引率
久々の出動。
だが、俺はうわの空だった。
観測室での出来事が頭から離れなかった。
すでに脳と背骨と内臓だけの姿だったが、彼女はなにかを訴えていた。俺に素養がなかったばかりに、なにを求められているのか理解してやれなかったが。
その後、特に説明もなく追い出された。
なにかしてやれたらよかった……。
いま、車は埼玉北部へ向かっている。
俺にとっては通常業務だが、新人にとってはデビュー戦だ。
運転手は新人の八番。
やや冴えない印象の若者だ。いや童顔の中年かもしれない。ちょっと分からない。精査する気もない。能力に特筆すべき点はナシ。
あとは自己紹介で威勢のよかった四番と、御神体の娘の十二番。
俺も加えて計四名。
以上が一班のメンバーだ。
二番は留守番。
どうせすべての現場を俺に押し付けるつもりなんだろう。平和主義なのは結構だが、それを口実にしたパワハラは勘弁していただきたいものだ。
「やべー。テンションあがってきたわ」
四番はあきらかに浮かれていた。
悪い人間を射殺して、大活躍する予定でいるのだろう。
運転中の八番も、無言ながらに高揚している。
運命に選ばれた自分たちが、凄惨な殺戮ショーを生き延び、裏世界で法を超えて活動する。
そんな気分でいるのかもしれない。
実際はただの犯罪行為に過ぎないのだが……。
やや緊張したフリをしているのは十二番。
才能のない女を演じるのがじつにうまい。
どうせこいつも二番に匹敵するキリング・マシーンなんだろう。今日の仕事は楽勝だと思われる。
*
もともと空模様は怪しかったが、現場につくと本格的に降り出した。
薄暗いだけでなく、体も冷える。やる気をなくしてしまう。俺もオフィスにいたかった。
ここは山に囲まれた謎のアジト。
なにをやっている連中なのかハッキリとしないが、とにかく集まって生活しているらしい。カルト宗教ではなく、私的な政治結社との情報だ。
「俺、雨嫌いなんすよね。なくなんねーかなって思って」
四番はしきりに髪型を気にしていた。
せっかくセットした髪型も、雨のせいで台無しというわけだ。
「雨がなくなったら農家が困るぜ」
俺がそう告げると、彼は半笑いで鼻を鳴らした。
「いや、そうなったら肉食うんで」
「そう」
その肉は、いったいなにを食って育つのだろうか。
いや、訂正はするまい。
こういうヤツにモノを教えてやっても、感謝されるどころか、憎しみを向けられることのほうが多い。
「これ、銃ね。使い方は研修で教えた通り。仲間に向けないように」
本当は仲間に向けてもいい。
この職場では、ムカついたら誰を殺してもいいのだ。
現場でやった殺しは罪にならない。
*
付近に民家はなく、現場は孤立していた。
錆びた金網で敷地を囲まれており、物々しい雰囲気。もとは山で仕事をする人のための作業小屋だったようだが、補強されて要塞化している。
スピーカーから声だけが聞こえてきた。
『止まれ。それ以上近づいたら撃つ』
「研究所のものです。三億の返済期限が一年も過ぎてますが」
『借りたときは二億だった』
「利子がついたんですよ」
会話できているということは、ゲート近くにインターフォンでも設置されているのだろう。
誰の姿も見えない。
なのに彼らは、俺たちの動きを把握している。
建物の中に潜伏しているのか、あるいはまったく無関係な場所からカメラで監視しているのか……。
八番がキョロキョロし始めた。
「大丈夫なんですか? 撃つって言ってますけど」
「分からない」
俺は正確な情報を伝えた。
未来のことは、たいてい分からないものだ。
「いや『分からない』って……。なにかあったらどうするんです? 責任とれるんですか?」
「責任はとらない」
「はぁ?」
急に怒り出した。
怒る相手が違うと思うのだが。
彼らにしてみれば、俺は先輩だ。テキパキ動いて、テキパキ指示を出して、完璧に仕事をこなす人間でなければならなかったかもしれない。
亡くなった前課長のように。
だが、残念ながらそうではない。
数ヵ月先に現場に投入されただけの三流だ。
四番も眉をひそめていた。
「えっ? 作戦とかないんすか?」
「いま考えてる」
「マジかよ……」
もちろんマジだ。
それはそれとして、いまここで会話すると、敵に聞かれる。
もう少し慎重に行動して欲しいものだ。
さて、困った。
俺は軍人ではないからセオリーを知らない。
それでも、両者が銃で武装しているときに、籠城戦をされると厄介なことになるのは分かる。
追加で使用できそうなエネルギー体は自動車くらいしかないが、もしそいつをぶっ込ませた場合、俺たちは徒歩で帰るハメになる。
いや本部も送迎用の車を出してくれるとは思うが……。備品をオシャカにしたら査定に響く。その「査定」というのが金だけで済めばいいが、うちの場合はそうとも言い切れない。
敵の姿は見えない。
なのに敵は俺たちを見ている。
なおかつ狙撃の可能性もある。
うかつに動けない。
十二番は不安そうな顔で成り行きを見守っている。
少なくとも見た目だけは。
おそらくこいつは解決策を有しているのだろう。
恥も外聞も捨てて、彼女を頼るべきか……。
俺は手で指示を出し、みんなをともなって車まで引き返した。
雨のせいでびちょびちょだ。
「いやマジでどうすんだよ。このまま帰んの?」
先輩が役立たずだと分かった途端、四番はこの態度だ。
せめて敬うフリくらいはして欲しいものだが。
俺は十二番に尋ねた。
「なにかヒントをくれないか?」
すると彼女は、困惑したようにこちらを見つめてきた。
「えっ? 私が……ですか?」
「頼む。死体がひとつもない状態で帰るわけにはいかない」
「なら、森の中に車があるんで、それを撃ったらいいと思います」
森?
まったく気づかなかった。
「分かった。まずはタイヤを狙って全員で発砲しよう。ひとり3発まで。残りは対人用にとっておくこと」
「なんで3発なんすか?」
四番はこちらを睨みつけていた。
「ただの思いつき」
「ンだよそれ」
なんらかのセオリーに基づいて算出した数値ではない。
ただ、「タイヤを撃て」とだけ命じたら、際限なく撃つヤツが出てくるだろう。そのせいで、対人用の残弾がゼロになってしまったら問題だ。
マガジンには15発しか入っていない。ムキになっているとつい撃ち尽くしてしまう。
装備によっては3点バーストという機構もあるくらいだし、3発1セットくらいに考えておいても悪くないだろう、というのが俺の感覚だった。
まあこれを説明してもいいが、根拠がないことに変わりはない。
明確なセオリーがない場合、感覚でやるしかない。
「じゃあ行こう」
俺の号令に、もはや返事もなかった。
おそらくチンパンジーの集団を率いるのなら、リーダーは強引で有無を言わせないくらいの態度のほうがいいのだろう。だが三課をそういう集団にしたくなかった。
それに、俺は博愛主義者ではない。
*
目を凝らすと、森の中にワゴンの姿を確認できた。
木々に隠れて、うまいこと偽装している。
俺たちが銃を構えると、監視していたであろう彼らもエンジンをかけて飛び出してきた。
俺はもう号令などかけず、トリガーを引いた。撃てと命じたところで聞きやしないだろうと思ったのだ。俺が率先して発砲することで、誰でも発砲していいという雰囲気を作った。
パァン、パァンと、雨の中に銃声が響いた。
もちろん走っている車両のタイヤを撃ち抜くのは容易ではない。
というより、自分の撃った弾がどこに飛んだのかさえ判然としない。分かるのは、前方のどこかへ飛んだという漠然とした情報だけ。
銃のアイアンサイトで狙いをつける余裕すらない。
とにかく前へ飛ぶわけだから、自分には当たらないのだ。遠慮することはない。
ワゴンが森を抜け、雑草をなぎ倒しながらこちらへ向きを変えたところで、パァンと派手な音がした。誰かがタイヤを破裂させたのだ。
カーブに失敗したワゴンは横転。
ドアを開いて、中からのろのろと男たちが現れた。おそらく訓練はしているのだろうが、ワゴンの横転時にいくらか負傷したのだろう。機敏な動作とは言いがたかった。
俺は歩を進めながら、トリガーを引きまくった。
雨粒のしたたってくるのが邪魔で仕方がなかったが、前方にだけ集中した。
何人かが倒れた。
だが敵も銃で武装しているのなら、指先さえ動けば反撃してくる。
俺はぐったりした男たちに、さらに銃撃を加えた。用心のために2発撃ち込む「ダブルタップ」という考えがある。2発も撃ち込んでおけばさすがに動けなくなるだろう、という感じだ。
もちろん当たったかどうか分からないので、正確に2発のカウントなどできない。
こちらは特別な訓練など受けていないのだ。とにかくトリガーを引いて、相手が動かなくなったら勝ち、くらいにしか考えていない。
「しゃあッ! ザコすぎんだろッ!」
四番は緊張から解放されたのか、いきなり勝利宣言した。
八番も「やっちゃいましたねぇ」とまんざらでもない顔。
どちらも呼吸が震えている。
だが気を抜くべきではない。
確かに動いている敵はいない。
だが、横転したワゴンの中にまだ誰かいるかもしれない。
案の定、パァンと音がして、ワゴンから発砲があった。
俺はとっさに身を伏せた。
八番も伏せた。
四番は「えっ?」という顔をしていた。
十二番は……まるで散歩のように距離を詰めていった。
命知らずのバカなのか、あるいは有機周波数とやらで敵の心理を読んだ上での行動か。
ワゴンからの発砲は何度か続いた。
なのに四番は身をかがめない。銃を構えて、トリガーを引こうとしている。だがスライドが開きっぱなしなところを見ると、もう弾切れらしい。
ちゃんとカウントしていないと、いつの間にか残弾が尽きているから怖い。
十二番が横転したワゴンに足をかけ、上から中に射撃を加えた。
銃声はやみ、雨音だけが残った。
*
帰路、研究所から派遣されたドライバーが車を運転してくれた。
八番はワゴンから撃たれて死亡していたのだ。
俺は正直、あまり哀しい気持ちになれなかった。
ワゴンから発砲される前に警告を発することもできたが、そうしなかった。また反抗的な態度をとられたらムカつくからだ。
それで放っておいた。
そしたら死んだ。
救えた命だったのに、救いたいと思えなかった。
俺は人間的に未熟なんだろう。
どうでもいいと思ってしまった。
あるいはここで死んでくれたほうが、今後の教訓になるとさえ思った。残りの新人を従順にするための尊い犠牲というわけだ。
俺みたいに放置するヤツより、ぶん殴ってでも指図してくるヤツのほうが優しいと思う。少なくとも責任感はある。人間らしい。
四番はうつむいて黙っていた。
十二番は窓から雨を眺めていた。
残念ながら、どの世界にも、才能に恵まれた人間と、そうでない人間がいる。
なんなら俺だって十二番の才能には遠く及ばない。
モノが違う。
才能は埋まらない。
努力で埋めるしかない。
もし努力という言葉が嫌いでも。
タチの悪いことに、才能のあるヤツは、その才能を愛しているから、放っておくと努力を始めてしまう。だからたいていの天才は、才能だけで完結していない。
こちらが諦めれば、容赦なく置き去りにしてゆく。
挫折している暇はない。
「雨、やみませんね」
十二番が誰にともなく言った。
俺たちは返事をしなかった。
そもそも四番は、なにを根拠にあんなに張り切っていたのだろうか?
華々しい経歴があるわけでもない。
採用試験で活躍したわけでもない。
ただ運よく生き延びただけ。
ところが採用試験を突破したことで、なにか勲章を手に入れた気分になってしまったのかもしれない。
人生を逆転し、特別な人間になれた気がしたのだ。
初めて御神体と仲良くなれたとき、小学生の俺はそういう気分になった。
人生がウソみたいに輝き出した。
自己肯定感が高まった。
それは強烈なエネルギーとなった。必ずしも悪いものではない。だが、エネルギーは、ただほとばしればいいものではない。ハンドリングを誤れば事故を起こす。
コントロールできない力など、ないほうがいい。
敵だけでなく、大事な人まで傷つける。
(続く)




