交渉失敗
やたら和気あいあいドライブしていたのには理由がある。
みんな気を紛らわせたかったのだ。
今日の仕事は……間違いなくヤバい。
目的地は、とある大物政治家の別荘。
大物も大物、現職の大臣・五代大だ。
あくまで別荘だから、その政治家が生活しているわけではない。だが、誰も住んでいないわけではないらしい。代わりの誰かがいる。
上から渡された資料によると、名前は空欄だった。
借金額はゼロ。
とにかくそいつを「殺せ」ということだ。
*
凄まじい広さの邸宅だ。
木漏れ日の差し込む森の中、塀に囲まれた洋館がひっそりと建っている。
うっすらと影になっているせいか、洋館の壁は青白く見えた。
重たいゲートを開けて、敷地内に車を進める。
誰かが定期的に管理しているらしく、芝生は短めにカットされていた。
ゴミひとつ落ちていない。
中で誰かが暮らしていてもおかしくない。
いや、それにしては生活感がない、か。
「このホラーハウスみたいな外観はダメでしょ。せっかく漏らさないで耐えたのにさぁ」
車から降りた二番は、さっそく苦情を申し立てた。
漏らさなかったのは偉いが、あのあと路肩で……。
いや、いい。
車の中でしなかっただけ偉い。さすがは成人女性だ。
俺は十二番と七番に銃を配り、自分で二丁持った。どうせ出番がある。
「十二番、異常な周波数は感じるかな?」
「ありますね。どう考えても異常な周波数が」
彼女はなんとも言えない顔で答えた。
待っているのはご同業ということだろう。
「個体は特定できる?」
「私にはムリです」
ほかの誰かなら可能なのか?
もしかすると彼女は、有機周波数の適性が他の姉妹より低いのかもしれない。
俺は声をひそめて、さらに尋ねた。
「ところで、茨城の件は? いまどうなってる?」
「調整中です。なぜか異様に警備を固めているらしく、隙ができるまで動けないそうです」
やはりこちらの動きがバレているのではなかろうか。
二番が後ろから体当たりしてきた。
「オラァ!」
「うおっ。なんだ急に」
「こんなところでイチャついてんじゃねー! ぶっ殺すぞ!」
「大事な話をしてたんだよ」
「どうせEDの治し方でも相談してたんでしょ? そういうのは仕事のあとにして」
「チッ、バレちゃ仕方がねぇな……」
反論するのもバカらしかったので、俺はかわすことにした。
二番はなんとも言えない顔になった。
「え、マジで?」
「冗談に決まってるだろ。それより、なにか作戦は?」
「あんたが先頭に立って進みなさいよ。二丁も持ってんだから」
「承知いたしました」
どこの職場も理不尽なことだらけだ。
人は少しでも権力を手にすると、抑制的に振る舞えなくなってしまう。それもクソだが、かといって抑制的に振る舞うと、今度は下がつけあがる。上も下もクソなのだ。こうなるのは仕方がない。
もしイヤなら人間をやめて、進化した別の動物になるしかない。
ドアノッカーというのか、金属の輪っかを使って、俺はドアをノックした。
もちろん返事はない。
ドアノブを回すと、普通に開いた。
あきらかに誘導されている。
俺は片手に銃を持ち、もう片方の手でそっとドアを引いた。
ガランとしている。
いやまだ玄関だが。
よく磨かれた焦げ茶色の木造建築。洋館ではあるが、どこか和のテイストも感じられる。和洋折衷の文化住宅だ。
十二番が隣へ来た。
「大丈夫ですよ。このフロアには誰もいません」
「そいつは安心だな。どのフロアにいるんだ?」
「地下ですね」
勘弁してくれよ。
こんな洋館の地下なんて、どう考えてもホラーだろう。
自慢じゃないが、俺は過去に何度か御神体の亡霊を見たことがある。
当時は本気で死んだと信じていたからだが……。しかし結局生きていたことを考えると、俺が見たのは幻覚だったということになる。まあ幻覚じゃなかったらそっちのほうが問題だが。
とにかく、ホラーは苦手なのだ。
有機周波数は、生命から発せられる周波数だ。
そして死後も、その場にとどまる。いや死なずとも、周波数が発せられる限り、空間に蓄積し続ける。それは地層のように堆積するのだという。
古い情報は押しつぶされて読み取り不可能になるとかいう話だった。
減衰すれば、いずれは消えるのだろうか?
「その周波数は……生きてる人間のもの?」
「生きてますよ。人間かどうかは分かりませんが」
「おいおい」
「でも上が人間以外をターゲットに指名したことありませんよね?」
「まあ、そうだけど」
俺も理屈っぽい性格だから人のことは言えないが、十二番はじつに淡々と回答へたどりついてゆく。彼女は姉妹同士でもこんな口ぶりなのだろうか?
*
あるドアを開くと、地下への階段が伸びていた。
石壁と石段。ひんやりとした空気が溜まっている。
どう考えても進みたくない。
電気が来ていたからよかったものの。もしこれをスマホのライトだけで進むところを想像すると……。足がすくんでいたところだ。
「い、いちおう先頭を行くが、仲間を信頼して行くんだからな? みんな、ちゃんとついてくるんだぞ?」
「はい」
十二番は愉快そうに背中に寄り添ってきた。
普段なら鬱陶しいと振り払うところだが、いまは許そう。
すると二番が「あ、あたし一番後ろはヤなんだけど!」と三番手についた。職権乱用も甚だしい。
七番は拒否権もなく最後尾へ。
「三番くん! 少しでもヤバそうだったらすぐ撃ってね? 命令だから」
「了解……」
だがツラも見ないうちに撃つことはできない。
俺は自分の都合だけで他者の命を奪いたくない。絶対に後悔する。経験上そうだ。
*
「そんなに警戒しないで、早く入ってきたまえ」
階下からそんな声がした。
男の声だ。
聞き覚えがある。
十二番がつぶやいた。
「観測室の室長ですね。ですが、一人ではないようです。ご注意を」
「えっ? 観測室? なぜここに」
「分かりません」
俺たちは言われた通りに階段をおり、鋼鉄のドアをひらいた。
中はひときわ明るい。
蛍光灯に照らされたまっしろな部屋。まるで研究所みたいだ。いや、実際、研究所なのかもしれない。
口髭を生やした白衣の男が立っていた。これがデータ観測室の室長。
そしてもう一人、小柄な少女。口を半開きにしてニヤニヤ笑っている。オカッパだから呪いの和人形みたいだ。十二番によく似ている。
じつはもう一人いる。姿は見えない。二人の間に置かれた円筒形のケースは、ただのオブジェではないのだろう。
「状況を説明してください」
俺はわざとらしく銃を見せ、そう迫った。
彼らは無防備だった。殺そうと思えばどちらも一瞬で殺せる。
なんらかの罠があるなら別だが。
室長は溜め息をついた。
「ずいぶん野蛮な交渉をするんだな。君はもう少しクレバーだと思っていたんだが」
「仕事で来ている以上、命のやり取りになりますから」
正直、この状況を理解できない。
俺たちに出動要請があったということは、上は彼らを始末したがっているということだ。組織を破壊しようとしているのはこちらなのに。
あるいは彼らにも、なんらかの問題があったのだろうか。
室長は椅子へ腰をおろした。
「プロジェクト『オルガン』についてはもう知っているな? オルガンというのは、先日、君たちのターゲットを昇天させた楽器だ。そう。私たちはあれを楽器と呼んでいる。人間を天へ導く旋律を奏でる楽器。ここにも試作品が一台ある」
「えっ?」
ある?
もし目の前にある円筒形の金属ケースが、そいつに接続されているとしたら……。
室長はふっと笑った。
「君たち、ここが誰の別荘だか知らされているか?」
「五代大、ですよね」
「そうだ。そして組織の出資者でもある。彼は……しかし自分が神と一体化することは望んでいない。彼が欲しているのは、現世における富と権力。オルガンは、いわば天国へ向かうための船だ。それを使えば、死後の安寧を与える代わりに、いくらかの対価を得ることができる」
集金の道具というわけか。
どこぞの免罪符も真っ青の商才だ。
このまま黙っているといきなり命のやり取りになりそうだったので、俺はいちど話題を変えた。
「ところで、そちらの女性は?」
「オニゲシだ。君たちが十二番と呼んでいる個体の妹にあたる。人間としてのデキはよくないが、有機周波数に適性があってな。茨城でポッドに入れられるところを、私が回収して使っている」
ポッド、か。
おそらく俺たちの前にある柱のことを言っているのだろう。
十二番が溜め息をついた。
「身勝手な真似をしましたね、オニゲシ」
「ふふ……。あなたも同じ目に遭えば分かる……。あいつらの道具になって死ぬのはイヤでしょ……?」
まあそうだろう。
オルガンの部品にされるくらいなら、身内を裏切るほうがマシだ。誰だってそうする。
姉妹がケンカを始める前に、俺は室長に尋ねた。
「それで、なぜ皆さんは組織に狙われることに?」
「誤解があるようだな。私は敵ではない」
「上はそう思ってませんよ」
「それを言うなら、君たちだって組織の敵だろう。目的は分からないが、なにやら企んでいるようじゃないか。まったく、うまいこと騙されたよ。いくら再計算しても同じ結果になるんだからな。まさか計算前のデータが改竄されていたとは」
姉妹がデータをいじっていたことは把握済みというわけか。
まあオニゲシが教えたんだろう。
「なぜ通報しなかったんです?」
「交渉の材料にできると判断したからだ。たとえば、いまみたいな状況だな。端的に言えば、私は欲のために組織を裏切った」
「金ですか?」
俺がそう尋ねると、彼はなんとも不快そうに眉をひそめた。
「なにかあるとすぐそれだ。簡単な質問ひとつとっても、人間の心の品格が現れる」
「私情を捨てて、一般論をぶつけただけですよ」
とはいうが、金以外になにかあるのか?
もしかすると女か?
俺だったらそうだな。
彼は苦々しい表情で肩をすくめた。
「女だよ」
「はい?」
「だがきっと、君の想像はハズレだ。女というのは、私が育てていたAIのことだ。自慢の娘でな。未来を正確に見通すことができた。こちらのほうが、オルガンなんぞよりよほど価値があるぞ」
未来予知、か。
完璧ではなかったはずだが、それは姉妹がデータを改竄したせいかもしれない。外部からの介入がなければ、きっと高い精度で未来を予測できていたのだろう。
「AIのために組織を裏切ったと?」
「上は愚かにも、AIの放棄を求めてきた。オルガンとは無関係なものが、万能性を有しているとはけしからん、というわけだ。いかにもカルトらしい発想じゃないか?」
なるほど。
カルトにとっては、オルガンこそがこの地上でもっとも神聖でなければならない。未来を言い当てる機械など、まったくもって邪悪というわけだ。便利なんだから使えばいいと思うのだが。カルトはそうは考えないのだろう。
「それで上と対立を?」
「ふん。私はそこまで愚かではない。表向きは従って見せた。そして五代議員を頼った。彼も娘の価値は理解していたはずだったからな。だが、どうやらその議員に売り飛ばされたらしい」
庇護すると見せかけて、始末することを選んだわけか。
「手を組めるかも」
俺がそう告げると、彼は鼻で笑った。
「ムリだな」
「なぜです?」
「十二番を始末すれば、AIの放棄だけで許すと上は言っている。その子さえ消えれば、君たちの企てが瓦解すると踏んでいるのだ。もし君たち全員を始末するとなると、補充するのにもコストがかかるからな。とにかく、我々はいまから十二番を消去するつもりでいる。用心したまえ」
言葉を失った。
なんて愚かなんだ……。
いや、俺は室長を責めているのではない。
彼はいま、なぜか俺たちに手の内を明かした。そんなことをせずに、手を組んだフリをすれば奇襲できたはずなのに。
あきらめている?
あるいは、ほかに企みが?
いや、違う。
彼はもう答えを言った。
上は「十二番を始末すれば、AIの放棄だけで許す」と提案したのだ。つまり博士は、なにをどうあがいてもAIを放棄することになる。娘を失うのだ。
俺は仲間たちに「撃たないように」と念を押した。
「目的はなんなんです?」
「いま言った通りだ」
「娘さんを救う方法を考えませんか?」
俺がそう提案すると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「娘を見くびっているな。もはや、個人のデバイスに保存できるような代物ではないのだ。データセンターひとつぶんの機材、有機周波数を受信するためのポッド、それらすべてを稼働し続ける電力、オンラインとオフラインのセキュリティ……。これらすべてをまかなうとなると、私があの組織を乗っ取らねばならない。可能だと思うのか?」
「それは、ちょっと考えてみないと……」
「考えたのだ! 何度も! そのたびに不可能という結論に至った! 私ひとりで考えたのではない! 娘の試算でもそうだったのだ!」
興奮してデスクを叩き始めた。
お怒りはごもっともだが……。
室長は呼吸をし、ネクタイを整えた。
「興奮してすまなかった。君に当たっても仕方のない話だ」
「けど、このままじゃ……」
「そう。このままじゃ私は助かるまい。だが……」
彼はそう言いかけて、オニゲシを見た。
そのオニゲシは、ずっと半笑いのままだ。神経が壊れているのかもしれない。
室長は静かにこう切り出した。
「君たちは、少なくとも一人殺せば帰れるのだったな」
「規定ではそうなっています」
「では、私を撃ちたまえ。その代わり、オニゲシのことは放っておくのだ。わざわざ殺す必要はない」
「本気ですか?」
「ほかに方法もあるまい。だが、憐れむなよ。こちらもただで死ぬつもりはない」
「いったいなにを……?」
彼は立ち上がり、壁のモニターを操作してテレビをつけた。
スーツを着た老人たちが、グラフを使いながら論戦している。
国会中継だ。
大臣席には五代大もいる。
「いまから、オルガンの使用法を説明する。よく見ているように」
(続く)




