歴史
死人が出たところで葬式などやらない。
どこかの部署が回収して「適切に」処理する。
八番は、一年間だけ欠番になる。
死者が出たこと、そして四番が別人のように自信をなくして帰ってきたことで、留守番の新人たちは動揺し始めた。
現場に出ると死ぬかもしれない。
そういう恐怖を植え付けられたのだ。
俺は席につき、こう応じた。
「いや、今日は相手が悪かった。普段の現場では、相手が武装している可能性は極めて低い。今日は特別に難しかった」
これで安堵したのは半分、受け入れなかったのが半分といったところか。
だが、俺も安心してはいられない。
死体になっていたのは俺だったかもしれないのだ。
今回の現場はハードだった。新人ばかりの三課には荷が重い。なのに出動を強要された。
上は三課の人数を減らそうとしている可能性がある。
それでも人材は欲しいはずだから、弱いのを殺そうとしているのだろう。つまり即戦力になりそうなのだけ残して、あとは消したいのだ。上としても、こんなに残るのは予想外だったはず。
「三番くん、レポート書いといてくれる?」
「了解」
二番はまるで他人事だ。
ややこしいことは、全部俺にやらせるつもりなのだろう。
*
レポートを書くのは苦手ではない。
定時までに書き終えて提出した。
フィールドからあがってきた書面の決裁も済ませた。
こうしてデスクワークをしていると、まるで事務員のようだ。しかし体は興奮している。歴戦の戦士ではないから、人の死を見ると動揺する。
新人たちは帰りたそうにしている。
ここにいてもできることはなにもないのだ。
一刻も早く自宅へ戻りたいだろう。
普通の会社なら、どこかのタイミングで歓迎会でもするところだが……。いまのところそういった計画はない。欠員が出てから歓迎会というのも間が悪すぎる。
ここはなにもしないのが一番。
「じゃ、あたし帰るね。あとよろしくー」
定時の少し前、二番はそう言い残して出て行ってしまった。
こいつ、課長になったからといって好き放題しやがる……。
新人たちも、少しざわついている。
「みんなはいちおう定時まではいてください。終ったら遠慮なくどうぞ」
俺はいちおうそう声をかけてやった。
ざわつきはおさまった。
*
定時になると、まるで普通の企業かのように「お先に失礼します」と帰り始めた。
一緒に帰るものもいれば、なにか作業しているフリをして時間をズラすものもいた。まあ自由にして欲しい。人にはそれぞれ適切なタイミングがある。
俺は二番の代わりに全員を送り出す責任があるから、最後まで帰れないが……。
一人、また一人と帰り始めて、最終的に二人きりになった。
残ったのは十二番だった。
やがて彼女も立ち上がったので、帰ってくれるのかと安堵した。が、違った。彼女はなんとも言えない顔で俺のデスクへ来た。
「少し、相談があるのですが……」
「えっ?」
露骨に警戒してしまった。
おそらく彼女は、二課よりも一課に向いたタイプだ。
小柄で、地味で、自信なさそうにしているが、べつに弱いわけじゃない。むしろその逆。
「相談っていうか、お願いっていうか……」
「イージーな内容だと嬉しいな」
俺が冗談めかしてそう告げると、彼女はふふっと目を細めて笑った。母親と違い、本当に柔和に笑う。御神体は美人だが冷たい。本人がそういう人物を演じているだけにいっそう。
「三番さん、母と仲がいいって聞きました」
「いいというほどじゃないけど」
「たまに会ってますよね?」
「たまにね」
彼女は柔和な笑顔のままだが、俺はひやひやしていた。
絶対になにか言う。
俺の言って欲しくない言葉を。
これはもう、漠然とした予想ではなく、確信だった。
彼女は言った。
「母を殺してください」
「……」
「できますよね?」
「いやムリだ。やらないし、理由も聞きたくない。いまの話も聞かなかったことにする。だから帰ってくれ」
必要があれば殺すつもりでいる。
だが、それは誰かに言われてやるんじゃない。俺がやりたくなったときにやる。本気でもないのに、誰かに説得されて殺すなんて、本人に失礼だ。
彼女は笑顔を崩さない。
無害な少女みたいな顔で、じっとこちらを見つめている。
「その代わり、なんでもします」
「聞いてなかったのかな? 俺はノーと言ったんだ」
「母にできることなら、私にもできます。いえ、母にできないことでも、私にはできるんです」
「どういうつもりで言ってるんだ?」
俺がそう尋ねると、彼女はいっそう愉快そうに目を細めた。
「全部知ってて言ってるんですよ?」
「ぜ、全部……とは……?」
彼女はデスクに尻を載せた。
完全にナメられている。
「さっき疑問に思いませんでしたか? あなたが母と仲がいいという情報。誰から聞いたと思います?」
「さあな……」
「姉ですよ」
「姉……?」
父親の異なる姉妹がたくさんいることは知っている。
だが、たくさんいるだけに、誰のことを言われているのか分からない。唯一コンタクトのあった天使ちゃんはもう死んでいるし。
「やだなぁ。もう忘れたんですか? つい先日、会ったばかりじゃないですか。私のお姉ちゃんに」
「まさか……」
「観測室でぷかぷか浮いていたのが私の姉です。才能はあったのに、体が完全じゃなかったから、ああして機械の一部にされちゃったんですよね」
あの状態でもまだ生きているのか。
しかも意思がある……。
俺はなんとも言えない気持ちになった。
「すまん」
「謝らないでください。気づかなくても仕方ないですよ。見た目も似てませんし」
「そうじゃない。ただ……なんとかしたいと思うのに、なにもできなかったから……」
すると彼女は、一瞬、さめた目になったが、すぐに笑顔に切り替えた。
「まるで良識ある人間みたいな振る舞いですね」
「気に食わないのならやめる」
「べつに気に食わないとは言ってませんよ。ただ、なにもできないというのは、結論が早すぎると思って」
「なにかできるのか?」
「なんでも。望むことすべて」
まだ十代だろう。
特に大人びてもいない。
そんな少女の言葉にしては、あまりにも大仰だった。
普通なら信じない。
普通なら……。
「救えるのか?」
俺の問いに、彼女はしかしうなずかなかった。
「救う、という言葉の定義にもよります。少なくとも母と姉の命は助かりません」
「理由を聞かせてくれ」
「理由? それは考えないことにしてるんです。これは私の計画ではなく、姉の計画ですから」
姉の?
彼女は、みずからの死を望んでいるのか?
「なら、あんたじゃなくて、お姉さんがどういうつもりなのか教えてくれ」
「そうなりますよね。でも、いまは言わないほうがいいと思います。計画の進行に支障が出ますから」
「意味も分からないまま手を貸すことはできない」
すると彼女は、かすかに溜め息をついた。
「ここの出資者が入れ込んでいるプロジェクトを知っていますか? プロジェクトの名は『オルガン』。人類と神とをつなぐ装置を作り、次のステップに進もうという計画です。私に言わせればただの自殺ですが……」
そろそろ完成するというプロジェクトがコレか。
実際になにが起こるのかは不明だが、ロクでもないモノだということだけは聞かずとも分かる。
「どんなプロジェクトか聞いても?」
俺の問いに、彼女はくすくすと笑った。
「教えません」
「はい?」
「順を追って話すと長くなりますから。まずは母から、この組織の成り立ちについて聞いておいてください。私の話はそのあとです」
「おいおい……」
彼女はようやくデスクからおりた。
「それじゃ、お先に失礼しますね」
「……」
*
翌日、俺は宝物殿に呼び出された。
いつもならクソみたいな予定に違いないのだが、今日だけは違った。
俺と御神体は、いま、テーブルを挟んでソファに腰をおろしている。
いつ見ても彼女はマネキンみたいだ。外見だけじゃない。中身までもがフェイクだ。
「ご用件は?」
「知ってるでしょ? 歴史の授業よ。この組織がどうやって成立したのか」
おかしい。
彼女と娘はいつ会話したのだろう?
有機周波数とやらで会話しているのか?
「娘さんにそうしろって言われたのか?」
「いいえ。違うとも言い切れないけど」
「どっちだよ」
「私が望んだことよ」
*
彼女の説明はこうだ。
明治時代、とある有力者に娘が生まれた。
彼女は、成長するにつれ、目の前にいない誰かと会話するようになった。
医者に診せたところ、精神の錯乱であると診断された。有力者は家の恥になると思い、彼女をどこかへ閉じ込めた。
ところが、娘に助けを請われたとかいう人間が、何度も家を訪れたのだという。
完全に隔離されており、その存在すら知られていないはず。
そこで有力者は、とある祈祷師を頼った。それは神の声が聞こえるとかいう老婆であった。老婆は、その場にいながらにして、たしかに彼の娘と対話してみせた。
研究が始まった。
まだ明治であるから、現代のような研究はできなかったものの……。その一方で、人権を無視した研究はいくらでもできた。
人をさらい、人体実験をしたようだ。
素養のあるものは、どれも女だった。
彼女たちは、素養のあるもの同士で会話できるだけでなく、天の声をも受け取っていることが明らかになった。
神の存在を証明できるかもしれない。
出資者が増えた。
かくして「埼玉有機周波数研究所」の前身となる組織「東亜神経機械研究所」が誕生した。
しかし研究はふるわないまま時間だけが経過した。
祈祷師が亡くなり、有力者の娘も亡くなった。
残されたのは、素養の乏しい女たちだけ。
研究はこのまま消滅するかに思われた。
そんな折、東北のある地方で、強い周波数が観測された。
瀕死の少女だった。
彼女は極秘裏に救出され、いや誘拐され、御神体として研究されることとなった。才能に恵まれていたこともあり、研究は一気に進み始めた。
*
「以上がここの歴史」
「なるほど。なら、あんたはさしずめ中興の祖ってわけだな。ところで、最初に出てきた有力者ってのが誰なのか気になるな」
俺がそう問いかけると、彼女は苦い笑みを浮かべた。
「どうしてあなたってそうなのかしら? 死にたいの?」
「どうせいまも政治家やってるんだろ? 事と次第によっては、そいつをフィールドにぶち込まないといけない」
「言わない」
つまり知っているのだ。
いや、言わなくてもいい。
彼女が言わなくとも、娘がなんでも教えてくれることになっている。
「ま、歴史は理解した。このあとは?」
「おそらく十二番から説明があるはずよ」
十二番、ね。
娘とさえ言わない。名前でも呼ばない。いったいどういう関係なんだか。
「あんたは彼女の計画をすべて把握してるのか?」
「教えない」
「秘密ばっかりだ。信用がないのは分かってるけど」
「秘密のある女のほうが好きでしょ?」
「はい?」
真顔で言っているからジョークではないのかもしれない。
いや、真顔でジョークを言ったのか?
話の続きがなかったので、俺は席を立った。
「戻るよ。あんまり長居すると、サボってると思われる」
「戻ったところで仕事なんてないでしょ?」
「いや、意外と忙しいんだ。新人がたくさん入ってきたんでね」
「ふーん」
この返事に弱い。
昔からそうだった。
俺が「もう帰らないと」というと、「ふーん、帰るんだ」と責めるように見つめてきた。俺はいつも負けて「あと少しだけ」とその場に残った。
だが状況は当時とは違う。
俺にはやるべきことがあるし、彼女にも帰る家はない。
「用事ができたらまた呼んでくれ」
「はいはい」
くだらない理由で彼女の命を奪いたくはない。
どういうつもりなのか、きちんと十二番から話を聞き出さなければ。
(続く)




