ビーンボール
連れてこられたのは、前課長とよく来た居酒屋だった。
いや定食屋か。
夜よりは繁盛している。
俺たちはテーブル席で向かい合って座り、食事をオーダーした。
「現場で起きたことは、謝る気はない。そちらも謝らないでくれ。ただ、おたくの前課長とは馴染みでな。この結果は、俺も歓迎していない」
「はぁ」
ムカつくことはムカつくが、被害を出したのはお互いさまだ。
だいたい、自分の意思でないとはいえ、俺たちは毎回どこかへ乗り込んで行って人の命を奪っている。自分たちだけ被害者ヅラするわけにはいかない。
名はオフューカスだったか。
彼はコップの水を飲み、こう続けた。
「あんた、どこかから金借りたか?」
「えっ? いえ、別に。なぜです?」
「採用試験にぶち込まれるのは、うちから金を借りて、返済できなかった連中だけだ。だがあんたは違うよな? 不思議に思わないか?」
「不思議ですよ、そりゃ」
なんだ?
俺をハメた犯人でも教えてくれるっていうのか?
こんな定食屋で?
彼は三白眼の眼球をキョロキョロと動かしてから、静かに告げた。
「じつは俺がハメた」
「……」
「悪いとは思ってる。だが、どうしてもきっかけが欲しくてな。言っておくが、おたくの前課長も共犯だからな」
ブチギレたほうがいいのだろうか?
急だったせいか、完全にそのタイミングを逃してしまった。
「ホントに?」
「いまから危険球を投げるが、オーバーなリアクションするなよ」
「はい?」
「俺たちは、あの組織をぶっ壊そうと思ってる」
「……」
あの組織?
埼玉有機周波数研究所を?
男は肩をすくめてみせた。
「手を貸してくれるよな?」
「いや、俺になんの関係が……」
「御神体と過去に関係のあった人間を使えば、変化のきっかけになると思ってな。ま、予想してたような効果はなかったが……。こっちも手段を選んでいる余裕がなかった。悪く思わないでくれ。いや思ってもいいが、表に出さないでくれ」
「勝手な……」
「詳しいスペックについては前課長から聞いてる。御神体との関係はともかく、冷静なヤツが仲間になるのは大歓迎だ。先日の現場でも分かったと思うが、頭の悪いヤツは勝手に暴走する。ああいうのは仲間にできない」
たしかに、あの連中はクソだった。
スコア欲しさに、前課長との交渉に応じたフリをして、俺たち全員を狩りに来た。
「俺だって仲間になりたくないですよ」
「まあそうだろうな。なんのメリットもない。むしろ危険なだけだ。だが、ムカつかねぇのか? あの組織のやりかたによ」
「ムカつきはしますけど」
「金で命を買ってるようなもんだ。どの現場もつれぇもんでよ……」
「それは思いますけど」
店のおばちゃんが食事を運んできたので、俺たちはしばし沈黙した。
うまそうなエビフライ定食だ。
「俺も詳しい情報はつかんでないが、御神体が来てから研究が進んだようでな。もうすぐ完成なんだそうだ」
「完成? なにがです?」
すると彼は、ほとんど毛のない眉をひそめた。
「それが分からねぇのよ」
「どういう……」
「とにかく秘密主義だからな。分かってるのは、なんらかのプロジェクトがひとつ完成するらしいってことだけ。おかげで事務方から現場行け現場行けってうるせぇのなんの。あ、現場行くとなんで研究が進むかは知ってるか?」
「いちおう」
「さすがだな。とんでもねぇ機密なのに」
御神体が勝手に喋ったのだ。
俺がすっぱ抜いた情報じゃない。
俺はエビフライをかじり、男はサバ味噌煮定食をむさぼった。
衣がサクサクでうまい。うまいがサクサクすぎて口内にダメージを受けそうだ。ソースと醤油のブレンドされたタレも味わい深い。
彼はまたコップの水を飲んでから、こう続けた。
「とにかく、そのプロジェクトが完成する前に、なんとかしたいと思っててな」
「本気なんですか?」
「本気だ。前課長との約束もあるしな。ホントなら、一緒にやり遂げるはずだったのによ……」
「……」
だが、前課長は、俺たちになにも話してはくれなかった。
巻き込みたくなかったのかもしれない。
いや、巻き込みたくないなら、そもそも俺をここに入れたりしないはず。タイミングをうかがっていただけかもしれない。そして予想外の理由で死亡した。
俺はエビの尻尾をかみつぶして飲み込み、こう尋ねた。
「メンバーは?」
「正直に言うぞ。いまのところ俺だけだ」
「はい?」
「信用できないヤツは誘えないからな。いちおうヴァーゴにも声をかけたがフラれた。あいつは頭もいいし、戦力にもなるし、最高の逸材なんだがな」
志高く巨悪と戦う孤高の戦士、というわけだ。
悪く言えば仲間がいないだけ。
ひとりで空回りしている。
当然、分が悪い。
俺が参加したところで総勢二名。
対する研究所は……。戦闘狂の一課、数の多い二課、そしてキリング・マシーンのいる三課。
勝てるわけがない。
俺もコップの水を飲み、こう応じた。
「もしうちの二番を仲間に入れたら、ヴァーゴさんも手を貸してくれると思いますよ」
「まあ、そりゃそうなりゃ嬉しいが……」
「なにか問題が?」
「ヴァーゴから、二番には手を出すなって釘を刺されててな」
「なるほど。でも俺は釘を刺されてない」
彼は薄い唇でフッと笑った。
「頼りになるヤツだと思ってたぜ」
「まだ承諾したわけじゃないですよ。ただ、可能性を探るだけなら」
*
飯代をおごってもらった。
それでもまだ二課にはいい印象がないが……。彼らが一枚岩でないことは分かった。というか、そもそもがただの寄せ集め集団だ。明確な目的をもって参加した人間は一人もいない。それが組織に組み込まれてから、出世欲などで率先して殺しをやるようになるだけ。
力を持った誰かに、「こっちが上で、こっちが下です」と言われると、そのまま受け入れてしまう人間はいる。こんなクソ組織で出世したところで、己のチンパンぶりを証明するだけだろうに。いや給料もよくなるのかもしれないが。
他人の命が金にしか見えなくなったら人間失格だ。殺しは金ではなく感情でやるものだ。いやそれも絶対にダメだが……。
俺は自分勝手な理由で人を殺そうとした男だ。
こうして人様の行いを否定する資格があるのかは怪しい。
「で、なに話してきたの? 教えて。命令」
居室へ戻ると、二番が仁王立ちしていた。
「時期が来たら話すよ」
「はぁ? また秘密なワケ? あたし、あんたのボスなんだけど?」
「お互いのためなんだ」
「なにそれ? お互いのため? ホント、カッコつけマンだよね」
今どき「カッコつけマン」なんて言うか?
いや、彼女は課長とずっと二人だったから、昭和のセンスを刷り込まれているのかもしれない。
「それより、レポートの解析は進んだのかな?」
「勝手に話題変えんな」
「立派なボスになれば、みんながあんたを頼るようになるぜ。そのうち入ってくる新人にもナメられないで済む」
「ナメられる前提? ムカつくんだけど」
成長しなければ、そうなる。
次に入ってくる新人は中年男性かもしれないのだ。中年男性は、たいていの場合、無条件で若い女をナメる。まあボスにそんなことをしたら、先輩の俺がフィールド送りにしてやるが。
彼女は椅子に腰をおろし、「はぁー」と大仰に溜め息をついた。
「でも新人かぁ……。どーせ来てもすぐ昇進して二課に行っちゃうんだろうなぁ……」
「ムリもない。御神体に言わせれば、三課は新人か落ちこぼれの受け皿なんだとよ」
「今度そいつ殺してきてよ」
「善処しよう」
前回は仕留め損なったからな。
もし次にその機会があれば、確実にヤる。
会話が途絶すると、この居室は本当に静かになる。
デスクは二つしかない。
防音だけはしっかりしているから、他部署の声は聞こえない。いるのかいないのかさえ分からない。閉ざされた世界のように感じる。
「ところでボス、銃の訓練だけど」
「やらない」
返事が早い。
「せっかくいい腕してるんだから」
「やらない。あたし、嫌いなの。今後も銃は持たないから。全部あんたがやること。命令」
「さすがにパワハラだろ」
モラルの欠如した上司ほど恐ろしいものはない。
上が腐れば、下も腐る。
「けど不公平だよな。銃が嫌いなのに、あんだけ腕がいいなんて」
「体が勝手に動いたの。きっと課長が助けてくれたんだと思う」
「そう……かも?」
いや、そんなわけはない。
車体に隠れながら、見もせずに銃弾を命中させた。
おそらく偶然ではない。直前に見た映像を記憶しておき、正確にそこを撃ち抜いたのだ。
あきらかに才能がある。
これで銃を持つのに抵抗がなければ、とんでもない戦力になる。
「三番くん、なんか勘違いしてるみたいだけどさぁ、あたし、もともとお花屋さんになりたかったワケ。で、いろんなカップルが仲良くなるお手伝いをしたかったの。善人じゃない?」
「善人? そんなヤツが借金を踏み倒すか?」
「は? ここのふざけた金貸しのこと言ってる? 自分だって踏み倒したからここに来たんでしょ? なんなの? 自分のこと棚に上げて、あたしのこと言う資格ある?」
「いや、まあ、そう……」
そうじゃないが、そういうことにしておいたほうがいいんだろう。
「三番くんさぁ、そういうとこ直した方がいいよ? 新人にナメられるから」
「ごめんなさい」
「以後気を付けなさい。命令」
「はい」
クソ、ホントのことが言えれば……。
俺は善人じゃないし、なんなら殺人犯だが、借金の件に関して言えば完全に被害者だ。
あのヘビ野郎……。
ホントにこの組織と戦うつもりなんだろうか? 勝算はあるのか?
仮に俺と二番とヴァーゴが仲間になったとして――。レポートを見る限り、一課の戦闘能力は桁違いだ。反社の事務所をまるまるひとつ潰したりしている。一課との戦闘になれば、俺たちに勝ち目はない。
人員もない。支援もない。策もない。
無謀もいいところだ。
頭のおかしなことは、頭のおかしなヤツがやればいい。
俺は俺らしく、無難にやらせてもらう。
(続く)




