レンへの聴取──4
「さて、と」
それから俺達は、またあのエリザベスさんの部屋に戻った。行きと違うのは、レンが牢屋に入ったために、人数が一人減っていることぐらいだ。
レンの死刑。
それは、今はまだ時期ではないというのが、エリザベスさんの結論だった。
「《有能》に関することは大方、あなたとリュークさんが聞いてくれましたが──それでも、レンに聞きたいことはまだありますから。アーロンの居所が分からないとしても、リゲル城内に他の協力者がいる可能性もありますし。だから、まだいいでしょう。リュークさん、事情聴取の時はあなたも呼びますからね」
「へいへーい。分かってるよ」
そんな、師匠とエリザベスさんの会話を最後に、レンの牢屋から俺達は帰ってきた。
他にも聞きたいこと。
それは師匠も言っていた、他の協力者の可能性に始まり、多岐にあるのだろう。質問があるならあの場ですぐに聞けばいいんじゃないかと思ったけれど、多分、マニとユニさんを意識して、エリザベスさんは故意にあそこで止めたんだと思う。緊急時とはいえ、アンレスタ国の人間にリゲル国の内情を晒すのは避けたいのだ、多分。これから先、マニとユニさんはリゲル城で過ごすことになるだろうし、余計な詮索をされるような要素を持たれないようにしたと。そういうことみたいだった。
それで、とりあえずレンのことは区切りがついた。だから、頭を切り替えなければならない。
具体的には、マニとユニさんのことだ。
アンレスタ国の、亡命してきた王族のこと。
「……まずは」エリザベスさんは、もと座っていた椅子に再び腰かけ、マニとユニさんに向かう。「初めまして。自己紹介が遅れました、リゲル国右大臣、エリザベスです」
「……どうも」と、ユニさん。
「どうもー」と、マニ。
エリザベスさんが座っている椅子の右に、師匠が立つ。そして、エリザベスさんの正面にマニとユニさん。その後ろに俺とユメルという布陣だ。師匠の身分を思えば、座るのは師匠の方なんじゃないかと思うけれど、師匠は立っている姿が様になっていた。エリザベスさんと比べて、師匠は活動的という印象が目にこびりついているんだろうか。エリザベスさんも師匠も、そんなことを気にした様子もなかったから、慣れた関係なんだろうけど。
エリザベスさんの言葉に。
ユニさんは包み隠さずに緊張していて、マニは対照的に緊張感がなかった。
ユニさんは多分、これから始まるアンレスタ国の事情を絡めた聴取に、身構えているのだ。なんといったってユニさんは、事件の首謀者の一人、レオ王の妻なのだから。隣国の支配を望んでいた人間が身内にいるというのを、当の隣国の要人に聞かれるという、絶体絶命な状況──先に師匠と関係を作っているとはいえ、緊張しない方がおかしいだろう。
で、おかしい方でお馴染みのマニは、この状況に危機感を持っていないようだった。それは多分根拠のない自信ではなく、エリザベスさんの人柄を、レンの聴取で見抜いているからこそのものだろう。あの数十分で、エリザベスさんは非道な人間でないことを、おそらくマニは見抜いているのだ。だから、多少の批難はあろうと、どうとでもなる──と、見ているんだと思う。マニにとっては最悪、ユメルがいるところに身を置けばいいのだし、リゲル城で匿ってもらわずとも、マニは上等なのだろう。
そうもいかないユニさんとの対比が面白い感じだったけれど、本人にとっては深刻な問題だ。見守る事しか出来ないのが歯がゆかった。
先に挨拶したエリザベスさんに、二人は対応するように言葉を繋ぐ。
「私は、アンレスタ国のドンレフ家、ユニ・ドンレフ、です。アンレスタ国の王、レオの妻……だったんですけれど。今は、元、です」
「私はその娘、マニ・ドンレフでーす。ユメルの親友やってまーす」
そんな対象的にも程がある自己紹介に、エリザベスさんは師匠を見るようにする。マニの能天気さに困惑した──わけではなく、確認を求めているようだった。
「ん。ああ、本物だぞ。本物の、お隣の国の王族だ。レア度でいえば、あたしと同レベル」
「……そんな、軽く言われても……」
エリザベスさんはなんだったら、そんな師匠の言葉の方に困惑したようだった。
それも、そうだろう。急に隣国の王族が、リゲル城──リゲル国の中枢を訪ねてくるなんて、エリザベスさんのシナリオにはなかったはずである。
まぁそれを言ったら、《死隊》が暴れることも師匠が左腕を失くす怪我をするのも、エリザベスさんの予想にはなかっただろうけれど。それに、《有能》なんていう人知を超えた能力が出てくることも、普通、予想なんて出来ようはずがない。
だから、エリザベスさんは今、今までの常識を塗り替えて考える必要に駆られているわけだ。いくらエリザベスさんであろうと、そこら辺、人間味を感じる瞬間だった。
「……まぁいいでしょう」師匠に何を言っても無駄だと知っているのだろう、エリザベスさんは困惑もそこそこに、二人に向き直る。「お隣……アンレスタ国でしたか。アンレスタ国の王は、自死したんですよね? ならばお二人は、これからどうなさるおつもりで?」
エリザベスさんは、そんな風に、核心から話し始めた。
レンの聴取に、思ったより時間がかかったのかもしれない。まだ日が落ちるほどの時間帯じゃないけれど、出来るだけ早く結論を出したいようだった。他の仕事もあるんだろうし、睡眠をいい加減とりたいというのもあるんだろう。余計な確認や説明なんかをすっ飛ばして、エリザベスさんはそこから会話に入った。
「私は……」ユニさんも面食らったように、答えあぐねている。核心に入るのは、もう少し、何か小話を挟んでのことだと思っていたのだろう。「……ええと」
「私は、リゲル城で匿ってくれると、リュークに聞きました!」そこで、マニが参入した。場にそぐわぬ元気な声である。「リュークがそう言ったので、文句はリュークに言ってください!」
「…………」
ちょ……マニさん?
いくらなんでも直球が過ぎるんじゃないだろうか。ほら、エリザベスさんも黙っちゃったし……。
師匠がニヤニヤしているのが見える。ユメルも、心なしか面白そうにマニを見ていた。
そこで、師匠も助け船を出す。
「ま、アンレスタ国の王族だからな。リゲル国としても、邪険に扱う理由はねぇだろ? 元とはいえ王族、丁重に扱ってりゃ、なにかしらに使えるかもしれねぇし」
「…………」
エリザベスさんは疑うように、師匠を見る。行き当たりばったりの師匠の発言に、流石に辟易しているようだった。とはいえ、師匠の提案を考え無しに突っぱねるほど、エリザベスさんは馬鹿ではない。
師匠の提案。二人の安全をリゲル城が請け負う。この二人には利用価値がある、と。
そんな、露骨な提案だ。
それを飲み込むか否か。それを、エリザベスさんは考えている。
「……いきさつとしては」エリザベスさんはまた、二人に視線を戻した。「リュークさんがアンレスタ国のアンレスタ城にいるマニさんに事情を聞きに行くと、そこでレン元左大臣とアンレスタ国国王のレオ王が待ち構えていて──マニさんとユニさんはそこから避難してきたと。それで合ってますかね?」
「ええ……合ってます」
ユニさんが力なく頷く。
どんな判決がエリザベスさんの口から出てくるのか、気が気でないのだろう。
ここからは、多分、エリザベスさんとユニさんの土俵だ。俺達は、口を挟むべきじゃない。
土俵というよりは、戦場か。
「……避難。亡命。まぁ、どんな言葉を使ってもいいですけれど、しかし……元左大臣も加担していたアンレスタ国での事件の首謀者が夫、というのは。リゲル城での印象が悪いのは、言わずとも分かってくれますね?」
「……ええ」マニの代わりに、ユニさんが答え続ける。レオ王の画策についてはユニさんも知らなかったこととはいえ、大人の対応だった。
「それらの事情を抜きにしても、隣の国の王族ですから、ね。リゲル城内でも、意見が分かれるところでしょう。もちろん、この話は内密にするつもりではありますが──ただ、リュークさんの左腕が直っているということからも、なにかがあったことは城の人間には遅かれ早かれ、露見しますから。それと同時にリゲル城に来た二人のお客さん、というのは……怪しまれても仕方のないことですよね」
「…………」
ズバズバと、痛いところをエリザベスさんは突いていく。
たとえ情報統制を敷いても、師匠の左腕が元に戻り、レンが捕らえられたという事実は、いずれ城中に広まる。師匠の方は、何が起こったか推察出来ないほど訳の分からない現象だけれど、レンが捕まったという事実は、いずれよからぬ疑念を呼ぶと。そう言いたいらしかった。
確かに、リゲル城で過ごすのならば、二人のお客さんとしてだろう。ただ、このタイミングでのそれは、安全を確実に確保するのは難しいと。
そういうことだ。
「……いえ。それでも、構いません。それに、ただで匿ってもらおうとは思っていません」
ユニさんは、決断したようだった。
「私が知っていて、なお且つエリザベスさんが知りたい情報は、惜しみなくお教えすると約束します。もう、レオは死にましたし──私達は、アンレスタ国を捨てます」
「…………」
それは。
それは──ユニさんにとっては。自身の半身を捨てるかの如し、重い決断じゃないか?
マニはあまり、アンレスタ国に帰属意思を持っていないだろうけれど──ユニさんは、そうじゃない。
王の、妻だぞ。王妃だ。
その立場の人間が、国を捨てるなど。その決断は、どれだけの覚悟を必要とするのだろうか。
「……それはつまり、リゲル国に帰化すると?」エリザベスさんも慎重に、話を進める。「アンレスタ国の身分を捨て、リゲル国の人間になると? そういうことですか?」
「それでも、いいでしょう。たとえリゲル城で匿ってもらわずとも、私達はリゲル国内で生きていきます。そうするしかないというのもありますが……そう対応されるだけのことを、私の夫はしましたから」
「…………」
エリザベスさんはじぃと、ユニさんを見定めた。エリザベスさんには師匠のような《読心》はないから、その視線は、リゲル国の右大臣としての視線だ。
匿うか、否か。
当然、どちらにもメリットがあり、どちらにもデメリットがある。だから、どちらの方がより、リゲル国のためになるか。判断基準は、それだけだ。
マニやユニさんに個人的な情がないエリザベスさんにとっては、そこだけだ。
「…………」
それから。
数分、エリザベスさんは考えるようにして。
言った。
「……まぁ、いいでしょう。お二人の身柄を、リゲル城で保護します。それで、いいですかね」
「…………!」
ユニさんの驚く顔。それから、ユメルの安堵した雰囲気。それが、伝わってきた。
ユニさんは分かるけれど、ユメルが安堵しているのは──そうか、マニの所在が安定するのだから、嬉しいに決まっているか。
マニの方はユメルと一緒を望んでいるようだけれど、ユメルの方はそうではない。《有能》を持たないマニは、戦場から遠ければ遠いほど、ユメルにとってはいいのだ。だから、リゲル城で住処が安定するのは、ユメルにとっては万々歳ということだった。
それを察して、マニはなんだか複雑な顔だったけれど、ユニさんの顔を見てすぐに、嬉しそうに笑った。こんなところでも気を遣える、賢い子だった。
師匠も、満足げにニヤついている。
「ただ、こちらの要請には従ってもらいます。情報を聞くための聴取の要請です。それには、ユニさんが来られるということで、よろしいですか?」
「……ええ。はい」
「では。それで。すぐに手配しましょう」
言って、エリザベスさんは椅子を立ち、部屋を出て行った。マニとユニさんが過ごす部屋なんかの手配に行ったのだろう。
ユニさんはそれを見て、「……ふぅぅぅ」と、息を吐いた。緊張の糸が切れた、体の芯からの嘆息なのだろう、エリザベスさんの座っていた椅子から目を離さず、まるで世界に今ユニさん一人しかいないような雰囲気の深呼吸だった。
マニはというと、ユニさんの緊張などどこ吹く風というように、満足そうな顔でニンマリしていた。交渉のほとんどはユニさんがしていたというのにこの顔なのだから、調子のいい笑顔で幾度となく、マニは今までも難局を乗り越えてきたのだろう。すべてを上手くいかせてみせるという、万能感に満ち溢れていた。
俺はそれでも、魔物に襲われてなすすべなく泣いてたマニを忘れないからな……。
まぁ、それは置いておいて。ともかく、これで。
二人の身柄は、安定した。
魔物達の森にいるのも、アンレスタ国に帰るのも、どちらも選択肢として取れない今の状況ならば、おおよそ満点の展開だった。
よかった。これで、状況も安定した。
と、そこで、マニが頬を膨らませ、ぶー、と喉を鳴らした。
「……そういえば。リュークが言えば、話し合いなんてなくてもよかったんじゃない? リュークって、王族なんでしょ?」
マニはどうやら、リュークが協力してくれなかったことに不満があるようだった。不満があるといっても、ふと思いついて言ってみただけのイジワルなのだろうが。ただ単に、思いついたから言葉にしたという感じの言い方だった。
それを、匿ってもらう側が言うのも、マニにしか出来ないことだな……。
なんだかんだ、王の娘なのだ。良くも悪くも器の大きい娘だった。
「それは、無理があるだろぉ」師匠も笑って、マニの頭を撫でるようにする。「王族っていっても、今のリゲル城はエリザベスの存在が強大だからな……レンの野郎がいた頃からそうだったんだから、今はもっとだぜ? だから最低でも、お前ら二人が直接、エリザベスの信頼を勝ち取る必要があったんだよ。二人自身の言葉で、な。リゲル国の王族もいるリゲル城に一緒に匿うんだから、それにはあたしの言葉だけじゃ足りない。本人の言葉でエリザベスを説得しなきゃ、最後は、放り出されてただろうな」
「えぇー? リューク、立場弱くなーい? もっとこう、ビシっとしなきゃ」
「うっせえ! あたしはいいんだよ。あたしはエリザベスのこと信頼してんだから」
「うがー!」
と。
マニの頭をぐちゃぐちゃに撫でる師匠と。
それに対抗するマニと。
まだ、緊張が残っているらしいユニさんと。
そんな景色を眺めているユメルと俺で。
マニを愛でる時間みたいになっていた最後から──エリザベスさんの部屋で、そんな珍妙なパーティーは、終わりを迎えた。
短くも、楽しい、妙な時間だった。