カナリア
作戦当日。
午前十時。
予定通り、一課と二課、そして部長が研究所を出発した。
一課は三名、二課は九名、これに部長を足して総勢十三名。なかなかの大所帯だ。
このうち俺たちの陣営は、部長、ザ・フール、ヴァーゴの三名のみ。戦力比は三対十。あまりに心もとない。
俺たちは少し遅れて出発し、間宮氏とともに合流する予定だ。
出動命令は出ていないが、強行して出る。どうせ今日ですべて終わるのだ。罰則など気にする必要はない。
結局、俺は十二番をプランから外さないことにした。
彼女は裏切っていない。
だいたい、五代大はすでにこの世を去っている。もし彼女が父親と組んでいたなら、亡くなる前になんらかのアクションをとっていたはず。
「姉がいないというだけで、ずいぶん静かになりますね」
十二番はぼそりとそんなことをつぶやいた。
俺には声が聞こえないから、違いがまるで分からない。
「でも確か300キロ圏内をカバーしてるんだろ?」
「まあそうですが、遠ければ遠いほど静かになります」
昼休みになったら出るか。
などと悠長に考えていると、突然、何者かがドアをノックした。
「失礼します」
入ってきたのは御神体の秘書だった。
今日は一段とつめたい目をしている。
キリッとしたメイクで、ひとつも崩さず細身のスーツを身にまとっている。まるで隙がない。
俺は席を立ち、彼女に応対した。
「なにか?」
「出動要請です。いますぐ現場へ向かってください」
「えっ?」
「現場の座標はスマホに送ります」
「ああ、いや……いまから?」
俺の問いに、彼女は不審そうに目を細めた。
「なにか問題でも?」
「いえ、向かいます……」
偶然か?
それともなにか目論んでいる?
秘書は用件だけ告げると、さっさと居室を出て行ってしまった。
見たところ、現場は茨城。別荘のある静岡とは逆方向だ。俺たちを遠ざけようとしているのだろうか。
「ひとまず車へ」
俺は居室での議論を避け、仲間たちを外へ誘導した。
*
夏の車内は蒸し暑い。
エンジンとともにまずクーラーを入れて、俺たちは一息ついた。
「まあ想定外といえば想定外だが、どっちにしろ規則を守る気もないからな」
誰も提案をしないので、俺はそうつぶやいた。
だが、返事はない。
独り言を続けるしかなさそうか。
「ただ、勝手な行動をとると警戒される。俺たちのせいで接続試験が中止になったら、計画は台無しだ」
「予定では、午前は調整だけで、本格的な調整は午後からだそうですね」
十二番が補足してくれた。
そう。
だから静岡に入るのは午後でいい。
ベストなのは、出資者たちが消去されたタイミングでの合流だ。それまで戦闘は起きない予定になっている。
「茨城での仕事を最速で終わらせれば、午後の静岡には間に合うかもしれない。事情も聞かずに車から撃ち込んで、そのままUターンする作戦でいこう。誰でもいいから一人死ねばいいわけだしな。なんならアリバイを作るだけでいい」
俺がそう提案すると、みんなうなずいてくれた。
七番にも事情は説明してある。
彼も了承済みだ。
*
「あのさぁ、誰かアイス食べたくない?」
まだ茨城にもついていないのに、二番はそんなことを言い出した。
小学生か?
いまがどんな状況か理解していないのか?
俺は助手席から振り返った。
「今日は寄り道はナシだ」
「は? ボスはあたしなんですけど? やんのか? お?」
「作戦が失敗してもいいのかよ?」
「どっちにしろパンツ買うんだから、ついでにアイス買うくらいいいっしょ?」
「なんで先に買っておかないんだよ」
「先に買ったら溶けるんだが?」
「パンツのほうだよ!」
クソ。
これから大事な作戦だってのに。
肩の力が抜けてしまう。
二番はふてくされてしまった。
「そんな怒んなくていいじゃん」
「大声出して悪かったよ」
「最後かもしれないし、みんなでアイス食べたかったの」
「最後じゃない。終わったら食おう」
「約束できる?」
「できる」
いや、できない。
戦力は拮抗している。
誰が死んでもおかしくない。
会話が途絶した。
自動車の駆動音だけがする。
二番は深呼吸して、独り言のようにつぶやいた。
「ホント、誰も死なないでよね。死んだら殺すかんね。命令」
*
データによれば、ターゲットの借金額はゼロ。
今日の仕事はただの人殺しだ。
しかもよりによって、現場はうちの研究所だった。
サイズはちょっとしたスーパーマーケットくらい。
二階建てのコンクリの建物……に見えるが、どうせ地下がある。そこで姉妹たちを解剖してポッドに詰めているのだ。ここで働いているヤツは、みんな死んだ方がいい。
時刻は十一時。
アイスを食っていたせいで余計な時間がかかった。
駐車場に車を止めるも、通行人の姿はなかった。
これでは誰も射殺できない。
一度おりて建物に入るしかない、か。
だが俺がドアを開けようとした瞬間、十二番に腕をつかまれた。
「待って」
「どうした?」
「気配がひとつしかない」
「ひとつ?」
ストライキか?
なにかの関係で、本部とモメたのかもしれないな。
「待って」
「なんだよ」
「たぶん私の姉妹……」
「だけ?」
「だけ……」
十二番は険しい表情をしていた。
いや、もちろんナメているわけじゃない。
どの姉妹にも、妙な才能がある。
それでも、有機周波数に関する素養を除けば、どれも常識の範囲内だ。べつに超能力で俺たちを攻撃してくるわけじゃない。
こちらには銃がある。撃てば死ぬ。
「いちおう全員で出よう。罠の可能性もあるから、互いにカバーしながらね。ただし、ムキになって撃ちすぎないように。ここで撃ったら、静岡でなにもできなくなる」
上が弾薬をケチるせいで、15発しか撃つ機会がない。
二番はこの期に及んで銃を持ちたがらなかったので、代わりに俺が持った。
おかげで30発撃てる。
クソが。
だが建物に近づくに従い、イヤなものが見えてきた。
ドアはガラス張りになっているのだが、そこから見えるエントランスが死体まみれだったのだ。普通の死体じゃない。心臓をえぐられている。しかもその心臓は持ち去られたのか、なんだかよく分からないが、あまり血まみれという感じではなかった。
「えぇっ? これ、中に入るの? 確実に漏らすけど?」
二番が余計な脅迫をしてきた。
絶対に漏らさないで欲しい。
俺も足を止め、注意深く周囲の様子をうかがった。
「まあ、ボスの提案にも一理あるな。中に入らないで、そこらの死体に一発撃ちこんで終わらせようか? こんなのに付き合ってる筋合いもないしな」
よく見ると、受付に一人だけ立っている人影があった。
点滴スタンドをつかんだ患者着の少女。髪はボサボサ。幽霊にしか見えない。
まだ日の高い時間帯でよかった。もし急に遭遇していたら、俺も漏らしていたかもしれない。まあそんなはずはないが。あらゆる可能性を想定しなければ生き残れない。
十二番が溜め息をついた。
「カナリアです。撃たないでください」
「友達なのか?」
俺の問いに、彼女はかぶりを振った。
「いいえ。弾のムダになります。銃弾を撃ち込んでも、すべて模倣子に変換されてしまいますから」
「はい? 無機物でも消去できるってのか?」
「周波数さえ解析できれば。彼女の喉を見てください。機械に改造されているのが分かると思います。きっとミニチュアのオルガンでしょう。効果範囲は狭いですが、そのぶん強烈です」
たしかに、ゴツい首輪をしているように見えた。
それが首輪ではなく首そのものだったとは。
「じゃあ、どうする? 逃げたほうがいいか?」
「……」
「どうした?」
「んっ……」
十二番は苦しそうに胸を抑えて、その場にうずくまってしまった。
まさか、心臓を狙われている?
かなり距離があるのに?
彼女はエントランスの奥にいて、俺たちは外にいる。
なのに攻撃を仕掛けてきたのか?
「逃げるぞ!」
俺は十二番を抱え、車に向かって走り出した。
仲間たちも駆けた。
だが、車についてから思い出した。
誰も運転できない。
いや、俺がしよう。
自動車学校は卒業したのだ。
オートマ車なら勘でいける。たぶん。
なんとか乗車できたのはいい。
だが、どうやってエンジンをかける?
まずはカギを探さないと。
いつの間にか接近していたカナリアが、ドンとフロントガラスに手をついた。
にこりと笑っていた。
手の触れた場所から、ガラスが光の粒子となって消え去った。
こんな……。
こんなの、どうすればいいんだ?
俺は運転席から飛び出して、銃を構えた。
だが、トリガーは引かない。
弾のムダになる。
ここは戦闘ではなく、交渉に持ち込むべきか?
不気味に笑っていて、交渉できそうな雰囲気ではないが……。
「待ってくれ。状況を説明してくれ」
俺は銃をポケットに突っ込んだ。
銃など無意味だ。
それでも彼女は返事をしない。
いや、口をパクパクさせているから、なにか返事をしているのかもしれない。
分からない。
声を聞けそうな十二番は、まだ助手席でぐったりしている。
日差しは強烈になっている。
緊張もあって汗が滴り、アスファルトへ落ちる。
カナリアは眩しそうに目を細めている。
相変わらず口をパクパクさせながら。
「本当に申し訳ないんだが、よく分からない。スマホを貸すから、文字を打ち込んでくれ。それで会話しよう」
「……」
俺がスマホを貸すと、彼女はそれをボンネットに置き、人差し指で操作し始めた。
内容はこうだ。
>その女は絶対に殺す
>ほかのはどうでもいい
「その女? 十二番のことか?」
俺が尋ねると、カナリアは笑顔のまま助手席の十二番を指さした。
どうしても殺すのか……?
「なぜ殺すんだ?」
>嫌いだから
おいおい。
俺たちも同じような動機で動いている以上、彼女を非難する資格はないが……。
すると、どういうつもりなのか、二番がずんずん近づいてきた。
危険だが、なにか策でもあるのか?
「あのさ、お菓子あげる」
「……」
いかん。
空気が凍り付いている。
しかも二番が渡しているのは、もはやこの気温で溶けかけた板チョコ。食いかけ。
こいつは死にたいのだろうか?
死ぬのは勝手だが、こちらまで巻き込まないで欲しい。
するとカナリアは、指でチョコをふにふに揉んでから、スマホにこう打ち込んだ。
>私を殺しに来たんじゃないの?
二番の回答はこうだ。
「違う。いい、よく聞いて。あたしたちはこれから、自分たちの組織をぶっ壊しに行くの。だから誰の命令も聞かない。あんたのことを殺しても一円にもならないの。無益な争いはやめましょう。このチョコはあげる」
>壊す?
>どうやるの?
「偉い人たちが静岡に集まってるから、全部殺すのよ。あとこのチョコはあげるから、遠慮しないで」
>私も行く
>あとチョコはいらない
「えっ? チョコいらないの? 謙虚だね……」
いや、謙虚とかじゃない。
もうぐにゃりと曲がっている。
そんなのを賄賂に使うな。
それより重要なことがある。
「一緒に来てくれるのか?」
俺が尋ねると、彼女はこくりとうなずいた。
>私も殺したい
「十二番のことも殺さないでくれると助かるな。彼女は貴重な戦力なんだ」
>じゃあ殺さない
それだけ告げると、カナリアは点滴スタンドに難儀しながら後部座席に入り込んだ。
五人で乗れないことはないが、さすがに狭そうだ。
俺は運転席に戻り、十二番の肩を軽くゆすった。
「意識はあるか? カギ貸してくんねーか?」
「えっ……?」
「オートマならなんとかなる」
「カナリアは?」
「後ろにいる」
そのカナリアは、血走った目で十二番を見ていた。
十二番はびくりとした様子で、また前を向いた。
「なんで?」
「手伝ってくれるってさ。それより、カギ貸してくれ。静岡行くから」
「私が運転します」
「大丈夫なのか?」
「はい。ただの精神攻撃なので」
胸を抑えていたのは、心臓を攻撃されていたからではないのか。
結果としてよかった。
俺は十二番と席を交代し、車に乗り込んだ。
フロントガラスに小さな円形の穴が開いているが、まあ、なんとかなるだろう。あとは検問に引っかからないことを祈るのみだ。
後ろからカナリアに座席を叩かれて、スマホを渡せと促すので、俺は素直に渡してやった。
なにか言いたいことでもあるんだろう。
車がゆっくりと動き出した。
日差しは一段と強烈になっている。
一発も撃たずに済んだのはよかったが、
「え、このチョコ溶けてんじゃん。七番くん、ティッシュとって」
「はぇ」
後部座席は騒がしい。
スマホが返ってきた。
>その女は信用しないほうがいい
>五代大は生きてる
画面を見た瞬間、俺は我が目を疑った。
五代大が生きている?
いやウソだ。
どう見ても死んだはず。
ニュースにもなったのだ。
あの国会中継がフェイクだったとは思えない。
もしかして、お空で生きてるとかいう意味のポエムか?
スマホが鳴ったので、俺は慌てて応対した。部長からだ。
「はい、三課三番」
『想定外の事態だ。急いで現場に急行してくれ』
「なにかあったんです?」
『俺にも意味が分からないから、質問はするなよ。事実だけ告げる。五代大が生きている』
「えぇっ……」
『確実に戦闘になる。急いで来てくれ』
「了解」
オルガンが効かなかった?
いや、効いていた。
だからこそ散り散りになった。
なのに、生きているとは……?
双子? 影武者? クローン?
なんにせよ、データベースに周波数の登録されていない個体のはず。オルガンで消すことはできない。つまり、銃弾を直接ぶち込まないと殺せないということだ。
さすがに一筋縄ではいかない、か。
(続く)




