エコー
室長は、壁のパネルを操作し始めた。
すると円柱型のポッドが、モーター音とともに上部へせり上がっていった。天井のフタが開き、そのままどこかへ。
「ポッドは有機周波数の受信だけでなく、送信にも使える。ここから東京までは……200キロメートルはないが、まあそれくらいを想定しておこう。この個体では力が足りない」
足りない?
彼は躊躇なく操作を続けた。
「そこで薬品を投与し、一時的に感受性を高める。今後使用する予定はないので、最大量を投与する」
「いや、ちょっと待ってください。それって……」
俺がそう言いかけると、彼は血走った目でギロリとこちらを睨みつけてきた。
「非人道的だとでも非難するつもりかね? では、生かしておけと? その後はどうなる? 結局、ポッドの中の個体は、死ぬまで装置から出られないのだ」
薬品が投与されると、十二番とオニゲシが不快そうに口元を抑えた。
俺たちに聞こえない悲鳴でも響いているのかもしれない。
室長はそれでも淡々と作業を続けた。
「特に指定をしなければ、オルガンは無差別に人間を消去してしまう。つまり私も君たちも不本意な形で人生を終えることになる。だが、安心したまえ。特定の周波数にだけ作用するようになっているのだ。五代議員の周波数は、すでにデータベース内に存在する。彼は『特別な会員』だからな。今回はこれを使用する」
モニターの中では、議員たちが論戦を続けている。
アツくなるおじさん、冷笑するおじさん、寝ているおじさん、いろいろだ。
おそらく、これで最後になるだろう。
俺は空気も読まず、室長にこう尋ねた。
「そういえば、こないだ元警察の男を消しましたよね? なぜです?」
「私の趣味ではない。上から命じられたのだ。さっきも言った通り、君たちを消すのは得策ではない。なぜなら上の手駒が減るからだ。だから警告だけして、君たちを止めようと考えた」
「彼はなにか言おうとしていた」
「幻覚でも見たのだろう」
「幻覚?」
彼は誰かに誘導されて、茨城の研究所を調べ始めた。
十二番を見ていた。
つまり彼女がなんらかの方法で、男を誘導したことになる。あるいは彼女によく似た姉妹の誰かが。
室長はやや苦い表情を浮かべ、溜め息をついた。
「とにかく、私は彼のことをほとんど知らない。周波数も、指定されたものをそのまま使っただけだ。もし怪しむべき点があるなら、それは別の組織の仕業だろう」
「別の組織!?」
こんなヤバい組織が、ほかにもあるというのか?
彼はしかし俺の態度にもうんざりした様子だった。
「慌てるな。有機周波数の研究をしているのは我々だけではない。どこが技術を有していてもおかしくはないのだ。過去にも、サンプルが持ち出されるなどのトラブルはあった。末端の職員が、金目当てでよそに売り払ったんだろう。なにもかも、時間の問題だった。そして時間の問題だからこそ、上はオルガンの完成を急がせている」
世界初の、そして唯一の、完成品。
オルガンはそういうものでなければならない、というわけだ。
「データの入力が終わった。周波数は美しく調和している。あとは演奏を始めるだけだ。だが、そうなる前に、君たちは私を射殺することができる。もし演奏を阻止すれば、上は君たちを称えるかもしれないな。逆に射殺が遅れれば、罰があるかもしれない」
いったいどういうつもりなんだか。
「こちらの心配は結構。俺たちが来たときには、もう手遅れだったということにしておきますよ」
「連中は現場の周波数を観測しているぞ。我々がひとつの場所に集まっていることは、とっくに把握している」
「それでも、レポートを書くのは俺ですから」
本当は二番の仕事だが、なぜか俺が書かされている。
室長は「ふっ」と笑った。
「では演奏を始めよう。モニターに注目したまえ」
画面内では国会中継が続いている。
五代大は、政治家としてはずいぶん若い。五十にも満たない年齢であろう。議員たちの質疑を、大臣席からつまらなそうに眺めている。
室長がパネルを操作した。
俺は有機周波数を受信する能力はないが、さすがに空気感が変わったのを感じた。
十二番は苦しそうに崩れ落ち、オニゲシは物陰で嘔吐し始めた。
画面内の五代の身体が、風船のように膨らみ始めた。
いや、膨らんでいるというより、肉体が分解されてほつれているのだ。
最初、誰も気づかなかった。
気づいた議員もいたが、おそらく正常性バイアスだろう、何事もなかったかのように一度は目をそらした。
次の瞬間、粒子となった五代の身体が、四方八方へ散り散りになった。血液も飛散し、すぐに粒子となって消えた。
服と靴だけが残された。
画面が「しばらくお待ちください」に切り替わった。
予告通り、五代大だけがピンポイントで消去された。
室長はふんと鼻を鳴らした。
「これでオルガンの存在は、あまねく知られることとなった。世界へのデビューといったところだな。安心していい。もうポッドの中身は使い物にならん。私はもう、誰も殺すことはできない」
彼の仕事は終わった。
あとはもう勝手に殺してくれ、ということだ。
俺は、しかしどうしても撃つ気になれなかった。
彼は味方ではない。
自分のAIのために、姉妹の生命を玩弄した悪人だ。
だが組織の被害者でもある。
俺たちとなにが違う?
違うのは立場だけだ。
こちらは追う側、彼は追われる側。
理由はそれで十分なのかもしれないが……。
さっきまで吐いていたオニゲシが、博士をかばうように立ちはだかった。
「ダメ……。殺さないで……」
ふらふらだ。
立っているのがやっとだろう。
十二番も、膝を震わせながらなんとか立ち上がった。
「なぜかばうのです?」
「私のこと、救い出してくれた……から……」
「けど彼は、他の姉妹を犠牲にしてきたんですよ? さっきの悲鳴が聞こえませんでしたか?」
「知らない……。私は助けられたの……。それだけで十分……」
彼女は優しさに飢えていたのかもしれない。
だから、簡単な優しさに負けてしまった。
室長も立ち上がった。
「思い上がるな、実験体。私は君に利用価値があると思ったから連れてきただけだ。ポッドの中身が壊れたら、君を使うつもりだったのだからな」
「えっ……」
「だがもう用済みだ。失せるがいい」
「……」
演技がヘタだな。
利用しようとしたのは事実だろう。だが、あまりに長く一緒にいすぎた。
俺は銃を構え、何発も撃ち込んだ。
まずは動きの速そうなオニゲシから。そして室長。中途半端に生き残らないよう、ありったけの弾丸を撃ち込んだ。
空薬莢が次々とコンクリートの床に落ちて、心地よい音を立てた。
まるで風鈴の音のようだ。
それ以上に、閉所での発砲音のせいで耳がどうにかなりそうだったが。
これで死体は二つになった。
いや、ポッドの中身も死んでいるから、三つか。
余計なスコアがついた。
十二番は泣いていた。
*
帰りの車内も無言だった。
一課や二課の連中と撃ち合うならともかく、まさかデータ観測室の人間を手にかけることになろうとは思わなかった。
誰もなにも言っていないのに、車はやがてサービスエリアに入った。
休憩したかったのかもしれない。
昼を過ぎて、太陽は傾いている。
だがまだ夕刻ではない。
平日だから、学生たちが学校が終わって帰るころか。
「アイスおごってください」
「いいよ」
あまりに十二番がしょげていたので、俺は応じてやることにした。
ベンチに腰をおろし、ソフトクリームを食う。
じつに平和だ。
鳥たちも家に帰ろうとしている。
あれだけの惨劇があったばかりなのに。
国会のさなか、現職大臣が暗殺された。
当然、それはとんでもないニュースになっていた。
彼は、しかし何者かに射殺されたことになっていた。
遺体を残さず、血痕ひとつ残さず、服だけを残して消えたのに。映像も残っているのに。なんらかの理由をつけて事実は隠蔽されるのだろう。
「ありがとうございます」
「えっ?」
急に十二番が話を振ってきたので、俺は思わず生返事をしてしまった。
「妹のことです。あそこで生かしておいても、結局は行き場を失って、悪い人たちの道具にされてたと思うんです。だから、殺してくれてよかった」
「そんな……」
殺してくれてよかった。
そんな言葉、絶対に言わせてはいけない。
もし世界がもっと優しければ、そもそもあんな状況に追い込まれることはなかった。そういう世界にできなかったのは、大人の責任だ。いくら俺が無力な個人とはいえ……。
恥じることはあっても、感謝されるようなことではない。
「私じゃ、きっと妹を撃てませんでしたから」
「感謝しないでくれ。結局、救えなかったんだ。最悪を回避しただけだ」
「それでも」
人間には限界がある。
だからどこかでタカをくくらねばならない。
あきらめねばならない。
俺は、それでもきれいごとを並べ立てる癖がある。
できもしないことを言うのだ。
できないならできないでいい。不可能は可能にならない。真の問題はこうだ。本当は可能なのに、そいつが「できない」と思い込んでしまったら、絶対にその先へは行けないということだ。
もしまだ人類が空を飛べなかったとして、誰かが空を飛びたいと言ったら、俺はきっと笑っただろう。
ムリだ、できっこない、と。
俺は自分がそういうヤツだということを知っている。
だからウソでも、きれいごとを並べるようにしている。自分を追い立てていれば、いつかはやるかもしれないからだ。
それが悪い方向に転ぶケースもあったが……。
彼女はしばらくアイスを食べていたが、ふと、空を眺めながらこうつぶやいた。
「人が死ぬ瞬間、天が泣くんです。それは『エコー』とも呼ばれています。正体は分かっていません。少なくとも、分かっていないことになっています」
「ん?」
どういうことだ?
分かっているヤツがいるのか?
「上にいるのが神さまだなんて、誰が決めたんでしょうか。悪魔が殺人に喝采を送っているかもしれないのに」
「悪魔?」
「あるいは怪物。網目状に折り重なった蛇。オルガンは確かに、大なるものとの一体化を可能にします。けどその大なるものが、善なるものだ、なんて誰も証明していません。上にあるから善なのだと、誰もが決めつけている……」
彼女には見えているのか?
そしてそいつは、悪意のある存在だと。
「ならば、神はどこにいる?」
「いませんよ。いえ、いないと断言するのも不適切ですが。少なくとも神に該当するものは、有機周波数では観測不能な、まったく別系統の存在です。私たちに知覚できるのは、はるか頭上の獣だけ」
じつにおぞましいな。
この星は、そんなものに包まれているのか。
悪はいるのに、神はいない。
もしそれが事実なのだとしたら、絶望するしかない。
俺は、しかしふと思いついた。
「待ってくれ。そうだ。俺たちは、いつも誤解をしてしまう。たとえば下に悪がいるならば、上に善なるものがいると仮定してしまう。逆でもいい。なぜか自分たちを例外にして、とんでもない巨悪と、それに対応する神を想像してしまう。だが、違ったんだ」
これに十二番はうなずいた。
「残念ですが、世界は必ずしも均衡していません」
「いや、それも違う。均衡しているんだ。いいか。俺たちの上と下で戦ってるんじゃない。その悪と対になる存在は、俺たちなんだ。つまり上にいる悪をしばくのは、地上を這っている俺たち人類の仕事ってことだ」
「……」
勝手に絶望することはない。
世界が終わるわけでもないのだ。
仮に、俺たちが悪で、上にいるのが善でもいい。どっちでもいい。とにかく、俺たちは間に挟まれた気の毒な第三者じゃない。そいつに対抗しうる一大勢力だ。世界は均衡している。
十二番はくすくすと笑った。
「好きですよ、その考え方。やっぱりあなたって、母のこと以外なら頼りになるかもですね。きゅんきゅんしちゃいます」
「できればお母さんのことでも頼りになりたいな」
「ですが、じつにしっくり来ました。私たちのこの力にも意味があったのですね……。なるほど」
いま母親のことをするっとスルーしたな。
まあいい。
「上にいるヤツについて、もっと詳しく教えてくれ。戦うとなれば情報がいる」
「それは全人類を敵に回すより無謀な戦いになると思います。けれども、実際にどうするかはともかく、情報は必要になるでしょうね。いいですよ。帰ったらまたお話ししましょう」
ただでさえ手一杯なのだ。
無謀なボランティアまで引き受けるつもりはない。
それでも、知らないままでは出遅れる可能性がある。
(続く)




