家の異様な雰囲気に気づいた。


玄関のドアが空いてる?


「ママ?」


返事はない。

奥へ進むと──鉄の匂い。

布団は真っ赤に染まり、


「マ……マ?」


そこには、「今朝まで母親だったもの」が横たわっていた。


世界が音を失った。


ーーーーー


赤い回転灯がアパートを照らす。


「山根さん」


「おう本田。珍しいな、お前が現場に」


「児相絡みで何度か来た家なんで。……殺されたのは母親ですか?」


山根は重い顔でうなずいた。


「見ての通りだ。原型が残らんほど殴られてる。相当な恨みだな」


「子どもは?」


「ああ、署で保護してる。第一発見者だからな。だいぶショック受けてたが──」


その瞬間、主哉の胸に何か冷たい波が走ったような気がした。


「山根さん、その子が本当に署で保護されてるか確認して下さい」


山根は無線で確認を取る。


『その子でしたら、さきほど “お姉さん” という人が迎えに来たので、お渡ししましたが』


悪い予感が、完全に形を持った。


「……やっちまったな」


主哉は全速力で階段を駆け上がり、山根が慌ててあとを追う。


向かう先は──203号室。


玄関のドアを何度叩いても返事はない。


「大家さん! 鍵を開けてください!」


解錠されると同時に主哉は飛び込んだ。


部屋は静か。

しかし──


テーブルの上には

血のついたバールと、ゆうくんと結愛のツーショット写真。


写真の結愛は満面の笑み。

腕の中のゆうくんは、知らずに笑っていた。


主哉は歯を噛みしめた。


「山根さん。容疑者はこの部屋の住人、萩原結愛28歳。

被害者の息子を誘拐し逃走中の可能性が高い。

緊急配備をお願いします」


「分かった!」


山根が走り去る。


主哉は静かに写真立てを見つめ、低く呟いた。


「……ついにやりやがったな」


ーーーーー


そこは駅前のビジネスホテルの一室だった。

夜の街のざわめきが、薄いカーテン越しにかすかに響いている。


結愛は、泣きじゃくるゆうくんをしっかりと抱きしめていた。


「……お母さんのこと、ショックだったね。

でも大丈夫。私が抱きしめてあげるから。もう泣かないで」


ゆうくんは結愛の胸元に顔を埋めたまま、すすり泣きを続けている。


「ゆうくん、おいしいもの食べに行こうか? 

あ、ほら。ゆうくんの好きなケーキ買ってきたんだよ。

夕飯の前だけど、今日は特別。一緒に食べよう」


「……いらない」


短く、弱い声。


結愛の目に、かすかな焦りが浮かんだ。


(ショックだったのね。でも……

あんな母親がやっといなくなったんだもの。

私がゆうくんを、ちゃんと幸せにしてあげなきゃ)


結愛は、わざと明るい声を出す。


「そうだ、ゆうくんの好きなアニメの時間じゃない?

テレビ、つけてみようね」


リモコンを押す。

青白い光が部屋に広がる。


だが、そこに映ったのはアニメではなかった。


『──繰り返します。本日早朝に発生した殺人事件の容疑者が、

被害者の子どもを誘拐し逃走しているとみられています。

容疑者は萩原結愛、28歳。心当たりの方は──』


画面は回転灯に赤く染まったアパートの映像から、

結愛本人の写真へ 切り替わった。


ゆうくんの動きが止まる。


しばらく無言のままテレビを見つめ──

ぽつりと呟いた。


「……お姉さんが……お母さんを殺したの?」


結愛の顔がひきつる。


「ち、違うのよ。これは何かの間違い。

そんなわけないじゃない。ね? ゆうく──」


「ぼく……ママが好きだったんだ」


結愛の言葉が止まる。

ゆうくんは涙をこぼしながら続けた。


「たまにすごく怒るときもあったけど……

優しいママが好きだったんだ……」


「ゆ、ゆうくん。落ち着いて──」


「お姉さんなんか……嫌いだ!!」


叫びながら、ゆうくんは結愛の手を振り払った。

そしてドアを開け、廊下へ走り出した。


「ゆうくんっ!!」


結愛は慌てて追いかけるが、見失ってしまった。


ーーーーー


夜の駅前。

人混みの中を、小さな影が泣きながら駆けていく。


その腕を、ひとりの女性が優しく受け止めた。


「ちょ、危ないよ――大丈夫?」


早乙女みことだった。


ゆうくんはみことの胸に顔をうずめ、震える声で訴えた。


「本田っていう刑事さんに伝えてください……

ママを殺したの……お姉さんだったんだ……!」


みことの表情が鋭く変わる。


「……わかった。すぐに連絡するからね」


みことは無線に向かって短く告げた。


『被害者の子ども、ゆうくんを駅前で確保。

容疑者・萩原結愛は駅前ビジネスホテルに潜伏していた可能性あり』


瞬間、駅前通りにパトカーのサイレンが集まり始める。


ホテルのロビーへ警察官がなだれ込み、

フロント、廊下、非常階段……くまなく確かめる。


数分後。


「ホテルに萩原の姿はありませんでした。

すでに逃走したと思われます!」


無線が響く。


みことはゆうくんの肩を抱き寄せながら、

暗い夜空を見上げた。


「……本田さん、急いで」


走り出る警官たちのライトがホテルを照らす。


そこに主哉も到着した。


「みこと、よく保護してくれたな。お手柄だ」


みことの顔がぱぁっと明るくなる。


「本田刑事、ご褒美ください!」


「うるせぇ、犬みたいにねだるんじゃねぇよ」


そのやり取りを見ていたゆうくんは、

主哉の腕にしがみつくと、泣き声を漏らした。


「……ママ、助けられなくてごめんな」


主哉の胸の奥が締め付けられた。


時間をかけ、ゆうくんはようやく泣き止んだ。


「もうないとは思うが……

今度こそしっかり保護してくれ」


別のパトカーに乗せられるゆうくん。


その時、ゆうくんが叫んだ。


「本田刑事!

あの時のおでん……ありがとう!

お礼にこれあげる!」


ゆうくんはポケットから飴玉を一つ取り出し、

主哉にそっと手渡した。


「……ありがとうな」


ゆうくんが手を振る。


パトカーの赤い光が、その小さな姿を照らしながら遠ざかっていく。


主哉は飴玉を握りしめ、心の中で呟いた。


(五十六円でも神の意は動くんだ。

だったら……飴玉一個でも、いいよな……神様よ)


ーーーーー


萩原結愛、逃走から3日が経った。


捜査本部では、萩原結愛の行方について防犯カメラを総ざらいしていたが、

本田主哉の姿はそこになかった。


主哉はひとり、署の非常階段の踊り場で缶コーヒーを飲んでいた。


(いったい、どこに逃げやがった……)


そんな主哉の背後から、やる気みなぎる声が飛んだ。


「本田さん!絶対に海っですよ!」


「は?」


勢いよく駆け寄ってきたのは、早乙女みことだ。


「犯人はね、荒れ狂う波をバックに断崖絶壁の上で罪を告白するんです!これは刑事ドラマの鉄板ですよ!」


「そんなベタな展開あるかよ」


主哉は呆れたように言いながらも、みことの勢いに押されて海沿いの断崖へ向かった。


向かったのは、千葉県銚子市屏風ヶ浦。


荒波が断崖絶壁を叩く、刑事ドラマでおなじみの場所だ。


主哉的には、みことのご機嫌取りと気分転換のドライブのつもりだったのだが。


……本当にいた。


断崖の先端。

強い風に髪を揺らしながら、黒いコートを着た萩原結愛がぽつんと立っていた。


主哉は思わず呟いた。


「嘘だろ……おい……」


みことが肘でつつく。


「ほらね?私の言った通りじゃないですか!」


(認めたくねぇ……でも……)


主哉は目を細め、なぜか無意識に周囲をキョロキョロした。


「どうしたんですか?」

「いや、どっかにTVカメラがあるんじゃないかと思ってよ」

「それは刑事ドラマの見すぎですよ」


(お前には言われたくねぇよ)


主哉は車を駐車場に停めると、結愛がいる崖に向かって歩いていく。


「刑事さん、もう来たんですね」


結愛はゆっくりと主哉を振り返った。


「刑事さん……私、ゆうくんのこと……諦めます」


「……」


「私ね……“二人で幸せになれる”って、本気で思ってたんです。でも、違ったんだ……。

ゆうくんは……“私のもの”にはなってくれなかった……」


(語り出したし……本当にドラマみてぇだ……)


みことは横で感動していた。


「本田さん!ここから彼女が涙を流して崩れ落ちるんですよ!──あっ、本当に泣いた!」


結愛は崩れ落ち、ただ海を見ていた。


そのとき、遠くからパトカーのサイレンが近づいてきた。


ウウウウウ──……


銚子署のパトカーが放つ赤い光が断崖を照らす。


主哉は舌打ちし、誰にも聞こえないように小声で呟いた。


「……ちっ。裏の仕事にしそこねたぜ」


「えっ、本田さん?今なんか言いました?」


「なんでもねえよ」


主哉は手錠を取り出しながら答えた。


「萩原結愛、逮捕する」


風だけが、海の上を静かに走り抜けた。


ーーーーー


「……ってことがあってな」


そういう主哉の話に、

「ウケる〜」「リアル刑事ドラマだね」と喜ぶドローン姉妹。


ゆうくんは祖父母に引き取られることになった。

今日、親戚が迎えに来てこの街を離れるはずだ。


だが、そのゆうくんが、荷物の整理の合間に、

誰にも言わず神社へ向かうことなど誰が予想できただろうか。


占見野神社の境内には、鈴の音が風に揺れていた。


ゆうくんは賽銭箱の前に立ち、小さな拳をぎゅっと握った。


「……お姉さんは、警察に捕まったけど……

ぼく、お姉さんのこと、許せません」


涙がぽろぽろ落ちる。


「神さま……

お姉さんに、ばちを与えてください」


硬貨が数枚、賽銭箱に落ちた音が響いた。


カラン……カラン……


その静寂の中で、

主哉たち恨討人は、拝殿の影でその依頼を受け取っていた。


(……ガキにこんな願い事させてる時点で、世の中間違ってんだよ)


主哉は息を吐き、仲間を見る。


「……どうする。

署内でバレないように殺れる腕はねぇ。

チャンスがあるとすれば、留置所から拘置所へ移送されるタイミングしかねぇぜ……」


隼人が静かに頷く。


「起訴が決まった時が勝負だね」


主哉は静かに天井を見上げた。


ーーーーー


留置場の鉄扉が開き、

萩原結愛は白い目隠し布と共に護送車へ誘導された。


「容疑者、萩原結愛。拘置所へ移送する」


淡々とした刑務官の声。

その背中は怯えているようでいて……どこか夢を見る少女のようでもあった。


(やっぱりゆうくんを幸せに出来るのは私しかいない

 ……待っててね。きっと迎えにいくから)


歪んだ愛情だけは、最後まで揺らぐことがなかった。


「それじゃ、作戦通りに行くよ」


護送車が交差点に差し掛かった瞬間をめがけて、ドローンから大量に投下されたのは

......駄菓子屋に売っているかんしゃく玉。


──パンッ!!


それを車のタイヤが踏みつけるたびに破裂音が響き、

続いて道路にばらまかれたのは赤い発煙筒。


白煙が一気に広がり、交通は止まり、刑務官たちが動揺する。


「煙幕だ! 視界を確保しろ!」


「なにっ、扉が──!」


護送車の後部扉が、外側からこじ開けられた。


そして。


結愛は、煙の向こう側へと駆け出した。


息を切らしながら走る結愛。

その視線の先に待っていたのは──


「逃げ場はそこしかねぇと思ってた」


銀色の刃が、まっすぐ結愛の胸に突き立つ。


「ゆうくんからの伝言だ」


「……ゆう、くん……?」


主哉は低く告げた。


「──“お姉さんは絶対に許せない”……とよ」


結愛の瞳が、地と空の境目を映したまま揺れる。


「……そ、んな……はず……ないわ……」


最後の言葉は、風に飲まれた。


ーーーーー


占見野神社・社務所。


「ったく、大ごとにしちまった。警察の威信にかけて犯人を見つけるとよ」


「大丈夫だよ。足がつかないものしか使ってないし」


隼人がノートパソコンを開きながら言った。


「例の女なんだけどさ、口座残高がゼロになってた。で、調べたら──全部寄付されてたんだよ」


「寄付?」


凛が驚く。


隼人は画面を指し示す。


「親の虐待から子どもを守る団体、孤児を保護する施設……そんなとこにね」


咲がぽつりと呟く。


「少しは……良心、あったのかな」


主哉は鼻で笑った。


「いや、違ぇな」


皆が主哉を見る。


「いつか“ありがとうお姉さん”って、自分好みの坊主たちに囲まれる未来を夢見て……恩を売ったんだろうさ」


沈黙。


その沈黙を破ったのは、境内に響いた鈴の音だった。


ーーーーー


主哉は、みことを連れて公園の外れへ歩いていった。

夜風に揺れるネオンの向こう、いつものたこ焼き屋マサのキッチンカーが見える。


だが、その手前──

見覚えのある大型バイクが停められていた。


「……タケシのアポストールじゃねぇか」


「よう、戻ってたのか」

主哉が声をかける。

振り返ったタケシの視界に、主哉と、その横にいるみことの姿が飛び込んだ。


タケシは眉をひそめて言う。


「……主哉、お前いつの間に女なんて作った?」


「俺の女じゃねぇ。ただの同僚だ」


そう言いながら主哉は横を見る。

すると、みことはタケシを見た瞬間、目をキラッキラに輝かせていた。


みことはそのままダッシュでタケシに詰め寄る。


「ちょ、ちょっと言わせてくださいッ!!

昔、刑事ドラマに出てませんでした!?!?」


「出てねぇよ」


「銃で撃たれて殉職しましたよね!?!?」


「だったら今ここにいる俺はなんだ」


みことはお腹を押さえて悶えるように叫ぶ。


「おねがいですッ!『なんじゃこりゃあ〜!』って言ってください!!」


「俺はジーンズがトレードマークの刑事じゃねぇっての!!」


タケシの声が響くが、みことは完全に聞いていない。


主哉とタケシが同時にため息をついたところで、たこ焼きの香りと共に志乃が近づいてきた。


志乃は状況を一瞬で理解し、主哉に小声で聞く。


「……何なの?あの子」


「昭和の刑事ドラママニアなんだよ。

ちょっとすれば元に戻る」


「昭和の刑事ドラマ、ねぇ……」


志乃がニヤニヤしながら主哉の顔を覗き込む。


「普段サボってばっかりでダメそうに見えるのに、

決めるときは決める哀愁漂うおじさん刑事──

主哉って、あの子のストライクゾーンど真ん中じゃない?」


主哉は目を丸くした。


「まさか……冗談言うなよ」


志乃は肩をすくめて笑う。


「さてね?」


だが──

主哉は心の奥でそっと呟いた。


(……仮に冗談じゃなくても、あり得ねぇよ。

俺は殺し屋なんだ。誰かと男女の関係になんて……なれるわけねぇだろ)


その時、マサが鉄板の向こうから怒鳴った。


「おーい主哉!客連れて来たんなら注文しろ!

今なら、ハバネロたこ焼きにピザチーズ増量だ!」


みことは一瞬でテンションが爆上がりし、

「はぁあああ!?本田刑事の行きつけ最高ーー!!」

と叫んだ。


重かった事件の幕は下り、

夜風とたこ焼きの匂いが、公園をふわりと包んだ。

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