*ヴェイル視点 9
野営地へ急ぐ中、抱え込んだステラの体は、苦しそうに小刻みに震えていた。そのまま彼女の呼吸が止まってしまいそうで、俺の足は何度も、恐怖に竦みそうになった。それでも、俺は一直線に森の中を駆け抜けた。その時の俺には、それしかステラにしてやれる事がなかったのだ。
そうして、野営地に辿り着いた俺は、すぐにゼイン医官に助けを求めた。ゼイン医官の治療は適切で、暫くするとステラの顔には血の気が戻った。
もう問題ない。
いずれ目を覚ます。
ステラの身を王宮へ移した後、医官には、何度もそう言われた。
しかし、俺はこの小さな手を、いつまでも離すことは出来なかった。
ステラ、ステラ、ステラ…。
早く目を開けてくれ。
どうか、俺を見て…。
「愛しているんだ。」
そう言葉にしたら、もうダメだった。
健気で、可愛くて、頑張り屋で、それでいて強い意志を持っている彼女に、とっくに落とされていた自分を自覚してしまった。
神の運命になど負けないと、あれだけ息巻いて生きてきたというのに。
俺も所詮は父上と同じ、神の手の上で踊っていたに過ぎなかったのだ。
神から見た俺は、さぞ滑稽だっただろうな。
でも、もう、それでいいか...。
俺は、番を、ステラを愛してしまったのだから。
でも、ステラはサージェントの女性だ。
近い内に、国へ帰る。
どうすればいい?
どうすれば、彼女を手元に置いておける?
どうすれば...。
兄上に頭を下げて、頼むしかないだろうな。
アデライード陛下にも、正直に全てを話そう。
もう俺のプライドなど、どうでもいい。
ステラが俺の側にいてくれるなら、何でもしよう。今まで苦労させてしまった分、全力で彼女を甘やかそう。
空の切れ目から見えた日の光のように、濁っていた俺の心が、晴れていくのを感じた。
目を覚ましたステラは、まだ意識が混濁しているのか、頭を撫でる俺の手に、頬を擦り寄せて甘えていた。その可愛らしい姿に、俺の心と体が安堵と喜悦で満たされていく。気付くと俺は、ずっと彼女の頭に手を当てていた。
ステラの意識がはっきりした後は、彼女の負担にならない程度に話をした。結局は大泣きさせてしまったが。
仕事に戻ろうとしたステラを押し留め、名残惜しみつつも彼女をゼイン医官に任せると、僅かな時間で診察を終えた医官が部屋から出てきた。
「ゼイン医官、ステラは?」
「今、また眠りました。体は完治しておりますが、体力の消耗が激しい。このまま暫く休ませておいた方がいいでしょう。」
「そうか...。」
「殿下、ここは、私の部下にお任せ下さい。アデライード陛下が、殿下にお話があるそうです。」
ステラの下へ行こうとした俺を、ゼイン医官が止める。
俺は、ステラが眠る部屋の扉を見た後、仕方なく医官に従った。
ゼイン医官に続いて向かった先は、サウザリンド王の執務室だった。
その部屋では、兄上と、通信機によって映し出されたアデライード陛下、二人の大国の王が、俺を待ち構えていた。
「ヴェイル、座れ。」
「はい、兄上。」
俺は迷う事なく、アデライード陛下の正面の位置に座った。
「ヴェイル殿下、竜の討伐、見事でした。世界は貴方のお陰で救われた。サージェント王国を代表してお礼を。」
アデライード陛下が、右手を胸に当てて頭を下げた。
それは、騎士の礼。
騎士団を率いるアデライード陛下らしい感謝の表し方だった。
「竜を止めたのは、ステラです。その謝辞は、ぜひ彼女に。」
「そうか。そう言われては、ステラを怒れないな。あの子にも、しっかり褒美を与えよう。」
「ぜひ。」
欲のない彼女の事だ。
きっと目を丸くして、慌てて辞退するのだろう。
フッとステラの可愛らしい顔が浮かんで、俺の頬が緩む。
「それで?殿下は、私に何か言う事があるのでは?」
和やかだった空気がガラリと変わり、押し潰されそうなほどの重圧が襲い来る。
俺は、覚悟を決めて話し始めた。
「陛下の侍女、ステラ・バレリーは、俺の番です。俺は十八年間、番を迎えることはしませんでした。それが、彼女の存在を否定する事に繋がると分かっていても。俺は、自分のプライドを優先しました。しかし、俺は、彼女の優しさと強さに惹かれ、脆さを愛おしいと思いました。陛下からすれば、今更とお思いでしょう。ですが、俺は、ステラと生きる未来を望みたい。どうか、どうか!彼女に俺の想いを打ち明ける許可を頂きたい!」
俺は、アデライード陛下と兄上に頭を下げる。
重い沈黙が、俺の背にのし掛かった。




