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オルガン  作者: 不覚たん
本編
34/41

亡命

 ついに始まる。

 始まる。

 始まるのだ。


 そう思いながら、何日かが過ぎた。

 状況に変化はない。

 情報もない。


 本当に始まるのか?

 みんなやる気はあるのか?


 そんな焦燥感だけが募っていった。

 いや、焦燥感が募っているうちはまだいい。やがてそれさえ面倒になり、いつの間にか「そういえばあの件どうなったっけ?」となることもある。


「三番くん、今日のお昼どうする?」

「蕎麦屋は?」

「だーかーらー!」

 なぜそこまで蕎麦を拒否するのか分からない。


 俺は田舎にいたころ、蕎麦をうまいと思ったことがなかった。

 東北すべてがそうだと言うつもりはないが、どちらかといえばうどんのほうがメジャーだった気がする。それも、鍋料理みたいにぐつぐつ煮込んだヤツだ。コシなど不要。とにかく煮込むことのほうが重要だ。なんにでもよく火を通す。

 一事が万事その調子だから、蕎麦の長所など見つけようがなかった。


 ところが上京してみると、そこらのチェーン店でさえ信じられないほどうまい蕎麦を出した。俺がいままで食っていたのはなんだったのか。

 それで蕎麦好きになった。


 まあいい。

 さすがに一日おきに蕎麦はやり過ぎだったかもしれない。


 昼になると十二番は保育課に帰るし、七番はサンドイッチを食う。

 この組織がなくなる前に、いちどみんなで食事でもしたいとは思っているが、なかなかその機会は訪れない。


 *


 出動もなかったので、俺は過去のレポートを眺めて過ごした。

 もうだいたいのパターンを見た。

 一課は無関係な人間まで躊躇なく殺す。二課はターゲットを全員殺す。三課はとりあえず一人殺す。仲間同士で遭遇すると、やっぱり誰かを殺す。

 その繰り返しだ。


 *


 退社後、俺はふらっと定食屋に入った。

 いや「ふらっと」はウソだな。オフューカスに呼び出されたのだ。


「来たな」

 彼の鋭い三白眼は、どこか精彩を欠いていた。

 部長としての仕事が大変なのだろうか。


 俺は対面に腰をおろし、ひとまずビールだけオーダーした。

「お疲れさまです。なにか進展ありました?」

「進展かどうかは分からんが、とんでもないことが起きた。御神体が姿を消したんだ。三日前からな」

「はい?」

 三日前?


 運び屋がやったのか?

 それとも……オルガンの素材にするために、ついにポッドに入れられた……とか? いや、ダメだ。そんなこと、あってはならない。


 俺は立ちあがりかけて、また腰をおろした。

「無事なんですか?」

「それを聞くために呼んだんだ」

 彼は眉をひそめた。


 理由はさておきキレそうだ。

 俺に断りもなく、御神体をどうにかしやがって。

 十二番でさえなにも言ってこなかった。もたもたしているうちに、敵に先手を打たれたかもしれない。


 ふと、誰かが近づいてきた。

 いや、そいつは近づいてきただけでなく、こちらの許可も得ず、勝手に着席した。


 スーツ姿の、まっしろな髪の女だ。

 見覚えのあるような、ないような、凛とした顔立ち。

「間宮です。祖母に言われて参りました」

 彼女はそう告げた。


 間宮――。


 敵ではない。

 オフューカスもほっと息をはいた。

「驚かせないでくれ」

「ご不要でしたら帰りますが」

「いや、いてくれ。きっと重要な情報を持ってきたんだろう」

 冗談の通じなさそうな女だ。

 自慢じゃないが、俺は女性の心証を損ねるのが得意だ。余計な口を挟まないほうがいいかもしれない。


「御神体は、いまアメリカにいます」

「アメリカ……」

「ですが、おそらく想像している場所ではありません。飛行機も船も使っていませんから」

 オフューカスはふんと鼻を鳴らした。

「つまり米軍基地か大使館にかくまってもらってるってワケか」

「そうなります。そちらの前部長の取引相手でもありますね。皆さんが前回の取引を『手伝った』見返りとして、アメリカはかくまうことを承諾しました」


 なるほど。

 なぜわざわざ部長の処分を一日遅らせたのかと思えば、アメリカに恩を売っていたわけか。

 だがアメリカが絡んでくるとなると、この話は手に負えなくなってきそうだ。


 オフューカスもヤケ気味にコップのビールをあおった。

「いったいどんな手品を使ったんだ?」

「人間にはにおいがありますよね。あなたはにおいで個体を判別できますか?」

「できるわけないだろ、イヌじゃあるまいし」

「私たちも同じです。有機周波数を感知することはできますが、個体の識別には特別な才能と訓練を要します」

 おそらく事実だろう。

 十二番は、あの別荘でオニゲシの気配を特定できなかった。


 間宮氏は店員からコップを受け取り、自分でビールをついで一口飲んだ。

「まず、運び屋が運送会社に扮して、宝物殿へ荷物を運び込みました。名義はアメリカ大使館ですから、秘書も中身は検閲できなかったはず」

「なにを運び込んだんだ?」

「中身の入った培養ポッドです。御神体がいなくなったあとも、有機周波数を発し続けるためのダミーとして。ですが、このダミーは不要だったかもしれません。周波数を観測しているのは、彼女の娘ですから。観測されたデータも、ネットワークを介してリアルタイムに改竄されていますし。誰も異変に気づけません」

「おいおい。うちのセキュリティはそんなにガバガバだったのか……」

 ガバガバだったのだ。


「とにかく、御神体は無事です。あとは現部長であるあなたの采配次第で、いつでも始められます」

「分かった」


 心底ほっとした。

 十二番は約束を守ってくれた。

 これで御神体は自由だ。


 オフューカスはぐったりと背もたれに身をあずけた。

「しかし本気で焦ったぜ。よそから妨害が入った可能性もあったからな。ま、カルトにとっちゃ御神体の消失なんて致命傷もいいところだ。絶対に公表しないだろう。三番、この件は内密に頼むぜ」

「もちろんです」


 御神体がいなくなった以上、上は不完全な状態でオルガンを稼働させることになるだろう。

 その不完全さを利用し、オルガンに接続された娘が関係者を消失させる。国会の最中に消去された五代大のように。

 出資者は慌てて支援を取りやめるだろう。

 その後、孤立した組織を俺たちが内側から叩く。


 簡単に言えば以上だ。

 実際にうまく行くかは別の話だが。


 するとオフューカスが、なぜか不審そうにこちらを見てきた。三白眼でじっと見られるとさすがに緊張する。

「なんです?」

「いや、最後になると思うからあらためて確認しておくが……。あんた、警察の人間じゃないよな?」

「はい? 全然違いますよ。それ、前の課長にも聞かれましたけど……」

「じつは警察もうちのことは快く思ってなくてな。何度かスパイを送り込んで来たんだ。違うならいい。まあ事実でもそうとは言わんだろうがな」


 警察のスパイまで紛れ込んでいる可能性があるのか?

 まったく心当たりがないが。

 絶対に俺は違う。年齢を考えれば、二番も違うだろう。十二番も違うと断言できる。なら七番は? そうは見えない。少なくともうちの班にはいない。


「警察がいるとなにか問題なんですか?」

「組織が力を失った途端、みんなを逮捕する可能性があるだろ。まあ逮捕されても仕方のないことをしちゃあいるが……。こっちとしては、せめて組織がつぶれたあとにして欲しいワケだ。な? そう思うよな?」

「俺、ホントに違いますからね」

「分かってる。まあ飲め」

 ぐいぐいビールを進めてくる。


 そもそも、俺をハメたのは前課長とオフューカスだ。なのに、こうも俺を疑ってくるとは……。

 自分たちで俺を選んだんじゃないのか?

 もしくはオフューカスこそが警察のスパイとか?

 疑い出すとキリがない。

 否定する材料がないのも事実だが。


 間宮氏は、自分は無関係とばかりに枝豆を食っている。

 用が済んだなら帰ってもいいと思うが。

 ついでに食事も済ませていく魂胆かもしれない。


 それにしても、まっしろで美しい女だ。

 化粧っ気もない。

 ただそこにいるだけで、妙な緊張感をもたらしている。おそらく、枝豆を食っているのでなければ、もっと近寄りがたかったろう。

 彼女は弓矢だけで一課を蹴散らした。怒らせないほうがいい。


 ふと、彼女はごくごくとビールを飲み干した。

「いけませんね……。祖母からは、決して人前で飲むなと言われているのですが……。ですが、まあ、勧められたとあっては……」

 なんだ?

 誰も勧めていないが?

 まさかこの女、行き過ぎたアルコール愛好家なのでは……。


 嫌な予感がする。

 だが、話が長くなると予想したオフューカスが、すでにかなりの量の焼き鳥をオーダーしていた。

 あと三十分は帰れない。


 *


 深夜零時。


 街灯が虚しく公園を照らしていた。

 俺と間宮氏は缶ビールを手に、つめたいベンチに並んで腰をおろしていた。オフューカスはうまいこと逃げた。俺は逃げ遅れた。


「それでね、私、聞いたんですよ。なんか変だなって思って。私、そういうのすぐ気づくほうなんで」

「はい」

「そしたら、二十年近くも、ずっとストーカーに付きまとわれてる……的なことを言われまして……。それで私、ついムキになってしまいまして……。いえ、普段は……普段は冷静なんです。祖母からもそうするよう厳しく言われてますんで。子供のころからずっと厳しくて……。でもちゃんと言うこと守ってですね」

「はい」

「でもストーカー……。最悪じゃありませんか? 私、言ったんです、そんなのいますぐ殺さないとダメだって! あ、でも殺すっていうとちょっと言葉が強すぎますから……。ええと。この世から葬って……葬ったほうが……いい、ですよね?」

「はい」

 話の筋がまったく分からないが、命の危険だけは感じる。


 彼女はおそらく、御神体と会話でもしたのだろう。

 そのときに、ストーカーに付きまとわれているとかなんとか言われたのだ。

 それでストーカーに殺意を抱いた、という話だ。たぶん。


「でも内心、ちょっとイラっとしたのも事実でして……。なんかこの人、自分が美人だからって鼻にかけてるのかなって……。あ、ごめんなさい。皆さんの御神体を悪く言ってしまいました。信者の皆さまには、心からお詫び申し上げます」

「いえ」

「でもダメですよ、カルトなんて。あんなの神さまじゃありません。ただの人間じゃないですか。いますぐ目を覚ましてください! 私、哀しいです! お互いに騙したり騙されたり! そんなだからいつまで経っても平和にならないんです!」

「そうですね」

「だから、三番さん、一緒に頑張って悪いヤツを倒しましょうね?」

「はい」

「あと、いまから帰ると祖母に怒られるので、全力でフォローしてくださいね? もう仲間ですよね? ね?」

「はい」


 なぜ給与外労働は発生してしまうのか?

 せっかく間宮家と良好な関係を築けたというのに、この女の酒癖のせいで破綻に追い込まれるかもしれない。

 それだけは絶対に阻止しなければ。


 全世界の行き過ぎたアルコール愛好家よ、願わくば、もっと自重してくれ。

 己の限界を超えたアルコールを摂取することなかれ……。


「あ、じゃあ俺、タクシー呼ぶんで」

「待ってください! まだ心の準備が……」

「遅くなると、それだけ怒られるんじゃ?」

「イヤです……」

 泣きそうになっている。

 泣きたいのはこっちだ。

「じゃあタクシー呼ぶんで」

「待ってください! このビールどうするんですか? まだいっぱい残ってますよ?」

「なんでこんなに買ってしまったんだ……」

「きっと飲むと思ったから……」


 ふざけやがって……。

 もう金輪際、飲むな……。


(続く)

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