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オルガン  作者: 不覚たん
本編
8/41

レポート

 居室へ戻ると、課長が立ち上がり、「ちょっと話さない?」と近づいてきた。上司として、状況を把握しておきたいのだろう。

 二番は不審そうにこちらを見てきたが、特になにも言ってこなかった。


 かくして二人で休憩所へ。

 宝物殿と違い、ここの景色はまっしろだ。


「どうだった?」

 缶コーヒーをおごってくれるのは嬉しいが、あきらかに賄賂だろう。

「すみません、ちょっとそういう話を切り出せる雰囲気じゃなくって……」


 ここの御神体はじつに熱心に俺の「治療」を手伝ってくれた。

 かつての「大人」たちも、その献身的な態度に心酔したことだろう。

 しかし哀しいかな、彼女が頑張れば頑張るほど俺の心身は萎えていった。確かに顔はいい。だがその顔を見るたび、ドス黒い気持ちになった。芽生えるのは殺意だけだ。


「もちろん無理強いはしないよ。言えるときでいいからね。それより、もし差し支えなければ、上でどんな話をしてきたか聞いてもいいかな?」

「ああ、えーと、過去の……つもる話というか……まあ世間話です」

 ウソをついてしまった。

 いや、言えるような内容じゃない。

 これは危険球を投げてきた課長に非がある。

 空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな世界が悪いのだ。どれも俺のせいじゃない。


 おそらく課長は俺のウソに気づいただろう。

 転属の話題を切り出せない理由が「世間話」というのはムリがある。


 だが、彼は俺を責めなかった。

「いやごめんごめん。深くは立ち入らないよ。ま、男と女にはいろいろあるからねぇ」

「えへへ」

 男と女、か。

 かつてはそうなりたいと思っていたのに、いまやもう重荷でしかない。


 *


 居室へ戻ると、死んだ目をした二番が「課長」と呼び止めた。


「ん? どうしたの?」

「いやこれ見て欲しいんすけど……」

「なになに? なにかあったの?」

「あったんす……」

 二番は、自分のPCのモニタを課長に見せた。


 きっとこちらには関係のない話だろう。

 俺は自分の席についた。

 ネットを巡回して時間をつぶすのもいいが、それより過去のレポートに目を通さなくては。気になるネタがいくつかある。


 ふと、課長が「んぐっ」と謎のうめき声を発した。

 のみならず、なぜか哀しげな顔でこちらを見てきた。

 二番もなんとも言えない顔でこちらを見ている。


 なにかリアクションしたほうがいいのか?


 課長はふたたび、二番のモニターを見た。

「返信したの?」

「はい。『分かりました』って」

「いや、『分かりました』って君ね……」

「ダメです?」

「いやまあ……」

 そしてまた、二人でこちらを見た。

 これはどう考えても俺の話だな……。


 俺はなにも言われていないのに立ち上がり、デスクに近づいた。二人は「来るな」とは言わず、自然とスペースをあけてくれた。

 メーラーが起動していた。

 そこに書かれていたのはこうだ。


「三番はED」


 差出人は「御神体」。

 あの女、メール上でも御神体などと名乗っているのか?

 いや名前はいい。

 問題は内容のほうだ。


 課長は気まずそうに咳払いをしてから自分のデスクへ戻った。

 コメントを放棄したわけだ。


 二番は……そこが自分のデスクだから逃げ場がない。

 俺は彼女に尋ねた。

「これは?」

「いや、あたしが聞きたいんだけど!」

 昨日からずっと亡霊みたいだったのに、急に元気になった。


 しかしあのアマ……。

 余計なこと暴露しやがって。


 二番は怪訝そうな表情でこちらを見た。

「これマジで?」

「まあ半々ってところかな」

「なに半々って……」

「部屋に一人でいるときは問題ないんだ。けど誰かいるとムリになる」

「意味不明なんだけど……」

 確かに意味不明だな。

 だが詳細は伏せさせてもらう。もし掘り下げればセクシャル・ハラスメントで左遷されかねない。


 課長が気の抜けた溜め息をついた。

「ケンカでもしたの?」

「いえ、ケンカっていうほどじゃないんですが……。でもあっちのオーダーもメチャクチャなんですよ。どうも俺のこと恨んでるっぽくて」

 まあ恨まれる理由はちゃんとあるどころか、俺なんぞとっくにブッ殺されていてもおかしくないレベルだが。

「ちゃんと話し合ったほうがいいと思うよ? こういうのはこじれるとあとあと大変だから」

「はぁ」

 もうこじれたあとなのだが……。


 ここで話は終わりかと思いきや、二番が訳知り顔で課長に説明を始めた。

「いや、でも三番くん悪くないでしょ? 悪いのはあの女で。裏でヤリまくりらしいですよ。ね、三番くん?」

「……」

 それは当時まぎれもない事実……なのだが、事実をそのまま伝えないで欲しかった。

 二番は、他者のメンツを尊重するってことを知らないのか?

 もう一秒でも早く転属させたい。


 課長はまた溜め息だ。

「ま、ね。若いころはいろいろね」

「いや違うんすよ。小学生なのにヤリまくりだったらしいですよ。ヤバくないですか?」

「えっ? いや、まあ、ね。人それぞれだから」

「あたし絶対あの女が悪いと思います」

 御神体はあまり好かれていないのか?

 ここの連中にとっては信仰の対象かと思っていたのに。

 俺も信仰してないし、べつにいいんだが。


 二番はさらにヒートアップした。

「ていうかあの人、いっぺん分からせないとダメじゃないですか? エロいカッコでうろうろして。どうせまたヤリまくろうとしてますよ? 課長、まさかヤってないですよね?」

「ヤってないです」

「いやでも絶対ヤってるヤツいますって。どこかに。確実に食われてますよ。だいたい御神体ってなんなんですか? なんか偉いんですか?」

 こいつ、ひとつも情報を持っていないのか?

 本当に?


 課長は頭を抱えてしまった。

「君ねぇ、御神体のことはもう十回以上説明したでしょう? 有機周波数の適性が高い特別な存在なの。あの方がいなかったら、ここの研究所も進まないんだから」

「なんか宗教くさくないですか?」

「そこは掘り下げないで」

「あたしらが外で人を処刑するのも、研究と関係ないし。なんで研究所が他人を攻撃するんですか? マジでひとつも理解できないんですけど?」


 正直、そこに疑問を抱けるのは「賢い」と思う。

 皮肉ではなく。

 意味も考えないまま人殺しをしているより、はるかにまともだ。

 まともなだけに、事務方にいたほうがいい気もする。


「うちは債権を回収する部署だって言ったよね?」

「殺しちゃったらお金返ってこなくないですか?」

「そこはまあ……見せしめというか……」

「課長、なんか隠してないすか?」

「隠してることはあるけど、それは君たちが知らなくていいことだから。ね? 君たちも、余計なこと知って余計な責任負いたくないでしょ?」

「そりゃまあ……そうですけど……」


 一理ある。

 しかしこの課長、どうにも人物がご立派すぎるな。

 ただ単に立派なだけなら、それは歓迎すべきことだが……。


 けど本当に?

 そんなことがありえるのか?

 俺はこれまでの人生で、どこへ行っても「チンパンしかいねーな」と思って失望してきた。よりによってこんなクソみたいな職場で、まともな人間と出会えてしまったのか?


 常に多数派が正しいとは限らない。

 仮に人類よりサルのほうが多かったとして、サルが正しいということにはならない。


 会話が途絶したので、俺は安心して自分のデスクへ戻った。

 だが、またしても二番が主張を始めた。


「あー、そういえば、これ毎年言ってると思いますけど、あたし、そろそろ誕生日なんですよね」

「……」

「別にプレゼントよこせとか言いませんけど、飲み会くらいやってくれてもよくないですか?」

 これに課長が渋々といった様子で応じた。

「でも君、未成年だろ」

「だからハタチになるんですけど? あともういまの基準だと十八で成人ですけど?」

「……」

「飲み会、さすがにやりますよね? え、まさかやらないとかありえます? 男二人で飲みに行ってるのに? あたしだけダメなんです? え、これアレですよ。アルハラじゃないですか?」

 アルハラは逆だ。

 飲みたくない人間に飲ませる行為のことだ。


 課長は「あぁー」と間の抜けた声を出した。

「はいはい。そうね。ハタチね。うんうん。なら飲みに行っても大丈夫だね……。うん」

「はい? なんでイヤそうなんです?」

「イヤじゃないよ。ただ、大丈夫かなって」

「え、なにが? 完全に大丈夫ですけど? むしろ大丈夫じゃない状態ってなんですか? やっぱりあたしが女だからって……」

「あー違うの。別に女性だからとか男性だからとか、そういうことじゃなくてね。うん。大丈夫、大丈夫。ちゃんと予定あけとくから。で、えーと、いつだっけ?」

 しどろもどろだ。

 しかも質問の内容もよくなかった。

「いつ? マジで言ってます? あたし、毎年アピールしてますけど? 十二月一日ですけど?」

「そんなに怒んないでよ。歳とってくると記憶力がさ。十二月一日ね? ちゃんと記録しておきますから」

 逆パワハラだな。

 課長の顔が、いつにも増して青白くなっている。


 *


 かくして十二月一日――。


 俺たちは、車で福島を目指していた。

 平日昼間の高速道路は、かなりすいている。


「もー、これ絶対飲み会潰れるパターンじゃないですか。なんで福島なんですか? 遠すぎるでしょ?」

 後部座席では二番が苦情を申し立てている。

 運転中の課長は、渋い表情だ。

「しょうがないでしょ、上から行けって言われちゃったんだから。僕だってずらせないか言ったんだよ? でも上がどうしてもって言うから……」

「途中でアイス食べたいんすけど」

「帰りにね?」

「えーっ……」

 これのどこが大人なのか。

 ガキではないか。

 というか、そこらのガキでももっと聞きわけがあると思う。

 課長が優しすぎるせいで、完全に甘えている。


 それはそれとして、助手席の俺は流れゆく冬の景色を眺めながら、これまで読み込んだレポートの内容を反芻していた。

 じつに興味深い内容を見つけてしまった。


 職員は、上から指示された場所へ行き、拳銃を発砲する。

 そこで好きなだけ人の命を奪う。

 クソみたいな行為だが、簡潔にまとめるとそうなる。


 だが死ぬのは現地の人間だけではない。

 職員も死ぬ。

 現地の人間に殺されるケースもあるが、それ以外のケースもある。


 それは、職員が、職員を射殺するケース。

 罰則がない。

 むしろそれをやったヤツが出世することもある。


 だから、いいのだ。誰が死のうと。

 上は、データさえとれれば満足する。


 レポートによれば、課長もかつては一軍まで行ったようだ。何度か同僚も射殺している。レポートによればそうだ。

 ところが彼はあるときからめっきり仕事をしなくなり、だんだん左遷されて三軍にまで降格してきた。

 その事情は書かれていないが……。

 いろいろ見てきたのは間違いない。


 俺は窓のほうを向いたままつぶやいた。

「課長、じつはレポート読んだんですけど」

「うん」

「どの現場もなかなかハードですね。出世、しないほうがいいって思います?」

 すると課長は、遠くを見たまま応じた。

「僕には決められないね。でも出世すると、現場がハードになるぶん、お給料もよくなるよね。だからお金のほうが大事なら、出世してもいいと思うな」


 いまのセリフ、大事な部分が省略されている。

 課長は「お金のほうが大事なら」と言った。いったいなにと比べて「お金のほうが」と言ったのか?


「俺、察しがよくないんで、もっと詳しく知りたいなー、って思うんですけど……」

 俺がそうフカすと、課長はふっと鼻で笑った。表情はひとつも笑っていないのに。

「察しがよくない? ホントにそう思うの?」

「分からないことだらけで」

「あのね、僕もそうなんですよ。だから言われた通りに仕事をこなして、いちどは出世するハメになっちゃった。僕はレポートなんて読まなかったからね。そこに重要な情報があることさえ気づけなかった。だけど君は違うよね?」

「暇だったんで……」


 課長はしばらく運転に専念した。

 俺も遠くの空を見た。

 遠方の山々は雪化粧をしている。


「あんまり人の過去を探るべきじゃないんだろうけど……。僕はね、君の前職は警察官だったんじゃないかって予想してるんだ」

「違いますよ。普通の会社員です。警察にあこがれた時期もあるにはありましたけど……」

「レポートなんて、普通、誰も読まないよ。他人が他人を殺した記録だし、なにより終わったことだからね。けど、君は違った。誰が誰をどう殺したか、興味があるのかな? だとすれば警察というよりは、サイコパスなのかもしれない」

「それも違います」

 サイコパスじゃない。

 俺は平然と殺しをしたことはない。どれも後悔を伴っている。許される理由を欲している。こんなのは、凡人のすることだろう。


「ごめんね。僕もサイコパスだとは思ってない。けど、あまりに普通なんだな……。普通にやるんだ。この異常な仕事をね。当然のように。そういうのは……なんていうんだろうな……」

「ロボット?」

「ああ、それだ。ロボット。でも僕はね、仲間をそんなふうに言うつもりはないよ。君にはちゃんと心もあるしね」

 ある。

 EDと言われてちゃんと傷ついた。


 課長はなんとも言えない笑みを浮かべた。

「ま、君には期待してるから。できれば出世も左遷もナシで、この部署にいて欲しいな」

「はい」

 実際どうなるかは分からないが……。

 期待されて悪い気はしない。


 後部座席からまた苦情が来た。

「え、またひいき? あたしは? 今日誕生日なんですけど? ちゃんと期待してます?」

「うんうん。君にも期待してるよ。今日こそはちゃんと銃を持とうね」

「えーっ……」

 こいつは左遷でいいだろもう。


(続く)

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