余計な仕事
ややすると、二番だけが帰ってきた。
一人で。
「お帰り。他のメンバーは?」
「死んだ……」
二番は無傷だが、返り血を浴びていた。機械みたいな顔をしているところを見ると、おそらく前回みたいなことになったのだろう。
「対象にやられたのか? それとも……」
俺がそう尋ねると、彼女は血走った目でこちらを見た。
「一課のザ・フールにやられたの! 全部終わらせて、あとはもう帰るだけだったのに!」
ザ・フールか。
すでに一課に在籍しているのだから、それ以上に目指すところもなかろうに。まだ殺し足りないのか?
しかもそいつは、前課長に命を助けられたヤツだ。三課には恩があるはず。いや、前課長がいなくなった瞬間、恩も消えたのかもしれない。
だとすれば本当にただの殺人狂だ。
「殺したのか?」
「殺せなかった! 途中で帰っちゃったんだから!」
気まぐれに殺して、気まぐれに帰るとは。
まごうことなきクソ野郎だ。
こちらの戦力に組み込もうと思っていたが、大誤算だったようだな。
十一名いた新人も、五名が死亡となり、六名に減ってしまった。
新人たちの顔色も冴えない。
ムリもない。出動するたび誰かが消える。
*
定時になると、みんなぞろぞろと帰っていった。
こんな忌まわしい場所にいたくないのだ。
おかげで俺と十二番は、すぐ二人きりになれた。
しんと静まったオフィス。
残業しても給料が増えるわけじゃないのに。
「この時間が好き」
彼女は柔和な笑みを浮かべ、こちらのデスクに尻を乗せてきた。
どちらが上司か分かったもんじゃない。
「なぜあんなクソみたいな工作をした?」
「なぜだと思います?」
「知るかよ。業務に支障が出てるんだ。いますぐやめて欲しい」
こうなってみると、十二番が味方なのかさえ怪しい。
御神体の娘ではあるが、御神体とも意見が異なる。
彼女は溜め息をついた。
「私、母みたいな美人に生まれたかった」
「贅沢言うなよ。十分だろ」
「でもあなたは、私の顔を好きにならない」
いちおう笑顔を浮かべている。
冗談なのか本気なのかは分からない。
「別に好きにならないわけじゃない」
「でも母に比べたら、そこらにいるどうでもいい顔ですよね?」
「まるで俺が、御神体の顔にしか興味がないみたいな言いぐさだな」
「事実ですよね?」
反論はできない。
小学生だった俺は、彼女をキレイなトロフィーとしか認識していなかった。
むしろ中身はめんどくさいとさえ思っていた。
ホントの意味で彼女を好きになったのは、おそらくつい先日。どうしようもなく守りたくなった。
もっとも、彼女にとってはいい迷惑だろう。
こちらの気分で、勝手に殺したくなったり守りたくなったり……。発想がストーカーそのものだ。こんな人間は気持ち悪いだけだ。自分で自分がイヤになる。
「分かった。認める。事実だ。あんたはそれを裁くためにここにいるのか?」
「いいえ、いまのは本題じゃありません。醜くも嫉妬したので、あなたをいじめて仕返ししたくなっただけ」
本当に自分勝手な主張だ。
まるで俺じゃないか。
彼女はデスクからおりて、自分の椅子を持ってきて座った。
「今日、とある女性に会いましたね?」
「ああ。彼女も『声』が聞こえるらしい」
「たまにいるんです。ああやって盗み聞きする悪いおばさん」
「公共のリソースで勝手に喋ってるあんたらのほうが悪いだろ」
「もっと優しく言って欲しいな……」
すねてしまった。
のみならず、媚びたような目でこちらを見てくる。
いったいなんなんだ?
俺を意のままに操って、汚れ仕事でもやらせるつもりか?
「とにかく、周りに妙なことを吹き込むのはやめてくれ」
「あなたのこと、独占したかったから」
「どういう感情なんだよ」
「好きだから」
「……」
俺個人に、思い当たる節はない。
だが思い返せば……。
小学生のころの御神体は、こうやって大人たちを篭絡していったのかもしれない。
「そうかい。なら俺も好きになるよ。だから妙な工作はやめてくれ」
すると彼女は、ぐっと椅子を近づけてきた。
無垢な瞳で、まっすぐにこちらを見つめてくる。
まだ大人になりきれていない、幼さの残る顔立ち。
「私の『好き』は、重たいですよ?」
「冗談だよな?」
「はい?」
俺は有機周波数とやらを感じることはできない。が、彼女が殺意らしきものを抱いたのは分かった。
「ちょっと待ってくれ。話を整理しよう。俺たちは、それぞれ目的があって行動してるんだよな?」
「はい」
「俺の目的は……。御神体を救うことだ。もちろん娘のあんたたちも救いたい。そのためには、みんなを苦しめてるこの組織を破壊する必要がある。ただし、俺が参加するのは、勝算がある場合だけだ。ムリそうならやらない」
ズルいと言われてもいい。
ムリなのにやると死ぬ。
彼女はさらに近づいてきた。
「私の目的は、あなたを手に入れること」
「冗談はよしてくれ」
「冗談じゃないんです。私、ずっとあなたと結ばれたかった。あの母が落とせなかった唯一の男性ですから。けど、あなたと結ばれるためには、私も自由になる必要があります。そのためには、組織を破壊しないといけない」
好きでもない相手に思われるのがこれほど苦痛とは。
べつに顔は嫌いじゃない。
だが、どうにも受け入れられないのだ。
この子は、御神体と、どこかの男の遺伝子が混ざり合った存在だ。そんな子に近づかれると、胸がムカムカする。
「いったん私情は脇に置いて、組織を破壊する方法について話さないか? その点だけは、互いに協力できるはずだからな」
「あ、逃げた。でも、いいですよ。どうせ最後は、私の計画通りになるんですから」
怖い……。
彼女は適切な距離をとり、椅子に座り直した。
「その前に、姉について補足しておきますね。姉といっても、水槽の中の機材ですけど」
彼女のことを思い出すたび、なんとも言えない気持ちになる。
もともとどんな姿だったのかも分からない。
そして俺には、もとに戻す力もない。
なにもしてやれない。
「姉は、半径約300キロメートル圏内の、あらゆる有機周波数を観測しています。日本全土とは言えませんが……」
「300キロ? そんなに?」
「本人の才能だけではありません。薬品の投与などにより感覚が拡張されているんです。おかげで範囲内のあらゆる生命と対話することになり……。もはや人とは言えない存在になっていますね」
他人の感情が、常に流入してくるような状態だ。それも一人や二人ではない。数えきれないほどの生命。圧倒的な情報量にさらされているのだ。
正常でいられるわけがない。自我を保つことさえ難しかろう。
「先ほども言った通り、日本全土をカバーしているわけではありません。ですから、足りない部分は、別の個体がカバーすることになります」
「待ってくれ。ほかにもいるってのか?」
「はい。ほとんどは私の姉妹ですが、才能さえあれば姉妹以外からも採用されます。たとえば、今日会ったおばさんみたいな人です。観測されたデータは電気信号に変換されて、研究所のサーバーに保存されます。大部分は重複したデータですので、圧縮されて保存されているようです」
聞いているだけでムカつくやり口だ。
おまけに、そのデータを使ってAIを組んでいる変態までいる。
「プロジェクト『オルガン』は、こうして集められたデータをもとに進められました。その目的は、人間の周波数と、神の周波数を調和させ、一体化させること……」
「ちょっと意味が……」
理解できない自分をむしろ評価したい。
こんなカルト理論、理解できてたまるか。
「オルガンは楽器なんです。人為的に周波数を発生させて、受信した人間の肉体を変質させます」
「変質?」
「物質の拘束から解放されて消滅し、精神体となって神と融合するんです」
「消滅って? 死ぬってことだよな?」
「はい。関係者は高次元へのシフトだと主張していますけど」
「いかにもカルトだな。けど、そんなことが可能なのか?」
「ほとんど完成しています。あとは精度の問題だけ」
「マジか……」
また彼女の姉妹が犠牲になるのか?
薬品を投与されて?
俺が溜め息をつくと、彼女もなんとも言えない笑みを浮かべた。
「とはいえ、出資者たちも半信半疑のようです。見ようによっては、いきなり消滅したようにしか見えませんから。それに、動物で実験をおこなったところ、人間と同等の結果が得られてしまいました。これに難色を示す一派もいて、話がややこしくなっているんです」
「なぜ? 結果が同じになるのは、特に不自然とは思えないが……」
人間も動物なのだから、同じ結果にならないほうがおかしいだろう。
彼女の回答はこうだ。
「神と一体化できるのは人間だけであり、動物までそうなるのはおかしい、と」
「カルトにもこだわりがあるんだな……」
「専属の宗教家がなんとか解釈を試みていますが、いまのところ合意には至っていません。プロジェクトが停滞しているのは、そのおかげです。技術的には完成しているのに、心情的に完成を否定しているんです。皮肉な話ですね」
カルトの心理は、ひとまずいい。問題は、すでにその「オルガン」なるブツが、いつでも稼働できる状態にある、ということだ。あとは精度を調整するだけ。
「で、えーと、そいつが完成したら、人類が滅んだりするのかな?」
「いいえ。オルガンは一度に数名しか処理できません。しかも量産できませんから、人類を殲滅するのに最適とは言えません。姉の推測によれば、一次的には、小規模な殺戮に留まるようです。問題は、二次的な余波のほう」
まあそうだろう。
殺戮にもコスパはある。
ただ人を減らすだけなら、わざわざオルガンを使う必要はない。人類はすでに過剰とも言える火力を保有している。
「どんな余波が予想される?」
「事実はともかくとして、神にアクセスするツールが完成するのです。神に近づきたい人たちが、さまざまな形で接近を試みるでしょう。つまり、このカルトは大量の信者を獲得することになります。数が増えれば政治とも結びつきます。カルトが政治を動かすようになり、国を動かすようになります」
この国は、すでにそうなっている気もするが……。
いや、さらに特大のカルトに支配されるのは、俺としても勘弁願いたいところだ。
頭ごなしに宗教を否定したいわけじゃない。
人間はどうしてたって機械にはなれない。なる必要もない。ある程度は感情的に振る舞っていい。精神の支えとして宗教が存在するのはいい。
だが、それが法を超えるのは問題だ。
原始時代ならともかく、科学の発達した現代において、カルトを基準に行動するのは危うい。事実よりも教義が優先されてしまう。自分に都合のいい妄想を優先してしまい、事実を誤認する人間は山のようにいる。そういう連中とカルトは相性がよすぎる。
「あんたのプランは?」
「母を殺してください」
「だから、なぜそうなる?」
「母がオルガンの最終パーツだからですよ」
十二番は表情も変えずに告げた。
答えは分かっていた。
できれば否定して欲しかった。
事実だとしても。
「彼女を殺す必要はない。その前に俺がこの組織を破壊する」
「きちんと戦力を分析しましたか? 不可能です」
「……」
そんなの関係ない。
やる。
そう反論したかった。
だが、ここでアツくなってもダメなものはダメだ。
おそらく彼女が正しい。
普段、俺たちは、組織に言われるまま人の命を奪っている。
それが世間ではニュースにさえならない。
法を超える力が、背後で動いているのだ。
敵は、いま見えている連中だけではない。
そんなのと戦って勝てるわけがない。
一方で、御神体さえ殺せば、オルガンの完成を阻止することができる。少なくとも代わりの誰かが見つかるまでは。
俺は溜め息を噛み殺し、こう尋ねた。
「教えてくれ。彼女とお姉さん以外は救えると言ったな? どんな方法がある?」
「オルガンを使います。それ以外に方法はありません」
「……」
意味が分からない。
御神体を殺して、オルガンの完成を阻止する計画だったろう。
ところが、組織と戦うために、オルガンを完成させるのだという。
「もっと詳しく説明してくれ」
「オルガンは、母の能力に合わせて開発されています。ですから、あまりに適合し過ぎてしまうのです。このままプロジェクトが進めば、カルトの思惑通りのオルガンが完成してしまいます」
「けど、彼女を殺してしまったら……」
「姉がオルガンのパーツになります。いまのところ、基準を満たしているのはその二名だけですから。姉はなかば正気を失っていますが、消去すべき対象だけは見失っていません。素質だけなら母を凌ぎますから。有機周波数を発生させて敵を殺害し、そのあとでみずからを消去します」
じつに皮肉な作戦だ。
俺が殺したいと思っている人間は殺せる。
その代わり、救いたい人間は誰も救えない。
「正直、気が進まない」
「あきらめてください。本件については、妥協案も折衷案もありません。どちらにせよ母は助からないのです。もし母がオルガンのパーツに組み込まれれば、もう私たちでの対処は困難になります」
困難?
不可能とは言わなかったな。
「状況は分かった。だが……」
「母を殺害するプランはすでに用意済みです。覚悟が決まったらいつでも相談してください。お手伝いしますから」
少し引っかかるな。
お手伝いします?
あれだけ綿密な作戦を立てておきながら、主体は彼女たちではなく、俺なのか?
「なあ、ひとつ質問なんだが……。もし俺が手を引いた場合、そっちはどう動くつもりなんだ?」
なかば皮肉を込めて尋ねた。
まさか想定外ってことはないだろう。
彼女は笑顔を浮かべていた。
「そのときはフェイルセーフに頼ります。いくらか犠牲を払うことになりますが、最悪の事態は回避できるでしょう」
「具体的に、なにをするつもりだ?」
「ふふ、秘密です」
どいつもこいつも……。
彼女の言う「最悪の事態」は予想できる。
オルガンを完成させたカルトが、この国を牛耳ることだ。
気になるのは「いくらか犠牲を払う」という言葉。こちらはまったく予想がつかない。
嫌な予感がする。
俺はこのプランに乗りたくない。
だがそうすると、謎のフェイルセーフとやらが発動する。
彼女のプランに乗らないだけではダメで、むしろ積極的に阻止すべきなのかもしれない。つまり、組織と戦うだけでなく、十二番とも戦わねばならない。
余計な仕事だ。
そもそもが一円にもならない給与外労働だというのに。
なにもかも、見なかったことにしたい。
(続く)




