蠍
仕事はない。
進展もない。
二課も来ない。
ぼうっとしている間にも、時間は過ぎてゆく。
こちらが停滞しているいまも、謎のプロジェクトは完成に近づいているのだろうと思うと、歯がゆい気持ちになった。
「ところで三番くんさぁ、今日って何の日か分かる?」
「はい?」
居室でパソコンを眺めていると、いきなり二番から質問を食らった。
質問というか、なんだかぷりぷり怒っているような。
日付は3月14日。
まあ普通に考えればホワイトデーだが、俺はバレンタインデーになにももらっていない。だからお返しすることもないだろう。
二番の誕生日でもない。
俺の誕生日でもない。
いったいなんだ?
「西行法師は、如月の望月のころに亡くなったんだ。つまり2月15日だな。釈迦の入滅と同日らしい」
「今日の話をしてるんだけど。あと西行法師って誰?」
「西住法師と一緒に旅した人」
「そういうのいいから! ホワイトデーでしょうが今日は!」
いきなり立ち上がった。
自分はよこさないくせに、俺になにかよこせっていうのか?
搾取もいいところだろ。
「俺、なんももらってないけど」
「なんで女子から先にあげないといけないの?」
「お菓子会社に聞いてくれよ」
「なんか貢ぎ物ないの? チョコとかチョコとかチョコとか!」
食いたいだけだな。
「じゃあ売店で買ってくるから」
「一番高いヤツね」
「はいはい」
このアマはマジで……。
元気を取り戻したと思ったら、本格的にウザさまで回復してきやがった。
*
売店でチョコを買った。
一番高いのは本気で高かったので、一番安い板チョコにした。そもそも部下から金を巻き上げる上司とはなんなのか。普通、逆ではないのか。おごってくれるなら、少しくらい偉そうにしてもいいが。
かくして居室へ戻ると、なぜか二課のヴァーゴがいた。
「あら、もう来ちゃった。じゃ、私は帰るね」
「え、もう?」
二番は名残惜しそうだが、ヴァーゴはたしなめるようにその頬をそっとなでた。
「用は済んだから。邪魔したわね」
俺の顔を見るなり、さっさと部屋を出て行ってしまった。
風みたいな人だ。
二番は盛大な溜め息をついたかと思うと、小さな紙袋をそそくさとデスクの引き出しにしまった。
「ずいぶん早かったわね」
「俺は早い男なんだよ。さ、こちらが最高級チョコレートです。どうぞお納めください」
「うん、ありがとう」
すごく嬉しそうだ。
いや、俺のチョコに喜んでいるのではない。ヴァーゴからなにかもらって喜んでいるのだ。俺を追い払って二人でイチャついていたのか?
どうやら和解できたようだが……。できれば定時を過ぎてからやって欲しかったな。
「あたし、二課に転属しようかなー、なんて言ってみたりして。ね? もし本気でそう言ったらどうする?」
「もうボスじゃなくなるな」
「わー、すねてる。素直にさびしいって言えばいいのに」
「さびしいですよ」
「あー全然ダメ。心がこもってない」
確かにここは誠心誠意お願いすべき場面かもしれない。
いま二課へ行かれたら、作戦がグチャグチャになる。
もっとも、課長になったばかりだし、スコアだって十分とは言えないし、上も転属を認めないだろうとは思うが。
「もうすぐ採用試験が始まるんだ。浮かれてる場合じゃない」
「だからって、あたしらがやることなくない?」
「誰か一人は生き延びて、必ず三課に入ってくるんだ、研修の準備をしておかないといけないだろ」
「あんたがやってよ」
「まあマニュアルはあるから、その通りにやればいいが……。なんなら研修なんていらないくらいだしな」
まともな研修なら俺だって受けていない。
銃の扱いさえ説明されず、フィールドだけ案内されて、あとはいきなり実戦投入だ。
研修が面倒だったのだろうか? それとも俺には、フィールドだけ見せておけばいいと思ったのか?
もっとも、前課長は俺を警察だと疑っていたようだから、説明ナシで銃を扱えるか見たかったのかもしれない。
銃を撃つだけなら三歳児でもできる。アメリカでは、なにも知らない幼児が親を撃ち殺す事件だって起きている。だから見所は「適切に」扱えるかどうかだ。もちろん俺にはムリだ。トリガーを引いたら弾が出ることしか知らない。
なんにせよ、情報の更新が必要だ。
また二課のオフューカスと作戦をすり合わせる必要がある。
などと頭を悩ませていると、ニヤケ顔の二番がうかれた様子でつぶやいた。
「あ、そうそう。今日飲みに行くから」
「えっ? はぁ。それは俺もってことですか?」
「まあね。誘ってあげる」
「はぁ」
いつにも増してウザい。
誘ってあげるもなにも、俺が行かなかったら一人だろう。
二番は余裕の笑みだ。
「ヴァーゴも来るから。どうしてもあたしと飲みたいって。マジなんなの? あの子、あたしのこと好きすぎでしょ?」
「なんだよ。それなら俺いらねーじゃねーか」
なんだか分からないが、いい仲のようだし、俺がいても邪魔になるだけだろう。
だが二番は、慌てて立ち上がった。
「いやちょっと待ってよ。いるから。来て」
「なんで?」
「緊張するじゃん! あんたはあたしの保護者なんだから!」
「いや、そっちこそ成人女性なんだから、保護者なんていらないだろ」
「いるの! いいから来て! 命令ね!」
なんで部下がボスの保護者になるんだよ。
頭がおかしくなる。
とはいえ、この二人を仲間に引き込むチャンスではある、か……。
*
飲み屋に来た。
いつもの定食屋ではなく、オシャレなバーだ。それも落ち着いた店ではなく、若者がはしゃぐための店。硬質なブルーのライトが薄暗い店内を照らしており、流行りの音楽が途切れることなく流れている。
べつに悪いとは言わないが、個人的にはまったくなじみがない。
ヴァーゴも困惑していた。
「つかさ、こういうとこよく来るの?」
「えっ? まあね」
二番の本名は「つかさ」というらしい。
それはいいが、どうやら初めて来た店らしく、やたらとキョロキョロしながらカウンターについた。
少しも「まあね」ではない。
店員がうなずいて手で促したので、俺たちは勝手に並んで座った。
店は賑わっている。若者が減っているとはいうが、来るところに来ればいるものだ。未成年としか思えない客もいるが……断定はよそう。見た目から年齢は分からない。外見だけで言えば、二番だってガキそのものだ。
ヴァーゴは気を使ったのか、こちらにも話を振ってきた。
「あんたも常連?」
「いや、初めてだ。正直、戸惑ってる」
「私も」
それでも、酒とつまみがあれば十分だ。
「ね、なに飲む? なに好きなの?」
「ちょっと待って」
二番はよほどうかれているらしく、ヴァーゴにじゃれついていた。
あきらかに俺の存在は余計だ。
とっとと強めのを飲んで酔っ払ってしまいたい。
*
その後も、二人の距離はどんどん近づいていったが、俺は完全に置き去りにされた。まあ俺が「二人でつもる話もあるだろ」と突き放したせいだが。
よく分からない曲を聞きながら、俺はソルティドッグを口にした。このカップのふちの塩はどう使うべきなのだろう? いまだに正解が分からない。
ふと、黒づくめのコートの男が一人、店に入ってきた。
カウンター席には空きがあったのに、そいつはなぜか俺の隣に腰をおろした。それからボウモアをオーダーし、へらへらしながらしょうもない独り言を始めた。
実際、はじめは独り言だった。
小声で「景気悪いなぁ」とか「あー、腰が」とか言っていた。
「なあ、三番。返事をしなくていいから聞いてくれ」
そいつは急にそんなことを言い出した。
あきらかに俺に話しかけている。
俺は軽く溜め息をつき、ソルティドッグを一口やった。ここのカクテルは少しアマい。
「俺はべつに誰の味方でもない。ただ、いまの組織が気に入っててな。居心地がいいんだ。だから壊されたくない。壊そうとするヤツとは仲良くなれない。そういうもんだろ? いや返事はいい。あんた、賢いんだから分かるよな?」
どこからバレた?
組織の件は、俺とオフューカスしか知らないはず。あえて俺を牽制しに来たってことは、御神体との会話が漏れたのか?
その後、そいつは「春なのに寒ぃなおい」などとクソみたいな独り言を再開し、一杯だけ飲んで帰ってしまった。
二番との会話で盛り上がっていたヴァーゴが、なにげなくこちらへ向き直った。
「いまの、うちのスコーピオだよ。あれでバレてないと思ってんだから笑わせるよ」
「え、なになに? 知り合いだったの?」
二番まで身を乗り出してきたのを、ヴァーゴは「ちょっとだけ待って」となだめた。
俺はつい笑ってしまった。
「彼はなにかつかんでるのかな?」
「きっとそうね。あれこれ嗅ぎまわるのが好きだから。けど害はないよ。少し強めに怒ると静かになる」
「それで済むのか……」
まあ彼女の言う「怒る」が言葉だけとは限らないが。
ヴァーゴは肩をすくめた。一見すると強そうだが、意外と体の線が細い。
「けど、あいつに目をつけられたってことは、オフューカスとサシで会ってたってことだね」
「なぜ分かる?」
「あいつね、オフューカスと接触あった人間全員にいまのやるから。ワンパターンなんだよ。でも真相にはたどり着いてないよ。まあ当たらずも遠からずだけど」
つまり勘だけでいまの警告を発してきたということか。
ただの小心者だと思って侮っていると、足元をすくわれそうだな。
「悪いが、あんたが断ったって話は聞いた」
すると彼女は、不審そうに顔を近づけてきた。
「断った? 誰がそんなこと言ったの? オフューカス?」
「そう」
「私は保留するとしか言ってない。勝算がなければやらないって。まあ強めに言ったから、断ったと判断したんだろうけど」
「勝算があるとしたら?」
この問いに、彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「なんかムカつく物言いだね。ちょっと質問を変えてみてよ。俺が参加するとしたら、って」
「俺だけじゃムリだ」
「違うね。あんたも勝算がなければ参加しない。だからあんたが参加するときは、必ず成功するときだ」
ずいぶん高評価だな。
いったい俺のなにを知っている?
前課長のレポートにも、特に顕著な活躍は記載されていないはずだが……。
「俺が参加するなら、手伝ってくれる?」
「イエス。あんたって、二課と三課の課長が見つけてきた人材でしょ? 私、ひそかに期待してたんだよね」
なにかを誤解している気がする。
俺に特別な能力があるから招待されたわけじゃない。むかし御神体とかかわりがあったから、ただの飛び道具としてねじ込まれただけだ。しかも不発に終わった。
とはいえ、一般職員のくせに、御神体と直接連絡を取る機会があるという点では、たしかに特別かもしれない。
「ねー、内緒話しないで! あたしにも分かるように言ってよ!」
二番が駄々をこね始めた。
こんなガキがうちのボスだってんだから……。
だが俺は、そのガキの戦力に期待している。機嫌を損ねないようにしておかないと。
(続く)




