トイレの女神サマ
そのホテル廃墟のトイレには、ある都市伝説が密かに伝わっていた。
『一度閉じ込められたら、二度と出られない開かずの個室トイレが、廃墟の中にある』
地下階にある、どれかの客室のトイレが開かずのトイレになっていた。
そのトイレが誕生したのは、安い宿泊代のホテルが火災で焼け落ちて廃墟になる前──ある、地下風俗アイドルの女の子が、このホテルに宿泊した。
「最低の客だった……金のために、仕方なくバカな客の相手してやった」
個室トイレの洋式便座に、パンツを下ろして座った女性は、タバコを吹かしながら愚痴を漏らす。
「かったりぃ……神さまにでも、なっちまいてぇ」
女性がそう呟いた時、トイレの個室の壁に黒い染みが浮かんで、ドアの方まで広がりはじめた。
〝願いは受理された……このトイレの不在な女神の権利を与える〟
その声と共に、座っている洋式便座の中から真っ黒な、逆流した水が溢れ出した。
汚物やトイレットペーパーが浮かぶ、水はあっという間に立ち上がった女性の、膝上まで到達する。
「なにこれ⁉」
女性は必死に個室のドアを開けて脱出しようとするが、ドアはセメントで固められたように、女性をトイレに閉じ込めた。
顔の辺りにまで水が迫ってきた女性は、必死にドアを内側から強打する。
「誰か! 誰か助けて! ゴボッ」
溶けたトイレットペーパーが鼻先に貼りつく。
便座から逆流した水は、ついに女性の頭を越えた。
(助けて……誰か……ここから出して)
トイレを満たす水の中で、薄れていく意識……茶色い排泄物が女性の近くを漂う。
激しい体の痙攣の後……女性は誰にも知られずに、トイレの個室の中で……溺死した。
女性が宿泊していた部屋からナンバーが落下して消えて、その部屋は最初から無かった部屋として、従業員たちの記憶からも消去された。
女性をトイレに閉じ込めて、水死させたモノは水に集まる邪悪な地縛霊だったのか?
その後のホテルに、次々と不吉な出来事が起こり……最終的に、火災で建物はほとんどが焼失して廃墟となった。
◆◆◆◆◆◆
数十年後──焼けたホテルの廃墟に、肝試しで数名の若い男女がやって来た。
「こえぇな、この場所……半分焼けたカーテンが残っている」
「ここ、焼死した客の霊が出るってネットで噂になっている心霊スポットだろう……ヤバくないか」
「だから、面白ぇんだよ……ビビっているなら車に戻っても良いぜ」
霊からしてみたら、挨拶もなしで土足で他人の家に踏み込んでくるように、傍若無人な若者たちの非常識な行動を、見過ごしできるはずも無かった。
男の一人がスマートフォンの画面を見ながら撮影してネット配信している、女性に向かって言った。
「オレたちは、昔一人の女性がトイレに閉じ込められて開かずになったトイレを探しに廃墟ホテルに来ました…
…不気味なホテルでーす」
ふざけてはしゃぎでいる、男女の背後で焼けた壁が崩れる音がした。
青ざめた顔で音が聞こえた方を見ると『地下一階客室』のプレートが、照らされたライトの明かりの中に見えた。
地下へとつながっている階段を下っていくと、一つだけ壊れたドアが斜めになった客室があった。
若者たちはゴクッと息を飲む、インターネットに上がっていた都市伝説では。
その日……地下の客室に宿泊していて、トイレに閉じ込められた女性は一人だった。
室内を進むと、そのトイレはあった。
不気味に扉が黒く変色していて、周囲の壁が湿っているトイレだった。
ドアの表面も、黒い水のようなモノが垂れている。
一人が言った。
「おい、もうこれ以上はヤバイよ、戻った方がいいよ」
「そうだな、オレも寒気がしてきた……トイレのドアは錆びていて開かないみたいだし」
ただ、二人いる女性のうち、一人の女性がスマートフォンで検索して言った。
「ウチ、開かずのトイレの開け方わかったよ〝開かないドアのトイレの前で、トイレの女神を交代します〟って言えばいいんだって」
女性がそう言った次の瞬間──数十年間、開くことが無かった、トイレのドアが勢い良く開いて、中から大量の汚濁水とミイラのようになった女性の遺体が外に転がり出てきた。
悲鳴を発する肝試しの若者たち。
黒く変色した、ミイラ死体になった女性の低い声が聞こえてきた。
「た……すけて」
水の中で腐敗飛散するコトもなく、トイレに閉じ込められていた女性は、地縛霊の力で生かされていた。
地縛霊は、水の中に閉じ込めた女性の体を居場所にしていた。
その場から逃げ出す、トイレ女神の代わりを口に出してしまった女の体が、地縛霊の汚濁水に捕らえられ。
トイレの中へと引き込まれ、再びトイレは開かずのトイレになった。
トイレの中から水のゴボッゴボッという音と、ドアを激しく叩く女の悲鳴が聞こえてきた。
~おわり~