レポート
居室へ戻ると、課長が立ち上がり、「ちょっと話さない?」と近づいてきた。上司として、状況を把握しておきたいのだろう。
二番は不審そうにこちらを見てきたが、特になにも言ってこなかった。
かくして二人で休憩所へ。
宝物殿と違い、ここの景色はまっしろだ。
「どうだった?」
缶コーヒーをおごってくれるのは嬉しいが、あきらかに賄賂だろう。
「すみません、ちょっとそういう話を切り出せる雰囲気じゃなくって……」
ここの御神体はじつに熱心に俺の「治療」を手伝ってくれた。
かつての「大人」たちも、その献身的な態度に心酔したことだろう。
しかし哀しいかな、彼女が頑張れば頑張るほど俺の心身は萎えていった。確かに顔はいい。だがその顔を見るたび、ドス黒い気持ちになった。芽生えるのは殺意だけだ。
「もちろん無理強いはしないよ。言えるときでいいからね。それより、もし差し支えなければ、上でどんな話をしてきたか聞いてもいいかな?」
「ああ、えーと、過去の……つもる話というか……まあ世間話です」
ウソをついてしまった。
いや、言えるような内容じゃない。
これは危険球を投げてきた課長に非がある。
空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな世界が悪いのだ。どれも俺のせいじゃない。
おそらく課長は俺のウソに気づいただろう。
転属の話題を切り出せない理由が「世間話」というのはムリがある。
だが、彼は俺を責めなかった。
「いやごめんごめん。深くは立ち入らないよ。ま、男と女にはいろいろあるからねぇ」
「えへへ」
男と女、か。
かつてはそうなりたいと思っていたのに、いまやもう重荷でしかない。
*
居室へ戻ると、死んだ目をした二番が「課長」と呼び止めた。
「ん? どうしたの?」
「いやこれ見て欲しいんすけど……」
「なになに? なにかあったの?」
「あったんす……」
二番は、自分のPCのモニタを課長に見せた。
きっとこちらには関係のない話だろう。
俺は自分の席についた。
ネットを巡回して時間をつぶすのもいいが、それより過去のレポートに目を通さなくては。気になるネタがいくつかある。
ふと、課長が「んぐっ」と謎のうめき声を発した。
のみならず、なぜか哀しげな顔でこちらを見てきた。
二番もなんとも言えない顔でこちらを見ている。
なにかリアクションしたほうがいいのか?
課長はふたたび、二番のモニターを見た。
「返信したの?」
「はい。『分かりました』って」
「いや、『分かりました』って君ね……」
「ダメです?」
「いやまあ……」
そしてまた、二人でこちらを見た。
これはどう考えても俺の話だな……。
俺はなにも言われていないのに立ち上がり、デスクに近づいた。二人は「来るな」とは言わず、自然とスペースをあけてくれた。
メーラーが起動していた。
そこに書かれていたのはこうだ。
「三番はED」
差出人は「御神体」。
あの女、メール上でも御神体などと名乗っているのか?
いや名前はいい。
問題は内容のほうだ。
課長は気まずそうに咳払いをしてから自分のデスクへ戻った。
コメントを放棄したわけだ。
二番は……そこが自分のデスクだから逃げ場がない。
俺は彼女に尋ねた。
「これは?」
「いや、あたしが聞きたいんだけど!」
昨日からずっと亡霊みたいだったのに、急に元気になった。
しかしあのアマ……。
余計なこと暴露しやがって。
二番は怪訝そうな表情でこちらを見た。
「これマジで?」
「まあ半々ってところかな」
「なに半々って……」
「部屋に一人でいるときは問題ないんだ。けど誰かいるとムリになる」
「意味不明なんだけど……」
確かに意味不明だな。
だが詳細は伏せさせてもらう。もし掘り下げればセクシャル・ハラスメントで左遷されかねない。
課長が気の抜けた溜め息をついた。
「ケンカでもしたの?」
「いえ、ケンカっていうほどじゃないんですが……。でもあっちのオーダーもメチャクチャなんですよ。どうも俺のこと恨んでるっぽくて」
まあ恨まれる理由はちゃんとあるどころか、俺なんぞとっくにブッ殺されていてもおかしくないレベルだが。
「ちゃんと話し合ったほうがいいと思うよ? こういうのはこじれるとあとあと大変だから」
「はぁ」
もうこじれたあとなのだが……。
ここで話は終わりかと思いきや、二番が訳知り顔で課長に説明を始めた。
「いや、でも三番くん悪くないでしょ? 悪いのはあの女で。裏でヤリまくりらしいですよ。ね、三番くん?」
「……」
それは当時まぎれもない事実……なのだが、事実をそのまま伝えないで欲しかった。
二番は、他者のメンツを尊重するってことを知らないのか?
もう一秒でも早く転属させたい。
課長はまた溜め息だ。
「ま、ね。若いころはいろいろね」
「いや違うんすよ。小学生なのにヤリまくりだったらしいですよ。ヤバくないですか?」
「えっ? いや、まあ、ね。人それぞれだから」
「あたし絶対あの女が悪いと思います」
御神体はあまり好かれていないのか?
ここの連中にとっては信仰の対象かと思っていたのに。
俺も信仰してないし、べつにいいんだが。
二番はさらにヒートアップした。
「ていうかあの人、いっぺん分からせないとダメじゃないですか? エロいカッコでうろうろして。どうせまたヤリまくろうとしてますよ? 課長、まさかヤってないですよね?」
「ヤってないです」
「いやでも絶対ヤってるヤツいますって。どこかに。確実に食われてますよ。だいたい御神体ってなんなんですか? なんか偉いんですか?」
こいつ、ひとつも情報を持っていないのか?
本当に?
課長は頭を抱えてしまった。
「君ねぇ、御神体のことはもう十回以上説明したでしょう? 有機周波数の適性が高い特別な存在なの。あの方がいなかったら、ここの研究所も進まないんだから」
「なんか宗教くさくないですか?」
「そこは掘り下げないで」
「あたしらが外で人を処刑するのも、研究と関係ないし。なんで研究所が他人を攻撃するんですか? マジでひとつも理解できないんですけど?」
正直、そこに疑問を抱けるのは「賢い」と思う。
皮肉ではなく。
意味も考えないまま人殺しをしているより、はるかにまともだ。
まともなだけに、事務方にいたほうがいい気もする。
「うちは債権を回収する部署だって言ったよね?」
「殺しちゃったらお金返ってこなくないですか?」
「そこはまあ……見せしめというか……」
「課長、なんか隠してないすか?」
「隠してることはあるけど、それは君たちが知らなくていいことだから。ね? 君たちも、余計なこと知って余計な責任負いたくないでしょ?」
「そりゃまあ……そうですけど……」
一理ある。
しかしこの課長、どうにも人物がご立派すぎるな。
ただ単に立派なだけなら、それは歓迎すべきことだが……。
けど本当に?
そんなことがありえるのか?
俺はこれまでの人生で、どこへ行っても「チンパンしかいねーな」と思って失望してきた。よりによってこんなクソみたいな職場で、まともな人間と出会えてしまったのか?
常に多数派が正しいとは限らない。
仮に人類よりサルのほうが多かったとして、サルが正しいということにはならない。
会話が途絶したので、俺は安心して自分のデスクへ戻った。
だが、またしても二番が主張を始めた。
「あー、そういえば、これ毎年言ってると思いますけど、あたし、そろそろ誕生日なんですよね」
「……」
「別にプレゼントよこせとか言いませんけど、飲み会くらいやってくれてもよくないですか?」
これに課長が渋々といった様子で応じた。
「でも君、未成年だろ」
「だからハタチになるんですけど? あともういまの基準だと十八で成人ですけど?」
「……」
「飲み会、さすがにやりますよね? え、まさかやらないとかありえます? 男二人で飲みに行ってるのに? あたしだけダメなんです? え、これアレですよ。アルハラじゃないですか?」
アルハラは逆だ。
飲みたくない人間に飲ませる行為のことだ。
課長は「あぁー」と間の抜けた声を出した。
「はいはい。そうね。ハタチね。うんうん。なら飲みに行っても大丈夫だね……。うん」
「はい? なんでイヤそうなんです?」
「イヤじゃないよ。ただ、大丈夫かなって」
「え、なにが? 完全に大丈夫ですけど? むしろ大丈夫じゃない状態ってなんですか? やっぱりあたしが女だからって……」
「あー違うの。別に女性だからとか男性だからとか、そういうことじゃなくてね。うん。大丈夫、大丈夫。ちゃんと予定あけとくから。で、えーと、いつだっけ?」
しどろもどろだ。
しかも質問の内容もよくなかった。
「いつ? マジで言ってます? あたし、毎年アピールしてますけど? 十二月一日ですけど?」
「そんなに怒んないでよ。歳とってくると記憶力がさ。十二月一日ね? ちゃんと記録しておきますから」
逆パワハラだな。
課長の顔が、いつにも増して青白くなっている。
*
かくして十二月一日――。
俺たちは、車で福島を目指していた。
平日昼間の高速道路は、かなりすいている。
「もー、これ絶対飲み会潰れるパターンじゃないですか。なんで福島なんですか? 遠すぎるでしょ?」
後部座席では二番が苦情を申し立てている。
運転中の課長は、渋い表情だ。
「しょうがないでしょ、上から行けって言われちゃったんだから。僕だってずらせないか言ったんだよ? でも上がどうしてもって言うから……」
「途中でアイス食べたいんすけど」
「帰りにね?」
「えーっ……」
これのどこが大人なのか。
ガキではないか。
というか、そこらのガキでももっと聞きわけがあると思う。
課長が優しすぎるせいで、完全に甘えている。
それはそれとして、助手席の俺は流れゆく冬の景色を眺めながら、これまで読み込んだレポートの内容を反芻していた。
じつに興味深い内容を見つけてしまった。
職員は、上から指示された場所へ行き、拳銃を発砲する。
そこで好きなだけ人の命を奪う。
クソみたいな行為だが、簡潔にまとめるとそうなる。
だが死ぬのは現地の人間だけではない。
職員も死ぬ。
現地の人間に殺されるケースもあるが、それ以外のケースもある。
それは、職員が、職員を射殺するケース。
罰則がない。
むしろそれをやったヤツが出世することもある。
だから、いいのだ。誰が死のうと。
上は、データさえとれれば満足する。
レポートによれば、課長もかつては一軍まで行ったようだ。何度か同僚も射殺している。レポートによればそうだ。
ところが彼はあるときからめっきり仕事をしなくなり、だんだん左遷されて三軍にまで降格してきた。
その事情は書かれていないが……。
いろいろ見てきたのは間違いない。
俺は窓のほうを向いたままつぶやいた。
「課長、じつはレポート読んだんですけど」
「うん」
「どの現場もなかなかハードですね。出世、しないほうがいいって思います?」
すると課長は、遠くを見たまま応じた。
「僕には決められないね。でも出世すると、現場がハードになるぶん、お給料もよくなるよね。だからお金のほうが大事なら、出世してもいいと思うな」
いまのセリフ、大事な部分が省略されている。
課長は「お金のほうが大事なら」と言った。いったいなにと比べて「お金のほうが」と言ったのか?
「俺、察しがよくないんで、もっと詳しく知りたいなー、って思うんですけど……」
俺がそうフカすと、課長はふっと鼻で笑った。表情はひとつも笑っていないのに。
「察しがよくない? ホントにそう思うの?」
「分からないことだらけで」
「あのね、僕もそうなんですよ。だから言われた通りに仕事をこなして、いちどは出世するハメになっちゃった。僕はレポートなんて読まなかったからね。そこに重要な情報があることさえ気づけなかった。だけど君は違うよね?」
「暇だったんで……」
課長はしばらく運転に専念した。
俺も遠くの空を見た。
遠方の山々は雪化粧をしている。
「あんまり人の過去を探るべきじゃないんだろうけど……。僕はね、君の前職は警察官だったんじゃないかって予想してるんだ」
「違いますよ。普通の会社員です。警察にあこがれた時期もあるにはありましたけど……」
「レポートなんて、普通、誰も読まないよ。他人が他人を殺した記録だし、なにより終わったことだからね。けど、君は違った。誰が誰をどう殺したか、興味があるのかな? だとすれば警察というよりは、サイコパスなのかもしれない」
「それも違います」
サイコパスじゃない。
俺は平然と殺しをしたことはない。どれも後悔を伴っている。許される理由を欲している。こんなのは、凡人のすることだろう。
「ごめんね。僕もサイコパスだとは思ってない。けど、あまりに普通なんだな……。普通にやるんだ。この異常な仕事をね。当然のように。そういうのは……なんていうんだろうな……」
「ロボット?」
「ああ、それだ。ロボット。でも僕はね、仲間をそんなふうに言うつもりはないよ。君にはちゃんと心もあるしね」
ある。
EDと言われてちゃんと傷ついた。
課長はなんとも言えない笑みを浮かべた。
「ま、君には期待してるから。できれば出世も左遷もナシで、この部署にいて欲しいな」
「はい」
実際どうなるかは分からないが……。
期待されて悪い気はしない。
後部座席からまた苦情が来た。
「え、またひいき? あたしは? 今日誕生日なんですけど? ちゃんと期待してます?」
「うんうん。君にも期待してるよ。今日こそはちゃんと銃を持とうね」
「えーっ……」
こいつは左遷でいいだろもう。
(続く)