ちょ待てよ
車へ戻ると、二番が後部座席で横になっていた。すねた子供のようだ。
「ただいま」
課長がそう告げても、返事はない。
それどころか、抗議するかのように、銃を運転席に置いている。
「そんなに怒んないでさ」
「怒ってないです」
「銃だって、こんなところに置いてちゃダメでしょ?」
「返却しただけです」
課長がまだこのクソガキの頭をぶち抜いていないのが不思議でならない。
己の忍耐を錬磨するため、わざと生かしているのか?
いや、もしかすると真性のマゾヒストなのかもしれない。
課長が車を動かし、駐車場から出たところで、俺はこう切り出した。
「俺の銃も返却しておきますね」
「はいはい」
返却といってもダッシュボードにしまうだけだが。
こんな雑な管理をしていては、盗まれる可能性もある。
「ところで、なんで教祖の母親を?」
「……」
俺の問いに、課長はしばらく返事をしなかった。
運転に集中しているのか、うるさいと思ったのか。
俺が沈黙に耐え兼ねて話題をそらそうと思ったそのとき、課長はこう応じた。
「僕はね、少し後悔してるんだ」
「えっ?」
やはり奪うべき命ではなかったと?
いや、責めるつもりはない。
むしろ共感できる。
小学生だった俺も、崖から女の子を突き落としたあのとき、後悔した。
これ、やっちゃダメだったのでは……と。
子供にとっての世界は狭い。家族と友人さえ無事なら、それで世界が平和だと思える。他のことに気を配っている余裕はない。赤ん坊に毛の生えたようなものだ。
それだけに、自分の狭い世界が、すなわち世界のすべてであった。
彼女は、その世界の秩序を破壊しようとしていた。
つまりは全世界の敵――に見えたのだ。
もし物理的に勝てない敵だったら、おそらく俺は戦いを挑んでなかっただろう。しかし不幸なことに、彼女は俺より弱そうだった。背は俺より少し高かった気もするが、所詮は女だと思ってナメていた。
課長は青白い顔に苦い表情を浮かべて言った。
「先に息子の方を撃っちゃってさ。そのあと母親のほうを撃ったんだよね。あの順番、逆の方がよかったかなーって」
「……」
思っていたのと違った。
単に順番の問題だった。殺したことにはなんらの後悔もないらしい。
「あ、そうそう。撃った理由だっけ? じつはたいした理由じゃなくってね。息子が死んだのに、あんな弱った母親だけ残しておくのも可哀相だなーと思ったの。だからついでに、ね。まあ倫理的には問題あるよね。理由がなんであれ、人の命を奪う権利なんて誰にもないんだから」
「すいません、余計なこと聞いちゃって」
「いやいや、大丈夫。こういう話、わりと避けられないもんだから。なんていうか、うちの部署がおとなしいだけでね、二軍や一軍じゃ普通にあるんだ。僕らもなれないとね」
ん?
二軍や一軍じゃ普通に?
なぜ知っている?
この人、三軍以外にもいたのか?
あるいは他部署の人間からそういう話でも聞かされたのだろうか?
ふと、後部座席から二番が参加してきた。
「課長、途中でコンビニ寄ってもらっていいっすか」
「なにか買う?」
「漏らしたんで、パンツ買ってきてください」
「えぇっ……」
ドン引きですよ。
すると二番は、ご大層な溜め息をついた。
「別に大量じゃないですよ。でも仕事上のことじゃないですか」
「まあ、いちおう服はね……」
課長も納得してしまった。
銃をぶっ放している以上、返り血を浴びる機会はあるが……。
二番はこう告げた。
「だから三番くん、買ってきてくんない? できるだけかわいいやつ」
「はい」
五百円くらいのでいいんだろう。
コンビニで女のパンツを買わされるのは癪だが、そうしないと困る人間がいるのだから仕方がない。
*
その後、勤務時間が終わる少し前に、二番は帰ってしまった。
幽霊みたいなツラをしていた。
ただ銃を持たせただけなのに、メンタルに相当のダメージを負ったらしい。
「三番くん、このあと時間ある?」
「あります」
俺も酒を飲みたい気分だった。
*
静かな店内、といえば聞こえはいいが、いつ来ても寂れた雰囲気の居酒屋だった。いや定食屋か。
枝豆をつまみにビールという、じつにつましい飲みの席だ。むかし友人たちとワーワーやってたころが懐かしい。
「どう? 仕事慣れた?」
「いえ、慣れないですよ」
さも普通の会話みたいだが、仕事の内容を思い返して欲しい。銃で人を殺して、そのあと何食わぬ顔でビールを酌み交わしているのだ。頭がおかしい。慣れたら問題だ。
課長はかすかに笑った。
「いいね。いや、そういうところだよ。まあ安全のためには慣れて欲しいけど、あれに慣れたら人間おしまいだからね」
「そう思います。ていうかほっとしました」
「ほっとした? なんで?」
「いえ、課長は完全にそっち側かと思ってたんで」
すると彼はやや面食らったような顔をしてから、すぐに表情を消し、こちらのコップにビールを注いできた。
「まあ、なりかけてるけどね、『そっち側』に」
「いやでもずっと続けてたらそうなりますよ」
「でもずっと続くんだ。転属しない限りは、ね」
重い。
いや雰囲気もそうだが、言葉が。
この仕事、いつ終わるんだろう、などと悠長なことを考えていてはいけないのだ。ずっと続く。死ぬまで続く。
俺はこの会話を膨らませたくなかったので、返事もせずに鶏皮をかじり、ビールをすすった。
だが課長が膨らませた。
「二番ちゃん、このままじゃ死ぬよね」
「それは……」
「でも死なない方法もあるんだよね。ずっと車の中で待っててもらえばいい。だけど、その場合、僕が死んだら……。あの子、運転できないでしょ? 自分の身も守れない。そしたら一軍か二軍がやってきて、事情を聞くよね? そうなると、たぶんフィールドに送られることになると思う」
フィールド――。
研究所の地下にある広大な森林だ。
そこでは野性のヒトとして生きることになる。きっと長くは生きられないから、遠からず死ぬことになると思う。
「フィールドに? 俺ら、ミスするとあそこに送られるんですか?」
「いや、些細なミスではそうならないよ。けど、彼女の場合は職務放棄だからさ。現場で始末されるならラッキーなほうで。裁量持ってる人間がサディストならフィールド送りになるかな」
「なら、なおさら転属させないと」
俺がそう告げると、課長はまるで賄賂のように焼き鳥の皿をすっとこちらへ動かした。
「そう思うよね? だからさ、やっぱり君から御神体に言ってくれると助かるんだよね」
「はぁ……」
どうしてもそうなるのか。
俺みたいな下っ端が、彼女との面会を希望していいものなのか?
*
だが、俺の懸念は杞憂だった。
翌日、居室に内線が来た。課長は「はい、すぐ向かわせます」と応じ、電話を切ってこちらを見た。
「三番くん、御神体からお呼び出しがかかった」
「えっ?」
「チャンスだよ」
「ええ……」
あきらかに口を滑らせている。
いったいなにがチャンスなのかと、まだ幽霊みたいなテンションの二番が不審そうな目を向けてきた。
「ああ、ええと、宝物殿の場所、分かる? 一番上ね。エレベーター乗れば分かるから」
「宝物殿?」
「御神体のオフィス。まあここではみんなそう呼んでるから。とにかくよろしくね」
「はぁ」
なにが宝物殿だよ。
*
メインエレベーターで最上階に出ると、女の出迎えを受けた。
「三課の三番、歓迎します。御神体は中へいらっしゃいます。どうぞ中へ」
髪をひっつめにして、メガネをかけたクールな女性だ。
二十代後半だろうか。
すっとすました美人だが、融通のきかなそうな印象だ。
フロアには赤じゅうたん。
そして巨大な木製のドア。
いかにも奥にご大層なものがいそうな雰囲気だ。
まあ、宗教というのは「雰囲気」を大事にするものだ。科学がどうたら言ったところで、ここも例外ではないのだろう。
彼女がドアを開いてくれたので、俺は「じゃあ遠慮なく」と頭をさげて中へ入った。
そこは三方がガラス張りになった明るいオフィスだった。
青空を背に、「御神体」は座していた。
おそらくロクな仕事もしていないだろうに、金のかかってそうな重厚な木製のデスクを使っていた。
「かけて」
彼女は立ち上がり、向かい合わせのソファへ座るよう促してきた。
「話は長くなるのかな?」
「そんなつれないこと言わないで」
おどけて笑って見せる。
すっと鼻筋の通った美人。
彼女はガキのころから大人びていた。かわいいというタイプではなく、美人だった。ともかく見た目だけはよかった。テレビでしかお目にかかったことのないレベルのツラだった。
俺が腰をおろすと、彼女は対面ではなく横に腰をおろした。
「そこに座るの?」
「ダメ?」
「いや、いいけど……」
少しドキドキしてきた。
いや恋じゃない。
殺されるかもしれないと思った。
彼女は笑顔のまま、美しい眼球でこちらを凝視してきた。
「もし殺すつもりなら、あんまりいたぶらないで欲しいんだが……」
「なにそれ? 私がそんな低レベルなことをすると思ってるの?」
「いや、まあ……」
低レベル、か。
しかし彼女は、職員にはそれをやらせている。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい? 緑茶もあるけど」
「お気遣いなく」
「私、あなたへの復讐を考えたの」
ほら来た。
急に。
俺は座り直し、少し距離をとった。
「内容は秘密のままのほうがいいと思うんだが……」
「ダメよ。これを教えるのも復讐のうちだから。大丈夫。痛くないから。むしろその逆」
「逆?」
「私、死ぬ前に思い残したことがあったでしょ? おぼえてる?」
「はい?」
知るかそんなこと。
分かって欲しかったら脳を開いて見せてみろ。
彼女は楽しそうに距離を詰めてきた。
ボブカットだからマネキンみたいだ。
「言ったでしょ? あなたの子供を産むの」
「……」
「知ってると思うけど、私、好きでもない男に抱かれるの抵抗ないの」
「よく知ってる」
「あのとき、あなたに突き落とされなければ、そうなるはずだった」
「俺の子供じゃない」
「誰のだか分からないんだから、あなたの子供ってことにしたかった」
まるでカッコウの托卵だ。
自分の子供でもないのに、そうと知らずに育てるハメになる。
俺は溜め息をつき、こう応じた。
「いや、残念だったな。それはムリだ」
「拒むの?」
「俺のこいつは役立たずなんだよ。目の前に女がいるとな」
「……」
おそらく、強烈なトラウマを受けたせいだろう。
どこかの女が、俺を徹底的に萎えさせたせいだ。
ちなみに一人でエロ動画を観ているときだけ元気になる。いわば一人プレイ専用機というわけだ。
彼女はしばし不審そうな目をしていたが、すぐに笑顔になり、こちらへ手を伸ばしてきた。
「治してあげる」
「は?」
「いいから脱いで」
「ちょ待てよ」
(続く)