スパゲッティ
研究所に戻るなり、俺たちは部長に呼び出された。
部長室とは名ばかりの、書類倉庫みたいな個室だ。デスクはひとつだけ。あとはいくつもの棚が空間を占拠している。
「これは大変な事件だぞ」
彼はつるつるの頭をなでながら、うんざりしたように溜め息をついた。
なにを責められているのか分からない。
二番がすねたように頬をふくらませていたので、代わりに俺が応じた。
「現場にて二名を射殺しました。詳細はのちほどレポートで提出します」
「彼を止められなかったのか?」
「こちらに選択肢はありませんでした」
すぐさま殺したいなら、三課ではなく一課を行かせればよかったのだ。彼らなら一秒たりとも躊躇しない。
俺たちは通常通りに業務をこなしただけだ。
部長は舌打ちした。
「お前、自分たちがなにをしたか分かってないのか?」
「どうでしょう」
「どうでしょう? しらばっくれるなよ。ターゲットをすみやかに殺害するのがお前たちの仕事だろうが? ん? それを呑気に、長々とくっちゃべってたらしいじゃないか」
「どうでしょう」
「バカにしてるのか!」
彼はデスクをバンと叩いて立ち上がった。
昭和のパワハラ上司といった応対だ。
まだ絶滅していなかったとはな。
「具体的に、我々のエラーを指摘してください。我々の行動と、命令との間に、なんらかの乖離が?」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
「ではどういうことを?」
「お前たちのせいで現職の大臣が死んだんだぞ! 国会の最中に! これがどれだけ重大なことか分からないのか!? あ?」
頭まで真っ赤にしている。
「もしスピードを重視するなら、一課を行かせればよかったのでは?」
「バカや……バカ野郎! 一課はいま……。とにかく、お前たちのミスだ! 責任をとってもらう!」
いま彼はなにか言いかけた。
一課を出せない理由でもあったのか?
「具体的に、どのような責任が生じます?」
「お前、もう喋るな! 口ばっかり達者な青二才が! 責任をとらされるのは、この俺なんだぞ! 落ちこぼれどもに任せた俺の失態だ! クソ! クソクソ! もう行け! 反省しろ!」
すべてこいつ自身の責任じゃないか。
まあ彼は責任をとってどうにかなるらしいので、実際にそうなってもらうとしよう。
*
「あのジジイ! いつかぶっ殺す!」
居室に戻るなり、二番がブチギレた。
まあ目の前でブチギレなかっただけよしとしよう。
十二番は愉快そうに笑っている。
「でも三番さん、とっても頼りになりました。あの人、事実を指摘したら怒っちゃいましたね?」
「彼は怒るほうにエネルギーを使いすぎなんだ。冷静に事実だけ通達すればいいのに」
だがその「事実」とやらも残酷だ。
彼は、重要な案件に俺たち三課を向かわせた。そして、望まぬ結末を迎えてしまった。
つまり彼は、みずから采配をミスし、そしてみずからが責任を取らされるということを、大声でこちらに報告していただけなのだ。いや、そもそも俺たちに聞かせる必要のない話だった。きっと八つ当たりでもしたかったのだろう。それが成功したかはともかく。
しかし俺はいま「気に食わない上司にやり返してやったぜ」的な気分ではない。
特に目的もなく権力と衝突するのは得策ではない。
むしろうまく交渉できなかったせいで、情報を取り損ねた。
この重要な仕事に、一課や二課ではなく、俺たちを行かせた理由を引き出すべきだった。
「なぜ一課は動かなかったんだ?」
「……」
誰からも返事はない。
二番は「急になんだこいつ?」という顔をしているし、七番はニワトリみたいにへこっとしただけ。十二番は……あいかわらず笑っている。
*
レポートを書いているうちに、定時を過ぎてしまった。
残ったのは十二番だけ。
いつもの流れだ。
「レポート、書き終わりました?」
「ああ、いま送った」
事実はどうあれ、自分たちに非がないかのように書かねばならない。
少々の脚色が必要だ。
彼女はぐーっと椅子を近づけてきた。膝がぶつかる距離まで。
「なんで一課が出ないのか、知りたいですか?」
「知ってるのか?」
「もちろんです」
なぜさっき答えなかった?
俺以外の人間を信用していない?
それとも機密を含んでいるからか?
彼女は身を乗り出して、楽しそうに告げた。
「じつは研究所に間宮さんを向かわせてたんです」
「そうだったな。だが、裏切り者のオニゲシは五代の別荘に来ていた……」
つまり間宮氏は、オニゲシを見逃したことになる。
いったいなにをしていた?
「観測室の室長がオニゲシを連れ出した瞬間は、間宮さんにとっても行動のチャンスだったはず。ですが、上も対策してたようです。一課を向かわせて」
「戦闘になったのか?」
「結果はまだ分かっていませんが……」
一課を足止めしてくれたのは助かる。
だが、いまザ・フールに死なれるのは困る。
二番は喜ぶだろうが、いちおう味方なのだ。
「レポートもあがってないな」
俺がパソコンを操作すると、彼女もぐっと覗き込んで来た。
わざとやってるな……。
俺は彼女を椅子に押し戻し、こう続けた。
「ところで、上にいる怪物についてだけど」
「はい。なんでもお答えします」
気分によっては質問に応じてくれる。
こうしていると素直でかわいいのだが。
「なんらかの意図をもって行動しているのか?」
「生命の定義からは外れるので、生き物ではありません。でも、まるで思考しているかのような動きを見せています。人間や動物たちの生命活動が、有機周波数となって放たれているのはご存じの通り。あれはそういったものの蓄積した姿。思考しているわけでもないのに、思考しているかのように振る舞っている」
「まるで『情報』の『擬人化』だな。AIとなにが違うんだ?」
「違いを見つけるのは難しいでしょうね。そこにアクセスした人間が、真に受けてしまうところまでそっくりです」
将来のAIがどうなるかは知らないが、現行のAIは思考していない。人間たちの発したデータを反射しているだけだ。
だというのに、AIを使う人間の中には、なにかのソースとして「AIがこう言っている」と主張するものがいる。
人間がエコーのエコーと化している。
「ただのヤマビコってことだよな? それを知れば、カルトどもも目を覚ますんじゃないのか?」
「難しいと思います。出資者の一部は、あれを神だと決めつけてビジネスを始めていますから。ヤマビコだなんて絶対に認めません」
そりゃそうだ。
世界初、神にアクセスできる機械をリリースしようというのだ。
その神が神でないなどと知れれば、オルガンは価値を失ってしまう。
こちらが黙考していると、彼女は言葉を続けた。
「先ほど、意図についての質問がありましたね。中身は存在しませんが、意図らしきものは存在します。正確には、意図ではなく、欲求と言うべきでしょうか」
「欲求?」
「オルガンは、人体をそのまま有機周波数に変換しますよね? そうすると、怪物の体が大きくなるから、喜ぶのです。本当に喜んでいるのではなく、喜んでいるかのように反射しているだけですが。これがなにを意味しているか分かりますか?」
「さあ」
AIもどきだと思うと、もう神性を感じない。
意味などあるのか?
「AIの意見を真に受ける人間がいるのです。怪物の要求を真に受ける人間がいてもおかしくありません。つまり、カルトの中には、神に贄を捧げるためのツールとしてオルガンを使おうというものもいます」
「おいおい」
神と一体化できるなどとウソをつき、人間から金を巻き上げ、そのまま怪物のエサにしてしまうということだ。
人間を素材にして金を刷っているようなもの。
あまりにクソ過ぎる。
「簡単に説明します。有機周波数というのは、いわば模倣子だと考えてください。怪物は模倣子の集合体。オルガンは遺伝子を模倣子に変換するもの」
「皮肉な話だな。インターネットは古代から存在した、というわけか」
「まあ、そうとも言えますね」
言えない顔をしている。
ムリに合わせなくていい。
「ところで、さっきから怪物怪物と言ってるが、名前はついていないのか?」
俺がそう尋ねると、彼女はなんとも言えない表情になった。
「あだ名なら……」
「なんて言うんだ?」
「蛇が絡まったような構造なので、スパゲッティ、と……」
空飛ぶスパゲッティか。
邪教にふさわしい名前だ。
だがおそらく、それは蛇ではなくワームだろう。
ワーム、あるいはウィルム。つまり龍やドラゴンだ。
古代人は、もしかするとそれらを「見て」いた可能性がある。なんなら自力でアクセスしていたか。
十二番は、突然にこりと笑みを浮かべた。
「そういえば、一課が出動しなかった理由は言いましたが、二課については言ってませんでしたね」
「なにかあるのか?」
「このところ、スコアが三課を下回ってるんです。このことは上層部でも問題視されてまして。それで部長は二課を出せなかったんだと思います」
「それでこないだ転属の紙を押し付けてきたのか。なにがなんでも二課の戦力を回復させたかったんだな」
そう考えると、管理職もなかなか大変なのであろう。
上からは理想論を押し付けられるのに、現場は思う通り動かない。責任だけ押し付けられる。怒鳴りたくなる気持ちも分からなくはない。まあそれでも怒鳴る必要はないと思うが。
「あの部長、そのうちトばされるかもな」
「可能性はありますね」
そしたら一課の課長が昇進するんだろうか。
もし間宮氏に殺されていなければ、だが。
「その前に、データ観測室だが……。どうなると思う」
「なにも変わりませんよ。べつの誰かが室長になるだけです」
「AIはもう放棄されてるのか?」
「少なくともオフラインではありますね。アクセスできなくなっていますから」
上層部は彼のAIを毛嫌いしていた。
すでにネットワーク上からも削除されているのだろう。
データは、あくまで有機周波数の研究を目的として収集されている。だからデータ自体は破棄されない。破棄されるのは、室長が私的にデータ流用したAIシステムだけ。それは完全に室長のスタンドプレーだった。
捨てるには惜しい気もするが。
ともあれ、組織も動きつつある。
オルガンが正式稼働する前に、仕掛ける必要があるだろう。
(続く)




