十六日目──2
「じゃあ、もう一つ。エリザベスのところに行く前に」
師匠は言って、俺達が囲んでいる焚火からちょっと離れた場所にある、太く生えた木を親指で示した。そこには、幹がかなり太く育った大木が生えている。魔物達の森の中でも老齢な方に分類されるだろうその木は、ルークが爪を研ぐ時に使われていたものだ。
その木。
いや、正しく言うと、師匠が示したのはその木ではない。
その木の、根っこの辺り。地面とその木の境界の部分。
そこに。
人が、縛られていた。
鎖で体を完全に木に固定し、腕は動かないようになっている。足は、その木から地面に向かってだらんと伸びていた。木が生えている根っこのところに、座るように縛られているから、重力の影響はあまり受けていなさそうである。というか、そう縛ったのは俺なんだけど。
極めつけ。
その縛られている人の極めつけとも言える特徴は、目隠しだ。
何重にも布を頭に巻き付け、その人の目は隠されている。万が一にも視界が解放されないように、という意思が伝わってくるほど、それは厳重な目隠しだった。
レン。
その人だった。
「……ん? なんだ、ワタシのことか?」
と。俺達の視線を感じ取ったのだろう、レンは顔を上げ、こちらを見る。もっとも、目隠しをされている状態だ、光すら通らない真っ暗な視界内で、声のする方向を見ただけなのだろうけれど。
「フン。なんだ、ワタシはお主らに協力すると言っておるだろうが。それが望みなんだろう?」
「…………」
と、こんな調子で。
レンはここに来てから、ずっとこんなことを言っているのだった。
昨日。レオ王が自死し、それから、俺は魔物達の森に帰ってきた。走る体力もなかった。から、歩いて。間違ってもアンレスタ国の地図を落とさぬよう、そしてルーク爪を失くさぬよう、歩いて。そうして、ぎりぎり太陽が昇る前くらいに師匠の家になんとか帰ってきた俺がまず見たのは、レンの目を隠すためのナニかを探している師匠の姿だった。俺に言っていた通り、師匠は先に家に帰ってきていたのだ。そうして、目隠しを探していたらしい。もちろん、そんな便利なものが都合よくあるわけもなく、なにかで代用しようとしていたようだった。
他の仲間はというと、皆、その時には既に休んでいるようだった。だから、師匠はあまり音を立てないように、レンの目隠しを探していた。
師匠は、レンに《読心》の効果をかけたまま、動けないレンを担ぐように持ち、家の中を物色していた。自分の家なのだから物色とは言えないけれど、なんとも吞気そうに、鼻歌でも歌いながらの捜索だった。まるで、下手くそな泥棒みたいだった。
で、師匠は帰ってきた俺の姿を見て──というか俺の方が、自分の家を物色していた師匠と目が合って。それで、色々言いたいことはあるけれど、まずはレンのことからということで──師匠の家の中から布を探し出して、レンの頭、特に目が隠れるように布をぐるぐる巻きにして、そうして第一段階クリアだった。
なんで、目を隠すのか。
それは、ひとえに《夢幻》の発動条件だからだ。レンの視界内に入ると、《有能》の一つである《夢幻》の発動条件を満たしてしまう。だから、それを防ぐために師匠は目隠しを探していたのだった。
今までの、アンレスタ城から魔物達の森までの道中は、師匠の《読心》によってレンの心を掌握することで事なきを得ていた。だから、それを継続すれば、目隠しなどなくてもレンの《夢幻》は無力化出来るのだけれど──ただ、そうすると今度は師匠の方が問題になるのだった。レンを拘束するために《読心》を使い続ける、それが出来ればたしかに安心なのだけれど──師匠の体力も消耗するだろうし、この場所から師匠が動けなくなってしまう、など。《読心》によるレンの拘束には、その辺りがデメリットとして存在するのだった。レンを拘束する、それだけのために師匠が常に《読心》を使って拘束するわけにもいかないということだ。
それは避けたい、ということで、師匠も言っていた通り、《夢幻》の発動条件には目隠しで対策することにした。これなら、レンは目の前の布しか見ることが出来ない。同義で、《夢幻》を発動出来ないということだ。
アンレスタ国全体に《夢幻》をかけていたことから察するに、《夢幻》は非生物を対象にとることも出来るのだろうけれど、視界を覆う布しか対象にとれない今の状況は、レンにとっては《夢幻》を封じられたに等しいはずだった。これで師匠の自由が約束され、さらに《夢幻》を持つレンの戦力を奪ったことにもなるのだ。
レンの頭に布をぐるぐるに巻き、《夢幻》を使えなくして。
それが、第一段階。
それから、第二段階。
視界を塞いだとはいえ、身体が自由に動けるなら、目隠しの意味がない。ということで、今度は身体の自由を奪う必要が出てくるのだった。目隠しをとられないように。
で、これも師匠の家のあちこちをひっくり返して調べてみると、だいぶ長い鎖が転がっていた。なんのためにこんなものをここに持ってきたのか師匠に聞いてみたら、「色々、使えるかもしれねぇもん持ってきたんだよ。ほとんどガラクタだろうがな」とのことだった。こんなものがここにあるり理由には、特に必然性はないらしい。で、持ってきた理由がないということは他に使う予定がないということで、その鎖でレンの身体を縛ることにした。馬鹿とハサミは使いようだ。
レンの身体を大木に、鎖で固定して。腕は動かないように、厳重に。
それが終わったところで、師匠がゆっくり左目を閉じるようにした。すると、レンが、金縛りが解けたみたいに息を吸い込みだした。《読心》の心掌握が終わったのだろう。「──、ガハっ、が、グぅ……」と、《読心》の人心操作から解放されたレンは少しの間、前後不覚のようにぼー、としていた。そうして、《夢幻》が使えないことをちゃんと確認して、場は一安心だった。
で。問題はここから起こった。
状況を理解し、《夢幻》も使えないことを確認してから。
レンが、俺達に協力すると言って聞かないのだ。
レオ王の最期を師匠に報告しようとしていたその時の俺は、自分でもわかるほどに耳を疑った。あの、アーロンの信者のレンが? と。
真偽を確かめようと思えば、師匠の《読心》で簡単に確かめられる。が、そこでは師匠は確かめなかった。「……ま、ソラの休憩が先だろうな」として、レンのことは後回しにするみたいだった。いや、正確には《読心》で心を読むこと自体はしたんだろうけれど、俺の体調を鑑みて、その先は今するべき話じゃないと判断したのだろう。レンは拘束した。だから、休むくらいの時間がとれるという判断だった。
で、レオ王の最期のことは最低限、師匠に話して──俺は眠り。
そこから、今日の明け方。つまりほぼ丸一日の眠りから覚めて、そこからなんやかんやあって。
今に至ると。
なんやかんやは、なんやかんやだ。食事だったり、俺が眠っている間に何が起こったのか聞いたり。あと、俺には、命を捧げ他者を救ったあの英雄の墓を作るという役目があったから、それをしたり。
なんやかんや。
それで、昼間になったところで、これからのことを話す場が設けられた。それが、この会合だった。
そうして──エリザベスさんのところに行く前に。俺達は、考えなくてはならないことがある。
当然、レンのことだ。
「……ちなみに最初に言っとくと」と、昨日の日の出前のことを思い出しながら、師匠は言う。「こいつ、本心で言ってるみたいだぜ。あたしの《読心》には引っかからん」
アーロンを裏切り、俺達に協力すると。レンは本気で、俺達にそう言っているようだった。
本心でこれを……師匠が言うのだから間違いない。
ならば、目的は? なぜ、あれだけ信仰していたアーロンをこうも簡単に裏切れるのだろう。
「フン。簡単じゃないさ」声のする方向に顔を向けたまま、吐き捨てるようにレンは言う。「ワタシにとってアーロンは、今でも尊敬の眼差しを向けるに値する人間だよ。たとえ、その裏になにかカラクリがあるのだとしてもな。だが、ワタシ自身の命ほどじゃない。ワタシが死んでは元も子もない。だから、お主たちに協力する。それだけだ」
「……昨日──いや、日はまだ回ってなかったか。なら一昨日。あんたは言ってたはずだ。アーロンに奉仕するのが自分の悦びだと。あれは嘘だったのか?」俺も、一昨日のことを思い出しながら、レンに語り掛ける。
「いや、嘘じゃないさ。だが、アーロンに奉仕するのだって、この体がなければ出来ないだろう? ワタシは死にたくない。それならお主達に協力するのもやぶさかではないということだ」
「あたし達に協力した時点で、アーロンの敵になったも同然だろ。それなら意味がなくないか?」師匠もそこで疑問を口にした。
師匠は《読心》を使って心を読みながら質問をしているのだろうけれど。
レンは平然と答える。
「いや、意味はある。生き残ってしまえば、それだけで選択肢が出来るも同然なのだから。なればこそ、今はお主に協力してもよい。その後のことはその時に考えればよい」
「……あたしがお前を解放するとでも? どれだけ協力されたところで、あたしらはお前を解放なんてしねぇぞ」師匠は聞き続ける。ここまで反応がないということは、《読心》を使った結果、レンは嘘をついていないという事実しか分からないということだ。「それでもいいと?」
「いいさ。生き残れば、なにかがあるかもしれないだろう」
「…………」
そこまでいって、師匠はこちらを見、首を振った。
つまりは、本心ということ。レンの言葉に偽りはないということだ。
こうなると。
こうなると──俺達は、どうすべきだ?
どんな手を取るにしろ、情報を聞き出してからになるだろうが──俺達はレンを、一体どうすればいいのだろうか。
「こいつなぁ……左大臣の仕事をぬけぬけとリゲル城でしといて、あたしの《読心》に今まで引っかからなかったのが疑問だったんだけど、今《読心》で見てみたら分かったわ。こいつ、あたしと会う時は絶対に、式典なんかで、人がごった返してるところを狙ってたみたいなんだよな。《読心》が未熟だったのもあって、それであたしの《読心》を回避してたみたいだ。その辺も、アーロンに指示されてたのかな」師匠が頭をかいて、面倒そうに言う。「それに、あたしに使われた小型の爆弾……あれも、多分アーロンの差し金だろ? あたしの知る限り、《死隊》で隠せるほどの小型であの威力の爆弾なんて、リゲル国にはない。さっきユニにも聞いてみたけど、アンレスタ国にもそのレベルの兵器はないそうだ。だから、アーロンの自作だろうな……ちっ、めんどくせぇ」
師匠は苛つきを隠さないまま、そう言った。爆弾とやらも、今は欠片も残さず爆散した以上、そこに手がかりもないだろうし──そういうアーロンの周到さに、師匠は苛ついているらしい。そこは俺も同意見だった。
敵ながら、考え抜かれている。やはり、こいつらはかなり計画的に動いていたということだ。
師匠も知らない、高性能の兵器。それを、《有能》と併用してくる。
そんな敵の、その手先を、俺達はどうすればいいのか。
「……ま、こいつの言い分はともかく。情報を聞き出すのは、エリザベスのところに行ってからだ。どうせ、エリザベスも聞きたがっているだろうしな。だから、今ここでは何も出来ねぇよ」
師匠が投げやりな感じで言った。そんな予定も、苛つきながら同時に立てているみたいだった。
エリザベスさんのところに行ってから、か。それも確かに、効率のいい方法だ。時間の有効活用を図る師匠らしい策だった。どうせリゲル城に行ってからも、エリザベスさんの要請で尋問をすることになるから、ここではやらない、と。
となると師匠の言う通り、レンのことは、今はなにも出来ないということになる。
となると?
他に、なにかあるか?
アンレスタ国のこと。そしてレンのことと来て。
「……ユメ、よぉ。エリザベスに《伝心》出来ねぇの?」レンのことは終わりという意思表示なのだろう、パンと手を打って、師匠は今度はユメルを見て言った。「それが出来りゃ、あたしがわざわざリゲル城に行かなくてもいいんだけど」
「……無理ですね」ユメルもまた、レンから視線を離し、師匠を見る。「《伝心》の発動条件、覚えてますよね? こちらから情報を伝えるのは無条件で出来ますが、相互の《伝心》はある程度の親密さが必要です」
「……てことは、エリザベスとはダメなわけか。かー、それもそうか」
師匠はぶつくさと、それでも駄目元で聞いたような感じで言った。《伝心》。その《有能》で、師匠はエリザベスさんと会話をしたかったようだった。
ユメルの持つその《有能》で、エリザベスさんと会話が出来れば、たしかに楽な展開だっただろう。わざわざリゲル城に行かずとも、レンの情報をエリザベスさんに共有できる。それは時間の短縮にもなるし──それ以上に、レンという《有能》の所有者を移送することに付きまとうリスクを回避するという意味にもなるのだ。万が一レンに、移送中にでも逃げられたら、目も当てられないだろう。《夢幻》持ちが自由になるなど、そんな戦場は考えたくもない。《有能》を持っているというのは、それだけの意味を持つのだ。
結局、前回の騒動に関しては、《合身》を持つバンに振り回されたと見ることも出来るのだし──《有能》は、それだけで、そこにあるだけで、周りに影響を及ぼすのだった。
あの、俺と殺し合った英雄。
「…………」
まぁ、それはいい。今は、この会合のことだ。
《伝心》のこと。ユメルは今は、エリザベスさんと相互の会話が出来ないということ。師匠も期待してユメルに聞いたのだろうけれど、無理なようだった。ということは、ユメルとエリザベスさんの間には、ある程度の親密さはまだないということだ。
それも、そう。得心できる話だった。思い返してみると、ユメルとエリザベスさんの間にもかなり、良いとは言えない空気が流れているのだ。マニ救出の時に初めて話してから、ユメルは結構、エリザベスさんのことを苦手としているらしい。
一度、騙されかけたトラウマというか。
そんなところらしい。
だから、《伝心》でエリザベスさんと会話は出来ないと。
「じゃあ、全員でこれからエリザベスのところに行って。そんで、レンの事情聴取って感じだな」
「……そういえば。師匠、左腕のこと……なんて説明するんですか?」
そこで一つ、気になったことがあった。エリザベスさんの認識だと、師匠には、左腕を失くす大事件が起こったままのはずなのだ。
なのに、今は左腕がある。生えている。
そこを、どう説明するつもりなんだろうか。
「あ? そんなの、全部言うに決まってんだろ。エリザベスは《有能》について知っちまったし。隠す意味もねぇだろ」
「…………」
「ま、エリザベス以外には強引にでも誤魔化すけどな」
それが師匠の予定らしかった。なんとも豪快で、威勢のいい。
まぁ、これは俺の質問のほうが愚問だったか……エリザベスさんは《有能》についてもう知ってしまったのだから、既にエリザベスさんも、疑似的な仲間と言っていいのだ。師匠とも関係良好(?)みたいだし──ならば俺も、エリザベスさんに隠し事はしないようにしよう。
ユメルの苦手意識も、この分なら、その内解消されるかもしれなかった。その苦手意識の要因の大部分は、こちらの秘密を覗いてくるようなあの視線だろうし……だから、秘密を持たなくてもよくなったのなら、苦手意識の要因が消えたも同然だ。
エリザベスさんも、仲間。
そう思うことにしよう。慣れるまで時間はかかりそうだったけれど、それはそれだ。
「で。他に何かある奴いるか? 今話しとくべきこと」
師匠は言って、俺達を見渡す。俺も言われて、考えてみた。ユメルもマニもユニさんも同じようにしている。
アンレスタ国のことはもう話した。リゲル国のこと、レンのことも、エリザベスさんに会ってから。それで《伝心》では、エリザベスさんに会話を試みることは出来ない。
となると、残るは。
「……はい」と、そこでユメルが手を挙げた。「……結局、《有能》の同時発動って試したんですか?」
ああ、それがあった。
師匠は今、《読心》と《合身》の、二ツの《有能》を同時に所持している。昨日はレンの拘束優先で、博打的には試せなかったけれど、今はその制約はない。
ならば、《有能》の同時発動──試してみたいところではあった。
ユメルも《伝心》を持っているのだから、《有能》に関することは知っておきたいのだろう。
「ああ、それなぁ。時間がある時に、もうやってみたんだけどよ」けれど師匠は、自分の手を見つめながら瞬きするようにする。「どうやらどうやら、出来ないっぽいわ。どっちか、単体なら発動出来んだけどな……《合身》も、バンの話を思い出しながら、その辺の草とか石でやってみたら出来たし。ただ、《読心》と《合身》の同時発動は出来ないっぽい。どっちかを発動するとどっちかが切れるのが、感覚で分かるんだよな」
「……そうなんですか」
《有能》の複数同時発動は出来ないらしかった。
ちゃっかり《合身》の発動だけは出来ているあたり、師匠の器用さが覗き見える感じだったけれど、それでも駄目らしい。それで、師匠以外には《有能》を複数持っている人間がいないから、他の人で試しようもないと──ただ、たとえそんな人がいたとしても、師匠で無理なのだから、他の人でも無理なんだろう。
と、そう、俺なんかは思った。
出来る存在がいるとすれば。
人ではない、四ツ目くらいのものだろう。
《有能》の元の所有者。
ユメルはなんということもなさそうに、手を挙げていたのを引いた。まぁ、師匠が《合身》を持つことになった経緯から珍しいものだろうし、あんなことはそうそうないと判断したのだろう。ユメルが《有能》を複数持つことなんて、この先まずないだろうから──だから、《有能》が同時に発動出来なかったところで、自分にはあまり関係のない話だと。そう、ユメルは思考を切り詰めたようだ。
「これが、《読心》と《合身》のセットだからなのか。はたまた、他の組み合わせなら同時に発動出来るがタッグがあるのか……もしくは、三つ以上も、だな。その辺、実験してみないことには何とも言えん感じ」と、師匠はそうまとめた。「ま、二つ以上の《有能》を同時に所有する状況なんて、そうそうないんだろうけどな……あたしみたいな特殊な場合じゃなきゃ、多分、ないんだろう。今までの傾向からして、《有能》は一人に一個ずつだから──ま、頭の片隅にでも置いといてくれ」
四ツ目のことは例外として、師匠は言った。まぁ、それは正しい判断だろう。
と。
そこで、連想的に、思いつく。
師匠が《合身》を持つことになった、経緯。
それを考えて──一つ、思いついた。
今のところ。そういえば、師匠は、指輪のことをなにも言っていない。
折衷現象に遭った婚約者に過去に貰った、あの指輪。そして、《死隊》の暴走を止めるための戦闘で、失くしてしまったあの指輪。
あの指輪のこと、師匠は、なにも言わなくてもいいのだろうか。結局、その恨みはレンに晴らせなかったのだし──ならばその怒りは。
指輪のことは、師匠の中で、どういう風に落ち着いたのだろうか。
あんなことがあったのだ、別に、師匠だけが不幸を被ったわけではないだろうが、それでも、折衷現象に遭った人間に関係するものは意味合いが違うはずである。
俺にとってのあいつ。
ユメルにとっての両親。
師匠にとっての婚約者と弟。
そこに関してだけは、俺達の間で、持つ比重が違ってくるはずなのだ。
それでも、師匠は今のところ、指輪については何も言っていない。淡々と、自分が一番仕切りに向いていると言わんばかりのペースで、師匠が会合を仕切っている。そこにはなにも、負の感情は感じられない。
「…………」
いや、それでいいのか。それでいいのだろう。師匠がなにも、言ってこない以上は──詮索する必要もないのだろう。
それが、仲間というものだ。
互いの人生を賭けているからこそ、聞かないこともあると。
そういうことにしておこう。