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「ああなったニルセンは、放って置いた方がいい。メルデンも他の部下も近くにいる。大丈夫だ。」
ヴェイル殿下は、私の腕を引いてニルセン様とアレン様に背を向ける。
未だ言い争っている二人は、遠ざかっていく私達に気付いてはいなかった。
そうして連れて来られたのは、私が仕事用に使わせてもらっている天幕だった。
ヴェイル殿下は深い息を吐き出すと、背負っていた長剣を彼の机の脇に立てかけた。
ここは、元々ヴェイル殿下専用の天幕で、今は、その一画を私が間借りさせてもらっている。
広さはあるとはいえ、二人っきりの空間は、どうも緊張して、私は少し苦手だった。
「何か飲むか?」
ヴェイル殿下が、荷物の中から茶葉の缶を取り出した。
「殿下、それは私が!」
慌ててヴェイル殿下の側に近寄ると、いきなり両手を取られた。
その手を見て、私は、はたと気付く。
私の手は、インクと土で酷く汚れていた。
「も、申し訳ありません。すぐに洗って来ます!」
は、恥ずかしい。
さすがに、この汚れに気付かないなんて女性としてあり得ない。見下ろすと、私の服も随分と埃で薄汚れていた。
魔物の死体を観察するため、地面に這いつくばっていたから、汚れているのは分かっていたのに、私は自分のことを全然気にしていなかったのだ。
「大丈夫だ。任せろ。」
そんな私に、ヴェイル殿下は優しい言葉をかけると、水の魔法を使い始める。
その魔法が私を包み、汚れを空気に溶かしていった。
その不思議な光景をぼうっと眺めていた時、ヴェイル殿下の力強い魔力が、私の中に入り込んだ。
ああ、心地良い。
酔ってしまいそう。
これまで、こんなに気持ちの良い魔力に触れた事があっただろうか。
自分に足りないものは、これなのだとはっきり分かった。
ヴェイル殿下の魔法が解かれる瞬間、私の膝がガクリと力を失い、体が床の方へ傾く。
私が痛みを覚悟し目を瞑ると、しっかりとした腕に抱き留められた。
その温もりから、更に魔力が私に流れ込む。
気持ち良すぎて、もう目を開けていられない。
お酒を飲んだ時のように、理性がバラバラになって溶けていく。
ああ、もっと、もっと、この魔力が欲しい。
私の全てを埋め尽くしてくれるまで。
「ステラ...。」
呆けていた私の耳元に、熱い吐息がかかる。
宝物のように名前を呼ばれ、顔を上げると、熱を孕んだ黄金の瞳と目が合った。
魔力も温もりも、この方の存在全てが、心地良い。
このままずっと、ここにいたい。
心の底から湧き出る欲望が、私の心を支配していた。
「団長、いらっしゃいますか?緊急事態です!」
突然、天幕の外から呼ばれて、私達は同時に我に返る。浮かされていた熱は、すぐにどこかへ飛散していった。
「分かった!今行く!」
ヴェイル殿下は、大声で返すと、力の入らない私を抱き上げて、彼専用の大きな椅子に座らせた。
「ここにいろ。」
「は、はい。あの...。」
私、ヴェイル殿下になんて事を。
さっきの気持ちは、いったい何だったの?
「大丈夫だ。帰って来たら、茶を淹れてやるから。」
ヴェイル殿下は、動揺する私の頬を一撫ですると、クルリと背を向け、天幕から出て行った。




