クラッキング
ひかりさんは二番がマンションで保護することになった。
どこに住んでいようと、組織が本気なら助からないとは思うが……。それでも、もとの家に一人で住んでいるよりは安全だ。たぶん。
それはそれとして、またしても十二番からクソメールが送信されてきた。
定時後も残れという指示だ。
*
定時後のオフィス。
防音性能が高すぎるのか、本当に俺たちしかいないような気分にさせる。たぶんどこかの部屋では誰かが働いているはずなのだが。
あまりに静かだから、PCのファンの回転音だけがやけに唸って聞こえる。
「なにか新しい情報でもあるのか? 俺はこう見えて忙しいんだが」
じつはレポートも書き終えたので、すでに忙しくもなんともないわけだが。
「ありますよ、新しい情報」
十二番はにこにこ笑顔で椅子を近づけてきた。
もし俺がまだ十代で、なおかつ過去に御神体と出会っていなかったら、このあとの展開を期待してしまったかもしれない。
男というものは、ちょっとかわいい子に親しくされると、即座に落ちる。
仕方がない。
「では発言を許可しよう」
決して彼女を見くびっているわけではない。優秀だと思う。
だが、有益な情報はすでに出尽くした。フェイルセーフの中身を教えてくれるならともかく、そうでないのなら、あまり期待はできない。
「今日、二課を現場に行かせたの、私なんです」
「はい?」
まったく予想外の情報が飛んできた。
え、なんだって?
二課を現場に行かせたのが自分だと?
彼女は得意げな笑み。
「あ、でも誤解しないでください。私、いいことしかしてませんから」
「二課の連中、ずっとAIの予報を覗いてたらしいな。それさえもあんたの筋書きだったってわけか?」
「違いますね。それを始めたのは上層部です。たぶんですけど、社会奉仕部が一枚岩にならないよう、内部で争わせる意図があったんだと思います」
社会奉仕部というのは、俺たちの所属する部署だ。つい忘れそうになるが。
実際にやっているのは奉仕どころか破壊でしかない。
二課はスコアを求める。
一課は殺しを求める。
その習性を利用して、互いに争うような仕組みを作ったということだ。
俺たちが互いに対立していれば、一丸となって上層部と戦うことはなくなる。よくある「分割統治」の手法だ。みんなこれに引っかかる。
「なら、あんたはなにをしたんだ?」
「クラッキングですよ。ここのAIは、未来の予報を出力しますよね? その前提となるデータを改竄したんです」
「できるのか、そんなことが……」
「できますよ。正確には私じゃなくて、妹の才能ですけど。ここ、外部からのアクセスは異様に厳しくしてますけど、内部からはゆるいんです」
「簡単に言うじゃないか」
「もちろん観測室は、私たち姉妹の動きを警戒しています。でもみんな、私たちの有機周波数にしか興味ないんです。オンラインで侵入する可能性なんて、まったく考えてないですから」
なるほど。
観測室は、姉妹の能力を専門に分析している。それだけに、有機周波数の脅威には誰よりも敏感だ。もし数値に異常があれば、すぐさま対応してくるだろう。
なのに、パソコンを使って内部ネットワーク経由で侵入とは……。
「それで予報を書き換えた、と?」
「書き換えたのは、予報を算出するためのデータのほうですけどね。再計算されるとバレるので」
「まあ、詳しいことは分からないが、とりあえず分かった。問題は、なぜそうしたか、ということだな……」
すると彼女は、さらに椅子を近づけてきた。
まるで飼い主になつく大型犬のようだ。
「あなたを助けたかったんです。この気持ち、迷惑ですか?」
「いや、迷惑じゃない。実際、助かった」
二課はウソの予報を真に受けて、俺たちを待ち伏せするつもりで現地に入ってきた。すでに中にいるとも知らずに。おかげで俺たちは、大事な人を死なせずに済んだ。
それでも結局死人が出ているわけだから、それがベストだったかは分からないが……。
「そういや、こないだの採用試験でも、室長がAIの調整にいってたな。改竄は以前からおこなわれていたということか?」
「はい」
「うちの前課長が襲われたのも?」
「あれは想定外です。こっちだって、すべてのデータを監視する余裕はありませんから。もしかして、私のこと責めてます?」
「いや、責めてない。そんなつもりはなかった。ごめん」
演技なのかもしれないが、あまりに哀しそうな顔をされると、つい謝ってしまう。
顔をあげると、彼女は満面の笑みだった。
「はいっ。気にしてませんよ」
こいつ……。
すると彼女は、さらに椅子を近づけてきた。
もう膝同士がぶつかっている。
「そんな顔しないでください。いいこと教えてあげますから」
「もう少し距離をとって会話しないか?」
「えっ? 内緒の話しをするんですから、いっぱい近づかないと」
「適切な距離をとれないヤツは大人じゃない。そして俺は、大人としか会話をしない」
というのはウソだ。
距離がどうあれ、俺は頭のおかしなヤツとしか会話していない。
ここには頭のおかしなヤツしかいないんだから仕方がない。
彼女は、それでもすっと距離をとってくれた。
「これでいいですか?」
少し哀しそうな顔。
もうあきらかに演技だが、いちいち心を動かされてしまう自分が情けない。
「いいよ。それで、話の内容は?」
「作戦を変更してもいいかも、というお話しです」
「変更? つまり……」
俺にとってもっとも重要なのは、御神体が犠牲にならずに済むのか、という点だ。
「奇跡的に、いろいろなことが噛み合ってしまいました。具体的には言えませんけど」
「いや言ってくれよ」
「言える部分だけ言います。シンプルな事実としては、二課の戦力が激減したこと。なので犠牲さえ気にしなければ、正面から戦っても勝利できると思います。もちろんこの犠牲は、工夫次第で減らすことができます」
「それは朗報だな。だが、一課と二課をぶっ潰しても、組織そのものは倒せないぜ」
「そうですね。そこはまだオルガン頼みですが……」
勘弁して欲しい。
オルガンが稼働するということは、御神体か娘のどちらかがパーツとして組み込まれるということだ。
それでは意味がない。
「オルガンを使用しない方法はないのか?」
「ありませんが……? もしかして、まだ母のことをあきらめていないのですか?」
「まあな」
これに十二番は溜め息をついた。
「あの人のどこがいいんですか? 顔以外になにか取り柄が?」
じつの母親に対して、とんでもない言い草だ。
もっとも、お互いまともに面識もないんだろう。ここまでくると、生物学上はともかく、完全に他人と言っていい。
「昔はかわいかったんだよ。顔だけじゃなく、性格もな」
「性格? 男性に媚びを売っていただけでは?」
「そうかもだけど……。まあ、思い出補正とかいろいろあるし」
「なんだか幻滅しますね。私はダメで、母はオーケーなんて。ちっとも意味が分からないんですけど? 普通、逆じゃないですか?」
「いいから話を進めてくれ」
ムチャクチャだ。
この子、じつはアホなのかもしれない。
十二番は大袈裟に「はぁー」と溜め息をついてから、こう続けた。
「いちおう、新たな協力者が現れたので、もっと根本的に作戦を見直してもいいかな、という空気にはなってるんです」
「協力者? 誰だ?」
「教えません」
ふてくされている。
ふくらんだ頬を指で押し込みたくなる。
「そう意地悪しないで教えてくれよ。こちらも作戦を立てたいんだ」
「作戦は私が立てます。私はあなたと違ってリアリストですから、実現可能な提案しかしませんので。あなたはその通りに動けばいいんです」
俺の作戦は不服か?
まあ確かに、隙あらば御神体を救おうとするしな。
彼女にとっては非効率なんだろう。
「けど実際のところ、情報を開示しない相手を信用するのは難しいぜ」
「その意見も理解はできます。ですので、協力者が誰なのか、ヒントだけ差し上げます。あなたはすでに、その人物と出会っています」
「最近?」
「最近です。ただ、実際に協力してくれるのは、その人の関係者ですが……」
誰だ?
ひかりさんか?
それとも、声を聞けるとかいうご婦人か?
もっとさかのぼれば、群馬の花菱という可能性も……。いや、さすがにないか。
「なぜ教えてくれないんだ?」
「いまの段階でなにかあったら、あちらにも迷惑がかかりますから」
一理ある。
「その人は、戦況をひっくり返すほどの人物なのか?」
「使い方によっては」
「使い方?」
一芸に秀でた人物、ということだな。
あるいは桁外れの金持ちか?
あるいは有力な組織を動かせる人物?
「秘密です。とにかく、私のほうで新しいプランをご用意します。でも、母の救済は期待しないでくださいね。絶対に助かりませんから」
「どうしても死んで欲しいみたいに聞こえるな」
「否定はしないでおきます」
彼女は俺を好きなのではなく、ただ母を超えたいだけなのかもしれない。
*
十二番と別れた後、スマホでいつもの居酒屋に呼び出された。
待っていたのはオフィーカスとヴァーゴ。
雰囲気はいいとは言えない。なんだか二人のテーブルだけ緊張感が漂っている。
「すみません、遅くなりました」
「まあ座ってくれ。ビールでいいか?」
「はい」
オフューカスはただでさえ強面なので、どんな心境でここにいるのか読めない。
ヴァーゴはさめた目でビールをちびちびやっている。
二課のメンバーをぶっ殺したから怒っているのではなく、この二人が互いに牽制し合っているように見える。
「で、お話しと言うのは?」
「まあ一杯やれ」
店のおばさんからグラスをもらい、俺にビールを寄こしてくれた。
俺は遠慮なく「ではいただきます」と一口やった。
酒に弱いわけではないが、空きっ腹にビールは効く。アルコールが五臓六腑に染みる感じがする。
ただでさえ春の陽気でふわふわしているのだ。
ヘタに酔っ払ったらどうなることやら。
「えーと、今日のことは……」
俺がそう言いかけると、オフューカスが制した。
「そのことはいい。むしろあんたらが生き延びてくれて助かった。危うく作戦がオジャンになるところだった」
するとヴァーゴがコップのビールを飲み干して、また自分でいっぱいまで満たした。
「それより、本題に入らないの?」
「そう急かすな」
「時間ないでしょ。だいたい、こんな大事な話をするのに、なんで居酒屋なの?」
「この店が一番安全なんだよ」
なにやらモメ始めた。
俺は構わず枝豆をもらう。
ヴァーゴが鋭い視線をこちらへ向けてきた。
「今日の出動要請、あきらかに異常だよ。借金もない人間をターゲットにして」
それは俺も思う。
可能ならば部長を問い詰めたいところだ。
オフューカスもうなずいた。
「デカいプロジェクトが完成しそうだから、その前に関係者を消しておこうって算段かもしれねぇな」
ひかりさんに関してはそうだろう。
ただ、父親の死さえ知らなかった彼女が、オルガンについてなにか知っていたとも思えないが。不安の芽は摘んでおこうというハラなのかもしれない。
ヴァーゴはさめた焼き鳥の皿をこちらへ進めた。
「次に誰が狙われてもおかしくないよ。私も手を貸すから、例の計画進めようよ。たぶんつかさも乗ってくると思う。このままヤられるのを待ってるだけなんて、絶対にイヤだから」
もちろん二番も乗ってくるだろう。
というか一人でもやりかねない。
俺はあぶらの固まった焼き鳥をかじり、ビールで流し込んだ。
「まあそう焦らずに。いちおう、こちらで詰めてた話もあるんで、お話ししておきます」
十二番から入手した情報を開示しても大丈夫だろう。
言うべきでないことは、おそらく彼女も俺に言っていないはず。
いまは足並みをそろえる必要がある。
誰かがフライングしたら、すべてが台無しになる。
(続く)




