先輩風
居室はしんと静まり返っていた。
いや、朝からずっと静かではあったが……。いまは、なんというか、あきらかに俺の挙動が観察されていた。
まあ警戒されるのもムリはない。御神体とサシで話していたのだから。
俺はまず落ち着いて席につき、誰かから質問が飛んでくる前に、こう言った。
「や、特になにも……」
「……」
返事はない。
露骨に質問したそうにこちらを見ているのに。
*
白々しい空気のまま定時を迎えた。
今日も課長と飲みだろうか。
まあどうせ暇だし、いいのだが。
しかし課長が動く前に、二番が動いた。
「三番くんさ、このあと予定ある?」
「えっ?」
完全にノーマークだった。
こちらがぼうっとしていると、彼女は席を立ち、ずんずんとこちらへ来た。
「予定。あるの? ないの? どっち?」
「いえ、ないですけど……」
「じゃあ少し付き合って。いいですよね、課長?」
すると課長は「うん」となんとも言えない表情。
やはり俺と御神体の会話が気になる、か。
*
駅前のハンバーガーショップに連れてこられた。
近所の学生などがたくさんいる、フルオープンの場所だ。研究所内でもはばかられる話を、ここでしろというのか……?
しかし周囲の人間は、みんな自分たちのお喋りに集中しており、こちらのことなど気にもかけていなかった。まあそりゃそうだ。見ず知らずの会社員に注目する理由もない。
適当にセットをオーダーし、俺たちはカウンター席に並んで座った。
二番はまずジュースをすすり、こう切り出した。
「あのさ、昨日、課長と飲み行ったの?」
「はい、行きました」
「あ、その前に、その敬語やめてよ。なんか落ち着かないから」
「えっ?」
先輩風を吹かせてきたから、仕方なく敬語で接していたのに。
それをやめろとは。
「お願いだから。なんかそのせいであたしが偉そうに見えちゃうし」
「じゃあ失礼して、ここからは普通に」
「うん。で、課長と飲みに行ったの?」
斜め下から覗き込むように質問してくる。
圧迫面接か?
「行きまし……行ったけど。それがなにか?」
「あのさぁ、そのときなんとも思わなかったワケ?」
「なにが?」
「は? マジで言ってる? 足りないでしょ、メンツが」
やはり気にしていたか。
俺はポテトを数本むさぼった。
「それはね、俺も言いましたよ」
「敬語」
「言ったよ。だけど二番さん、未成年だからダメだって、課長が」
「別によくない?」
「俺に言われても」
「あとあたし、成人してるんですけど?」
「十八?」
「十九!」
ずっとキレている。
パワハラだろう。
なんなんだこいつは?
御神体の話が聞きたかったんじゃないのか?
そうして油断していると、彼女は急に本題に入った。
「で、御神体のことだけど」
「んぶっ」
人が飲み物を口にしてるときに、あえて言うとは。
パワハラを超えている。
「あのー、ホントごめんなんだけど、じつはこっそり聞いてたんだよね」
「……」
聞いてた?
どこから?
どこまで?
彼女はすっと息を吸い込むと、視線をいずこかへ泳がせた。
「あのー、あたしの聞き間違いだったら訂正してね? そのー、あんたってさ、あの人と……そういう関係だったの?」
「はい?」
「や、だから。なんか赤ちゃん関係でモメてたじゃん? そんで殺すとか殺さないとか言っちゃってさ。まあ痴話ゲンカってそーゆーもんかもだけどさ」
まともに理解していない……だと……?
ホントにちゃんと聞いていたのか?
天然ちゃんか?
俺が黙ってると、肘でつついてきた。
「もー、やるじゃん。人は見かけに寄らないっつーか。御神体もさぁ、なんかいっつもエロいカッコでうろついてんじゃん? 男に飢えてんのかなってずっと思ってたんだよね。でも『あたし美人ですけど』みたいな顔して、けっこうヤリまくりだったんだーって思って」
まあ『あたし美人ですけど』みたいな顔して、けっこうヤリまくりなのは正解だ。
だがそのほかは、ことごとく誤解している。
どう返事をすべきだろうか。
俺が困惑していると、彼女は勝手に話を進めた。
「え、二人って幼馴染なんでしょ? どんな感じだったん?」
「どんなって……。小学生のころの話だけど」
「は? 小学生? え、マジで言ってる? ヤバくない?」
「けど手は出してない。そういう関係にもなってない」
すると彼女も、ようやく自分が勘違いしていることに気づいたらしい。
「いや、そういう関係になってないのに、赤ちゃんの話ししてたの? どーゆーこと?」
「俺との赤ちゃんじゃない」
「え、じゃあ不倫ってこと? いや待ってよ。小学生のころでしょ? ごめん、ひとつも理解できないんだけど」
俺にとってはリアルな人生の一部だが……。他人にとっては、確かに、ありえない話だろう。
しばし迷ったが、俺はこう答えた。
「あの子は、周りの大人たちと関係をもってて」
「……」
「俺はそれが気に食わなくて、崖から突き落として殺したんだ」
「……」
「だけどじつは生きてて」
「……」
「それで久しぶりに再会したんだ」
二番は目を丸くしていた。
「え、ごめん。途中から分からなかった。途中ってか、最初からだけど。え、なに? 小学生のころの話だよね?」
「そう」
「なのに大人と?」
「そう」
「そんで赤ちゃんできて?」
「うん」
「……」
なぜ黙る?
続きはいいのか?
彼女はふるふると震え始めた。
「えっ? ごめん。じゃあ、そのあとの話も……」
「ホント」
「え、待って。一回トイレ行ってきていい? 漏れそう」
「どうぞ」
一秒でも早く行ってくれ。
彼女が席を立ち、一人きりになると、店内の喧騒がいっそう際立った。
威勢のいい流行りの音楽。学生たちの狂気じみた笑い。ヘッドフォンで自分の世界に入り、スマホをいじる会社員。ガラス越しに見える景色は夕闇。人々がバラバラの方向へ行き交っている。それぞれに人生がある。
誰もが、明日も同じ生活が続くと思い込んでいるのだろう。
いや、俺もそうだ。
同じ生活が続くはずだった。
しばらくして二番が戻ってきた。
げっそりしている。
「ごめん、吐いたわ……」
「大丈夫?」
「う、うん……」
近くまで来たのに、席につこうとしない。
まあ俺は、業務でもないのに人を殺した男だ。
警戒されて当然だ。
二番の怯えた顔は、普段より幼く見えた。
まだ十代なのだ。
スーツだけ着ていても、どんなに化粧をしても、中身は子供だ。
彼女はやがて意を決したように席についた。
「御神体のこと、どう思ってるの?」
「申し訳ないと思ってるよ」
「もう恨んでない?」
「それは……思わないようにしてる……かな。いや、思っていい立場じゃないんだけど。でも本当に、いまは罪を償いたいという気持ちが一番強いよ」
二番が泣き出しそうだったので、俺はまともっぽいことを優先して喋った。
実際は、恨みがある。
というより、御神体がこちらの憎しみを煽ってくるのだ。的確に。まあ彼女にはそうする権利があるのだが……。復讐するにしても、もっと上手にやって欲しいとは思う。
「そ、そう……」
彼女はやや安心したようにジュースをすすった。
本当に普通の子だ。
この仕事には向いていない。
課長の言う通り、事務方へ転属させたほうがいいかもしれない。
すると彼女は一息ついてから、まっすぐにこちらを見た。
「じゃあそろそろ本題入っていい?」
「えっ?」
いまのが本題じゃなかったのか?
次はなにを繰り出してくる気だ……?
「仕事のこと。あたし、この仕事向いてないのかなって……」
自覚はあったのか。
俺はほっとして、自分のハンバーガーをかじった。
なつかしいケチャップとソースの味がする。
思えば、この手の店にはしばらく来ていなかった。
「昨日のこと?」
俺が尋ねると、彼女はぶんぶん首を振った。
「昨日だけじゃないんだ。いつもいつも、課長にやってもらってて。あたし、足引っ張ってばっかで。でも課長優しいから、絶対怒んなくて……。でも昨日さ、課長、あんたのことすっごく評価してたじゃん? あたし、あんなこと言ってもらったことなくて……。でも実際、そーなんだよね。あたし、ホントなんもできてなくて……」
容易に想像できる。
おそらく、すべてを課長にやらせていたのだろう。
彼女はその後ろをついていっただけ。
以前なら、彼女が去れば、課長だけの部署になってしまうところだった。ところが、いまは俺がいる。彼女はお払い箱になったのだ。
「銃は嫌い?」
「嫌い。だって人が死ぬんだよ? 採用試験のときも、あたし、なにもできなかった」
「なにもしないのに生き残ったの?」
「別の人が撃ったから」
ああ、そうだった。
あのゲームは、一人しか生き延びられないわけではないのだった。もっとも発砲回数の多い人物が死ねば、残りのメンバーは全員解放となる。
「その『別の人』は?」
「二軍に転属になった。すっごく冷静で判断力あって……。正直、最初はカッコいいって思ってた。でも一緒に部署に配属されて、一緒に現場行ってさ、そのとき言われたんだ。あたし、邪魔だって。役立たずって。そんなに言わなくていいじゃんって思ったけど……。でも言い返せなくて……。課長は気にしなくていいよって言うけど。気にするよ」
優秀な誰かの活躍のおかげで生き延びてしまった凡人、というわけだ。
これはこれで不幸だな。
「もし向いてないなら、事務方に転属って手もあると思うけど」
俺がそう提案すると、彼女はキッと睨み返してきた。
「なんでそーゆーことゆーの? あたし、泣くけど?」
「え、いや……。ごめん。なんで?」
「いまの話聞いてなかったの? あたし、このチームで活躍したいの! それどーするかって話しじゃん? なんでそーゆー……。もー、マジでムリなんだけど……」
まあ俺も、気遣いが足りなかったかもしれない……。だがその用件が本題なのであれば、相談する相手を間違えているのではなかろうか?
いや、かといってあとは課長しかいないのだが。
課長は彼女をフォローするだろう。しかしそれでは彼女の求める答えは得られない。
というか、おそらくだが、いまの反応から察するに、かつて課長からも転属の話を切り出されたことがあるのだろう。だから彼女は焦っている。すぐにでも自分の力を証明したいのだ。
「分かった。分かりましたよ。別の案を考えますよ。ただ、少なくとも銃を怖がってたらダメだと思うね。まずはそこに慣れるところから」
「だからぁ、あたし、それ以外の回答を求めてるんだけど? ちゃんと話し聞いてた?」
このクソガキ……。
マジでガキみたいなツラをなんとか化粧で大人っぽく見せているが、本当にガキだ。自分の都合しか言ってこない。
これを一人前にするのは骨が折れる。
だが、俺は知っている。
言葉で説得しようとするから言葉で反論されるのだ。
銃の使用を現場で強制すれば、彼女は否応なく「それ」をせざるをえなくなる。
結果として、壊れる可能性もまた高まるが。
しかし、銃に慣れて現場で活躍するか、あるいは銃を拒否して事務方になるか、道はどちらかひとつしかないのだ。
選んでもらう。
「オーケー。じゃあプランを練っておくよ。もし気に入ったら採用してもらって、ダメならまた考え直すから。こう見えて、モノを考えるのは好きなんだ」
「ホント?」
「もちろん」
スパルタ方式で行く。
泣こうが漏らそうが知ったこっちゃない。
イヤなら事務方に行けばいいだけの話だ。
(続く)