月めくりエッセーApr. 入学式に思う
◆桜の森の満開の下
転職のため五〇歳直前に入った専門学校は別として、入学式といえば、わずかに高校のそれを覚えている程度である。
長い学校生活のスタートなのだから、小学校の入学式当日のことは、ちゃんと脳裏に刻み込んでおくべきだった。田舎のこととて、写真などは遺っていない。悔やまれるところだ。
やんちゃ坊主だった。幼稚園では暴れるので、倉庫に閉じ込められたこともあったらしい。園児の勢いそのまま、唇を噛み、目をキラキラさせながら入学式に臨んだであろうことは、想像に難くない。
それと、もうひとつ確実なことがある。間違いなく、桜が満開だった。
◆学校と共に歴史刻む
学校は四国三郎・吉野川の支流域、山間の狭い土地に建てられていた。
山地にしてはなだらかな坂を登って行くと、校門があり、前方に運動場が広がる。左手には、つい先日まで通った幼稚園舎。運動場の奥に小学校・中学校と、木造校舎が並んでいた。
過疎化の波には抗えず、いずれも廃園・廃校になって久しい。
桜の木は校門にあった。 ソメイヨシノの古木だった。幹が少し朽ちていた。見事な花を咲かせていた。うららかな陽光を浴び、周辺にほのかな香りを放っていたものだ。
田舎ならではの、一〇年間一貫教育だった。高校は都会にあったので、気分一新、入学式が印象に残っていたのだろう。
◆新人の初仕事は
わが国では長く、桜は入学式を象徴するものだった。
入学式の祝辞は「桜も満開のこの佳き日‥‥」などというのが決まり文句だった。
かつて大学の合格電報も「サクラサク」と、簡にして要を得たものが常用された。
それかあらぬか、学生帽の帽章は桜の花びらのデザインと相場が決まっていた。
余談ながら、新入社員の初仕事は花見の場所取り、などという時代が長く続いた。
会社で花見の宴が催されると、ゴザやシートを持った先遣隊が出発した。これは新人で編成され、スペースを確保するのが任務だった。入社早々、即戦力になっていたのだ。
◆忍び寄る温暖化の影
今日、ほとんどの地域において、桜の満開は入学式さらには入社式より早まっている。地球温暖化が進行していることを、いやがうえにも実感する。
「葉桜の下で校門をくぐったのでは、入学の喜びも半減するだろう」
などと、高齢者は余計な思いにとらわれる。
それはそれとして、社会情勢を考え併せると、フレッシュマンたちの未来は決して明るくない。
これは大人の責任だ。葉桜を見て感慨にふけっている場合ではないのだ。もちろん、温暖化は陰謀論だと主張する向きもある。百歩譲って、あなたなら、愛する子や孫の入学式をどんな季節に迎えさせたいだろうか。花も笑むーー桜の花が咲き誇る日に越したことはない、と思うのだが。