遭遇
三課のメンバーは現在八名。
二課は六名。
一課は四名。
どの課も一枚岩ではない。
うまく立ち回れば、数の上でも優位に立てるかもしれない。
ただし、他の課をつぶしたところで組織が終わらないことは分かっている。
組織を終わらせるためには、オルガンを暴走させて出資者を殺害するしかない。暴走させるためには、事前に御神体を殺さねばならない。
それは俺の望む終わらせ方ではない。
*
ある日、宝物殿へ呼び出された。
うららかな春の景色を一望できるオフィス。
出迎えた御神体は、なんとも言えない表情でソファに腰をおろしていた。今日も肩口や胸元のひらいたスーツだ。よく似合っているが、マネキンがひとりでファッションショーをしているような滑稽さも感じる。
「もうだいぶ詳しくなったんじゃない?」
彼女は力なく笑ってそんなことを切り出した。
俺は黙って紅茶をすする。おそらく、この白いカップも相当な値段なんだろう。そこらで売っているものと見わけもつかないが。
「詳しくなりすぎて、どこまで話していいのか困るレベルだな」
彼女は、自分がオルガンのパーツにされることを知っているのだろうか?
しかも娘は、彼女を助ける気さえない。
御神体は美しく身を飾っているものの、見せる相手もいない。いても秘書か、あるいは俺くらいのもの。
服に金をかけようが、ティーセットに金をかけようが、ほかの誰かに見せつけることもできないのだ。
「なあ、娘とはちゃんと会話してるのか?」
「いいえ」
退屈そうな返事。
そんな話はしたくないと言わんばかりだ。
「大事なことだ。このまま意固地になってたら、望まない未来を迎えるかもしれない」
時間がない。
いくらか強引でも、俺は話を進めないといけない。
彼女はずっと力ない顔をしていた。なのだが、このとき、ようやく不快そうに目を細めた。
「あらあら。私にもついに白馬の王子さまが来てくださったのかしら」
「役に立てるならなんでもいい」
「でも誤解してるわね。誰が望まない未来だなんて言ったの?」
「は?」
それが彼女の答えなのか?
まだ中身も言っていないのに?
いや、もう、ぜんぶ分かってて言っているのだろう。
そもそも不自然だった。
娘たちは、有機周波数とやらで会話できるのだ。彼女がそれを聞いていないわけがない。だいぶ離れたご婦人でさえその「声」を聞いていたというのに。
俺は紅茶をすすり、遠慮なく溜め息をついた。
「おぼえてるか? 俺が採用試験を突破した日のこと」
「ええ」
「あんた、俺をぶっ叩いたよな? 命を粗末にするようなこと言ったから。なのに、自分はどうなんだ? まさか犠牲になるつもりでいるのか?」
彼女はすぐには返事をしなかった。
カップをつまみ、静かに紅茶を一口やってから、かすかに呼吸し、ようやく言葉を発した。
「ずいぶん偉そうね」
「否定しない。だが、どういうつもりなのか説明してくれ。内容によっては俺も軽率な行動に出る」
「軽率って?」
「力づくであんたをここから連れ出す」
「その後のプランは?」
「知るかよ。軽率なんだから、まともな結果になるわけないだろ。クソみたいな行動には、クソみたいな結末がお似合いだ」
勢いでキレているわけではない。
それなりに本気であることを示さないと、彼女も本音を言わないだろう。
彼女はフッと笑った。なにもかもをあきらめたように。
「なんなの? 救えるなら、どうぞご勝手に救ってみなさいよ。抵抗しないから。けど、できないんでしょ? 軽率な考えしか持ってなさそうだし。あなたごときが勝てる相手じゃないのよ」
ごとき、か。
わざと挑発して、手を引かせようとしているようにも聞こえる。
「救えるなら、救ってもいいのか?」
「ええ。けど、期待なんてしないわ。裏切られたとき、みじめな思いをするだけだから」
「俺はずっとあんたのことを考えながら生きてきた。死ぬときも同じだ。俺はもうあんたのストーカーみたいなもんだからな」
「ホントに気持ち悪いわね」
言いながら、目をそらした。
嫌ってくれていい。
こちらはただ事実を述べているだけだ。
「俺はかつて、とてつもない罪をおかした。それは、なにをどうしたって消えるようなものじゃない。だから、これからすることは、ただの自己満足だと思ってくれていい」
「急にどうしたの? 不安になるでしょ……」
「独自のプランで行動するってことだ。つまり、あんたの娘のプランには乗らない。あの子、頭はいいのかもしれないが、俺にとっていちばん大事なものを軽視しているからな」
「笑わせるわね」
「まあ見ててくれ。こう見えて、あんたの予想を裏切るのは得意だからな」
*
宝物殿を出てエレベーターをおりた俺は、まっすぐ居室へは戻らず、休憩所へ向かった。
大口を叩いておいてなんだが、もちろん独自のプランなどない。
軽率なウソをついた。
それだけだ。
ストーカーの上に人殺しで、なおかつウソつきとは。
本当に最低の人間に成り果てた。
それにしても今日、彼女はなぜ俺を呼んだのだろう?
これといった話題もなかった。
ただ口論しただけだ。
もしかして髪を数センチ切ったとか、いつもと違う服を着ているとか、そういうことを主張したかったのか?
いや、恋人同士でもあるまいし、そんなこと……。
まさかとは思うが、最後のお別れをするつもりだった?
想像より時間がないのかもしれない。
オルガンは、技術的にはすでに完成しているのだ。いつそれが起きても不思議ではない。
まっしろな休憩所でコーヒーを買い、ひとまず深呼吸をしたところで、俺は思わず硬直した。
いる。
いや……。
亡霊?
まだ昼間だぞ?
ばさと髪を伸ばした女が、廊下の奥にぼうっと突っ立っていた。というか、長い髪の間からこちらを見ている。
ひとまず冷静になろう。
刺客だろうか?
研究所内で?
ありえない話ではない。
そいつは徐々にこちらへ近づいてきた。
速い……!
「見てこれ。スリックバック。浮いてるように見えるやーつ」
想定外のスピードで近づいてきたかと思ったら、そいつはやたらフレンドリーに話しかけてきた。
というか……なんだ?
スリックバック?
浮いてるように見えるやーつ?
彼女は天井を見上げた。
「私もなにか飲みながら楽しくお話ししようと思っていたのに、お財布を忘れた……。だからお金を貸して欲しい」
「お、俺?」
「ほかに誰がいるの?」
髪の間から、ギョロリとこちらを見つめてきた。
怖すぎるんだが……。
俺が小銭を入れると、彼女は紙パックのいちごミルクを購入した。
外見と行動がともなっていない……。
「よっこらショック死……」
謎の掛け声とともに椅子に腰をおろした。
ショック死しそうなのはこちらなのだが。
「ええと、俺は三課の三番……」
「知ってる。しかもいろんな人間と結託して、この組織を破壊しようともくろんでいる悪いやーつ」
「……」
やはり刺客だったか。
彼女はジュースのパックをテーブルに置いた。
「そうよ。私がザ・フール。でも待って。敵じゃない」
「……」
こいつがザ・フールだと?
なんとなくサイコパスのおっさんを想像していたが、サイコパスの女性だったとは。
彼女はまた天井を見つめた。
「そう、あれは数年前の出来事……。あのとき私はモテていた……」
おクスリでもキマってらっしゃるのか?
まだ昼だぞ?
いや夜でもダメだが。
「モテ……」
「そう。モテていたの。でも相手の顔がタイプじゃなかった。そいつの名はザ・タワー。あなた、ちょっと腕を直角に曲げてみてくれる?」
「こう?」
「そして叫ぶのよ。『タワー!』って」
それを言うなら「パワー!」じゃないか?
いや絶対に言わないが。
他人のネタで滑るのはもう懲り懲りだ。
彼女は頭を抱えてしまった。
「私、ちゃんと断ったの。顔が好みじゃないって。でもそんなの小さいことだって彼が……」
「そ、それは大変だったね……」
「五回くらいは我慢したの。でもまだ好きだって言ってきて。仏の顔も三度までって言うのに、私、五回も……。もう仏を超えたなにかになってしまった。いえ、させられたのよ。『仏』って字を分解すると『イム』になるから、もはや『イムム』くらいにはなったわね」
なったのか……。
それで、この話はどこへ行くんだ?
どうしても俺に聞かせたい話なのか?
彼女は紙パックのジュースをぎゅうと吸引した。
「あまりに鬱陶しかったから、ついカッとなって殺してしまったわ」
「ああ、それで……」
「そうよ。それで処罰の対象になって、殺されるところだった。けど、ザ・ハングドマンに助けてもらって……。えーと、ハングドマンっていうのは、三課の前課長のこと。あの青白い顔のおじさん」
前課長がザ・フールの命を助けた話は聞いている。
だがその背景が、こんなしょうもない話だったとは。
「噂は聞いてるよ」
「だからある日、恩返しに三課の新人を応援しに行ったの」
「ん?」
応援?
どう考えてもその逆のことが起きた気がするのだが。
彼女は自販機の隙間を見つめながら言った。
「でも急に撃たれたの。それでついカッとなって殺してしまったわ」
「……」
いいから、ついカッとならない訓練をして欲しい。
こんなヤバそうな風貌のヤツがいきなり現場に出てきたら、普通、敵だと思うだろう。
「でもあのおちびちゃん。すっごくいい腕してた。あの子が三課の課長なんでしょ? いいわね。眼球がくりくりしてて……」
「いやいやいや。待ってくれ。あれは事故だったってことじゃないか? 復讐はなにも生まない」
俺がそう告げると、彼女はカクリと大きく首をかしげた。
「復讐? 違う違う。謝りに来たの。でも会ったら怒られそうだから……。あなたならうまく伝えてくれると思って……」
仲裁に入れってことか?
だが、果たして可能だろうか?
二番はかなり怒っていた。
こちらが先に発砲したなら、こちらにも非はあるが……。レポートには、どちらが先に発砲したかは書かれていなかった。
すると彼女は、いきなり廊下に頭をこすりつけて土下座した。
「お願いしますなんでもしますから! あとジュース代も倍にして返しますから!」
「あ、ちょっと。待ってくれ。そこまでしなくても」
「緊張し過ぎてジュース吐きそう」
「いいから頭あげて」
「ダメよ! 上から頭を踏んで!」
変態か?
「いや待ってくれ。もし悪いと思ってるなら、挽回する方法はあるんだ。それも、かなり重要な」
「あるの? なに? 教えて?」
下からすがりついてくる。
誰かに見られたら誤解されそうだ。
いや、俺が女性をいたぶっている姿ではなく、怨霊に引きずり込まれている姿に見えるはずだ。
「詳細は言えないが……。とにかくあるんだ。落ち着いてくれ」
「落ち着く!」
落ち着け。
ズボンを引っ張るな。
「二番には俺から完璧に説明しておくよ。だから、とにかくひとまず落ち着いて欲しいんだ」
「落ち着く!」
「本当に、あんたのことはずっと気にしてたんだ。和解できるのは、俺としても嬉しい」
「私も嬉しい!」
「だから一回起きて」
「起きる!」
凄まじい握力だった。
おかげで昼から半ケツになったが。
ともあれ懸念がひとつ消えた。
ザ・フールは敵じゃない。
彼女は満面の笑み……というかニチャアとした笑顔で、ぐっと近づいてきた。
「それで、誰を殺せばいいの?」
「いや、あの、まだいい。細かいことは、あとで言うんで」
「遠慮しなくていい。もう仲間なんだから。ねっ?」
「うん……」
本当に大丈夫だろうか……。
軽率に誰かを殺しそうで怖いのだが。
(続く)




