一番悪いの
塀で囲まれているから、豪邸の中は見えない。
外と、内が、隔てられた別世界になっている。
課長は門のインターフォンを鳴らした。
「研究所のものです」
『いまお開けします』
来ることが分かっていたようだ。
半分はカタがついている、というのは事実なんだろう。
使用人とおぼしき中年女性がやってきて「こちらへ」と告げた。
庭では、年齢相当の知能が備わっているか怪しい中年男性が、草むしりしている若い使用人の体をまさぐっていた。
「えへへ、すき……」
「もう、ぼっちゃん、ダメですよ」
この男が、「コミュニケーション能力にやや問題」があるとかいう例の御曹司だろう。
となると、使用人のほうが「財産目当ての女」か。いや、あるいは彼女はただのセクハラ被害者で、別の人物が「財産目当ての女」かもしれない。
二番がぼそりとつぶやいた。
「あいつ、撃ちたいんだけど……」
「……」
誰も返事をしなかった。
そう、誰も。
課長もやめろとは言わなかった。
ただし、二番が持つはずだった拳銃は、いま俺が所持している。
飛び石を踏みながら玄関を目指す。
すると俺たちが到着する前に、玄関が開き、御曹司の母親らしき女が現れた。
「研究所の方? もう話はついたはずでしょう!」
パーマでカールしまくった髪の、目つきの鋭い女性。御曹司の母親にしては若く見えなくもないが、いろいろ工夫した上での若さなのは一目で分かった。
すでに還暦近いだろう。
課長は胸ポケットから拳銃を抜いた。
「残念ですが、まだ」
奥さんも使用人も目を丸くしている。
というか、目を丸くしたのは俺も同じだ。
温厚そうに見える課長でも、こんなパワープレイをするのか?
ドン引きだ。
奥さんは苦しそうに胸元を抑えながら、苦虫をかみつぶしたような顔でこう応じた。
「中へどうぞ……」
*
日本家屋かと思ったが、通されたのは洋間の応接室だった。
文化住宅ってやつか。
ソファがあり、テーブルがある。
棚には謎のトロフィーや盾、賞状などが飾られている。
かつては羽振りがよかったようだ。
そしていまも羽振りよく見せているが、ギリギリ体裁を保っているといった印象。なにもかもが古びており、新しいものがひとつもない。並んでいるのは昔の一級品ばかり。妙なスペースも見受けられることから、家財の一部を売り払って生活しているものと見える。
例の「財産目当ての女」とやらは、本当にこの家が欲しいのだろうか。
テーブルを挟み、俺たちは奥さんと向かい合って座った。
茶も出なかった。
使用人は同席させていない。
俺たち四人だけだ。
彼女は忌々しそうに言った。
「いずれお金が入ったら返済すると言ったはず」
「期限が切れたのです」
課長は無慈悲に告げた。
この家は、組織に借金をしている、ということだろうか。
「ではどうするのです? 殺すのですか?」
「それも選択肢に入ります。高額な死亡保険に入っていることは分かっていますから」
「あれはまーくんのための……」
「その御曹司にも保険がかかっていますね?」
「本当に最低ね、あなたたち……」
この女は、借りた金も返さず逆ギレしている。
そう考えれば、俺はムカついてもいいのかもしれない。
だが、あまり勘違いすべきではない。
たしかに組織は彼女に金を貸したのだろう。そして俺は組織の人間だ。だが、俺が彼女に金を貸したわけではない。なのに、まるで俺が金を貸したかのような気分でいては、自分を見誤る。
よくいるのだ。
デカい組織に属した途端、勝手に自分がパワーアップしたと思い込む人間が。「俺たち」が金を貸したんだから、少しくらい礼儀を払わずともよいと勘違いする人間が。
課長は無防備にも銃をテーブルに置き、室内を見回した。
奥さんはその銃をじっと見つめている。
課長の隙をつき、その銃を奪えば、形勢逆転できるとでも考えているのかもしれない。
課長はどういうつもりだ?
相手を罠にハメようとしているのか?
あるいは二丁拳銃の新人が、うまいことカバーできるか試している?
彼はいったい、誰になにを仕掛けているんだ?
二番はつまらなそうにぽかんと口を開き、虚空を見つめていた。
仕事しろクソが……。
ふと、課長が立ち上がった。
「これはこれは。県知事からの表彰状ですね。地元の名士として、地域の発展に寄与してきたご様子」
「この辺りで花菱の名を知らない人はありません。ですから、この名を潰すべきではないのです。名前を出せばいくらか融通してくれる人もあります」
表札にも「花菱」とあった。
課長はしかして冷淡だった。
「では融通していただいたら?」
「不愉快な男ね。どうせ下っ端のくせに。花菱が頭をさげてお金を借りる? そんなことできるわけないでしょう」
「ではどうやって融通してもらうのです?」
「先ほどのは『例えば』の話です。そんなことも分からないの?」
奥さんは、なんとか自分のほうが上なのだと自分に言い聞かせているようだった。
課長は苦い笑み。
「いえ、必ずしもお金で返してもらう必要はないのです。それはもうご存じかと思いますが……」
すると奥さんは、いきなり銃を手に取り、課長へ向けた。
「そう言って、見世物みたいに殺すのでしょう!? 思い通りになんてさせませんから!」
俺は思わず腰を浮かした。
自分の判断で奥さんを撃つべきか?
あるいは課長の判断を待つべきか?
課長は肩をすくめた。
「その銃、弾入ってませんよ?」
「えっ?」
奥さんは無謀にも、銃口を覗き込んだ。
失明や死亡のおそれがあるから、決して覗き込んではいけない。仮に弾が入っていないと分かっていても。
課長はソファに戻ってきて腰をおろした。
「じつは私も困っているのです。ここで大きな事件を起こすか、お金を返していただくか。いずれかがなされなければ、仕事が終わりませんから」
「お金なら、返すと言ったでしょう!」
「どうかおかけになって。あと銃もご返却願います」
「う、うう、うるさい!」
完全に信用を失っている。
「まー、まー」
御曹司が部屋に入り込んで来た。
「まーくん、どうしたの?」
「んーっ!」
御曹司は、いきなり二番の腕をつかみ、引っ張り始めた。
「えっ? ちょ? なに? 離してよ!」
若い女を見つけたので、自分の巣穴に引きずり込みたいと考えたのだろうか?
俺はひとまず立ちあがったものの、どうしていいか分からず、静観してしまった。
手には銃がある。
撃ってこいつを止めるのは簡単だ。弾が入っていれば、だが。しかし弾が入っていなくとも、おそらく力でなんとかなる。
まーくんは小太りだったが、あまり力があるようには見えなかった。その証拠に、小柄な二番でもなんとか抵抗できている。
いや、力をセーブしているのか?
だから二番でも抵抗できている?
「ちょっと見てないで助けてよ!」
二番は悲痛の訴え。
一方、母親は「まーくんに乱暴しないで!」と逆ギレ。
ちょっとした地獄絵図だ。
仕事じゃなかったら、絶対に関わり合いになりたくない。
課長はうなずいた。
「二人とも、御曹司のお相手してあげて」
「はっ? 課長! あたしのこと見捨てるつもりですか?」
「いざとなったら三番くんが助けるから」
「いや、この人絶対役に立ちませんよ?」
おい。
しかし課長は「いいから」と俺たちを追い出した。
奥さんとサシで話をつけるつもりか。
*
「驚かせて悪かったな。まあかけてくれ」
彼の「子供部屋」に案内された俺たちは、オモチャの散乱する部屋で、なんとかスペースを見つけて腰をおろした。
御曹司は溜め息だ。
「そう身構えなくていい。錯乱しているフリをしているだけだ。じつはあんたらに相談したいことがあってな」
タマゴみたいなシルエットの、落ち武者みたいな印象の中年男性だ。
第一印象とは違い、いまはごく冷静に発言している。
二番は混乱している。
「えっ? なんで急に大丈夫になったん? どゆこと?」
「だから、演技だよ。ああするほかなくてな」
「マジで? なんで? え、もしかして、気づいてないのあたしだけ?」
「いや、誰も気づいてないはずだ。母は気づいているかもしれないが……。どうだろうな。半々といったところだろう。それより、金をとりに来たんだろ? あるぜ、ここに」
ここ?
どこだ?
彼はまた溜め息をついた。
「詳しいことは知らないが、あんたら、金か事件を求めてるんだろ? 俺には莫大な額の生命保険がかけられてる。俺を殺せばその両方が手に入る。俺はもう疲れた。殺すなら俺を殺してくれ」
一瞬、話を飲み込めなかった。
いや、冷静に解釈すれば、まこと仰る通りなのだが。
俺は思わず聞き返してしまった。
「なぜそんなことを……」
「見ての通り、この家には金がない。以前は地元の名士みたいなツラをしていたが。なかば騙されていろんな事業に手を出して、没落した。その後はもう、誰も助けちゃくれない。近づいてきたのは、保険金目当てのハイエナみたいな連中だけ。だが、そいつらの思う通りにはなりたくない。母親には迷惑もかけたしな。だから、頼む。俺を殺してくれ」
「いやいやいや……」
なんだこいつ。
意外とまとも……いやまともじゃないにしても、かなり殺しづらいヤツじゃないか。
「働いて返せば……」
「そういう額じゃない。それに、俺は子供のころから体をうまく動かせなくてな。人並の仕事ができない。だからせめて道化を演じることで、もろもろのバランスをとってきたわけだが……」
「でもなにもしなかったら……」
「そんなの分かってるんだよ。どうせまともな提案をしてくるつもりだろ? 破産したり、公的機関を頼ったり。だが、そんなことができるなら、とっくにやってるんだ。うちは事情が込み入ってる。母は花菱の名を捨てられない。家を売ることもできない。中身のない名声にすがりつくのはみっともないかもしれないが。それを失ったら生きていけない人間もいるんだ」
救済の手を拒絶してしまう人間は、確かにいる。
そして助けを拒んている人間を、助けることはできない。誰にも。いくらそう思いたくなくても、現実はそうなってしまっている。
「べつに助かりたいって言ってるんじゃない。殺してくれって言ってるんだ。できるだろ? あんたら、そのために来たんだろ?」
そう告げた彼の表情は、正気そのものだった。
ああ、人は……。
壊れたくないときにはあっけなく壊れてしまうのに、壊れたいときにはしぶとく壊れないのだ。
パァン、と、音が響いた。
撃った……のか……?
俺たちは部屋を飛び出し、応接室へ駆け込んだ。
しかし無人。
騒がしかった庭へ飛び出すと、課長の姿を見つけた。
雑草だらけの庭には、若い女が倒れていた。
御曹司に体をまさぐられていた使用人だ。
奥さんや別の使用人は生きている。驚いてへたり込んでいるだけで、無傷だ。
課長は心底疲弊した表情で溜め息をついた。
「ひとまずね、一番悪いのだけ殺しておきますから。これで上が満足すれば借金はチャラ……あるいはいくらか減額されるはずです。足りなければまた来ることになるでしょう。ま、そのときまたお願いしますね。二番ちゃん、三番くん、帰りますよ」
死体を見たくないのか、二番は俺の後ろに隠れていた。
まあ死体なんて滅多に見るものじゃないし、仕方がない。採用試験で一生分見た気もするが。
*
帰りの車内――。
俺は助手席のダッシュボードに銃を返却した。
「弾、入ってたんですね……」
「うん、入ってた。でもああ言っておけば、大抵あきらめてくれるから」
課長はこちらも見ずに運転している。
「そもそも、なぜテーブルに置いたんです?」
「どう動くか見たかったから」
「それはあの奥さんの? それとも俺たちの?」
「よく頭が回りますね。両方です」
つまりこれも新人研修の一部だったのだ。
俺は遠慮なく尋ねた。
「交渉の冒頭で、いきなり銃を出したのは? やはり俺たちの反応を見るため?」
すると彼はかすかに笑った。
「いえ、違いますよ。まあそれもなくはありませんが。たいてい温厚に交渉を始めても、だんだんエキサイトして暴力沙汰になってくるものなんです。だからね、途中を省いて最終局面に持っていったんです。まあ時短ってやつですね」
時短……。
そんなことのために銃を見せられたらたまったものではないが。まあ、彼の言う通り、どのみち銃を見せる結果にはなっただろう。
二番は後部座席でふてくされていた。
「あたし、アイス食べたいんすけど……」
「途中でどこか寄りましょうか」
「うん」
うんじゃないだろ。
ホントに「優しい」上司だな。
むしろ怖いんだが……。
(続く)