デブリーフィング
予定より早く済んでしまった。
いま俺たちは、道の駅のベンチに並んで座り、ソフトクリームを食べている。
空はすみきった秋晴れ。
客も少ないから静かだ。
「いやちょっと寒いかもですね」
自分でアイスを食べたいとか言い出したのに、苦情を言い出したのもまた二番だった。
なかなか素直な性格をしている。
俺は話題を変えたかったわけではないが、疑問に思っていたことを課長に尋ねた。
「俺たち、なにか解決できたんでしょうか?」
この質問は、もしかすると気を悪くするかもしれなかった。
今回の「業務」を「処理」したのは課長だ。俺は人にやらせておいて、ホントにあれでよかったのかを問いただしている。
課長は空を見上げた。
ひたいのしわに苦労がにじんでいる。
「僕たちの仕事はね、解決するんじゃなく、むしろトラブルを起こすほうなんだ……。暴力的な方法で、一方的に、いともあっけなく人の命を奪ってしまう……。それでいて罪をかぶることもしない」
「すみません、なんか、自分ではなにもやってないのに」
「いいんだよ。強制じゃないから。今日のだって、僕が自分の判断でやっただけ。この仕事にはね、正解なんてないの。まあ上はいろいろ言ってくるから、なにかしらの『事件』は起こす必要があるけど……」
事件。
人がひとり、射殺された。
二番が、虚空を見つめながら言った。
「あの女の人、やっぱり悪い人だったんですか?」
おそらく課長の顔を見たくなかったんだろう。
どうやら彼女は、この仕事を続けているわりに、人の死や暴力に対して抵抗があるようだ。もちろん俺にもあるが。嫌なら事務方へ転属するという手もあるのに。
課長はうなずきもしない。
「地元の反社がね、遺産を目当てに、彼女をあの家に送り込んだんだ。御曹司のほうは病気って設定だったから、平均より早く死ぬと思ってたんじゃないかな。もしくは自分たちの手で寿命を縮めるつもりだったか」
「それ、事前に知ってたんですか? あたし、教えてもらってないです」
「教えてないからね」
なにやら不穏な空気を感じる。
*
仕事を終えたあとの行動に制限はない。
だから俺は、課長に誘われるまま居酒屋にきた。
「じゃ、お疲れさま」
「お疲れさまです」
小さなコップにビールをそそぎ、乾杯した。
居酒屋というよりは、定食屋なんだろうか。どちらも揃った店のようだ。
「僕、いっつもひとりで飲んでるからね。一緒に来てくれて嬉しいよ」
「二番さんは?」
「あーダメダメ。あの子、未成年だから。そういうのはね、ちゃんとしとかないと」
課長はネギマをかじった。
不思議でならない。
あきらかに法律など無視した仕事をしているのに、逆にこういうところは律儀に守る。
「もしかして、落ち込んでる?」
「えっ?」
「昼間の。もしかしてショックだったかなって。いや、自分ではショックだと思ってなくても、あとあと来たりするから」
「いえ、それは意外と平気でした……」
平気だと思い込んでいるだけで、あとあと来るのかもしれないが。
例の「採用試験」に比べれば、これなどはまだヌルいものだ。あの状況下では、誰だか分からないヤツに、よく分からないタイミングで殺される可能性があった。
俺が少し飲むと、課長はすぐにビールをそそいでくれた。
「組織には複数のチームがあってね……。うちは二軍なんだ。いや三軍かな。とにかくあまりハードじゃなくて……。まあ分かるよね? 僕と二番ちゃんしかいなかったんだから」
「上はもっとハードなんですか?」
「ハードというよりは、過激だね。過激な連中が、どんどん出世して栄転してくんだねぇ。逆にね、うちは最下層。ここでダメならあとは事務方に行くしかないね。けど君は行かないでね。うちに合いそうな気がするし」
「はぁ」
生返事してしまった。
もちろんこんな職場でハッスルして「出世」するつもりはない。
そもそも、なりたくてなった職業でもない。強制的にぶち込まれたのだ。「御神体」の意図も気になる。
「課長も例の採用試験を?」
「うん。まあ、生き延びてね。あーでも君と違って才能があったわけじゃないんだ。ただ、運がよくってね」
「いや、俺も運ですよ。才能なんてありませんし」
「そうかなぁ」
課長はたまに目が怖くなる。
見た目はともかく、中身は普通のおじさんではない。何人殺しているか分からない。
しばらく壁を見つめていたかと思うと、課長はこう続けた。
「あのー、これ秘密ね? 僕ね、二番ちゃんに転属して欲しいと思ってるんだ」
「はい?」
転属して欲しい?
つまりチームから外れて欲しいと?
役に立たないし、文句ばかり言うから?
「いや、仲間だと思ってるよ? けど、あきらかに向いてないじゃない? いつ壊れるか心配で……。こういうの、セクハラって言うのかなぁ? いやでもあの子が男だったとして、あんな調子じゃさ……。分かるよね?」
「はぁ、なんとなく」
「でも二人しかいない状態で辞められると困るから、新人が来てからって思ってて……。でも強制もできないしさぁ。なんかいいアイデアある? なるべく本人が傷つかない方法で」
いい人だな。
だがどうも余計なお世話という気もする。そしてその「余計なお世話」がなければ、二番が壊れるというのも分かる。
課長はまた壁を見つめながら、コップのビールを飲み、こうつぶやいた。
「君から御神体に言ってくれると助かるなぁ」
「えっ?」
「幼馴染なんでしょ? まあそういうの、言いづらいかもしれないけど。そこを押してどうかひとつ。ね? 上から手配して、転属させて欲しいなって」
「え、いや、えぇっ……」
俺がやるのか?
入ったばかりの新人が、御神体とか呼ばれてるラスボスみたいなヤツを使って? むしろ俺は、彼女に贖罪すべき人間であって、なにかをお願いできるような立場ではないというのに。
課長はビールをふきそうになった。
「いやいや。ごめんごめん。そんな顔しないでよ。できたらでいいんだから。ね? そんなムリには言ってないから。あ、これパワハラかなぁ」
露骨に顔に出てしまっていたか。
気づかなかった。
「あ、いえ、大丈夫です。ただ、俺とあの人の間には……むかしちょっとあって」
「あらあら」
なにか誤解させたかもしれない。
ひとつもいい話ではない。
*
翌日、また勤務。
三軍なので、クソ狭いオフィスに押し込められている。
会話はない。
みんなだいたいネットをしながら過ごしているのだという。少しでも情報が漏れたら困りそうなものなのに、ネットし放題とは……。ここの倫理観はどうなっているのか。
すると、二番がいきなり仕掛けてきた。
「あー、喉かわいちった。三番くん、お茶いれてくんない?」
「えっ?」
こいつ、後輩をアゴで使うタイプか。
「お茶。棚にあるから」
「はぁ」
だが、俺が腰を上げると、課長が「待って」と参加してきた。
「やらなくていいよ。うちではそういうのナシだから。二番ちゃん、僕、君にこんな命令したことなかったよね?」
「えっ? はい……」
「喉かわいたなら、自分で買ってきて。今後、こういうことしたら怒るからね?」
「はい……」
すると二番は、しょんぼりした様子で部屋を出て行ってしまった。
「君も君だよ。ちゃんと拒絶しなきゃ。先輩後輩とはいえ、同僚なんだから」
「すみません」
「今後、同じようなことがあったら相談してね? 転属のネタにするから」
「はぁ」
この人もこの人だな。
本気で二番を転属させる気でいる。
さて、暇だ。
いまみたいなことがない限り、俺たちはずっとパソコンの前に座らされることになるらしい。いちおう過去のレポートを見たりはしているが……。どれも一方的な殺しばかりでうんざりする。
いや、無差別殺人ではない。
昨日の花菱のように、この組織となんらかの関係を持つ人物だけがターゲットにされている。
というよりも、なにかあったらターゲットにするという前提で金を貸しているようだ。
被害者も、もう首が回らず、よく分からないところから金を借りるしかない立場だから、大袈裟に騒げない。
金に困ってる人間を、事件のネタにしている。
外道みたいな組織だ。
正式名称は「埼玉有機周波数研究所」。
有機周波数とはなんだ? いったいなにを研究しているんだ?
「あら、難しい顔をしてるのね。レポートを読んでいるの?」
「えっ?」
誰か部屋に入ってきたのには気づいていたが、てっきり二番だと思っていた。
モニターに顔を近づけていたのは、御神体だった。愉快そうに細めた目に、かすかに笑んだ口元。もうすっかり大人になってはいるが、当時の面影そのままであり、様々な記憶が一気にフラッシュバックした。
「そんなに驚かないで。ちゃんとやってるか見に来ただけだから」
「や、やってます……」
いちおうここの大物なので、敬語を使わねば。
すると彼女はつまらなそうに溜め息をつき、こう応じた。
「少し話せない?」
*
俺たちが休憩所へ行くと、先客としてだらけていた二番が、驚いたネコみたいにさっといなくなった。
そんなに慌てなくてもいいのに。
「二人きりのときは、敬語使うのやめて欲しいんだけど」
「そう言われても……。まだ勤務時間中だし」
「じゃあ業務命令」
ああ言うえばこう言う。
昔からそうだ。
なにか決めたら、絶対に譲らない。
「分かったよ。で、ご用は?」
俺は自分のコーヒーだけ買い、椅子へ腰をおろした。
彼女がどういうつもりであれ、目上の人間におごるのはおかしいと思ったからだ。金をケチりたかったわけじゃない。本当に。
「なにその言い方? 私たちの間には、つもる話があるでしょ?」
「ある……」
「業務時間中だから気が咎める? けど私にはプライベートの時間ってないから」
「普段はどんな生活を?」
俺は世間話のつもりでそう尋ねた。
なのだが、彼女は曖昧な笑みだ。
「研究」
「あのー、ホントに申し訳ないんだけど、てっきり死んだと思ってたから……。研究者になってるとは思わなかった」
すると彼女は、俺の缶をつかんだ。力いっぱい。しかし力が足りないのか、ヘコむことはなかった。よほど怒らせたようだ。
「違うわね。誤解しないで。私は、研究されてるほう」
「研究されてる……?」
彼女は俺のコーヒーを勝手に飲み、顔をしかめた。
「なにこれ? ブラックなんて飲んでるの?」
「まあ糖分も一緒にとったほうが仕事にはいいらしいけど」
「中身は小学生のままなのに、外面だけは大人になって……」
「まあ、そうだな……」
これがよく知らないヤツなら「うるせぇよ」とでも思うところだが、俺はなにも言い返せなかった。彼女には俺を責める権利がある。
「あなたには全部話しておくわね。あのあと、なにが起きたのか」
あのあと、か。
俺が彼女を崖から突き落としたあと、だ。
(続く)