過ぎた話
もういいかい。
まーだだよ。
その言葉を聞くたびに、少年時代を思い出す。
東北地方のある山中――。
出どころのよく分からない廃棄物が散乱する森が、俺たちの遊び場だった。
田舎というのは、土地だけ余っているのに、人間関係は狭い。
見知らぬ誰かでも、必ず知人とつながっている。
むかし「六次の隔たり」という概念がバズった。6ステップもたどれば、世界中の誰とでもつながるのだという。
それがうちの田舎では、すべてがせいぜい2ステップでつながってしまう。
田舎ってのはどこもそんな感じかもしれないが。
ともあれまだ小学生だった「彼女」は、誰とでも関係を持ち、その2ステップを1ステップに変え続けた。
たとえば同級生の父親。
ある地域の男たちは、みんな彼女を介してつながってしまった。
「あのあと、私の能力は開花した。いえ、思い返せば以前から兆候はあったのだけれど……。でもハッキリしたのは、あなたに突き落とされた直後よ。水路に叩きつけられて、死を意識したその瞬間」
ひどいことをするヤツもいたものだ。
俺はしかし気になる言葉を尋ねた。
「能力?」
高所から落ちても平気な能力?
あるいは死んでも生き返る能力だろうか?
彼女は肩をすくめた。
「言わない。きっとバカにされるから」
「まあ、するかもしれない。俺は自分の理解を超えたものを軽視する傾向にあるから」
「自覚があるのに直さないの? ま、むかしから思い込みが激しくて、自分だけが正しいと信じてて、世界の道理をひとつも受け入れない頑固な子供だったものね」
分かってはいるが、人から言われると少なからずショックだな。
俺は反論せずにコーヒーを飲んだ。
ブラックだが、味を楽しんでいるわけではない。ハッキリ言って、味などどうでもいい。味がどうでもいいのだから、ヘルシーなほうがいい。
彼女はテンションを変えずに告げた。
「私、妊娠してたの」
「うっ……。えっ? いつ?」
「当時の話」
「ぐっ……」
そりゃそうだろう。
そういうことをしていたのだから。
俺はこの女と再会してからというもの、直接会うときは、必死で「自分はこの場にいない」と考えるようにしていた。
相手はとっくに死んだはずの女だ。
俺自身が殺した女だ。
そんな女と冷静に会話できるわけがない。
だから、ここにいるのは彼女と、見知らぬ誰かである、ということにしておいて、自分はどこか別の部屋で画面を見ているという設定でいた。
なのに、言いようのない感情が、その画面をぶち破って襲いかかってきた。
この女を殺さなくては――。
彼女は目を細め、こちらを試すように嘲笑した。
「なに? 怒ってるの? 目が充血してるわね」
「いや……。続けてくれ」
「続けてもいいけど、私のこと殺さないでね? 私はいいけど、他のみんなが困るから」
「ああ、大丈夫だ」
全然大丈夫じゃない。
俺は平然とウソをついた。
そうしていい相手だと思ったからだ。
「当時の私は困惑したわ。このままじゃ、父親の分からない子供を産むことになるって。だから、あなたに父親になってもらおうと計画した」
「俺に……」
なんとか平静を装って応じているが、口から内臓が逆流しそうだった。
俺はこの女が好きだった。
この女も、俺のことを好きなんだと思い込んでいた。
当時、ガキだったというのもあるが……。
いや、素直に言おう。俺という人間はクソキモかった。視野が狭かった。世界は、俺と彼女だけで完結すると信じ切っていた。
彼女は転校生だった。美しかった。そんな少女が、俺と仲良くしてくれた。運命の女神だとさえ思った。絶対に結婚するんだと思い込んでいた。人生における最高のトロフィーを手にした気分だった。人生のゴールが見えた気がした。
ところがその女は、そこらのおじさんとヤリまくっていた。
しかも俺の父親にまで手を出そうとして来た。
絶対に、そうなる前に、殺さねばならぬと思った。
彼女は静かに言葉を続けた。
「あなたとヤれば、あなたを父親にすることができる。だからとにかくあなたを誘惑しようとした」
「……」
つまりあのときこいつに手を出していたら、俺はどこのどいつか分からないおじさんの子供を、自分の子供として押し付けられていたかもしれないのだ。
「かくれんぼのときね、あなたが私の後ろに来たこと、気づいてた」
「えっ?」
「分かるわ。鼻息も荒かったし。きっと私を抱きしめるために、後ろに回ったんだと思った。だから、待ったの……」
ところが俺はその背を押し、崖から突き落とした。
はるか下方の冷たい水路へ。
「まあともかく、そのあと助かったのよ」
「いや、省略しすぎだろ……」
「けど安心して? 悩みの種だった赤ちゃんは、もうこの世にいないから」
「それは……」
だから俺は、少なくとも一人は殺しているのだ。
彼女の命が助かったからよかった、などと思ってはいけない。もちろん思ってない。絶対にそんなふうに片付けるべき話じゃない。
俺はコーヒーを飲もうとして、自分の手が小刻みに震えているのに気づいた。
呼吸も震えている。
自分で認識しているより、はるかに動揺していた。
「け、けど、そのあと葬式やってたぜ……」
「偽装よ」
「学校は?」
「行かないわ。ここに保護されたんだもの」
省略しすぎているせいで、点と点がつながらなかった。
現状、水路からここへワープしたとしか思えない。
彼女はにこりと愛らしい笑みを浮かべた。
俺にだけ向けられたと勘違いした笑み。ところが実際は、そこらのおじさんにも向けられていた笑み。
「私の能力は、テレパシーみたいなものよ。信じなくてもいい。とにかく私の思考が遠くへ飛んで、それを観測してた組織が駆けつけてくれたの。私は保護された。まあ保護というより誘拐だったけど。私が死にかけだったことは、組織にとっては都合がよかったみたい」
「テレパシー?」
話題を変えたかった。
それかこの場で土下座したかった。
俺は前者を選んだ。
「有機周波数って呼んでる。人間に限らず、あらゆる動物は思考しているでしょう? それが空間に留まるの。残留思念みたいなものね。でも誤解しないで。うちはオカルト商売じゃない。信じるのは計測可能なデータだけ」
「マジかよ……」
オカルト商売だろ。
「言っておくけど、死者と対話できるたぐいのものじゃないわ。有機周波数は、人間だけじゃなく、イヌやネコ、その他の動物たちも発してるから。ほとんどはノイズまみれの理解不能なデータよ。しかもだんだん圧縮されるから、古すぎるデータはアクセスも難しい」
「それを……こんなに金をかけて研究してるってのか?」
「そうなるわね」
なんだか分からないノイズを拾うために?
地下にフィールドまで作って?
「なぜ人を殺すんだ?」
俺は勢いで、つい核心に触れた。
あいかわらず点と点がつながらない
彼女はまた俺のコーヒーを勝手に飲んだ。
「なぜ? その情報は、末端の職員には開示されてないのだけど」
「じゃあ……」
「でもあなたには教えるわ。あなたは私の特別だから」
「は?」
いや、言うべきでないのなら、言わなくていい。
この女の特別になどなりたくない。
俺の人生が壊れる。
「人が死ぬ瞬間……いえ殺される瞬間にね、特別な周波数が観測されるのよ。しかもそのデータは本人からではなく、天から発せられる。私たちはそれを収集して解析している。出資者はそれを神さまだと思ってるわね」
「神?」
「信じなくていいわ。私も信じてないし。ともかく、あなたには、たくさん人を殺して欲しいの。できるだけ衝撃的にね。この話、秘密よ?」
「……」
ふざけるな。
こいつ……。
頭がどうにかなりそうだ。
一番どうしようもないのは、俺がかつて彼女に危害を加えたという事実。そして腹の中の子を死なせてしまったという事実。
決して許されないことをした。
俺ごときに選択権はない。
「神の話は、天使ちゃんもしていた」
「彼女は私の娘よ」
「娘? は? 娘……?」
言われてみれば、確かに似ていたかもしれない。
だが、あんなに大きな娘が?
いつ産んだ?
どう考えても計算が合わない。
というか、なぜ採用試験に放り込まれた?
「娘といっても、あくまで生物学上の話。私のお腹で産んだわけじゃなく、私の遺伝子を使って培養された生命体よ」
「クローンだと?」
「違う。クローンじゃないわ。私の遺伝子と、どこかの誰かの遺伝子をかけ合わせて作られたもの。より完璧な能力者を作るためにね」
天使ちゃんは、自分を「出来損ない」と言っていた。
もしかしたらそれは、自発的にそう思い至ったわけではなく、心無い誰かに言われたのかもしれない。
「待ってくれ。俺はいい。俺はあの採用試験で殺されても文句は言えない立場だ。けど娘は? なんの罪もないんだろ?」
すると彼女は缶コーヒーをテーブルに置き、俺の顔面をわしづかみにしてきた。
「さっきから聞いていれば、『自分は良識ある人間です』とでもいいたげね。あなた、自分が人殺しだってこと忘れたの? 私に説教しないで」
さほど握力があるわけでもないから、痛くはない。
だが彼女は、俺を痛めつけようとしている。
「説教するつもりはない。ただ、娘さんのことを思うと……」
手をどけると、彼女はぐっと顔を近づけてきた。
「御神体なんて呼ばれて、いい身分に見えるかもしれないわね。けど、私には自由なんてないの。ただ情報を提供するだけの触媒、つまりは『モノ』よ。それでもほかに生きようがないんだから仕方ないでしょ? それともなに? あなたはこの組織を敵に回してでも、娘を救い出せるとでもいうの? そのあとは? 平和に生き延びる自信があるの? 本気でもないのに、まともっぽいこと言うのやめてくれない?」
そう。
頑張って冷静になろうとしているのは俺だけじゃない。
彼女もまた、凄まじい怒りをコントロールした上で俺と接している。
「軽率だった。悪かったよ」
「失望するわね。本当につまらない男になった。あなたは幼稚で自分勝手で、思い込みの激しい殺人鬼でしょ? そのことを忘れないで。むしろそういう人間に殺されたならまだしも、良識ぶった人間に殺されたなんて、ちっとも受け入れられないから」
「……」
返す言葉もない。
しかし彼女は、少女みたいにくすくすと笑ったあと、またとびきりの笑顔を見せてくれた。
「ごめんなさい。ちょっと感情的になっちゃった。今日はここまでね。ぜひまたお話ししましょう」
「ああ、また」
また来るつもりなのか……。
ここでは会話をするだけで寿命が縮む。
ともあれ、人を殺してデータを取る。
俺はそのための駒。
拒否権はない。
やってしまったことは、なかったことにできない。
なかったことにすべきではない。
許しは、相手の善意によってしか成立しない。
(続く)