第一章 希望のない終戦
1945年8月10日(注1)、その日中国は歓喜に満ちていた。都市では日本が降伏を受け入れたという号外が配られまもなく農村にもそれが伝わっていったのだ。戦争が終わり、人々は街の至る所で喜びを表していた。通りには人々の歓声が溢れ、色とりどりの旗が飾られていた。だが、この男宋伯離にとって、その賑わいは無縁のものだった。彼は古びた木製の椅子に座り、両手を膝の上で握りしめていた。
彼は戦争中、特に何かをしたわけではなかった故郷である農村で小作人として地主から搾取される日々に耐えていたがある日耐え難くなり、都会に出てきた。しかし都会での暮らしは楽でなくやっとありつけた工場での仕事も今日失ったのだ。なんでも出征していた元従業員が戻って来るとかで「代替品」である宋ら多くの従業員がクビになった、下の者に厳しいのは地主でも資本家でも変わらないのだろうと宋は思った。
彼は工場離れる際に、少しばかりの現金を受け取った。だが、それは十分な金額とは言えず、次に何をすべきかが分からなかった。彼の周囲では、戦後の再建に向けて様々な動きが見られたが、彼自身にはその波に乗る術がなかった。農村出身の彼にとって都会は華やかで、目新しいものが溢れていたが、その華やかさは彼には遠い世界のように感じられた。
「宋、これからどうするか何か計画はあるのか?」元同僚の一人が声をかけてきた。彼もまた自分と同じく今日仕事を失った。
「いや、特にない」と、宋は答えた。その言葉には、何かしらの期待を込めたかったが、自分自身の不安を隠しきれなかった。彼には行く場所も、頼る人もいなかった。都会での生活が厳しかったことを知っているだけに、これからどうやって生きていくかが見えなかった。
煙草の煙が風に乗ってゆっくりと消えていく。その様子を見ながら、宋伯離は深く息を吐いた。戦争が終わっても、彼の心はまだ重く沈んでいた。これから自分が何をすべきか、彼は自問し続けた。そして、答えのない問いに直面する度に、その不安はますます深くなっていった。
注1
実は中国では8月10日、つまり日本が正式にポツダム宣言を受け入れる5日前に終戦の事実が広まっていたのである。というのも日本は8月10日時点で中立国であるスウェーデン等にポツダム宣言を受け入れる意向であることを表明しており、それが中国でも伝わっていたのだ。つまり8月10日から15日の5日間中国人は日本が負けたことを知り、一方で日本人は多くの人がその事実を知らずに戦い続ける準備をしていたのだ。






