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オルガン  作者: 不覚たん
本編
35/41

懸念

 夢を見た。


 俺は一人、例の雑木林に立ち、崖の下を覗き込んでいた。

 濃い夕闇のせいで、奥は暗くて見えないが、どこかに木下沙織がいるはずだった。


 早く逃げないと逮捕されてしまう。

 昔はそんな恐怖で飛び起きたものだ。


 だが、いまは――むしろ警察に捕まりたいとさえ思っている。

 この愚劣な犯罪行為を正しく裁いて欲しい。

 俺はみずから通報すべく、ポケットをまさぐってスマホをさがした。なのに、なぜか見つからなかった。彼女を突き飛ばしたときに、一緒に落としたのかもしれない。いや、本当は落としていない。だから本心では通報したくなかったのだろう。俺はずっと混乱し続けている。


 ふたたび崖の下を覗き込んだ。

 崖と言っても天然の崖ではない。崩れないようコンクリで舗装されている。


 どうしようか……。


 俺はのちの歴史を知っている。

 彼女がまだ生きていることを知っている。

 そして下へ行けば、組織の連中を待ち伏せできることも。

 連中を殺せば、いまみたいな事態は回避できるはずだ。

 あるいは木下沙織を完全に殺すのでもいい……。


 俺は未来を変えたかった。


 *


「おはようございます」

 目を覚ますと、部屋の隅で正座している女に声をかけられた。

 この世のものとは思えない、まっしろな女。

 間宮氏の孫だ。

「おはようございます……」

「うなされてましたね」

「そう……?」

 自分では慣れたつもりでいたが、じつは苦痛を感じていたらしい。


 ともかく、ここは間宮氏の自宅アパートだ。

 古びた畳の上に、上質な綿布団が敷かれている。わざわざ来客用のを出してくれたのだ。

 遅かったこともあり、彼女の祖母が泊めてくれた。


 彼女は、するとおもむろに土下座した。

「昨日は、多大なるご迷惑をおかけいたしました」

「いや、大丈夫ですよ。頭をあげてください」

「祖母にも厳しく注意されました。次に飲んだら家を追い出すと」

「そうですか……」

 気の毒とは思うが、自業自得だ。

 もう二度と飲まないほうがいい。


 *


 軽く朝風呂などを頂戴して家を出た。

 二日酔いはない。

 大半のビールは彼女が飲んだ。


 研究所につくと、部長……元オフューカスから呼び出された。


「どうだった?」

「おかんむりですよ」

 間宮祖母は、俺を責めなかった。孫のことも、俺の前では叱責しなかった。だが、孫のあの委縮ぶりを見るに……裏で相当しぼられたのだろう。

「災難だったな」

「その代わり、間宮氏に貸しはつくれたかもしれません」

 俺は淡々と返事しているが、彼が自分だけ逃げたことを快く思っていない。

 人に面倒を押し付けてさっさと帰りやがって。


 だが部長は、無表情のまま、三白眼の目でじっとこちらを見ていた。

 本当に怖いからやめて欲しい。


「じつは雑談のために呼び出したんじゃない」

「なにか、いいニュースでも?」

「よくもないし、悪くもない。じつは警察のスパイについて、一人は特定していてな」

「えっ?」

 特定?

 一人は?


「二課にスコーピオってのがいるだろ? あいつがそうだ」

「はい?」

「ただ、あいつはもう本来の業務はしてない。完全にここに馴染んじまってる。ミイラ取りがミイラになったってわけだ」

 確かにここをエンジョイしている印象はあった。

「え、じゃあどうするんです?」

「どうもしない。放置だ。あいつは調子のいい男だからな。味方にしてもデメリットしかない」

 二番に命を救われて、口では協力すると言っていたが……。

 それなら信用しないほうがよさそうだな。


 部長は軽く咳払いをし、こう続けた。

「だが、スパイが一人とは限らん。まだあんたの疑惑が晴れたわけじゃない」

「いや、俺の経歴、知ってますよね? 調べたからここに引き入れたんですよね?」

「簡単な経歴しか知らない。人選をしたのは俺じゃないからな」

「なら、うちの前課長が?」

「いや、シスターズだ。彼女たちから提案を受けて、そのまま入れたんだ。だが、この手の工作はあんたが初めてじゃなくてな。以前もあった。そのとき何度か警察に入り込まれてな……」

 シスターズというのは、御神体の娘たちのことだ。

「なぜ彼女たちはそんなことを?」

「きっと警察を正義の味方かなにかだと思ったんだろう。もちろんそういうのもいるとは思うが、そうは言っても組織の命令でしか動けない連中だからな。そもそも警察って肩書からしてそうだろう。警察の怖さは、警察自身がよく知ってる。命令に背くようなマネはしない」

 命令に背いた男は職を失い、最後はオルガンで消去された。


「証明しようもないけど、俺は犯罪者なんですよ。警察になれるような男じゃないんです」

「悪かった。そんな顔しねぇでくれ。なにがあったかは詮索しない」

 どんな顔をしているのか、自分でも見てみたいところだ。

 きっとダサいくらい消沈しているのだろう。


 俺はいっそ話題を変えた。

「警察で思い出したんですが、零課ってのはなんなんです?」

「死体処理を担当する部署だ。同じ社会奉仕部だが、あんたらとは業務が異なる。ああ、武装してないから安心していいぞ。オルガンを楽器だと呼べればの話だが」

「元警官が一人、そいつらに消されました」

「……」

 また三白眼でじっとこちらを見てきた。

 せめてなにか言って欲しい。


 彼は急に止まったり急に動いたりするから心臓に悪い。すっと息を吸い込み、ようやく反応をくれた。

「オルガンについて、どこまで知っている?」

「人を消すんですよね?」

「消す、というよりは、遺伝子ジーン模倣子ミームに変換しているらしい。ただし無差別にはできない。ムリにやろうとすると、培養ポッドの中身まで一緒に壊れる。だから普通は、ターゲットとなる人物の周波数にチューニングして、そいつだけ変換することになる。だが、これはあくまで運用の一部だ」

「一部?」

「変換以外の演奏もできるってことだ。たとえば、模倣子を模倣子のまま送り込んだりな。声が聞こえない人間に対して、声を送り込むこともできる。まあちょっとした『天の声』的な演出だな。洗脳装置として使える」


 例の警察官は、謎の少女に言われて茨城の研究所へ向かったらしい。

 誰かに誘導されたのだ。

 いまは亡きデータ観測室の室長か。


「オルガンを使えば、信者も増えそうですね」

 俺の皮肉に、彼はにこりともしなかった。

「だからこそ止めるんだ。本格的な運用が始まってしまえば、この国の秩序は完全に崩壊する」

「いつ仕掛けます?」

 すると彼は苦い表情で笑みを浮かべ、肩をすくめた。

「それが今日の本題だ。御神体が消えたことで、上は危機感を募らせたようだ。近々、代理の培養ポッドへの接続試験が実施される。そのときが最初で最後のチャンスだ」

「作戦は?」

「その前に、十二番に関する懸念点を伝えておく」

「はいっ?」

 十二番?

 彼女になにか問題でも……?


「重大な問題になるかどうか分からないから、最終的な判断はあんたに任せる。ただ、それなりに難しい事実だから、ちゃんと考えた上で判断してくれ」

「はい」

「あいつと、もうひとりオニゲシってのがいただろ? 二人の父親は五代大だ」

「ご、五代……?」

 本当に?

 もし事実なら間違いなく懸念点だろう。

 十二番は、あっち側の人間かもしれない。

 どう判断したらいい?

「あくまで遺伝子を提供しただけの、生物学上の父だがな。互いに面識があったかは分からない。ただ、この事実は本人も知っている。その上で、これまでの行動を振り返ってみると……」

「いや、俺たちを裏切ってるとは思えませんよ」

「同感だな。だからこそ、彼女をよく知るあんたに判断を任せたい。これまでの貢献も無視できないしな。ただ、最後の最後で逆転を狙っている可能性もある」


 フェイルセーフ。

 以前、十二番はそんな言葉を口にした。

 工場などにおいて、機械が制御不能になったとき、なんとしても止めるための仕組みのことを指す。電源を落としただけでは、たとえば慣性が働いてモーターの回転が続いたりする。だから電源を落とすのではなく、外から物理的に締め付けて止める。まともな停止措置ではない。ムリに止めるから、機械が壊れることもある。つまりは最終手段だ。

 なにかを犠牲にしてでも、なにかを止めるためのもの。


 もちろん、カルトを止めるための手段を言っているとは思うのだが……。


 俺たちがギリギリのところで組織を壊そうとしているように、彼女もギリギリのところでなにか企んでいるかもしれない。疑い出せばキリがない。

 個人的には信じたい。

 しかし俺の感情を優先して、仲間たちを犠牲にするわけにはいかない。


「ちょっと、考える時間をください……」

「土壇場での情報で悪いな。だが、重要なことだ」


 *


 段取りはこうだ。


 接続試験は、五代大の例の別荘で行われることになっている。

 これには出資者たちも参加するため、一課と二課が総出で警備につく。

 三課は留守番。


 以上が上層部の想定するプラン。

 これに便乗し、俺たちも行動を開始する。


 まずはオルガンに接続された娘が、出資者たちを消去する。

 ここで全員を葬ることができれば、それで目的達成。


 だが、もし生き残りがいたら? そいつらも殺害する必要がある。一人でも生き残った場合、そいつが組織を立て直してしまうからだ。

 一課、二課、三課、入り乱れての戦闘となるだろう。

 敵を倒して洋館に押し入り、中の出資者を根絶やしにする。その後、オルガンも破壊する。


 これで世界に平和が訪れるかどうかは分からない。

 別の誰かが、似たような組織を再建するかもしれない。それでも、少なくともいまある組織は機能しなくなる。俺たちも逮捕されるかもしれない。それでもいい。この異常な組織に致命傷を与えることができれば、とりあえずは成功なのだ。


 黙って上の命令に従っていれば、昇進もできて金ももらえるというのに、じつに奇特なことだと思う。

 だが仕方がない。

 俺たちは組織のやり方にムカついている。


 理由が低俗だろうか?

 だが、この世界の大抵の事件は、ムカついたという理由で起きている。誰のためだとか、博愛のためだとか言っても、突き詰めればこれだ。気に食わないからぶっ壊すのだ。

 もちろん暴力を使わずに変更できるなら、それでもいい……。しかし残念ながら、そういう仕組みにはなっていない。殺すしかない。

 この組織にもフェイルセーフがあればよかったのだが。


 もう引き返せない。

 時が来れば、自動的に開始される。


 まるで採用試験で体験したタイマー式の銃みたいだ。

 無闇に気分が高揚してくる。


(続く)

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