終わり
「結局、どうすんの?」
「なんか引き取ってくれるアテがあるって」
「急がないと間に合わなくなるんじゃない?」
「だね。検問にかからなきゃいいけど」
「安全運転でね」
ブロロ。
ガコ。
「なんか後ろの車、こっち煽ってない?」
「無視しなよ」
「したいけど……。あー、うざ。まともな教育受けてないヤツはこれだから」
「つかさ、三番みたいなこと言うね」
「マジ? それ最悪なんだけど」
プァー。
プァン、プァン。
『そこの危険運転、止まりなさい』
「あー、お巡りさんいた」
「うっわ、逃げたよあいつ」
「カーチェイスじゃん。ホントに逃げるヤツいるんだ。どうせ捕まるのにさ」
「でも警察いてラッキーだったね。取り締まり期間中かな?」
「ザマないね。あいつら、こっちが女だって分かるとすぐ煽ってくんだよね。ホント最悪。だから運転したくなかったのに」
「免許とってたの知らなかったけど」
「んー、まあ、必要になると思って」
「ひかりちゃんのこと?」
「それもある。けどあたし、前の課長になんでも任せっぱなしだったから……。なんかしなきゃって思って」
「立派だね、つかさ」
ガコ。
「でもマニュアルでとったから、オートマ不安でさ」
「じつは私も運転できるんだ。知ってた?」
「はい? それ先に言ってよ! てか変わってよ! 暗くて不安だし」
「なら、この先のコンビニで交代しよう」
「もー、マジで信じらんない。意地悪だよ」
「ごめんて」
*
「なにここ? 廃工場? ホントにここであってる?」
「お化け出てきそう」
「お化けっていうか、ハメられたっぽくない?」
「さすがにそれはないっしょ? あ、ほら、来たよ。えーと、そうです。あたしらが例の……。って……なんであんたが?」
「いたら悪い?」
「いや、別にですけど……。え、三番くんのことどうすんの? 助けてくれるんですよね?」
「そう」
「ホントに? 信じて平気?」
「疑うのは勝手だけど……。いまは信じてもらうしかないわね。だって、そこらの病院には連れていけないでしょう?」
「そりゃそうですけど……」
「あとのことは任せて。あなたたちも元気で」
「はぁ……」
*
ブロロ。
「残念だけど、簡単には死なせないから。あなたにはまだ働いてもらう。私の気が済むまで、ね」
*
夢を見た。
いつもみたいな、少女を崖から突き飛ばす夢ではない。
未来の夢。
「もー、お父さん、いつまで寝てるの? 早く起きて」
娘……と思われる少女が、いろんな方向から、執拗に俺の安眠を妨害していた。
いろんな方向から?
だが一人だ。
名前は分からない。
「起きて、起きて、起きて。お母さん待ってるよ? ねー、お母さん、お父さんぜんぜん起きないんだけど! ねーっ! お母さん! ねーってば!」
母親に呼びかけている。
誰だろう?
彼女の母親ということは、つまり木下沙織か?
だが木下沙織は、俺とは結婚していない。
そもそも、俺には娘などいない。
誰だ?
「ねー、お父さん! 起きて! そんなに寝てたら死んじゃうよ!」
死ぬ?
それは困る。
いや、困らないかもしれない。
どちらでもいい。
俺は……なすべきことをなした。
その結果、世界がなにも変わらなかったとしても。
自己満足でもいい。
満足したんだ。
突然、頬に痛みが走った。
頑として眠っていた俺は、夢から現実へ、むりやり引き戻されてしまった。
「起きなさいよ、ねぼすけ。簡単に死ねると思わないで」
白い天井、白いベッド、そして腕には点滴。
俺を見下ろしているのは、忘れもしない木下沙織だった。
化粧をしていないせいか、年相応に見えた。少しだけくたびれたマネキンみたいだ。それでも、目が覚めるほど美しい。文字通り、目が覚めるほど。
「ええと、ここは……」
「病院」
「それは分かるけど……」
「安心して。埼玉の研究所なら『倒産』したわ。表向きはね。でも国家の力で解体されたのよ。問題が発覚する前に、証拠を消したかったんでしょうね」
つまり俺たちは、あの組織を破壊することに成功した、というわけか。
「あれ? でもあんた、アメリカに行ってたはずじゃ?」
「そうよ」
「えっ?」
「そうよ」
なにがそうなんだ?
もしかしてここが米軍の病院とか言うんじゃないだろうな。
亡命を希望した覚えはないぞ。
「いま、夢を見てて……」
俺がそう言いかけると、彼女はぐっと顔を近づけてきた。
「見てない」
「はい?」
「夢なんて見てない。忘れなさい」
「なんで勝手に……」
「忘れなさい」
なにか都合の悪い夢だったのか?
娘の顔は見えなかった。
だが俺を父と呼ぶということは、俺の娘なんだろう。そして木下さんを母と呼ぶということは……。二人の娘? もしそうなら歓迎するが……。残念ながら、そんなものを作ったおぼえはない。
木下さんは椅子を持ってきて、腰をおろした。
「五代は、最初からあきらめていたようね。何度AIに予測させても、あなたが彼を殺すことになっていた」
「予測はあくまで予測でしかないだろう。あの野郎、計算機の結果を見て、それを真に受けたってのか?」
「神への信仰はなかったけど、計算機への信仰はあったみたい」
愚かだな。
それでは彼の忌み嫌っていた他の出資者と変わらないではないか。
結局、人はなにか信仰の対象となるものを欲してしまうのか。
精度はいいが、完璧ではないと、自分でも言っていたのに。
「他のみんなは?」
「無事よ」
「無事ってのは? 今後も狙われたりしないって意味で?」
「ええ、まあ。でもあなた、人様を心配できる立場なの?」
「立場? そういえば俺、いまどんな立場なんだ?」
少なくとも命は救われた。
しかし今後のことは分からない。なにも。
彼女はなんとも言えない表情で溜め息をついた。
「簡単に言えば病人ね。でも回復したら仕事をしてもらうことになってる」
「どんな?」
「深く考えなくていいわ。ただの残務整理だから」
まあ、あれだけ大規模な組織を壊したんだ。
関連する仕事もいくらか残ってるんだろう。
俺も息を吐いた。
「けど、そうか。終わったんだな……」
「そうね」
まだなんとも言えない顔をしている。
懸念点でもあるのか?
「姉妹はどうなった?」
「大丈夫」
「大丈夫って?」
「あなたが考えることじゃない」
「つめたいな」
俺はムリに笑って応じた。
だが、木下さんの表情がぐっと険しくなったのは分かった。表情だけでなく、気配も。
気配?
まあ、なんとなくそんな気がしただけだ。
返事はなかったが、俺は構わず言葉を続けた。
「いろいろありがとう。あとはもう大丈夫だから」
「なに?」
「もう自由になったんだろ? こんなところに留まって俺の回復なんて待たなくていい。好きなところへ行って、好きに暮らしてくれ」
このとき、凄まじい殺意を感じた。
彼女の口元だけは、にぃと笑みを浮かべたように見えたが……。
「自由?」
「自由……じゃないのか……?」
「いまはなにも考えなくていいわ。病人なんだもの。でも、すぐに病人をやめて、元気になってね。さっきも言った通り、まだやることがあるんだから」
なにも教えてくれないつもりか?
俺は、もう、自分がなすべきことは、すべてやった。
少なくともそのつもりでいる。
組織を潰し、この女は自由になったのだ。それ以上は望まない。
だが、もしそうなっていなかったとしたら?
皮肉なことに、生きる意味はある。
彼女はさげすむような目でこちらを見てきた。
「ところであなた、悪夢にうなされるのは勝手だけど、私の名前を呼ぶのだけはやめてくれない?」
「はい?」
「もう昔のことなんだから、いい加減、忘れて欲しいの。私も忘れたんだから」
「そんな……」
寝ている間にどんな夢を見るかは、俺には選べない。
忘れろと言われて忘れられるくらいなら、そもそもうなされない。
目の前の男に殺されかけたというのに、タフな女だ。
普通じゃない。
まあ普通の感性が備わっていたら、そもそも俺の顔など見たくもないはずだ。
彼女はどこか壊れている。
俺ごときの物差しで測れる存在じゃない。
それにしてもこの病院……。静かなのはいいが、妙に騒がしい。そこらでなにかが蠢いている気がする。
いや、気がする、とは?
長いこと寝ていたせいで、頭がどうかしているのかもしれない。
まずは生きることに専念しよう。
それ以外に、選択肢もなさそうだし。
生きてさえいれば、死ぬ機会もある。
だが死んでしまったら、生きる機会を失う。
この世界は、一方通行で理不尽にできている。
(オルガン、完)




