運び屋
俺は居室へ戻り、二番のデスクに近づいた。
「いまいいかな?」
「なに? 飲みのお誘い? 先に言っておくけど今月お金ないから。おごりなら行くけど」
酒のことしか頭にないのか?
まだガキみたいなあどけなさの残る顔で。
「ザ・フールのことだ」
「やっと殺しに行く気になった? いつ行く? いまから行く?」
「違う。彼女は敵じゃない。さっき詫びを入れに来た」
「は?」
彼女はパソコンでなにか操作をしながらの応対だったが、このときようやく作業の手を止めてこちらを見た。
「先日、戦闘になったのは誤解だったようだ。謝りたいとさ」
「はぁ? いや、あいつ……あんだけこっちをぶっ殺しておいて、謝りたい? はい? どこが誤解なの?」
信じられないといった顔だ。
説得は難しそうか。
「こちらが先に撃ったと聞いたが……」
「……」
二番は憤慨していたが、反論しなかった。
事実なのか?
だからレポートにはどちらが手を出したか書かなかったのかもしれない。
「まあ確かに、あの風貌でいきなり出てきたら敵としか思えないが」
「そうでしょ? いきなり後ろから出てきたんだよ? 新人がビビって撃っちゃうのも当然でしょ?」
ザ・フールには悪いが、当然だと俺も思う。
もっと適切なポジションからコンタクトを取ることも可能だったはず。
「分かる。否定はしない。だが、彼女が和解を求めているのも事実だ」
「それがなんなの? あたし、許す気ないから」
「べつにいい。だが、表向きでも許したフリをしてくれないか? 彼女はいい戦力になると思うんだ」
「……」
「彼女は、こちらの言いなりになってくれる。やられたぶん、きっちり労働で支払ってもらおうぜ」
感情的に受け入れられない場合、損得を使うしかない。
二番は、ザ・フールの強さを目撃している。それを自分の手駒として使えることができるのだ。今後の戦いの熾烈さを考えれば、悪い処遇でもあるまい。
二番は大袈裟に溜め息をついた。
「あんたってホント……」
「悪くないだろ?」
「あたし、このまま『お勉強』を続けたら、あんたみたいなズルい大人になっちゃうのかな?」
「ズルじゃない。誰が算盤をはじいても最終的にこの結論になる」
「どうだか」
疑うのはいいことだ。
疑って疑って疑って……。それを徹底するのは思考の訓練にもなる。
それでも疑いようがないとなれば、暫定的に真実として受け入れるのだ。今度は諦念の訓練になる。
諦念も大事だ。完璧を求めていたら、俺たちは永遠に一歩を踏み出すことができなくなる。考えに考えた上で、どこかでタカをくくって不完全なまま動く必要があるのだ。止まっていたらビュリダンのロバになる。
*
某月某日――。
要請に応じて出動。
メンバーは四名。
御神体の娘の十二番。
最初だけ威勢のよかった四番。
そして自称クリエイターの十三番。運転手。
あとは俺。
これが新一班だ。
当初は四つの班があったのに、いまや半分にまで減ってしまった。
ターゲットとの戦闘による死亡が一名、仲間による射殺が一名、ザ・フールによる被害が三名。皮肉なことに、同職員による被害のほうが多い。半数以上がザ・フールのせいだ。
じつは今日も不安だ。
ターゲットが素人じゃない。
*
都内某所――。
コインパーキングに車をとめ、俺たちは銃をしのばせて雑居ビルへ入った。
どういう背景をもった組織なのかは知らない。
だが業務内容が合法的でないことだけは分かっている。
通称「運び屋」。
金次第でなんでも運ぶ。
なんでも、だ。
「研究所から参りました」
「え、マジで? ホントに来たんだけど」
クソ狭い階段をあがり、ドアをノックすると、愛想の悪い若い女が顔を出した。
脱色しすぎてボサボサの髪の、パーカーを着た女だ。
事務員には見えない。
というか、家出して放浪している女にしか見えない。
「オバさん、借金取り来たんだけど、どーする?」
彼女は向き直ってそんなことを言った。
ドアの隙間から見える事務所は雑然としていた。謎の段ボールが積まれており、その上には書類が積まれていた。棚はない。ソファとテーブルがあるだけだ。
すると中から「オバさん」の声がした。
「そんなところでモメるんじゃないよ。さっさと中にお通しして」
かなりハスキーな声だ。
女は「あーい」とドアを開けた。
ターゲットの数は二名。
ベランダはない。
トイレに誰か隠れているかもしれないが……。疑い出したらキリがない。外に仲間を待機させておいて、あとから乗り込んでくる可能性だってある。
オーナーとおぼしき「オバさん」はソファに腰をおろしていた。
眼帯でモヒカン。オバさんという名前からは想像もつかないほどシャープな体つき。体に厚みはないものの、タンクトップから伸びた腕は細いながらも引き締まっていた。
ドアが閉まると、彼女は拳銃を取り出し、こちらへ銃口を向けてきた。
バカなんだろうか?
だが、時間にして数秒、まったく撃ってこない。
四番だけが慌てて銃を取り出そうとして、よく分からない踊りを踊った。俺はその肩をぽんぽん叩いて落ち着かせた。
うながされてもいないのに、対面のソファへ腰をおろした。
「額は一億です。なんとかなりませんか?」
「へえ? そんなに借りたおぼえはないけどね」
「利子がついたんですよ。それより、銃をおろしていただけませんか? 部下がチビります」
「そいつは困るね」
彼女は苦い笑みを浮かべると、不用心にもテーブルにリボルバーを置いた。
弾は入っているように見える。
若いほうの女が麦茶を出してくれた。
俺は「どうぞ」とも言われないうちにぐっと飲み干す。つめたい水が体中に染み込んだ。緊張していた。銃を向けられて平気なわけがない。ただ、いつまで経っても撃たれなかったから、本気じゃないほうに賭けたのだ。彼女が本気なら、俺たちはとっくに死体になっていた。
「あんた、意外と度胸があるね」
「まさか。ちゃんとビビってますよ」
どっちにしろ死ぬなら、パニックを起こすよりも、起こさないほうが生存率があがる。それを天秤にかけただけだ。
彼女はニヤニヤしている。
「けど、惜しいことをしたね。会った瞬間あたしを撃ってりゃ、あんたらの仕事もすぐに終わっただろうにサ。察しの悪い男はモテないよ? せっかく撃ち殺す理由まで作ってやったってのに」
こちらに正当防衛の口実を与えてくれたつもりか。
この女、タガが外れている。
俺は溜め息をついた。
「こちらとしては、借金さえ返済していただければ、乱暴なことをするつもりはありません」
すると彼女もバカにするように笑った。
「こちらとしては、返済するお金がありません」
「非合法な仕事なのに、儲からないんですか?」
「儲かっても、大半は経費で飛んじまうからね。ほとんどボランティアみたいなもんサ」
汚いボランティアもあったものだ。
だが、困った。
死体を出さなければ帰ることもできない。
しかも面倒なことに、やる気満々の四番の頭に、十二番が銃口を突き付けた。
また仲間内で殺し合うことになるのか……。
「ま、待てよ。冗談だよな?」
怯える四番。
彼はとっとと誰かを殺して、この仕事を終わらせようとしていたようだ。いまはホールドアップしているが、その手には銃が握られている。
十二番は無表情だ。
「三番さんのお話しが終わるまで、おとなしくしていてください」
「す、するから……な?」
四番は応じるが、それでも十二番は銃をさげない。
完全な膠着状態だ。
まあトリガーを引かないならそれでいい。
すると十二番が、空いた方の手でスマホを差し出してきた。
「これ、見てください」
「はい?」
「花菱さんが追加で一億を借りました」
「花菱さん……?」
群馬にいた資産家だ。
御曹司は頭のおかしいフリをしていた。
スマホの画面にはメッセンジャーが開かれていた。
花菱が研究所から一億を借りて、それをこちらへ流すという内容だった。
いや、なぜ?
なぜ十二番は花菱と連絡をとっている? そしてなぜ一億を借りた? なぜこちらへ流す?
十二番は、しかし俺の疑問には答えなかった。
「ちょうど借金額の返済にあてられますね」
「目的はなんだ?」
「察しの悪い男はモテませんよ?」
するとオバさんは吹き出した。
「おいおい。どういうつもりだ? そりゃ、あたしはいいよ? 善人だからね。死んでも天国に行くはずサ。けど、あんたらは? あたしにあやかりたいってのかい? そういうのはね、便乗ってんだよ」
若い女が「え、オバさん、天国行けると思ってんの?」とつっこんだが、みんなスルーした。
内心どうあれ、口に出して否定しづらい。
不気味なのは十二番だ。
行動原理からなにから理解不能。
オバさんが手をヒラヒラさせた。
「ま、借金をチャラにしてくれるってんなら断る理由はないよ。あたしもまだこの世でやることがあるからね」
「はぁ」
俺はまともな返事もできなかった。
そうだ。
これで今日の仕事は解決した。
だが本当に……?
*
オフィスへ戻ってからも、どうレポートを書いたらいいのか分からなかった。
花菱の名前を出すべきか、出さざるべきか。
ただ幸いなことに、上層部は、こちらが手順に従って解決している限り、特になにかを言ってくることはない。内心どう思っているかは不明だが。金を回収するか、死人を出すか。そのどちらかを達成すればいい。
今日のことは「第三者から資金提供があった」とでも記録しておこう。上も金さえ振り込まれれば文句を言うまい。
*
定時を過ぎると、俺と十二番だけが残った。
彼女は満面の笑みだった。
「私とお話し、したいですよね?」
「ああ、そうだな。ぜひ聞かせてくれ」
今日の一件は、完全にスタンドプレーだった。
流れによっては俺か四番が発砲していてもおかしくなかった。幸い、どちらも出遅れたせいで、そうならずに済んだわけだが。
十二番はこちらへ近づいてくると、躊躇なくデスクに尻を乗せた。
顔だけは無邪気なのに、職場の先輩に敬意を払おうともしない。
「本当は気が進まなかったんです。今日の仕事」
「誰かの指示ってことか?」
「いいえ。まあ半分は姉の……提案ですが。でも判断したのは私です。あの『運び屋』を使えば、ここから母を連れ出せる可能性がありますから」
「彼女を……?」
俺は思わず立ち上がりかけた。
救えるかもしれない。
もうイチかバチかで仕掛けるしかないと思っていたのに。
彼女は盛大に溜め息をついた。
「あなたが私の完璧なプランに従わないから……」
「ホントに? ホントに彼女を救えるのか?」
嘘じゃないと言って欲しい。
そのために命を捨てる覚悟もした。
「前に、奇跡的にいろいろなことが噛み合ったと言いましたよね? それで余裕ができたんです。あなたが間宮さんを救ったから」
「間宮さん?」
「声を聞くことができる一族です。古い呪術の家系で……後援者もたくさんいるのです。あそこで彼女を殺さなかったのは正解でした」
凛としたご婦人だった。
金に困って借金をした様子でもなかった。
実際、その場で額面通りに金を支払ってくれた。
十二番は優しい笑みを浮かべていた。柔和な表情だ。母親には似ていない。
「もともと間宮さんが借金をしたのは、ここの職員と会うため。つまり、私たちは試されていたんです」
「そういうことかよ」
「そもそも、急に降ってわいた話でもありません。間宮さんと姉は長い時間をかけて交渉していたようです。適切な時期が来たら、接触すると」
「危険な賭けに出たな。死んでたかもしれないのに」
「そうならない確証があったんです。とにかく、間宮さんとは協力することで合意しました。おかげで、有益な情報も手に入りましたよ」
「有益な情報?」
聞く前に判断するのもなんだが、おそらく本当に有益な情報なんだろう。
それだけに、いま俺が聞いてもいいものかどうか、やや不安になる。
彼女は愉快そうに顔を近づけてきた。
「オルガンですよ。どこで作っているのか、その現場が分かったんです」
「ここで作ってるんじゃないのか?」
「いいえ。茨城の研究所です。たまに姉妹が連れていかれて、二度と戻ってこないことがあるんです。きっとそこで実験に使用されているのでしょう」
「……」
そうだ。
彼女だって別に、俺のためにあれこれお膳立てしてくれているのではない。
彼女自身が、この組織をぶっ壊したいと考えているのだ。いや、彼女だけじゃない。彼女の姉妹全員が。
上層部は、自分勝手な目的のために生命を玩弄し続けてきた。
怒りの対象にならないわけがない。
そろそろ潮時だ。
俺もうなずいた。
「あんたの判断には感謝する。いくら感謝してもし足りないくらいだ。次は俺が報いる番だな」
「ふふ。やっぱり勘違いしてますね。母の命を助ける手伝いはしますが、あなたが母と結ばれることまでは許可していませんよ? もしそんなことになったら、あなたのことを殺してしまうかも」
「……」
彼女はずっと笑顔のままだ。
だが、冗談とも思えない。
いや、いい。
そんな都合のいいハッピーエンドは俺だって望んじゃいない。
こちらの目的は、御神体に自由になってもらうことだ。
その「御神体」とかいうふざけた名前さえ捨てて、木下沙織という一人の人間として自由に生きて欲しい。
なにもかもを奪った俺は、許されなくていい。最終的に生きている必要もない。
もし犠牲を払わずにうまくいくのなら、それに越したことはないが……。
(続く)




