十六日目──3
「じゃ、もう他にはなさそうだし──残っている謎、今はどうしようもない謎を出していって、それで仕舞いにするか」
時間を区切るように師匠が言う。昼とはいえ、早い内にリゲル城に到着しておきたいのだろう。レンの移送という、神経を使う課題も残っているし。
けれど、残っている謎、か。それならば、いっぱいあるっちゃ、いっぱいあるんだよな。
四ツ目の望む未来。
《転移》の持ち主。
残る四つの《有能》。
それに、魔女の本。
更に、書庫。
ぱっと思いつくのは、これぐらいだ。
「……書庫ってのは──ソラとユメが確認したとき、部屋ががらんどうになってたってやつか?」師匠が思い出すようにこちらを見た。
「そうです」ユメルをちらりと横目で見ながら、俺も答えた。
あの時の状況。
師匠がアンレスタ国に偵察に行き、俺とユメルが、リゲル城に師匠の手紙を出しに行っていた時のこと。
隙間時間で、二人で書庫に行ってみたのだ。
師匠もそこで異世界の存在を知ったらしいし、俺が四ツ目と初めて会ったのもあの書庫だった。だから、なにかのヒントがあるんじゃないか──と、二人で行ってみた。
そうしたら。
そこにあったはずの書庫が、なくなっていた。
正確には、部屋自体はそこにあったのだけれど──四ツ目と初めて会った時に見た本棚の群体は、綺麗さっぱりなくなっていた。
なにもない部屋しか、そこにはなかった。
「……あそこは、王族しか出入り出来ないようになってるからな……そんなことが起こってても、誰も気付かないって話は、ある」師匠は低い声で言う。「……あの書庫な。それも、エリザベスと確認する必要があるか。エリザベスですら、あそこには入ったことないかもしれないしな」
エリザベスさんですら。右大臣ですら、あの書庫には入ったことがないのか。
なら、そこに堂々といた四ツ目とアーロンは、やっぱり異質な存在に映る。
なにを考えているのか。なにが目的なのか。
少なくとも最低限分かるのは、リゲル城のルールなんて欠片も、あいつらは守る気はないのだろう。これを認識するのは今更ではあるけれど。
まぁでも、これで、書庫に関しては今は考え尽くした。
ならば、次だ。
「次。その、前三つはともかく──魔女の本。これはなんなんだろうな」師匠は言って、ユメルを見るようにした。
「……さあ」と、ユメルはあからさまに吐き捨てるように、無表情で言うのだった。「『魔女』、と《伝心》、と書かれてる本ですよね。あれ、なんなんですか?」
ユメルにも分からない、と。ユメルがエリザベスさんに貰ったものだというのに、それについてはあまり触れてほしくはないようだった。エリザベスさんとの舌戦を思い出すのだろう。苦い雰囲気を、無表情のままで醸し出すユメル。
『魔女の本』。
ユメルがエリザベスさんに貰った、というより、いざこざの隙に取ってきたというような感じの本。そこには、ほとんどなにも文字が書かれていなかった。炙ったりしてみようかという師匠の提案も、保存性の観点から今は保留になっている。
ほとんど、文字は書かれていない。
ということは、少しは文字があったということで。文字があったページがあったということで。
そこには。
左ページに、『魔女』と。
右ページに、《伝心》、と。
丸っこい感じの文字で、そう書かれていた。
「……まぁそうなると、四ツ目と《有能》に無関係なわけないわな」師匠がユメルから視線を切って、自分の家の中に入る。そうして出てくると、手には魔女の本を持っていた。「あれから、誰か確認したか、これ?」
師匠は言いながら、本をパタパタと捲っていった。ちなみに、誰も確認していないようだった。
本なんか見ている暇はない。それどころではなかったし。
「…………ん。んん?」
と。
師匠はそこで、ページを捲る手を止めた。顔を歪ませ、眉間にしわを寄せる。
なんだろうか。
なにか、あったのか?
「……いや、見てみろよ、これ」
「…………?」
師匠は、手を止めたページをこちらに見せるようにした。
師匠以外の四人が、そのページを覗く。
そこには。
「…………これは」
『魔女』と《伝心》と同じ、丸っこい感じの文字で。
左ページに、『奇術師』と。
右ページに、《合身》、と。
そう、書かれていた。
「…………」
いや、これ、どう考えても──バンのことだよな?
「次、こっち見てみろ」
そうして、示されたページには。
左ページに、『王族』、と。
右ページに、《読心》、と。
書かれていた。
同じ筆跡。
「…………」
「次は、こっち」
師匠はどんどん、新しいページを開いていく。
そこには、例に漏れず、全て同じ筆跡で、同じようなことが書いてあった。
左に、『教祖』と。
右に、《死隊》と。
「…………」
次に示されたページには。
左に、『左大臣』と。
右に、《夢幻》と。
書かれていた。
「…………」
そこでどうやら、師匠が見つけた新しい発見は終わりらしい。
終わり、らしいが。
これ──この本。この組み合わせ。
もしかしなくとも。
この本、《有能》に関係する本なのか?
いや、その結論自体は、師匠のものと変わらないのだけれど──でも、そうだろう。ここまで情報が出揃ってしまえば、そうとしか考えられない。師匠の予測が、確信に変わるのだ。
左に、所有者。
右に、所有している《有能》。
そういう書かれ方を、明らかにしているだろう、これは。
「……これ、魔女の本なんかじゃなくて、《有能》の本、なのかもな」師匠が言う。「最初に書かれていたのが『魔女』と《伝心》だったってだけで、本来はこうして、《有能》のことが浮かび上がってくる本、なのかもしれん」
《有能》のことが浮かび上がってくる、本。
誰も、この本に書き込んだりしていないのに──勝手に、こんな内容が浮かび上がってきた。
それも、俺達の得た情報に呼応するかのように。
「『《有能》の本』っつう、呼び方の方が正しいだろう、ここまでくると。『魔女』はあくまで《伝心》の所有者として書かれていただけで、この本自体は……」
魔女とは関係ないのかもしれん、と。師匠は最後に、そう締めくくった。
たしかに、これが『魔女の本』だと考えた理由は、そもそもエリザベスさんがそう言っていたのをユメルが聞いたからで──じゃあエリザベスさんはどうしてこの本を『魔女の本』だと判断したかというと、唯一文字が書かれてあったページに、『魔女』と書かれてあったからだ。だから、エリザベスさんはこの本を『魔女の本』だと判断した。他に判断のしようがないからだ。
ただ、それが間違いだとするならば?
時系列を、思い返す。
マニ救出の折、ユメルが《伝心》に目覚めた直後のこと。この本の、『魔女』と書かれたページの反対、右のページに、《伝心》という言葉が現れた。誰も書き込んだりはしていないというのに、ひとりでに。
そうして、アンレスタ城での攻防を通しての、今日。
《有能》を持っている人間の属性と共に、《有能》の名前が現れた。
これは──師匠の言う通り、《有能》に関する本だと判断するしかない。そうでもなければ、ひとりでに文字が浮かんできたりしない。
「……エリザベスさんは、五年前に知らない女に貰ったと、言っていました」ユメルが思い起こすように言う。「その知らない女とやらも──どうやら、関わってくるでしょうね」
「…………」
「この特徴的な文字も──女が書いたような文字ですし。無関係ではないでしょう」
「…………」
どんどんと。
不確定で未確定の、情報が増えていく。
清算された情報は数少なく、解明された謎もあるにはあるけれど。
分からないことの、大演壇。
知らないことが、自分の及びもつかない場所で、水面下に走っている。
そんな感覚。
俺達は、ぎりぎりだ。ぎりぎりで、この人生を生きている。
本当に。
「……そもそも、五年前とはいえ、エリザベスがそんなに無警戒に物を受け取るのだって、不自然だしな。エリザベスがそんな無茶をするとは、あたしは思わない。だったら──それも、《有能》だったりするのかね」
「…………」
五年前から。《有能》を持っている人間の暗躍があったと。
そう言いたいのか、師匠。
でも、バンだって《合身》に目覚めたのは五年前のことだ。それに、詳細が分かってない《有能》があと四つもあって、《転移》だって所有者は分かっていないのだから──それも、仕方のない思考なのか。
五年前。
なにが、あったのか。
四ツ目。
なにを、しているのか。
「……てとこで。この本のことも、エリザベスに聞きに行こうじゃねぇか。ちょうどいい、ユメが相手じゃ話せなかったこともあるだろうしな。腹の暴き合いがない今なら、なにか見つかるかもしれん」
と。師匠は、俺達を見渡した。
この会合を、そうまとめた。