ティッピング・ポイント
一夜明けて、また出勤。
居室があまりに静寂だから、さも世界が平穏であるかのように錯覚してしまう。
だが、そうでなかったことを思い出したのは、昼頃だった。
間宮氏と戦闘していたはずの一課から、ようやくレポートがあがった。
遅い遅いとは思っていたが、これはムリもない話だった。
戦闘は、夜通し続いていたのだ。
カタがついたのはつい先刻。
一課は一名の戦死者を出した。しかもその一名は、よりによって一課の課長。
対する間宮側は、死者ゼロ。
それでも間宮側が先に引いたので、一課は自分たちの勝利であると結論したが……。
世界は広い。
ヤバいと思っているヤツよりも、ヤバいヤツがいる。
たとえば、なんのスポーツでもいいが、どこかの道場に通ってみると分かる。自分よりヤバいヤツがいる。なのに、そいつも県大会あたりで、もっとヤバいヤツに負ける。トップで活躍している選手が、いかに自分とかけ離れているのかが分かる。
俺たちは、あくまで銃を借りて調子に乗っているだけの一般人だ。戦闘のプロではない。本当にヤバいヤツを相手にすると、狂犬の一課でさえこうなるのだ。
辞令が出て、部長が更迭された。
彼の采配ミスにより、現職の大臣が、よりによってオルガンで暗殺されたのだ。その上、一課の課長まで死亡した。
カタチだけでも、誰かが責任を負わねばならなかったのだろう。
ただし、どこへトばされたのかは不明。
代わりに、二課のオフューカスが部長に昇進した。
人員不足なのが幸いして、俺たちに有利な配置となった。
その代わり、二課の課長についたのはスコーピオ。
いまいち信用できない人物だ。これが吉と出るか凶と出るかは分からない。
*
午後、会議に出ていた二番が、ぐったりした様子で戻ってきた。
「あーもー、めんどくさーい」
席につくなりデスクに突っ伏した。
無視しようかとも思ったのだが、彼女はこちらを見て「ちょっと、三番くん。なにがあったか聞きなさいよ」などと言ってくる。
「聞くよ」
「前の部長、さっそく処分されるみたい」
「ほう」
俺が相槌を打つと、二番はがばりと身を起こした。
「え、なに? ほう? なんでそんなうっすいリアクションなの?」
「栄転でも左遷でもなく、いきなり行方不明なんだろ? 平和に終わるわけがない」
「あんたって、相変わらずムカつくわね。自分だけなんでも分かったみたいな顔して」
「べつに分かってない。続きを聞かせてくれ」
言いがかりだ。
誰だって推測くらいする。当たっているか間違っているかはともかく。
「あの人、お金と資料を持ち逃げしたみたい」
「おいおい。そいつはさすがに予想外だな。じゃあ辞令が出るより先に、部長のほうからトンズラしたってことか?」
「そう。横領だとか言って怒ってたよ、上の人」
上の人?
部長より上の人間が同席していたのか?
「なら、どこかに出動要請がでるな」
「明日ね」
「明日?」
なぜ今日動かない?
前部長の行動パターンを読み切った上での対応だろうか?
金はともかく、資料を持ち出された以上、似たような組織に売り飛ばされる可能性がある。早急に始末しないと不利益が出る。
あるいは、わざとそうさせてから始末するつもりか……。
「二課の新人チームを出動させるってさ。こないだ、うちから転属してった子たちね」
「はい?」
「失敗したときのために、うちにも待機してて欲しいって」
また新人を行かせるのか?
武器も持たないおじさんがターゲットではあるが……。
さっそくスコアをつけたいのかもしれない。二課のスコアが低すぎるのは上でも問題になっている。
「うまくやってくれるといいが」
「あんたに味方してくれた金髪の……六番? あの子いるから大丈夫じゃない?」
「まあな」
彼は大丈夫だろう。
だが当初だけ勢いのよかった四番、足を負傷しているキノコ似の十番、自称クリエイターの十三番は、あまりこの現場に適しているとは思えなかった。
せめて欠員が出ないことを祈るばかりだ。
*
休憩所で缶コーヒーを飲んでいると、長い髪をした亡霊のような女がスーッと近づいてきた。
すでに正体が分かっていても怖い。
「お外って怖いわね」
「ああ……」
あんたのほうが怖いけどな、などと、いまは言わないほうがいいだろう。
負傷していないのが幸いか。
「あと、わざとじゃないけどまたお財布を忘れたから、お金を貸して欲しいと思っている私がいる」
「おごるよ」
「ホントに? べつにその程度じゃ好きにならないけど……」
「ならなくていい」
彼女はまたパックのいちごミルクを買った。
見た目に似合わず……などと言っては失礼だが、かわいいものを好むようだ。
「課長のことは残念だったね……」
「うーん。まあ、そうだけど。自業自得よ。相手のことナメまくってたから」
辛辣だな。
そもそも一課に仲間意識があるのかさえ疑わしいが。
彼女は両手で紙パックを持ち、少しすすった。
「はふぅ。おいしい。他人のお金だと思うといつもの倍はうまいわ。いえ倍は言い過ぎかも。1.5倍くらい?」
「一課は勝ったって認識らしいじゃないか」
「そう書かないと査定に響くから。でもあれは完全に敗北。相手はたったの一人だった。しかも武器は弓矢だけよ? 普通ナメるわよね。正直、私もナメたわ。ぺろんぺろんよ。四人に勝てるわけないだろって思った」
それは俺でもナメたかもしれない。
もっとも、第二次大戦でも弓矢で戦果をあげた兵士はいた。戦車や装甲車を持ち出すならともかく、生身の状態では矢を防げない。
「次の課長はどうなるんだ?」
「ザ・スターよ。経験もスコアも私より上だし、レポートもちゃんと書けるから。なんなのかしらね、レポートって。どうせこっそり撮影してるんだし、わざわざ文字にする必要ないのに」
やはり撮影していたのか。
さすがに室内までは撮影できていないと思うが。
彼女はジュースをズズーッと吸い尽くした。
「ところで三課のおちびちゃんは、私のこと許してくれたの?」
「まあ、表向きは」
「え、つらい……」
「大丈夫だ。日本人は建前がすべてなんだから。本当の気持ちなんて考えなくていい」
「え、つらい……」
すると彼女は、とても哀れそうな目でこちらを見てきた。
機械でも見ているような顔だ。
いや、言っておくがこれも方便であって、俺も人の内面は気にする。とても。気軽に言えるのは、あくまで他人事だからだ。
我ながらやりくちがセコい。
「とにかく、そろそろ仕掛けることになると思う。頼りにしてるぜ、ザ・フールさんよ」
「任せて。ジュースのぶんは頑張る」
ぐっと握り拳。
ホントに信用していいのか?
ジュース代など、前回と合わせても三百円にも満たないが。
*
翌日――。
こちらの懸念はさておき、二課の新人たちは問題なく仕事をやり終えたらしい。
前部長は処分された。
問題は、盗まれた金と資料を回収できなかったこと……。だが、それは俺たちの仕事ではない。遺失したくなければ、昨日のうちに動いておくべきだった。
出動予定がなくなったので、俺は七番と地下のレーンで射撃練習をした。
「大事なのは、仲間に銃口を向けないこと、撃たないときはトリガーに指をかけないこと。これをおこたると炎上するから要注意」
「炎上?」
「あとは、まあ、照準なんか覗いてると時間かかるから、とにかく撃つことかな。結局のところ、かなりの近距離で撃ち合うことになるからさ。正確さより勢いが大事なんだよね。残弾数だけ意識しておけば大丈夫」
「はぇ」
ニワトリみたいにへこっとうなずいた。
素人が素人を指導するという哀しい状況だが……。
それでも生き残っている人間が教えるしかない。当然だが、死んだ人間からは指導を受けることができない。かといって二番も十二番も才能だけで撃ってるから参考にならない。
*
居室へ戻ると、またクソメールが届いていた。
要約するまでもなく、定時後も残れということだ。
上司に残業を命じられるならまだしも、新人に命じられるとは……。
かくして時は過ぎ、二番と七番が退社し、俺と十二番だけが残された。
彼女はオフィスチェアの車輪を使い、いきおいよくこちらへ滑ってきた。
「お待たせ」
「待ってない」
満面の笑みだ。
ほかにこの笑顔を向ける相手はいないのだろうか?
「さっき男だけでパンパンしてましたよね。やらしい。なんで誘ってくれなかったんですか?」
「ヘタクソ同士で集まって慰め合ってたんだよ。それより、職場に残ってても残業代なんて出ないんだ。手短に頼むぜ」
「えっ? 私とお話しするの、そんなにイヤですか?」
「べつにそうは言ってない」
彼女は本当に哀しそうな目をする。
演技かもしれない。
だが本心が読めないから、演技とも言い切れない。
落ち込んでうつむく顔は、どこか御神体の面影があった。
「条件が整ってきました。時間もありません。もし母を救いたいなら、そろそろ運び屋に打診すべきじゃないかと思って」
「ああ、そういえばそうだな。いい加減、決断しないといけない」
その通りだ。
あらゆることが、こちらにとって有利に運んでいる。
未来を予想するAIは放棄された。味方であるオフューカスが部長になった。戦力だけ見ても、おそらく敵より味方のほうが多くなった。依頼すれば間宮氏も加勢してくれる。その上、強大な壁になりそうだった現職の大臣は、文字通り消えた。
この上ない条件だ。
「姉妹たちも、自力で動ける子は一斉に仕掛けることになってます」
「頼もしいな。だが、自力で動ける子、とは……?」
「動けない子はお留守番です」
十二番はさらっと言った。
だが、簡単に聞き流すことはできない。
自力で動けない子もいるのだ。おそらくムリに培養したせいだろう。
「留守番? その子たちは、その後どうなるんだ?」
「あなたが考えるようなことではありません」
「だが保育課がなくなったら……」
すると彼女は両手を伸ばし、こちらの頬に触れてきた。小さな手だ。
「あなたは正義のヒーローにでもなったつもりですか?」
「は?」
「なんの犠牲も出さずに勝利できる、などと、まさか思っていませんよね? それとも、母を救えそうだから、他の誰かも救えそうだと勘違いしましたか? 全部うまくいくと?」
「……」
言い返せなかった。
彼女の言う通りだ。
本来なら御神体のことも救えなかった。なんとか余裕ができたから、作戦にねじ込んでくれたのだ。
ある程度の犠牲はやむをえない。
それでも、姉妹のことは想定外だった。
彼女は、本当に哀しそうな表情を浮かべた。
「目の前の女の子ひとり救えないのに、カッコつけないでください」
「どういう意味だ?」
「どういう意味でもありません。何度も言った通り、私、傷ついてます。でもあなたは、母以外の人を好きにならない、でしょ……?」
「それは……」
じつは分からない。
そもそも御神体のことだって、好きかどうか分からないのだ。そんな感情では処理できなくなっている。独占したい気持ちはある。だが、なかば宗教みたいなものだから、いてもいなくても同じだと感じている。我ながら意味が分からないが。
彼女は死んだはずだったのだ。仕方がない。
十二番が求めているのは、しかしそういうことではないだろう。
「俺は……生に執着するつもりはない。その後の世界のことは、生き延びた人間が考えてくれ」
「やめてください。カッコつけですよ、そういうの。ダサいし自分勝手。謎に理屈っぽいし、自分だけが正しいと思ってる。そんなこと言ってるうちはモテませんから」
「分かってる」
「分かってません。それでも好きって言ってるんです」
いったいなにが彼女をここまで追い込むんだ?
本当は興味などないのに、他人が欲しがっていると、急に欲しくなる人間がいる。彼女のもそういうたぐいの感情だろうか?
「天使ちゃんも、あなたのことを好きだったと思います」
「……」
分からない。
互いに憎しみはなかったと思うが。
「あなたと天使ちゃんの戦いは、狭い世界しか知らない私たち姉妹にとってはかなり刺激的でした。言っておきますが、他の姉妹も私と同じ感想ですよ。姉もあなたのファンですし。オニゲシもあなたのファンだったと思います。殺される直前までは」
「見てたのか……」
「映像ではなく、有機周波数で、ですけど……。みんなドキドキしながら見守ってました。どっちも死なないで、って。天使ちゃんは殺したがってましたけどね。それも愛するがゆえです。苦悩する二人の姿を、ずっと見ていたかった……」
無垢そうな顔をして、そこそこイカレているな。瞳を潤ませてするような話ではない。
こっちは生きるのに必死だった。
ともあれ、天使ちゃんと戦ったのに、姉妹を敵に回さずに済んだのは幸いだったかもしれない。普通なら嫌われてもおかしくない。
十二番は、ようやく手を離した。
「まあいいです。近日中に運び屋を動かします。その後は……もう引き返せませんけど、いいですよね?」
「ああ。覚悟している」
全員の意思を確認したわけではない。
だから、もしかしたら予想外の人物が敵に回るかもしれない。
それでもやるのだ。
完璧なコンディションを待っていたら、この作戦はいつまで経っても実行できない。不完全なまま仕掛けて、勢いで押し切るしかない。
彼女はなぜか、とてもさめた目をしていた。
「はい。覚悟、していてくださいね、絶対に」
「……」
もう引き返せないというタイミングで、不安にさせないで欲しいのだが……。
(続く)




